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【サーフィン小説】ビジタリズム|第7話

<6ラウンド目 ローカルたる所以

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7ラウンド目 117シェイプス

「いや本当に申し訳ないです!」

水面をスムーズに移動しながら和虎が張り上げた声は、ゆるいオフショアに乗って“現場”に届いた。

オッキーが気勢を削がれたようにインサイドを振り返る。そして、和虎が充分に近づくのを待つと、力丸を指差しながら恫喝した。

「てめえ、コイツのツレか?」

力丸は何か言わなくてはいけない気がして口を開いたが、できたのは、ただ懇願するような視線を和虎に送ることだけだった。

和虎は一瞬、力丸と視線を合わせると、微笑をたたえたままオッキーの方へ向き直った。

「はい。僕は、坂田和虎と言います。それからコイツは、一緒に来た前野力丸です」

聞かれるまでもなく、淀みなく自ら名乗り出た和虎の声色は、誰の心でも融解させる不思議な力がある。現に、和虎の声を聞いてオッキーの眉間からシワが消えた。

「邪魔しちゃって、すみませんでした」

和虎はもう一度、オッキーに対して丁寧に頭を下げた。この身のこなし、揉め事の多い不動産営業としても優秀なワケだ。

しかし、力丸が感心したのも束の間だった。次の瞬間、和虎の口から無邪気に飛び出した忌むべきニックネームを耳にして力丸は焦った。

「……ほら、マエノリくんも謝んなよ!」

「ちょ……」この男の前でその呼び名はやめてくれ——

オッキーはピクリと片眉を持ち上げた。

「マエノリくんだと?」

そして、片眉を持ち上げたまま力丸に顔を向け、マジマジと眺め回した。

(ほらヤバい、「てめえフザけてんのか?」とか言われるぞきっと……)

しかし、和虎は力丸の気持ちなどお構いなしに続ける。

「はい。“まえの・りきまる”なんで、ええと、前乗りが、決まってしまうんです」

——それ、今この状況で、真顔で説明することなのか?これで、二人まとめてボコられるしか道がなくなったに違いない。

力丸は諦めにも似た感情を抱いた。

しかし、次の瞬間目にしたものは、意外な光景だった。

オッキーが、破顔したのだ。

「名前がまえのりきまるで、マエノリくん?おい、てめえフザケてんのかよ」

言われたセリフは想像通りだが、オッキーは可笑しくて仕方がないという様子だ。

黙っている力丸の代わりに、和虎がコクリと頷くと、それを合図にオッキーが腹の底から爆笑した。

「わははは!……ガチで本名?これはケッサクじゃねえか。マエノリくんがナミノリの前乗りかましたってことかよ。コレはナミノリにも教えてやらねえと」

オッキーはニヤニヤしたままインサイドを振り返ったが、レフトの波をきっちり最後まで乗り切ったであろう少女の姿を見つけることができていないようだった。

不幸中の幸いと言うべきか、自分の名前のインパクトのおかげで、目の前の粗暴な男は、進路妨害をされたことを、今この瞬間は忘れてくれているのかもしれない。

不意に、力丸は横に来た和虎につつかれた。

「ほれ、マエノリくんも謝って。この人のラインに入ったこともね」

優秀な不動産営業からすれば、ここが火消しのために重要なタイミング、ということだろう。

「あ、じゃ、邪魔しちゃって、すみませんでした」

力丸が頭を下げると、オッキーが向き直った。

「あ?……おう、そうだな。アレはねえぞ。気をつけろや」

厳しい口調だが、すでに怒りのピークは過ぎていることは確実だった。コレは解放してもらえるかもしれない。力丸は希望の光を見た。

しかし、和虎はそこで会話を終わらせなかった。そしてこれこそが、和虎の凄いところだった。それは、事故って怒らせている相手を鎮めるだけではなく、むしろ、その場で仲良くなってしまうという特殊な能力だ。

「ところでそのボード、117シェイプスですよね?」

和虎は、オッキーのまたがるミッドレングスを指差し、静かな興奮を抑えるような声で尋ねた。

「あ?おう、兄ちゃん……カズトラだっけか、117知ってんのか」

不意にサーフボードの話題を振られたオッキーは、明らかに嬉しそうな表情を浮かべた。先程まで力丸を食い殺しかねない凶暴性を見せていた男が、である。

「はい。117ミッド、いつか乗ってみたいんですよ」

「へええ、わけえのに結構いい趣味してんじゃねえか」

「僕のも117なんですよ、ほら」

和虎は、すかさずボードから飛び降りると、デッキ面のロゴをオッキーに見せた。

「おお、117ハイプか。そりゃミキタさんが商業シェイプから身を引いた後のモデルだな」

「そうなんですよ。そちらはやっぱり……」

「おう、コレは正真正銘、ミキタさんシェイプのやつよ」

「へええ!すごい、初めて見ました!」

和虎と、自分にとっては凶暴なだけだった男が、目の前で楽しそうにボード談義を繰り広げ始めた。その間、小ぶりの波が何本か間近でブレイクしているというのに、二人はお構いなしで117シェイプスの話を続けている。

いきがかり上、力丸はその波に乗るわけにもいかず、かと言って、ボードの話にもついていけず、完全に置いてけぼりだった。

そもそも力丸はそこまで思い入れを持てるほど、サーフボードというものに詳しくなかった。今乗っているのも、都内の大手スポーツ用品店で購入した店置きのダイアルアイランズサーフボードだ。

和虎が117シェイプスという国産メーカーのボードに乗っているのは知っていたが、そういえば今までそのことについて深く語り合ったことはなかった。確か、兄貴の影響で乗り始めたとは聞いていたのだが。

「まあ、お前には117似合ってるよ。結構いいスタイル出してっから」

「いえ、僕なんてまだまだっス」

この短時間の間に、二人はすっかり意気投合していた。

(サーフボードの話だけで、そんなに?)

