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ハラ文化と日本の美徳〜ありのままを追い求めるより前に〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

ふと思ったのですが、ありのままという言葉が世の中に浸透したのは、アナと雪の女王の影響でしょうか。

印象深い主題歌が、「ありのままの〜♪」と繰り返し歌われ、かなりのブームになりました。

あらためて、あの歌のサビ部分の歌詞を見てみました。


ありのままの 姿見せるのよ

ありのままの 自分になるの

しかし、本来の英語の歌詞はレット・イット・ゴーで、何もするな、放っておけ、忘れろという意味なので、実は、「ありのまま」ではないというのは、そこそこ有名な話です。

「ありのまま」の歌詞が、既にもう「ありのまま」の訳ではないという可笑しな話になっています。

ただ、英語の発音の口の動きと合わせるために苦肉の策として、ありのままという言葉を使ったら、日本中で大ヒットしてしまったのは興味深いですね。

もし、これが、本来の意味通りの歌詞だったら

何も〜するな〜♪ 

忘れろ〜忘れろ〜♪

という感じで、イマイチだなぁと思いました。

この歌を訳した方はセンスが本当に素晴らしいです。

日本人は、古来より、奥ゆかしさを美徳に掲げるくらいなので、表立って自分を表現するのは、どこかはしたないイメージがある気がします。

欧米は開く文化だとしたら、日本は隠す文化という感じで。

よくスピリチュアルな世界では、ハートをオープンにするという言葉を使いますが、これも元を辿れば欧米から来た言葉だからですね。

一方、日本は、ハラ文化なので、腹を決める、腹をくくる、腹に落とす等、オープンではなく、ギュッと力を入れて締める感じです。

腹を割るという言葉はありますが、それは、親しくなるための手段で、誰にでも腹を割ることはないでしょう。

腹を開くのは、切腹する人生最後の時です。

それくらい、日本人は、ギュッとハラ=丹田を守る民族性があります。

だけど、そんな日本文化の背景とは裏腹に「ありのまま」の自分になる歌が流行ったのです。

今から10年くらい前のことです。

ハラを守る文化が行き過ぎて、自分の本音を偽り隠すことで社会が成り立っていることに、疲れたのかもしれません。

しかし、同時に思うのですが、ありのままの私は素晴らしい!と、アピールしたくなるのは、腹が決まっていないからという気もするのです。

本来の自分で生きると腹を決めたら、もう周りは関係なくて、そのハラから湧いてくるパワーで前に進めると思うのです。

とりとめのない話になりましたが、周りに承認欲求を押し付けてしまったり、誰かの承認が欲しくてたまらない時は、腹が抜けているのだと思います。

そういう時は、今一度、その欲しいものを自分自身が腹に向かって落とし、腹を決め直したら、ありのままを追いかけなくても、少しは楽に生きられるかもしれませんね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!



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