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『浅草ニュートリノ』  by 悟行(サトピーって読んでネ)


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

125,965字

あらすじ:前世紀のこと、ウチラ高校物理部では宇宙線の研究が行われていた。まもなく入学してくる梶田君は、よりにもよって弓道部へ。2015年秋、ノーベル賞の発表でウチラ同窓の梶田教授ノーベル物理学賞授賞ニュースで、ウチラは唖然とした。アナウンサーがこぞって大嘘、ニュートリノに重さがなかったと言ってるが、ウチラ物理部員皆知ってた。n=p+e+ν(ニュートリノ)という質量の等式を、1968年時点で先輩が板書したのだ。
 バカウンサーにうんざりした僕は、子供の頃よく行った浅草へ向かい、そこに美少女の無垢な出立ちと湯気が現れ、ハッと現実に目覚める。

『浅草ニュートリノ』


主な登場人物


主な登場人物 (年齢は1968〜’70年における設定デス)

一柳瑠奈 ヒトツヤギルナ(16才から18才まで):サトリの高校の近隣共学校JK。Rhを形どったペンダントをしているお嬢様。
二階恵子 ニカイケイコ (19〜21才)  :式部家のメイド。“サトP”の名付け親。
サトリ  サトリ    (16〜18才)  :僕。永友サトリ、サトP。元物理部ニュートン班。
式部也美 シキベナリミ (21〜23才)  :“ミリーナ”。ダンスインストラクター、浅草の人。

後藤萌  ゴトウモエ  (14〜16才)  :“マリアンのフェイスフル”。サトリの中学の後輩
ローザ  ローザ    (17?〜19??) :カフェ・ダンディーダのウェイトレス。
麻友菜  マユナ    (19〜21才)  :大口麻友菜。大口医院の娘。サトリの高校の同級生大口の姉。
山脇先輩 ヤマワキさん (18〜20才)  :サトリの小・中・高・大の先輩。バスケ部のキャプテン。
金子先輩 カネコさん  (17〜19才)  :サトリの物理部の先輩。お坊っちゃま。

鈴野みすず スズノミスズ(16〜18才)  :サトリと同じ学内の夜間部のJK。昼間は図書司書。

奈々子  ナナコ    (まだ生れる前) :将来のサトリのマネージャー・秘書。
クラス名簿(巻末の参考資料)の大勢   (15〜18才)  :同窓生

序 ニュートリの森へ


 銀河グレーの窓枠いっぱいに広がる東寺。圧倒的な威容の茶色く燻(くす)む五重の塔、の大向こうに白く浮かんで見える京都タワー・・・そんなロケーションのホスピタル。

 4時間2時間は、当り前。つかま、手術時間としては許容の範囲。ところが、マスクも湿ってくる4時間台後半となると、果してこのオペ、ウチラの許容限界“5時間”で収まるのか?という疑問が湧き始める。何しろ、11時間というのが、大学病院で一回あったからね。
で今日は、結局ジャスト5時間手前で首尾よく収束!しゃーーッと急いで手洗い、トイレに駆け込みスッキリやれやれ、、そこで落ち着いてもう一度普通に手を洗っている。
 本日のオペの患者さん、肌が白い割に18頃の安室ちゃん似のスリムな娘なのだけど。クレイジーピンクのミニスカにダランとした表情、の耳のすぐ下で顎の骨が折れていた。ーー顔面骨折❗️ここをビスで留めて口が5ミリくらいあけられるように固定して手術を終えた。
 けど翌日、その僅かな口唇隙から、なんとケムリが出てるの見た時には、潔癖症の僕が好んで着ている長めの白衣がもつれて腰を抜かしそうになった。ーー以前こんな話を聞いたことがある。胸から煙が出てたのがあったって!それはね、肺に穴があいてる人で、それでも吸ったタバコのケムリが、口でも鼻からでもなくて、吸った瞬間ジワッと胸部から直接漏れてきたんだって・・。
 
 今の患者さんの話に戻るけど、流動食なら宇宙食みたく対応できるだろうからと開けておいた、ストローを通すための数ミリメートルの隙間で、なんとまるっきりフツーにタバコ吸ってんだよこの18才の娘ときたら!そもそも夜中に高下駄様の“馬鹿靴”で転倒した拍子に顔面打ったっていう話も、今一シチュエーション不明瞭だったけど、もはやその状況把握さえどうでもいい、って感じ。。まァ人生相談に来てるわけでもないんだし、取り敢えず折れた骨が何とか繋がればいいってわけだし。この子、それ以外なんも望んでないしからさ。要望第一、患者様の主訴こそ最優先(^_^)

実はその時僕、この娘の予後・経過観察と同じ重大さをもって

   “梶田くんにノーベル物理学賞”

というBigNewsのことが、ずうっと気になっていた。
 で日々院長室で、眼前の五重の塔以上に迫ってくるニュースを次々と見てくうち、特に、母校の高校正門にある1899年播種せる‘大いなる木’の下にノーベル賞モニュメントが建つ!ということを知ってからは、勢い極大の気になり方になってきていたのだ。

 ウェブに載るウチラ高校の新聞部記事が次々に更新されてるーー受賞決定2015.10.06.号を皮切りに、12.1.の新聞・放送部共同インタビュー記事、2016.5.22.モニュメント除幕式に梶田先生は母校をわざわざ訪れたのではない。2013年から、なんと5年間のSSH(スーパーサイエンス・・)指定校に抜擢されていたウチラ高校では、ノーベル賞受賞者になるべき方のご指導を日常的にフツーに受けていた、まさに5年間のド真ん中、指導絶好調真只中だったからです!
 ーー‘あの’大いなる木、ジュラ期のような大木の下のモニュメント!こ、これは実物こそ見ものだ‼︎に違いなかった。
 とゆーのも“あの”と言っても、既に卒業以来三十年以上全く足を踏み入れたことさえなかったし。

 どころか、幸い(?)卒業アルバムすら購入しなかった。。だって、男子校だからDKの顔ばっかの取っといたってどーせ見るわけないっしょ。。なので、思い出す依代(よりしろ)っつうものが皆無だったからして。自分がそもそも何回生かも知らん。そらそうだ、たいてい卒アルに‘何回生’って書いてあって改めて知ったりするわけだしさっ。
 よって『◯回生のカジタ先生にノーベル物理学賞!』とゆあれてもなぁはて?先輩様なんか後輩なんか見当もつかなかったけど、歳からすると、ど〜も後輩らしいや。。ま、こんなカンジなんで、こーゆー先生ショなる話題でも降って湧かない限り、一生有り得へんかっただろう再訪の旅!これ、そんなん大袈裟でもなくて、っつのは今、京(みやこ)暮しの身ィやし。。10分20分でちょい行ってこられないからね。