ピンチを助けてもらったというのに、力丸は何とも言えない疎外感を味わって複雑な気持ちになった。これはもしかしたら嫉妬なのかも知れない。

「いや、実際、結構イケてるぜ。俺、あっちのピークから見てたんだよ」

今やオッキーは和虎のことをベタ褒め状態だ。

「見たことねえけど、結構スタイル出てるヤツが入ってきたなってよ。ただな……」

ここでオッキーは、今まで緩んでいた表情をやや引き締めた。一瞬、眼光が鋭くなる。

「お前ら何回か目があってるんだからよ、挨拶ぐらいあってもいいんじゃねえか?」

「あ、はい、すみませんでした」

和虎が素直に頭を下げる。力丸もそれに倣った。

自分にはオッキーと目が合った覚えはなかったが、それは、小心者ゆえに自らが敢えて視野を狭くしていただけのことだろう。向こうからしてみれば、きっと、“一見さん”の自分たちのことは最初から注目していたのだ。

「別に入るなとは言わねえよ。今までだって誰もここがローカルオンリーだなんて言ったことはねえ。ただ、どういうワケか、ほとんど誰も来なくなっちまっただけだしよ」

“どういうワケか”のうちの大部分は、この男が原因なのではないかとも思うが、もちろんそんなことは口に出せない。

「でもよ、自分ちの庭先にいきなり誰かが現れて、そこで黙って遊び始めたらよ、気分的にはよろしくねえだろ?別に挨拶しなきゃここに入れねえ、みたいな、くだらねえ体育会系趣味のことを言ってんじゃねえぞ。人間としてフツーの感情の話をしてるだけだからな。ある日突然庭先に現れて、挨拶もなしに黙って遊んでたヤツがよ、何にもしないうちは別に構わねえよ。気分的にはよろしくねえけどな。でもよ、いきなり人ん家の門を塞いできたら、そりゃ誰だって怒鳴りたくもなるって話よ」

オッキーの例え話は、凶暴な顔に似合わず細かくて回りくどかったが、言わんとすることは伝わってきた。

ローカルオンリーじゃない——オッキーの口からそれを聞くのは意外だったが、よくよく考えてみれば、もしもここがそういうポイントだったのなら、入った瞬間に何か言われていただろう。

「おっしゃる通りです。僕ら、万里の噂だけ聞いて、多分、勝手に壁を作ってました」

和虎が、力丸も感じていたことを流暢に言葉にして伝えた。

「まあ、ヨソのポイントに比べたら、多少ローカルがキツいってのは、あながち間違いじゃねえかも知れねえけどな」

オッキーはむしろそう噂されるのが嬉しいとでもいうように、クック、とほくそ笑んだ。

なんだかんだ言って、結局根っこのところでは、この人は体育会系なのだろう、警察官だっていうし。そして多分、裏表のない体育会系だ。つまり、礼儀をわきまえている限り、機嫌を損ねることはないタイプということだ。

ここで和虎が、会話を締めにかかった。

「ありがとうございました。あの、お名前を伺ってもいいですか?」

「おう、俺は沖野だ」

(ああ、それでオッキーか)

オッキーはやけにスッキリした表情でボードに腹這いになると、ノーズを再び南端のピークに向けた。

「そういうわけで、気をつけてやってこうや。怪我してもつまんねえしよ」

た、確かに、僕はあなたに轢かれるところでしたよ。その前には、あの女の子に突き飛ばされて溺れそうに……ああ、そう言えば。

「あ、あの、沖野さん」

ここまで全く自分の意思で喋っていなかった力丸は、自然とオッキーに声をかけていた。

「あん?」パドルを再開しかけていたオッキーがめんどくさそうに振り返る。「何だよ、マエノリ」

「あ、あの、ナミノリっていう女の子は……」

力丸は、もう自分はまるで関係がないと言わんばかりに随分離れたところでパドルしている少女を指差しながら尋ねた。

オッキーは思い出したように二人に向き直った。

「おう、ナミノリのことか。説明すんの忘れてたわ。あいつな、すげえサーファーだろ?」

力丸の脳裏に、少女のライディングが蘇る。自然と、全力で頷いていた。その横で、和虎も頷いていた。

(カズも見てたのか、あの子のサーフィン)

二人の反応を見ると、オッキーは満足気に頷き、そして和虎の方を向いて言葉を繋げた。

「あいつな、ミキタさんの一人娘なんだよ。ミノリっていうんだけどよ」

「ま、マジっすか!それじゃ、飯名ミノリ……」

「ああ、この辺の奴らはみんな“ナミノリ”って呼んでる」

イイナ・ミノリ……ナミノリ——ああ、名前からしてサーフィンの申し子じゃないか——俺と違って。

力丸の脳裏に、その名前は強烈に焼きついた。

〜〜つづく〜〜

8ラウンド目 万里に来た理由>

ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ

ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——

ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。

ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。


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