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旅立った仲間

私は今、高校野球の監督をしている。

しかし私は野球の選手としての経験はなく、指導者だけの経験で、ついぞ教師生活の大半を野球に関わることになった。


大学を出てすぐに教師になった。
その時、廃れていた野球部を立て直すために練習相手に駆り出されたのが高校野球との関わりのスタートだった。

その時の教え子の子供と私の子供が学童野球で先輩後輩になったのだから縁とは面白いものだ。



そして次の学校で初めて野球部の監督になった。

その時3年生でエースだったのがY君だ。

離島出身の彼は、ずば抜けた身体能力で後輩たちからも憧れの存在だった。


今思えば、最後の夏の大会の直前に、野球未経験の青二才が監督としてきたのだから思うところがあったろうが、私にとても親切だった。


私にとって初めてのエースの彼は、他校からも一目置かれる投手だった。
彼が投じた豪速球は今も私の脳裏に焼き付いている。


一昨日はちょうど当時勤めていた学校のグランドで、久しぶりにノックを打った。
随分とボールは飛ばなくなったが、当時のことや、彼らのことを懐かしみながらノックを打たせてもらった。



そのY君が昨日亡くなった。
闘病しているのは聞いていたものの、よくなったとも聞いており、安心していた。



しかし一昨日、そのグランドにたまたま来ていたY君の後輩から、Y君がかなり悪いらしいと聞いたばかりだったが、まさか、その翌日に訃報に接するとは思わなかった。


今は言葉もない。



昨秋は初任校で野球部復活の手伝いをしていた時のエースだったD君が闘病の末、帰らぬ人となった。
大変ヤンチャなD君は試合に行く時はバチっと髪を決めて行くようなところがあったが、責任感の強い、エースらしい選手だった。

また来月は私の幼馴染で、息子の学童野球のチームメイトの保護者でもあったMの一周忌がある。彼もまた長い闘病生活の末の不帰だった。
自分の果たせなかった思いを息子に託す姿が今も思い出される。


様々な形で白球に関わった仲間が旅立つのは心が痛む。



Y君は最後まで後輩に慕われていたそうだ。

いよいよ長くないと知った後輩たちは、その島にいる仲間たちで会いに行ったと聞いている。


今は安らかである事を祈ることしかできないが、今、私の心はあの日の三塁ベンチから彼の豪速球を見ている。



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