見出し画像

ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展の雑感

 今回は、渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアムにて2020年1月9日(木)から3月8日(日)まで開催される「ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展」を見てきたので、その雑感を書いていく。

ソール・ライターについて

 ソール・ライター(1923‐2013)は、アメリカの写真家・画家である。その作品は、彼の住むニューヨークでのストリートスナップを中心に撮られていて、主な作品として雨の写真があげられる。彼の人物像や経歴等々については、各所メディアにて言及がなされているので、そちらを確認してほしい。

写真展にて感じた3つの観点

 ①大胆な縦構図

 まず最初に目についたのは、大胆な縦構図。構図というのは、簡単にいうと写真の中のどこに何を配置するかということである。また、今回は縦構図なので、通常カメラを構える横ではなく縦に構えることで縦長の写真を撮る形を指す。
 今回の展覧会では、上記の縦構図でその切り取り方するかと何度も思わされた。そもそも縦構図を多用する時点で、個人的には違和感を感じる。横に構えるように開発されたものをわざと縦に使用するのは、ある意味非日常を作り出してると思うからである。(スマートフォンで写真を良く撮る人ならこの感覚は薄いのかもしれない。)
 作品では、ストリートスナップという思い通りの絵作りが難しい状況にも関わらず、前景・中景・遠景の3レイヤーを非常にうまく使っている。特に本来邪魔になりがちなドア、壁や手すりを大きく前景に使う大胆な構図は、都会の整った街並みに違和感を持たせることで間延びせず、逆に画角のびのびと使っている印象を受ける。展覧会の壁にもプリントがされているソール・ライターの「私の好きな写真は、何も写っていないように見えて片隅で謎が起きている写真だ。」の言葉通り、その構図が平凡な写真からは一線を引いている理由だろう。

画像1

ソール・ライター 《無題》 撮影年不詳、発色現像方式印画 ©Saul Leiter Foundation

 ②鏡やガラスの反射

 各所で紹介されているが、鏡とガラスを非常に上手く使用してる。これは反射による映り込みによって、世界をいくつも重ねているような幻想的な写真が出来上がる。反射や透過率によっては、歪み、揺らぎや映り込みの大きさが違う。現像までどう映っているか確認できないフィルム写真でこの写り方を全て予測するのは不可能であることから、本人もそのアン・コントロールな一面を好んでいたのではないかと想像する。事実、本人も「あらかじめ計画して何かを撮ろうとした覚えはない」といった言葉を残している。また、雨の写真に関しても、雨粒がついたガラスや曇っているガラスを通して、被写体を捉えてる部分が評価されていると感じた。

画像2

ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画 ©Saul Leiter Foundation

 ③ボケによる滲み

 これに関しては、当時のカメラ、レンズの性能による部分もあるが、現代の写真のようなピントがバッチリあって、パキッとした色や写りではなく、近くで見るとピントがズレて油絵の具のようなもったりとした色触りであることがわかる。これが記録としての写真ではなく、写真の芸術性を強くより引き出している要因ではないだろうか。ピントが甘い故のボケによる色の滲みが印象派のように重層的な良さがあると感じた。しかし、カメラ、レンズの性能による偶然の産物という言葉では終わらない。
 ソール・ライターは、そもそもはっきりと対象を写そうとはしていないからである。ポートレートを撮る場合、正面から人物がはっきり写る中心に持ってきた寄せて撮るのが当たり前。しかし、彼が撮る人物は後ろ姿や横顔、映り込みや反射、大きく引いたの写真が多いし、手前に人や物を置くことで前ボケを強く使用してる。何か被写体があり、細部を写そうとしているのではなく、構図を俯瞰的に切り取るという意識をもっていように感じる。その感覚が良い意味での曖昧さというアクセントを写真に加えているのではないだろうか。

画像3

ソール・ライター 《無題》 撮影年不詳、発色現像方式印画 ©Saul Leiter Foundation

個人的な感想

 上記の①~③の観点からソール・ライターの作品の凄さについて、考察をしてみたが、ここからは個人的な感想をつらつらと書いていく。

 何か直接的テーマが提示されるわけではなく、まるでこれって良くない?と言っているようなソール・ライターの作品は、非常に親近感があり、作品との距離が近いように感じた。なぜそんなに近く感じたかというと、絵画などの芸術作品と違い、ポケットがスマートフォンを取り出せば誰でも作品を作れる写真というそもそもが現代人と距離が近い媒体であること。また、ストリートスナップといういわゆる街中で撮られていることから、海外であることと年代が違うことはあれど、作られた世界ではなく滞りなく流れているなんてことない日常を切り取ったものであること。この2点が要因であろう。

 今回の展覧会に行って良かったと思ったのは、後者の要因が個人的には強い。スタジオで考えた世界観を提示するアート写真や大自然が作り出す神々しい絶景の写真じゃなくても、やっぱり良い写真は良い、綺麗なものは綺麗、美しいものは美しいという点だ。

 カメラで身近な場所の違和感や綺麗なものを自身の感覚を信じてストリートスナップしていると少しずつ不安になってくる。これって面白くないのかもであったり、綺麗だけどもっと綺麗なものはあるから撮っても意味がないかもなどの考えがぐるぐると回る。やっぱりパッと見てみんな綺麗と言ってくれる写真のほうが評価されるし、そういうほうがより良いと。

 ソール・ライターの作品は、何かすごいことが起こっているわけでもなく、何気ない日常にふと垣間見える美しさや違和感を構図や撮り方で見事に芸術として成立させていた。それは、家の近所をふらふらしてて見つけた美しさは、決して他の美しさに劣るものではなく、評価されるべき美であり、美しさに上下の評価基準なんて必要ないということを暗に示してくれたように感じた。

作品は全てソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?