 ・・あれから、院機の予約を取っておいた僕は今、機上の人となった。
 緑の濃い仁徳天皇陵を眼下に。まるで証明写真のような前方後円墳を過ぎ、神を祀る半島から青海原に出る。
 小ぎれいなリビングルームほどの機内。ボーズスピーカーからヘビメタのかわいい声が流れてくると心地よく、数千メートル下方の青く波々とした霞み、先程のシーンが鮮やかに脳裡に甦った。

 ・・空港までは、秘書のナナ子が同行した。チェスナットヘアをスポーティなポニーテールにシュッと纏め、薄手のクリームイエローの春コートを着て。中は、黒艶のタイトミニスカスーツ。ほとんど黒に近い焦茶色のスキニーなブーツの音が、コツコツついてくる。
 その美しいナナ子と僕が、空港ロビー内のエスカレーターに差しかかった時だった。いかにも‘読モ’とかやってそうなリファインドなJK3人組が、急ぎ足でトントトトーン。。と美容外科の番組か、或いは手先の出るCMで知ってたのか、

 『あっサトピーだよ!』

とか言って、僕は虹色の長いマフラーをいきなり、だけどヤンワリ引っ張られた。そのまま追い越して行ってしまうかと思いきや、その内の1人でいかにもU.K.チックなタータンミニスカをひらひらさせた娘が、フッと向き直ったかと思うと、そのキレイな目鼻で一層ハッキリと見合ってきたではないか!で、

 「あの、触ってもいいですか⁇」

と言っているキラキラ目線の先は、まさしく僕の“手”だった。ので、弁(わきま)えた僕は、快く風に且つ手術シーンのように両手を前面に垂直(たて)に差し出した。
 すると彼女、クスッとしながらも、

 「うわぁ!あたしよりきれい‼︎」

っと半ば叫びながらも、観察するかのように、僕の指先を両手で包むようにして触れてきた。
 キャッキャッと嬉しそうにはしゃいだまま、生足が覗くタータン模様を揺らしゆらし。動いているエスカレーターよりもっと早く、トントン登り去っていった。ーー危ないなぁと思いつつも、今の娘、誰かに似てるんだけど?と思う僕でした。

 それにしても、他の2人もとにかく上品なグレー系のミニスカで裾を靡かせつつ元気よく立ち去る生足の綺麗さ・かわゆいさといったらは〜んぱなしっ‼︎タータンの娘がグレーミニスカの2人に追いついて盛り上がる嬌声を遠くに、僕は背後で静観していたナナ子に尋ねてみた。

 「ね今の娘、パンケーキ©︎に似てなくなくないっ⁉︎」

 「うふっそうネ、確かそーいえば‘メタルケイクス’ってあさってからマレーシア公演のはずやったワァ。」
「へっ⁉︎まさか‼︎」
「うん!まちがいなく今の、彼女たちデスよ!!」
と笑顔の美しいナナ子の瞳が、一際輝いた。
 ーーそれにしても、かわいすぎバードフェイスなパンケーキ©︎、もしかして柔らかいクッキーばかり食べてるのかな??

 
 今回のフライトは、窮めて個人的要件なので、臨床検査師資格も持っている秘書ナナ子の同行は頼まなかった。スポーティなナナ子の横顔に向かって、

「深夜には戻ると思うけど、今日はもうゆっくり休むといい。君、今週火水オフだよね?」
と告げると、そのまま僕は、小型機のタラップの下でナナ子に見送られた。ナナ子の健康的な笑顔がほんの目前にあった・・それはつい先程のことだった。。

 ーーひとり思い出し笑いをしながら、我に帰ると、自然窓外に焦点が合っていった。・・富士!テッペンだけ燦然と白く大地からへばって超盛り上がってきてる。その頂上の白い凹みを通過。僕1人を乗せた7人乗りプライベートジェットは、45分ほどで午後の光に輝くスカイツリーを左手に置き去りじき、キュンキュンタイアを軋ませ、東京圏北部空港に着陸した。
 三十分近く国道を南下し、四半世紀以上振りに見上げる“時の鐘”を過ぎると下り坂の大向こうには、3世紀を経た鬱蒼たる“大いなる木”のとてつもない暗がりが迫っていた。
 日曜の夜間とあってか偶々か、人影もなく。さいわい門は、律儀にも施錠しておらず、人ひとりが通れるくらいあいていた。ーーふ、変わってないネ、来るものは拒まず・去る人にも感謝、か。そんなカンジのほんわりした校風がさ。。

 
 しかしながら、中へ一歩入るなり、以前には決してなかったとゆーか以前にも増してと言うべきサムシンググレート、大いなる木よりも何かもっともっとグレートで輝かしい‘もの’を感じた。それは恐らく、鬱蒼とした大木の下の暗がりを通過していく、超金属モニュメントが放っている鋭い光波のエネルギーに違いなかった。
 僕は、四半世紀以上振りに踏んだ地を、薄手の虹色のマフラーを靡かせつつ、一歩一歩歩んでいく。ゴロッと小石の絡む音に、三十年という時の響きがあった。その先の、モノリスのような不気味にすら輝くモニュメントの前に、思わず立ちすくむ僕。
 ーーノーベル賞モニュメントが水銀のように揺れ輝き、その光波は次々に大きな輪(リング)になって大いなる木のサムシンググレイトな暗がりをも貫いていく。そのグレートウェーブが天空を越え、更に銀河を横断して百五十億光年先へと向っていく。・・頭上への強烈な伝播を思い描きつつ見上げた真っ黒い大木の広大な葉陰に向かって、今度は無限の天空から逆流した夥(おびた)だしい光量子が降ってくる。うわぁぁぁっと押し寄せてくる光、光、光量子の束、光の太っとい柱。ぅ、アッカンベするアインシュタインの突然の顔!が浮かび上がったり。でもそれアカンベ、だってノーべロ賞なんだからって、アッタマおかしくなるほどの光、光、ウェーブ(光量子)!そして再び、僕の目が辛うじてモニュメントに収斂回帰した。ーー

 と、何かが背筋にゾッとしてきて。背後から光る、体が沈まるほど光りくる。モニュメントも何もかもが始原・宇宙始原のクリスタル様に輝き出し・・うわっ!めまいのように、

     2015 ノーベル物理学賞

というモニュメントに刻まれた数字が、突然チーーン!どんどんどーーんキュルキュルリリスロットル入れ替わってくぅぅぅ!!!

