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さくらさんにまた会ってゆっくり話したい

「新幹線の駅のある町に住みなさいって親から言われてて」

僕が新卒で入った出版社の先輩の言だ。
仮にさくらさんとでもしておこう。
さくらさんは2年くらい上の先輩だったが、大学を休学したりして時間の進み方が周囲とは違う人だったから、年齢的には5つほど上だっただろうか。
僕と同じ大学を出ていたから、とことん先輩だ。

さくらさんは誰もが目を見張るような妖艶な美しさを持ち合わせた人で、背もすらっと高く、女優やってますと言っても誰も疑わなかっただろう。
とにかくきれいな人だった。
僕は日本の歴史・民俗・思想を受けもつ編集一課に所属したが、さくらさんは隣の課、西洋の歴史・思想・美術を担当する編集二課に所属した。

何の席で何の話をしているときだったかはさっぱり覚えていないが、さくらさんの口から冒頭の言葉が出た。
「新幹線の駅のある町に住みなさいって親から言われてて」
——え、なんでですか?
「文化レベルが一定以上あるからって」

誤解を生まないよう先に言っておくと、さくらさんは帰国子女で、親は長らく海外住まいのために日本の捉え方が少し極端だったようだ。
数ある日本の町の文化レベルを新幹線の駅の有無で量るというのだ。
僕はそんなこと考えたこともなかったので、驚きを覚えるとともに新鮮さも感じた。

——新幹線の駅さえあればどこでもいいんですか?
「そうね、もちろん東京とか大阪は最有力だと思うけど、たとえば…」
(さくらさんは、なぜここに新幹線?と多くの人が思う駅の名を挙げた)
「…でもいいということね」

それを聞いて思った。
さくらさんの、いやその親のいう文化レベルって、その町自体が持つ文化ではなく、東京の文化のことを指しているのだと。

たとえば、古い神社や大きな寺のある町に住みなさいとか、博物館や美術館のある町に住みなさい、ならその町の文化だ。
でも新幹線の駅さえあればどこでもいいとなると、それはもうただ便利な移動手段が確保されていればいいという意味でしかない。
つまり、親の言は「(たとえその町には何もなくても、東京に瞬間移動できる)新幹線の駅のある町に住みなさい」ということだろう。

この広い日本の小さな町々、村々にある価値をこそ信じる僕からすると、到底承服しかねる考え方だ。
でも海外に住む人から見た日本の姿としてはありなのかもしれない。
この狭い日本には東京しかないよね、と。

ほどなくさくらさんは心を病んで会社に来なくなってしまった。
美しくも儚いって、まるで桜だ。
ミクロでものごとを捉えがちだった僕に、マクロの視点を授けてくれたさくらさんには感謝している。
桜色のさくらさんにまた会ってゆっくり話したいと思っている。

(2024/5/17記)

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