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偽りの希望=偽りの絶望
「絶望」したから死にたくなるのではない。
「命より大切なもの」があるから死にたくなるのだ。
「死ぬこと」が「目的」ではない。
「命より大切なもの」を守るための最後の「手段」として「死」を望んでいるだけである。
だから死に「たい」という心の叫びは「偽りの希望」なのだ。
「偽り」とはいえ「希望」がある以上、未だ絶望しきっていない。
「偽りの希望」がある限り、人は「偽りの絶望」に留まり続ける
時間と時
時間(クロノス)と時(カイロス)との関係は、肉体(ビオス)と魂(ゾーエー)との関係である。
肉体が時の間を移動する舟ならば、魂は舟を操る舟人(しゅうじん)か。
時間にしばられた囚人とならぬよう、時の介入に呼応しながら生きる。
記録するカメラと記憶するカメラ
忙殺という口実を見つけ、クロノスの流れにカイロスを刻む努力から逃走する日々。
無理やりにでも歩かないといけない。
歩けないんじゃなくて歩かないだけなのも分かっている。
そんな怠惰な人生に、新しい息など吹き込まれるはずがない。
人生も指示待ち症候群。
いったい誰の指示だというのか。
淡々と過ぎていくクロノスを記録し続ける。
記憶すべきカイロスが訪れるまで。
終焉に宿る永遠のいのち
私は、8㍉フィルムフェチの多くが廃虚フェチであることを信じて疑わない。
両者にみられる親和性の高さが雄弁に語っている。
8㍉フィルムと廃虚は、どちらも終焉を生きている点で共通している。
終焉を生きるというのは、いのちの終わりではなく新しいいのちの始まりを意味する。
それはいつまでも生きるいのちのことではなく、然りとて瞬間(いま)を生きるいのちでもない。
時間や空間に縛られない真の自由なの
アナログとデジタルの邂逅
ラスト一本となった賞味期限切れのシングル8フィルム。
ついこないだまで近所の某家電量販店に売ってあったのに。
20年以上前にCanon518svを買って色々撮って遊んだ生きた化石。
今になってスーパー8にしなかったことを悔やむ。
後悔しても仕方ないので、残されたフィルムは使用せず、カメラと一緒にインテリアとして余生を送ってもらうことにした。
以前、撮った8㍉映像を福山マシャニキの「蛍」の
初代☆GR DIGITAL
19年前に予約して発売日に手に入れた。
発売当初は不具合が多く、買ってすぐ2回も無償交換となった。
3台目のGRDは、モノクロ専用機と化して今なお現役。
マグネシウム合金で質感が高い。
たとえバッテリーが切れても単四形電池が二本あれば使える。
RAWで撮ろうもんなら、一枚ごとに膨大な保存時間を要して日が暮れる。
ダゲレオタイプよろしく最遅のスナップシューターと化す。
そんな初代GRDは来年成
円環構造で描き出される実存的な叙事詩
スタンダードサイズで映し出された映像美とルーニー・マーラに魂を奪われた作品。
日本でいつ上映されるのかと楽しみしていたのだが、待ちきれずにさっさと鑑賞することにした。
とにかくセリフが少ない。
そして長回しが半端ない。
特に某シーンでは、本気でディスクが壊れたのかと思い、思わず再生時間をみてしまった…ちゃんとカウントされていっている…画面に目を戻す、完全に静止している…あれ?おかしい…大丈夫か…