     2015
     ・・・
     ・・・
     2001
     2000
     1999
     ・・・
     ・・・
     1980
     ・・・
     ・・・
     ・・・ 
     1968 !

 変わる替わる変わる替わる、見る見る変わって。。
 一瞬の静寂・・

 
 ・・背後に声???
 と朝の光⁉︎

 合唱の声 … … ??

こ、ここはどこだ⁉︎
大いなる木は、季節が突然5月から7月に飛んだか激しく青々と聳え立ち。。でもその、大いなる立ち位置は確かに‘ここ’の“ここ”だよなぁ。。でも、夜じゃなかったっけ⁉︎え“っ⁈ 朝!? いっ⁉︎

 背後の声(テノール)に振り返ると、大いなる木陰には数台の足踏みオルガン、と各オルガンの回りには数人づつのDKが、柔らかな声で発声練習をしているではないか。。まるで修道院だな、と思いつつ向き直ると“モニュメント”はゆらゆらと消え始め、驚く僕の奥向うの解体されたはずの古びたチャペルが燻んだ焦茶に浮かび上がり、忘れかけていた青く四角いステンド窓と一体になって明らかな存在になりつつあった。あの頃は暫く剣道場に転用していたこともあったけど、薄茶色の塔屋を冠する祭壇側の外観・いま僕の目の前にあるそれこそは、まさしく記臆の底にあり続けたチャペルそのものだった。その鮮やかなステンドの窓沿いの、ーーそれにしてもまさに朝、朝の糸杉の群れよ!

 1つの木陰に、白い夏服の少年がひとり立っている。
 ーーあれ!! ウチじゃん!?

 この夏16才になろうという少年が、新書らしきを手にして、糸杉の下で何かボソボソ呟(つぶや)いている。

 <絶対時間は相対性理論によって棄てられ、
  4時元の時空連続体となり・・・  
  
  あらゆる出来事を秩序立て理解するには
  ‘場’ の働きが本質的なのであろうという
  ことを十二分に悟ること・・・    >

 程なく、大いなる木の脇からキャンパス外縁に沿う城址内堀に面して建つ、煉瓦色の図書館棟の始業の鐘の音が鳴り響き始めた。
 中の一室、司書室にラフで涼しげな緑のシャツに白いパンツ姿のみすずが控えていた。彼女は、図書館司書助手として週4日のバイトをしていた。夕方になると、ここ男子校の共学夜間部(いわゆる定時制高校)にそのまま‘通学’している。鐘の音と共に、スリムなみすずの口があいた。

 「あいつきっと、また突っ立ってるよ!」
 「えっ⁉︎」

と、みすずより大人びてるけどお天気お姉さんよりは若目の司書亜矢子さんが問い返すと、

「ほらいつものカレ、永友クンよぉ。」
「あ〜ァ、目が醒めるようにギャフンと教えてあげなさいよ!まァ鐘の音が耳に入っても多分、小学生のとき毎朝みんなでやってた縄跳びの紐のような波形か振動数のことしか頭に浮かんでないことよ。」
「キャハハハ。」
と吹き出しながら立ち上がったみすずは窓に駆け寄った。
 図書館棟の2Fの白い窓枠がギイと開く音と共に、なぜかみすずの髪が靡く気配を感じたらしい‘ウチ’は、慌てて本を落としそうになって。。持ち直そうとする瞬間、その背表紙が一瞬の風を孕(はら)んだ抗力で宙に浮いた。

 《 アインシュタイン著

  物理学はいかに創られたか

     東北帝大石原訳・岩波新書 》

 おっとっとォォッ。飛んだ背表紙を拾いつつつまづき。。合唱のオーギュストたちの朝練を終えたオルガンの群れはとっくに片付けられ、嬉しくも笑顔のみすず目線とも一瞬かち合いつつ、大いなる木の下をくぐり抜けて教室に向け猛ダッシュしていくウチの姿・・途中、あちこちの教室の解き放たれた窓からは、Aから順次呼ばれていく名前と返答の声、声。

 “出席番号1番、赤羽!
  尾久、
  小鷹
  織原・・
  熊田・・
   ・
   ・
  棚橋・・
   ・
  戸田、⁉︎実、起きてるか?
  中之島太一”

 ウ、やバッ!猛ダッシュで階段を登りきり、廊下へ急カーブした瞬間耳に入った

 「永友サトリ!」

という呼び声に、思わず歌舞伎座大向こうからの掛け声さながら、

 「はぁい!」

と威勢よく声張り上げつつ僕は、ドアの取っ手に手をかけた。一瞬、シラッと沈黙感が漂ったらしい雰囲気が伝ってくる教室に突入すべく、そのままドタンとあける、と。ーーどっと笑いの渦。同時に巨体の太田信良担任の、

「う〜んむ⁉︎」

という唸り声?に仕方なく僕は、今度は音量控え目にダメ押しの挨拶というかお返事をし直した。。すると再び、場のクスクス言う声と共に太田教諭曰く、

「あのキミさァ、教室内にちゃんと着席して返事すんの原則ってのは分かってるよネッ!でもま、カバンは既に置いてあったわけだし、いいか。」
「ありがとうございます!」

で一件落着して、滞りなく再開される出席簿点呼の声。

 “水口、?水口光弘、ぁいたか。
 行定・・
 ラスト49番・吉川!”

「う〜ん珍しいなあ全員出席だ!ーーこれ当り前なんだけどね。若干ひとりアブナイのあったけど。」
 結局3年間で2度も担任になる超腐れ縁つか運命だとは、この時にはそれこそ(注1)お釈迦様でも知る由もなかったのだが。。少しニヤけた巨大メガネの島顔の、乗馬にでもでかけるのかチェックのスーツに緑のニットタイという御坊ちゃまスタイル太田先生の匙加減で、やれやれ今朝は遅刻にカウントされず、事無きを得。(注1お釈迦様:芥川の作品に描かれている通り知って知らん顔で井戸端を通過する冷酷・無責任な創造主?)

