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いったい何年前の映像だ?

両親ともに鬼籍に入り、実家はいわゆる空き家となった。

今、この国で最重要課題ともいえる空き家問題。
ちょうど先日、全国の空き家が900万戸に達したというニュースが流れていたが、これで900万1戸になった。

母が旅立ってからしばらくは父が一人住まいしていたが、戦前の空気を胸いっぱいに吸い込んだザ昭和の父に家事が務まるわけはなかった。
1年ほどはがんばったものの、やはり限界が訪れて強制入院となり、その後ホームに移ったため、実質空き家になってからはもう2年になる。

その間、部屋に風を通すために定期的に通い続けたから、誰もいない実家にはもう慣れっこだった。
だから父が亡くなっても喪失感はそこまでないだろうと思っていた。
昨日までこの部屋で元気にしていたというのとは訳が違うから。
そのはずだった。

父が亡くなって、いよいよ本物の空き家になった実家を訪れた。
遺品の整理をしなくてはならないから。
衣服が大量にあったよな、あれどうするかな…
食器を全部処分するのはもったいないか…でももらっても家も狭いしな…

カギを開ける、ドアを開ける、入る。
そこまではこの2年間と何も変わらない。

しかしだ。
父が座っていた椅子、父が使っていたカップ、父が聴いていたレコード…
もう二度とこれらを父が…

アカンて、もうアカンから。

最後の2年間、見るみるうちに小さく弱くなっていった父。
ホームで存命中は、目の前のそんな現実を直視せざるを得なかったが、亡くなった途端、目に浮かぶ映像は10年、いや20年前に引き戻される。

パリッとしたシャツを着て、甘い紅茶を飲みながらお気に入りのクラシックを聴いていた父。
隣にはうつらうつらと船を漕ぎながら読書を楽しむ母。
いったい何年前の映像だ?
あれ、なんだか目頭が…

アカンて!

誰もいなかったのは2年前からだが、ついにこの家はあるじを失ったのだ。
そこに漂う空気を吸う人はもういない。
そこで営まれた時間を先に進める人はもういない。
くーっ!

アカン。

タンスの中から、兄と僕のへその緒が出てきた。
と思ったらそのすぐ近くに、父と母のへその緒も。

なぜか怖くてどの桐の小箱も開けることができないでいる。

(2024/5/5記)

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