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【サーフィン小説】ビジタリズム|第3話

<2ラウンド目 オフ・ザ・リップに憧れて

3ラウンド目 サーファー同士のエセ絆

道はいつの間にか平坦になっていたが、依然として両脇には鬱蒼とした雑木林が続いている。木々のシルエットに縁取られた空には、うっすらとファーストライトの予感が滲み始めていた。

「そういえば——」

しばらく無言でスマホをいじっていた和虎が、思い出したように尋ねてきた。

「——最近、仕事の調子はどうなの?」

この一言で、力丸は真の原因に思い当たった。なぜ、万里浜へ行くのに気が進まないのか。いや、思い当たったというより、見て見ぬフリをしようとしていただけかもしれない。

万里では、奴に会う可能性があるんだった。

岡貞文、国内飲料最大手・サンマリー宣伝部のナンバーツー。力丸にとってはクライアントという立場の男だ。広告に携わる人間なら、その名を知らない者はいない有名人である。

特に若いクリエイターにとって、「広告は文化」という思想を持ち、国際的な広告賞の受賞も多いサンマリーとの仕事は、たとえフィーが安くても請け負いたいものだった。

そして、力丸も御多分に漏れなかった——最初のうちは。

力丸が所属する歴史だけがやたらと古い総合広告会社は、メディア枠の買付でだけ、サンマリーとの取引実績を持っていた。口座がある以上、営業は少しでも実績を増やそうと、新商品キャンペーンの競合コンペがあるたびに志願して参加した。

デザイナーの力丸は、サンマリーの仕事で一花咲かせようと、死ぬ気でいいアイデアを考えたし、コンペ直前ともなれば徹夜を繰り返して、そのまま出稿できるほどクオリティの高いカンプも作った。

それでも力丸の作品が日の目を見ることはなかった。サンマリーからキャンペーンのクリエイティブを任されることはなく、受注できるのはいつもハナクソのような金額のメディア枠の買付のみだった。

しかし、岡は、サーフィンをやるという力丸のことを気に入ってくれた。岡自身もサーファーだと聞いて、力丸は有頂天になった。岡とサーフィンの雑談で盛り上がるたびに、自分にもいずれ業界でのしあがるためのビッグウェーブが来ると信じて疑わなかった。

しばらくすると、岡は、サンマリー主要ブランドや新商品のキービジュアルを決める立場にあることをチラつかせ、力丸に雑用まがいの仕事を発注してくるようになった。それは例えば、キービジュアルを担当するエージェンシーへのブリーフィング資料などだった。

最初は、それでも喜んで請け負っていた力丸だったが、自分がどうやら都合よく使われているらしいことに気付くのに、そう時間はかからなかった。

そのうちに岡は、“サーファー同士の絆”を悪用し始めた。今度一緒にトリップに行こうぜだの、大手クリエイティブエージェンシーのCDもサーファーだから紹介してやるよ、だのといった美味しそうな話と一緒に、“雑用”を頼んでくるようになったのだ。その頃にはもはや会社を通すことはなく、いつも力丸個人に直接発注してくるのだった。

力丸は上司に訴えたが、クライアントのネームバリューに抗えないクソ上司は、決して力丸を守ってはくれなかった。それはつまり、どれだけ他の仕事がカブっていても、岡に言われた通りのスケジュールで言われた通りのものを納品しろ、ということだった。受注額3万円ですけどアタマ大丈夫ですか?と上司を問い詰めてやるのが正しいのかもしれないが、お人好しな力丸にはそれができなかった。

その岡が、最近海辺にサーフハウスを借りたと言っていた。

力丸は、今度サーフハウスでのバーベキューに招待するから、と誘われた。案の定、その話はサンマリーが手がける高齢者向けサプリのバナー広告25種類の制作依頼がセットだった。発注金額は単価1,000円、納期は中1日だった。

岡がサーフハウスを借りた場所というのが確か——万里浜だったはずだ。

誘われても全く嬉しいと感じなかったため、どうやら今までそのことを失念していたようだ。

しかも、岡は昨夜、つまり金曜の夜にも力丸にLINEをよこしていた。またしても急ぎのバナー広告制作依頼だった。プッシュ通知のテキストには「月曜日朝イチまででいいからさ」、とあった。

金曜のその時間に話を振ってきて月曜の朝イチ納品ということは、土日にやらせること前提じゃねえか。それで自分はサーフハウスで週末を満喫?いい加減にしてくれよ——力丸は未読スルーをキメ込んだ。

そんなわけで、万が一、万里浜で岡に会うことがあったら、非常に気まずい。和虎から万里のポイント名が出た時に、力丸の脳ミソは、そういった面倒なことを考えることを放棄し、フリーズしたのに違いない。

岡とは結局まだ一度もサーフィンをしたことがないし、本当に万里浜にサーフハウスを持っているかもわからない。しかし、力丸にとってストレスの塊でしかない人物に会う可能性があるという事実は、一度持ち上がりかけたモチベーションを再び鎮火させた。

「仕事の調子……?よくはないよ……」

「どうしたマエノリくん、すごい沈みようだけど。例の宣伝部の人?……あ、もしかして……」

和虎は力丸の愚痴を毎週のように聞かされているから、岡の存在を知っている。そして、岡がサーファーで、最近サーフハウスを借りたらしいということも。

「宣伝部の人がサーフハウス借りたのって、万里浜?」

力丸は答えなかった。しかし、無言はこれ以上ない肯定を意味していた。

「なんだ、そっかー。宣伝部の人、ずいぶんマイナーなところに基地を構えたんだな。サーフハウスなら、それこそ盆台とかの方が雰囲気的にシャレオツな大人が借りそうだけど」

「カズ、やっぱ他のとこにしない?」

「今更何言ってんの。もう目の前でしょ。今から他行ったら時間がもったいないって」

和虎がそう言うや否や、雑木林が途切れ、突然視界が開けた。

力丸の目に飛び込んできたのは、ファーストライトに照らされた水平線だった。

「ああ、ここここ、万里浜」初めてのクセに、和虎がいかにも通い慣れた風の物言いをする。「もうちょい、下ろうか。南の端っこがいいらしいんだよ」

力丸たちはどうやら万里浜の北端側からアプローチしたようだった。弓なりに湾曲した海岸線が南に向かって伸びている。南北を切り立った崖に囲まれ、摺鉢のようなビーチの長さはざっと見て1〜1.5kmぐらいだろうか。

「砂が……白い!」

力丸は、その美しさに息を呑んだ。

そして、万里浜を見下ろすように、こぢんまりとした建物が群生した小さな町がそこにはあった。徐々に明るみを増す空の下でその姿を現し始めた町は、力丸の目に、まるでRPGの中に出てくるもののように現実離れして映った。

毎週のように通っていたはずのエリアに、こんな場所があったとは。

岡のことも、仕事のことも、この荘厳ささえ感じさせる万里の風景を目の前にした瞬間に吹き飛んだ。

〜〜つづく〜〜

4ラウンド目 マエノリくん、本領発揮>

ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ

ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——

ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。

ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。


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