 まァそんなカンジで授業も回り、やがて4限。正午が近づく5分前!ともなると、教壇に立つ先生の目線は、なぜか一瞬、前方のドアノブに喰らい付く。すると、大方の生徒もそれに気づいて大いなる集合意識となって皆んなの目線もドアノブに張りつく。この時間、4限の授業終了を告げるのは、断じてベルではない!しかも、誰にも推測不能の‘間合い’!すべては先生のタイミングにかかっている。『今日はここまで』のひと言が言い終わるか否かのタイミングで既に、先生のグレースーツのホコ先はドアへと向かい始め、

  「ここまで、終りっ!」

と言った瞬間には先生右腕がドアの取っ手にタッチ寸前。
『!先生チョークで手が真っ白ですよ!』・「バカそんなことかまってられんか!」などという会話もなく、

 いっつも教室を出るのは先生が1番で、ここから正午のレースが出走スタートする。ーー前方ドアを左向きに出たらまず、廊下をダッシュしてトビロッポウ3段跳び、おっとすぐにまた左カーブに差し掛かりつつ。スターティングハンディのお陰で、ここまでは間違いなく先生が断トツ1着揺るぎなし。そのまま渡り廊下走り隊一丸となってくと、すぐさま約八十メートル直線コースが開けている。こここそは、右側は何の変哲もないグレーの塀だが、行く手左側は後々

 “文武両道の名門”

とゆあれるキッカケとなる“ウォーターボーイズのプール”

の水面が、波々と風に靡いている。そんなの横目に、昼の十六歳馬レースはいよいよクライマックス、最終合流トラックに向う。遥かゴールには、前方新校舎理科棟からの早馬・十七歳馬が既に、怒涛の如く到着し始めているではないか⁉︎ なので、ここで慌てた無謀な数人が先生を遂に追い越して行った!が、おまえホントに大丈夫か⁉︎ナニッて成績が気になる奴は遠慮しといた方が無難だってことよの^_^ だって、このレースのゴールは学食なんだからして、食い物の怨みそろ恐ろし!と思うよ。

 とゆーわけで、学食に到着すると長蛇の列、列、列。でみんなハァハァしてる、大相撲の勝利インタビューみたいに。さっきうっかり先生を出し抜いてしまった人、正気に戻ったらこう言おうーー

 『あ、先生チョット後ろの奴と部活のことで話があるんで、お先どうぞ』

と言ってうまく順番譲ろうさ。安全安心、将来の安寧確保は当り前だの倉田まり子!?
 さてこのレース、落ちこぼれた奴は学食の一角にある、2つのパン屋さんへ雪崩れ込む。
 1つは、近くのパン工場の若旦那・兄ちゃんがやってて、出来立てのホックホクコロッケパンが大人気で、これがまた旨んまい旨まくて、何度も工場へ取りに行ってきても忽ち売切れてしまうからすごい。その温かコロッケにもあぶれた奴は、更に奥にあるもう1つのパンコーナーへ。
 こちら、デニッシュ系菓子パンが多いので、できれば昼下がりの部活前の腹ごしらえ用に取っておきたいものだよなぁ。。つかジツゎ、もう1つの理由で敢えてこちらへ来る向きも。
 というのは、こっちのスウィーツパンコーナーは、キャスターが出ることで有名な近くの女子高出たばっかの娘がやってるので、それ目当てもけっこういたらしい。へ、ま無理もないか。。3つも齢が上の人なると、少年らにとっては‘メーテル様’みたく見えてたとしても不思議じゃないからね。
 そして、更にここにも来ない奴、なぜ?それはもう食ってしまった?いや‘早弁’とちゃう②。実は、ウチラ高校って、1・2限の休み時間は10分だけど、3時間目の後は15分あるんよ!やっぱ一応名門校とあってか、遠方からの通学者も多く、そこら辺を考慮して昼休みが2回あるってカンジです!腹減る遠方の人に、気ィ使ってんだよ。冬時間設定もな(マジ、他校より一段と遅設定)。。で、そーゆー苦労して通う人たちって3限後に食べる人いなくて勉強もできるし、寧ろ近くのヌクヌクしてる奴ほど買うの人に頼んでまでしてちょこちょこ食べてんのが実際の状況なんだす。何回パン買い、ついでに頼まれたかって⁉︎ なぁなぁ。。

 こんなカンジで、
 1日が過ぎつつ・・

ジュラ期の大木のよーな“大いなる木”が、敷き詰められた白い玉砂利の上を塀に面した図書館棟や燻(くす)んだチャペルに向って、広大な影を曳き出す頃、いあゆる“部活”が始まる。


第 一 章

     1

 警官の棍棒よりやや太めの角材を握りしめ、白メットとタオルで顔を覆った全学連による‘国鉄新宿駅騒乱’も起きた、学生運動絶頂期の1968。いわゆる‘10・21(ジュッテンニイイチ)’ 。。
 この日、少なくとも1人学生が亡くなっている。砂利石の敷き詰められた新宿駅構内に停車していた黒く長い貨物列車。そのうちの1両の貨車に力任せによじ登り、メガホン片手にアジっていた学生が、高揚の頂点で浮き足だったかウッカリ滑って転落ーー。よほど運が悪いのか打ち所が宜しくなかったのか、そのまま昇天即死状態と相成り。
 騒ぎは新宿だけに留まらず、そのまま中央線地続きの市ヶ谷飯田橋、神田古本屋街までも連日、まさか警官が靴も脱がずに他人様の家に入らない、とフンだか人の家の中を土足のまま素通りして手入れの行き届いた裏庭から逃げていくメット姿の学生が後を絶たなかった。戸建て本屋時代ならではの光景か!荒れに荒れ狂う、右肩上がり真只中のニッポン!

