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荒波対応モードに切り替わっていたのだろうか

僕はまったく乗り物酔いをしない。
一度だけ小学校の遠足にプラモデルを持ち込んで、帰りのバスで組み立てていたらさすがに気持ち悪くなったけれど。

大学の卒業記念に、サークルの仲間と北海道にスキーに行った。
貧乏な僕たちに往復とも飛行機などという贅沢は許されず、往路は舞鶴から小樽へのフェリーだった。
今では1晩で着くようだが、当時は2晩かけての大航海だ。

折しも、真冬というのに台風並みの超大型低気圧が日本海を東進していた。
旅の中止を一瞬考えたが、船会社が欠航しない判断なら大丈夫と強行した。
テレビは大しけを伝え、漁業関係者に厳重な警戒を呼びかけていた。
それをその海域の船内で視るのは気持ちよいものではない。
安全第一の今なら、出航はありえないだろう。

揺れは次第に激しくなり、船はまるで濁流に飲まれた木の葉のようだ。
貧しい僕たちは――『タイタニック』のジャックがそうであったように――とくに揺れのひどい船倉に設けられた2等船室にいたから、その揺れたるや経験したこともないものだった。
船内放送が、本船は大型であり岸から遠く離れた地点を航行しているため安全ですと繰り返せば繰り返すほど、乗客の目は不安の色を増す。

8人の仲間で行ったが、すでに3人は嘔吐し、横たわって動かない。
僕は最大級の恐怖は感じていたが、吐き気はまったくなかった。

揺れがさらにひどくなる前に風呂に入っておこうと思ったが、すでに浴室はシーソー状態となっていた。
洗い場の洗面器やイスが右に滑っては壁にぶち当たり、すぐさま左に滑っては壁にぶち当たりを繰り返す。
浴槽の湯はさながら東映映画のオープニングのごとく荒立ち、半分も残ってはいない。
鏡の中の、滝行をする僧のような全裸の自分と目が合い、お互い苦笑した。

命からがら入浴を終え、船室に戻ってみると嘔吐組が1人増えている。
あいかわらず僕はまったく平気だ。
感覚的には90°横に傾いているのではないかと思うような、いつ転覆するやもしれない大きな揺れを、僕は楽しむしかなかった。
持ってきたトランプも相手がなく、とにかく退屈だったのだ。

低気圧はまるでフェリーに合わせるかのようにゆっくり進み、楽しいはずの2晩の船旅は最後まで大波にさらされた。
早朝、小樽に着岸。
結局8人中、酔わずに上陸したのは僕ともう1人だけだった。

しかし、嘔吐を繰り返した6人は、船を降り立つや否や回復した。
おそらく三半規管は2晩経っても陸上モードのままだったのだろう。
水を得た魚ならぬ、地を得た虫のようにキャッキャと大地を踏みしめる。

逆に、僕は荒波対応モードに切り替わっていたのだろうか。
とてもまっすぐは歩けず、小樽駅への凍りついた上り坂をヨタヨタ登るさまは、朝から呑んだくれたアホ学生にしか見えなかっただろう。

まぁ、危険を顧みず旅を強行したアホ学生であったことは否定できない。

(2023/7/9記)

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