 今世紀では、もはや中層ビルと呼ばれるだろう37F建の霞が関ビルが、“日本初の高層ビル”と銘打って完成し、西武は東急のシマ渋谷の街に堂々と打って出。。しかしカカシ、国も守れず経済だけで手一杯と現(うつつ)を抜かし。まともな憲法や教科書すらなし。憲法とか呼んでるモノは、GHQにあたえられた占領政策要綱みたいなシロモノ。だし日露戦争に至っては、一方的な第2次日露戦争(1945年8月に勃発し、9月2日で侵攻停止中かつ日本は‘自衛’の行動にすら全く出ないままでいる。)の記述が教科書に全く出てこない。学問分野でも基礎研究は全く遅れ、平和でないのに“平和ボケ”とか吹聴している単なるボケ日本・ボンクラ集合体国。1952年日本国独立と言いながら、自らの憲法ひとつすら創れなかった2等国ジパング。。平和などとは丸っきりちゃうチャウ②実態の
頃・・・

 ソーランから半月近く。ウチラには、フツーに学園祭ができていて。地域の名門とゆあれる割には、新聞部が実施したアンケート結果からほとんどの生徒がエリート意識なしという、のほほんとした校風で有名な公立校(男子校)の物理部に、僕は所属していた。
 入部まもなく、ニュートン班に振り分けられた。宇宙班を希望したけれど叶わなかった。1年のうちは基礎的なことをやれ、と言われ。。

  
  ニュートン班は主に1年生。
  電気班は2年生中心の混合型グループ。

  そして、3年中心の究極研究が“宇宙班”だ。

とまあ、何に使うんだか、兎に角‘G’を算出しろ!K市における重力加速度“g”を、実験観測から求めるように仰せつかったのだ。

 計算に先立つデータ収集には欠かせない機材調達の問題が、当然浮上するわけだけど、観測に必要なそーゆー装置作成は‘電気班’が引き受けてくれるので、ウチラまずは理論に専心!で、学祭中のプレゼンは僕だけがやらされた。とゆーのは、この実験に必須の微・積分が絡む箇所を、わかったかのように説明できるのが、1年生では1人しかいなかったから。
 それに、あんましヘンな質問してくる来場者に対しては、

  『G力加速度だァ〜っっ!』

とか言っちゃって笑かせて追っ払う術も持ち合わせたりしてたもんで。ーーところで。。

 宇宙班は、宇宙線・素粒子線を捕らえようとしていた。モチ、それにも必要な回路作製は、電気班が担っている。これってすごっ!くないですか⁉︎電気班は、電気や光の研究もしてるのに、宇宙・ニュートン班の忠実なシモベの様相だ。特に中心的な存在の、2年生の金子さんのスキルたるや半端なかった。各班の注文に応じて次々と電気回路を作っていくのだが、その手先の動きの軽やかなことといったら、もはやSF映画の3次元レーザー手術さながら。。ジュジュジュワッジュワワワッツ・・というハンダゴテさえも、まるでワルツでもステップ踏みながら大脳外科手術をしているかのような軽やかな動きをするし!全くもって、金の糸を紡ぐとでもいうか。。
 更にです、それらの装置を用いることによってもたらされた成果がまた、予想外の超〜素晴らしいことになっちゃって。。

 宇宙班は、ラジウム(といえば、Qりー夫人・マリアのラジウムだよね)から放出されるα(アルファー)線をくっきり捉え、暗幕を張って見世物にしていた。そのための仕掛けは<圧力>だった。ポンプで高圧の大気を押し込んである密閉耐圧ガラス容器内を、一瞬栓抜き真空に導くことにより気圧激減、高度上空天上界に近い状態にして人口の霧を発生させる。そこを、例えば、中性子N2コと陽子2コのくっついた荷電粒子(これがα線)が通過すると、ホレ飛行機雲が見えてくるっちゅう。。ーーで、訪れたJKたちときたら、素粒子アルファー線の飛跡がアッと鮮やかに浮かび上がるたびに、

 「キャキャア〜うっそ見えたァ!!」

とか大ハシャギしてて、理科棟2階南に面した窓から柔らかな秋の光が差し込むウチラニュートン班展示ボード真裏の、物理学教室中央に設(しつら)えた“真っ暗がり”テント状の宇宙班は、『さあさ、お代はあとでいいよぉ〜』というカンジの、まさしく祭りのサーカス小屋状態になっていた。
 惑星の重力についてのマジ説明中のウチラの耳に、得体の知れない背後の暗幕を介して洩れてくる(いや、‘盛れて’くるか⁉︎)妖しげな加圧音“キュン”に続いて人工成層圏生成音“シュパッ”が轟(とどろ)くと同時に沸き起こるJK感動音“ヌキャァッ”ーーと要するに

  “キュン”“シュパッ”“ヌキャキャ”

という異音・感嘆が暗幕小屋から響くヒビク繰り返し驚嘆の連続。そのJK大騒ぎのさ中、宇宙班は宇宙線・α線の観測見世物中なんと素粒子の飛跡曲行写真撮影に、偶然成功してしまった!これこそ、ニュート〜ンでもない写真、いや“飛んだ”写真を撮ってしまったのデス!!さて、、

 この突発的事象の解析が、宇宙班は元より、ウチラ‘ニュートン班’いやそもそも観測装置を作った‘電気班’からしても超〜気になって気になって仕っ方がなかった。おそらくは、生まれて初めて原子力潜水艦に乗り込み、たまたま覗き込んだ潜望鏡に、

  海坊主か何かとんでもないモノ

が張りついてるのが目に入ったとか、顕微鏡を観てたら検体にあるはずもない未知の細胞が蠢(うごめ)いているのに遭遇してしまったとかとか。ま、ソーユー状況ですな、フツーの高校部活にとってはネ。ーーしかしながら、もし宇宙線が紛れ込んだのなら、ほぼ光に近いシロモノのはずだからν(ニュートリノ)みたく透(す)けて通り抜けてしまうはずじゃん⁉︎ 粒子の衝突分裂だとすれば、片方が完全に光にでもなってしまわない限り、屈曲飛跡が1本だけ残ってるのも変な気がするし。。。謎がナゾを呼んで部員全員が大混乱に陥った。アッタマおかしくなった。そうでなくても、そもそも暗幕の垂れ込めた狭い空間の中で、カワイイJKたちに超密に取り囲まれてる状況のDK君たち!只でさえ大混乱だったサーカス小屋のDK達に降りかかった、アクシデンタル難問ちゅうか。
 結局、この文字通り、大反(そ)れた珍景フォト、重大インシデント?は、誰〜れにもわけワカメ!?

 
         2

 そんな折も折にデス!ビッグニュースの断片が、電気班の例の魔術師・コテ先の天才金子先輩によってもたらされた。即ちーー

  アメリカの15才の天才女子高生が

  “化学変化は、磁界によって
   その速さが加速されたりする!”

とゆーことを発見したという‼︎先輩は、興奮冷めやらずカン高い声で、しかもよっぽどいいもの食べてるお坊ちゃんらしくホテッたキュートイケメン顔で騒ぎ立てた。
 だけど、いったいどんな磁界なんだか?だって、ウチラの地球自体、そもそも磁場を持つ星なんすからして。。でまあ、ウチラが扱ってるのは、明らかに物理事象。だからつまり、化学変化とはちゃうチャウ②し。

 つうわけで、タイムリーかと思われた素敵な大先輩金子先輩がもたらした、米国JKに関するトキントキンに鋭い情報もあったけれど、1968K高学園祭で起きた物理部宇宙班サーカス小屋での、真白く輝いた

   “奇跡の飛跡”

は、宇宙漆黒のように垂れ込めた暗幕の中に、あたかも太古に行われた秘跡であったかのように、大いなる暗がりの合間に、半永久的な遺物として未だ漂ったままになり。。
 
 そして残念ながら、この種の難題朝飯前の、ニュートリノスーパーマンK君が入学するのはまだ数年先だった上、しかも梶田君たら弓道部に入部しちゃうし。(ここに大いなる歴史的注釈!を挿入しておくことにする:それは他でもないν(ニュートリノ)について。そもそも、ウチラ子ども(DK1 )でさえ‘ν’に質量有りって知ってた!てこと‼︎その頃から当然、みんな‘ν’は質量ゼロじゃないって信じてた。ウチラ高校には、まぁそーゆー集合意識が明らかに存在していたことになる。。
 この無意識集合体の漂うアトマスフィーアの中にこそ、丁度梶田君は程なく入学してきた、という事実。ーーだから、0(ゼロ)を覆したんじゃない!梶田先生は、νの質量を確かなものとして世界で初めて実証した、からこそノーベル賞なのだ!

 ユング的推測を施してみる。おそらく梶田先生は、誰かが菩提樹の下で突然何かを体得した例のように、ウチラ高校の‘大いなる木’の下を潜り抜ける時、そこに色濃く漂っているウチラ、特に物理部員の
  
 “‘ν’には質量が存在している”

という集合意識をキャッチしたに違いない。彼ほどの天才が感じないはずがない。そーゆー集合意識に同調されたものを、先生は特に意識することもなく背筋にうっかりショわされてしまっていた、と言ったほうが適当なのかもしれない。だって意識的にキャッチしたのなら気になって物理部の門を叩くはずではないかい⁉︎ しかし彼は、弓射ちだ。このように識域下にキャッチした情報を背負った先生は、大学、大学院と登りつめ、遂にウチラの集合意識“ニュートリノは重さを持っている”という信念(仮説でなく頑とした信念)に基づく地球規模の観測を行うことで、見事にそれを実証してのけたのだ。
 にも関わらず、2015年のウチラ高校の新聞は何なんだか『質量ゼロを』なんたら書いちゃってるではないかい⁉︎ 著しく違和感を感じたので、質問メールを新聞部様宛て送ったが返信もコメントも皆無だった。その時無視してくれた生徒も、今や大学も出た頃だろうし、あの濃厚なスープのように漂っていた大いなる木の周囲のオーラに満ちた崇高な集合意識は、その波動エネルギーがもはや減衰していたのだろうか⁉︎ “大いなる気”は、かくして宇宙のどこかへそのエネルギーを吸収されてしまったのかもしれない。いやいや、あの先生の中にちゃんと輝き続けているはずだ。

 1968 ウチラ物理部に‘存在していた確信’は、もはや数少ない記憶力のよい部員の脳裡にだけ存在しているのかもしれなかった。。それにしてもったく、21Cの嘘八百アナウンサーぁいや、即ちバカウンサーときたら、こぞって鵜呑み棒読みデタラメを言っている。さっきの話、1968ってウチラただの高1時点で真実弁(わきま)えてたんだでぇ。
 アナウンさんの兄ちゃん姉ちゃんてぇのは、本マジ阿っ保ちゃうか⁉︎ってそのニュース聞いたとき思ったわァ。だって質量なかったんなら、小柴先生は、ニュートリノじゃなくて第2の光を発見したか?とか言ってもおかしくないわけかもだし。
 それに、どうせバカ話するなら、梶田先生がお出になったのはウォーターボーイズハイスクールっちゅうとこ突いた方がおもしろいのにそれも忘れとるし。記憶力ワロ過ぎ!アナウンサーって阿呆でなきゃならんなら、それこそアンタかてアホやろウチかてアホなら、真っ先になれるでぇ!どやっ⁉︎ ーー異論なし、アーリンチョ!もち、アナさん勝手に原稿変えられへん棒読み義務のことはわかってるけどさ。億が1にも真実知ってたなら、眉とか表情でオンエア中原稿に逆らえでェ。バックでプラカのロシアの勇気あるアナウンサーを見よ!そこまででなくても、目ぇで訴えてホナサイナラって閉めちゃえばバッチし!

          3

 2日間に渡るお祭り‘ガクサイ’が終った。
 学校を取り巻いている堀割り、城趾天空には北十字・・白鳥座が煌々(ピカピカ)輝き出している十一月。
 校庭の舳先にある、遥か銀河から宇宙線の降り注ぐ大いなる木と外堀とに囲まれた図書館棟。そこの司書のお姉さんとダベリングした後、僕は下校際、昼バイトオフの日らしく早めに登校してきた定時制高校(ウチラと同じキャンパス内での共学夜間部)1年生の、最近急に大人っぽくなった子(みすず)を音楽室ーー図書館の階下にある視聴覚室に誘った。同一階には教員専用の図書室もあって、いつも半分以上埋まってるから大したものだと感心させられる。中でも世界史の先生は、特によく見かけた記憶がある。

 ジュラ期とゆーか、3世紀を経た鬱蒼たる楠木の大樹の葉陰に佇む、芸大進学名門の音楽室。そこで彼女、鈴野みすずの授業前チョットの間、一緒にピアノでお遊びとなり。。彼女、グリーンのカーディガンだけではすこし寒そうな感じの横顔。といってコートも脱がずに弾くのもなァ?セミロングの髪が頬にサラっとかかっていて。目が瞳が急に大人びてきている、ともっぱら評判だ。というのも司書バイトの彼女の仲間が、コッソリそう言ってたからね。。たぶん、なんかあるからなのだろうけど、まぁそーゆーことは詮索しないことにしてっと。
にしてっと。
 で、その日のことで、今のいま思い出すと超笑けることがある。それは、みすずが、

 「ねえ今日ゎあたしが上ンなっていぃ?」

ってきいたこと!それでウチがまぁ下音部を連打したわけなのだけどさっ。。(^ ^) なんか、えっ⁉︎て笑けなくない??

 外では、城址の葉音が日に日に早まる夕暮れの短調チックな足音のように、急速に遠ざけていくように迫り来るようにシカシカ響いていたさ。
 城址堀端に佇む煉瓦色の図書館棟。

絹と石炭の時代の遺物


 大いなる木陰に漏れくる薄明りの中に浮かびあがる二人とグランドピアノ、とその仄かで豊かな響き。音符に混じる葉音の、カラコロカラコロすぐ左隣奥には古びた建物がありーー絹と石炭の時代の遺物の、焦茶色が時を経て美しく燻(くす)んだチャペル。。

 おお、
 “日も暮れよ、
  鐘も鳴れ、、”
  … … かね。

         4

 授業の何の準備なのか、冷たい水槽が並ぶ、新校舎理科棟2Fの物理学教室(物理実験室)。理科棟の4Fが地学教室のわけは、天文や地形を見に屋上へすぐ行ける利点からだろう。反対に、1Fに化学実験室があるのは、爆発したら窓からでも一目散に飛んで逃げられるから。
 さてさて、2F物理学教室に於いて、本日は、今後の部の課題について、物理部員全体での話し合いが執り行われていた。言うまでもなく3年生にとっては、学祭直後のこの会議が、見届けというか部活最後の日、とゆーことになるわけですよ。
 ーーあれ⁉︎ 電気班の金子先輩だけいない??聞くところ、まだ2年なのに、進学希望のお坊ちゃん大学(勿論お嬢ちゃんもいるわけだろけど)のS学園に大事な所用とかでお休みだそうだ。『入学したら‘飛ぶっ!’』ってよく金子さんは言ってた。‘トブ’とは、金子用語で“遊学”の意味らしく、留学と呼ばないのは、より遊び的な意味を持つらしい。

つまりは、U.C.L.A.とか主に米国やフランスの大学に‘遊学’しては1、2年で切り上げて結局卒業は、より確実なこっちの大学でキッチリするとか言っていた。それから、金子先輩のもう一つの口癖。大学入ってまで“クルマ”とか言ってたくないよネ。そもそもウチラ高校って車通学オッケーなんだしって言う以上に、やっぱアッチじゃ‘空’だよ免許といえば。大学でクルマの話なんかしてるのは、ま〜あ日本のボンビー学生、と相場は決まってらァ〜ってネ。

 さてもさて、こーゆー先輩の日常的ナニゲに繰り返す言霊(コトダマ)の影響って、知らず潜在意識に入ってしまうらしくて、僕は随分遅れて国公立大学に入ることになった時、それでもやっぱ入学後やったことって‘トブ’だった。で確かに先輩と同感で、アッチじゃクルマはすこし小ぎれいな下駄、でも履かなきゃしょうがないから取り敢えずの感覚かな。
 だって行った先のキャンパスでのこと。さっそくパーキングすると、自分の450SL(フォーフィフティーエスエル=まあベンツのスポーツタイプ)の隣には真っ赤なポルシェのオープンカーが。。だけでなく、夏休み中などでは、近隣のヤンキーJKたちが、キャアキャアはしゃぎながら、日本のチャリ感覚で真っ白なカブト虫(VW=フォルクスワーゲン)のオープンカーで“箱乗り”してはキャンパスに集まってきてたっけさ。それU.C.L.A.のスポーツなんとかが主催しているJKのための夏の部活合宿とからしくて毎日メッチャ賑やかだったよ。。
 要するに、ホント只の‘ゲタ’だよね。何十年経っても日本じゃ大方チャリ。マックでクルマの話してるJKって、野球で有名な東海大附高のJKくらいしか同席ぁいや隣席したことないわァ。ーー『あっつ自動車学校の送迎バス来ちゃう〜!』って慌てて立ち上がっていく附高のJKたち。夕方の風物詩だねん。。
 全くもって金子大先輩の名言通り、クルマなんかの価値を気にかけ固執してるのは、ま、ボンビー日本の大学生の典型だとつくづく感じ入った遊学でしたんで、帰国後話を合わせる都合上、興味があるフリをすることになってしまった僕でした。そしてジツわ、これこそがユング的には宜しくない、と後々“マーフィーの法則”とかで認識して唖然としたのも事実なのデス! ... ... さて、

 !今ゎそんなことより、
 物理学教室黒板には、今日のお題の1つの濃〜い内容がでっっかく1行、こう書かれている。討論のキッカケ用の式だネ。

   n(0)=P(+)+ e(−)+ ν(0)

 説明すると、要は、左辺のn(中性子)が分裂して、右辺のp(陽子)とe(電子)及び‘ある何か(現状では未確認物質)’になるらしい、ということを表した式だ。因みに、各文字の右側に付されている“±0”は、電荷のことで、物理部先輩の板書の通りプラスのpとマイナスのeに別れて電気的には丁度、両辺ともゼロで釣り合っている。しかしながら、両辺の質量が、微妙に合わないそうだ。
 そこで考え出されたのが、その差に見合う分、未だ誰も見たこともない仮の物質、

    ν(ニュートリノ)

と名付けた存在(素粒子)を、右辺に加えたのだと。つまりはーー

 だからこれ、そもそも“重さ”じゃん⁉️(即ち、これこそが、“ν”に質量有り❗️ということを、1968年秋時点で高々、一高校部活でさえみんな知ってた‼️ってわけさ。にも拘らずですよ、2015年のアナウンサーはおバカ⁇ 完全にイカれてる棒読み。ーー曰く『ニュートリノは今まで質量が無(ゼロ)と思われてましたが(“思ってネーヨ馬鹿!”)、梶田氏はこれを覆し云々・・』と声高々に盛んに御託を捲(まく)し立てていた。ったく『ゼロと思われていました』って誰がよ⁉️ってニュース聞いた時、真っ先に感じた。つうか、おそらく元部員全員思ったんじゃ?いやいや物理部でも記憶力のある奴に限られるにしてもさっ。
 とにかく、10月6日のあのbig newsに接した瞬間、比類のない違和感をもった元部員は必ずいたはずなのだ。僕でさえ覚えていたんだから。。
  
 とにかく、ニュートリノのホンナン、ウチラ高校生かて知ってたんやデ!ウチラのすぐ後に、梶田君は入ってきたわけだから、連綿として繋がっているはずなのさ、大いなる木の下に漂っている集合意識というか“大いなる気”ってゆー‘モノ’にさっ!)
 ここで突然、沈黙を破るかのように、

 「じゃ、それ目っけましょう!」

と僕は提案した。すると、2、3年生は唖然とし、同学年の奴は小声で“やめとけ”と言ってきた。で、先輩のお一人様が、顎を長〜くして、次のように口を切った。。

 「そらお前っ、ノーベル賞もんだぞォ!」

と。その物言い感とゆーかまあ、場的には一喝された気ィしたけど、僕は怯(ひる)むどころか先輩の鼻先の高圧を、むしろそのまんま抗力にして、

 「だったら余計、やりましょう‼︎」
 「バカどーやって⁉︎」

リターンエース、流石先輩の顎も伊達に長かったと感心しいしぃ。。そう感心した‘間合い’の後、引くわけにはいかない僕の口からは、

 「北極へ乾板を持っていって。何らかの仕掛けを施した特殊な巨大乾板を永久氷上に張りつけておけば、何か写るかもしれません!」

すると、

「‘仕掛け’とは何だ⁉︎一体どーゆーことだ説明しろ!」

とまあ今度は、やたら目がでっかくて程良い日焼け顔の2年生が、いきなり立ち上がって鋭く突いてきた。のですかさず僕は、

「そ、それは追ってわかるデスよ。」
「何だそらぁっ⁉︎。。❔たわけ‼︎」

場内に連鎖するタワケコール。。今日が部活最後になる3年生の、若いのにちょっとシワの多い‘トノ’と呼ばれている先輩が、思いっきり野次声の、

「たわけっ!」

と。それで更にもう一度、次々にヤジが飛び交うことになり。且つ、いつも右肩を外人みたくカタカタ上下させている手嶋先輩ときたら、

 「♪青年わぁ北極を目指すぅ!かァ♪」

鼻歌混じりで歌いかけたではないか。これには、2、3人が笑っただけで場はシラーーッとしてトーンダウン。。どころか、

 「ボケ、物理部だぞテシマァ。時と場を考えろ、“場”を!」

と、3年長老に、小声で叱責される羽目に。意外とみんな、マジメだったよ〜で、一瞬非難の矛先がチョイズレて、僕は得をした。
 けど、議場は超沈んだ感。。物理学教室内の燻(くす)んだ銀色の水道の栓まで凍てつく感じさえ帯び。‘仕掛け’ということ自体、決して間違いではなかったことは、後々の“カミオカンデ”の‘水溜まり’とかを連想すれば明白なことだけど、高一の時点ではチョット無理じみてたか??ともあれ、仕掛けという想いが頭の中でグルグル立体総天然色的に回転しているだけで、具体的な言葉に乏しかったかもしれない。
 そんなんで苛つく僕の口から、畏れ多くも次なる言葉が滑り出てしまうことに。

 「やんないんですかっ?」

とね。
 ダンマリの先輩たち=僕よか1つ以上上のいわゆる働き者・競争社会を生き抜いている“団塊”の人々。。まあ、ウチラ以下はシラケ世代(金塊世代?)、続いてバブル、団塊ジュニアにポスト団塊Jr. 更にミニマムライフ、ゆとりの世代っとまあ続々あったけど、先輩たちこそは戦後日本の第1の世代だんかいネ。
 この年のDK2・3とウチラDK1とはやっぱ、日本独立年1952年4月28日をもって、気分的にはキッチリ線引きっすかネ?
 で、ついにキレたっていうか、半ギレ状態の僕は、

 「こーゆーのやんないんなら意味ないっすよぉっ‼︎」

と半ば喚(わめ)きつつ椅子を半蹴り状態で、いろんな実験器具が寒々としてある物理学教室から、もっと寒い廊下へと一気に走り出た。
 先輩たちの顔、顔、顔。

                                 

    僕はそれっきり、自然退部状態になり、しかもどーゆーわけか、後で聞いたんだけど、一年ニュートン班全員が、この後次々と辞めていったんだってさ。。なんなんだか??

 外は、燃える秋最後の仄明かり・・それでも、ニュートリノはきっと降っているに違いなかった。今ここ、松平藩小江戸城址の内堀に立つウチラ高校キャンパスのそこここにも、もちろん‘大いなる木’を抜け正門出たすぐの通りの“鐘撞き堂”の塔屋にも菓子ヨコにもーーそうして、1933年、伝説のあの記念すべき学会で、湯川さんが朝永さんに、地面にe粒子の絵を描いてみせたという、青葉繁れる北杜の帝大校庭にも。。

  第 二 章

      1

すっきりしない僕の耳は、放送部室から漏れ出てくるアレサの声に一瞬癒された。アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー、バカラックの作品だった。まじめな団塊の先輩たちの怒号から解放されていくような優しい声だった。
 お陰で僕の脳内には、アレサ・フランクリンやシルヴィー・バルタンの優しく憂う声が木霊しつつ、大いなる木の暗がりを抜け出した僕は、いつもの帰路とはすこし違う方向へ歩き出し、自分は使わないはずの最寄り駅の1つに、程なく辿り着いていた。
 
 そもそもウチラ高の最寄駅は、国鉄(今のJR)と私鉄の合わせて3つあったが、どこも徒歩20分前後と、学校からは決して近くはなかった。けど、そのことが、特に部活やってないやつでもメタボから遠ざかったという良い結果を、奇しくも招いたようなのだけど。

 で今いるホームは、もちろんいつものホームではない。ここから、副都心までは、25分程で着ける。気がつくと僕は、子供の頃よく遊んだ浅草へと、気分に誘われるまま向かっていた。ーー昔、父に連れられて、いわゆる六区界隈へよく出かけていたからだ。
 あの頃は、国際劇場でフットライトに照らされて鮮やかに乱反射する太腿に圧倒されるSKDのラインダンスと木馬座の芝居見物(←でもこの組合せが同じ‘小屋’であった記憶からすると当時は家族連れ想定だった?)とか松屋デパートの屋上が定番だった。。母も一緒の時などは仕事のことを休め、水上船で浜離宮に遊んだこともあったのは3才の頃だろうか?ーーピカピカ裸電球で煌(きら)びやかな仲見世のある狭くて賑やかな、今や世界的に有名な2つの朱樺色大提灯に始まる参道。
 ・・キラキラキラララ強烈な裸電球に目が眩んで、僕の脳裡にはほのぼの走馬灯が駆け巡りはじめた・・・(そーいやあの頃、ウチ会社が3つあって。スリムでダンサブルな妹2才の記憶によれば、夜出かけて朝帰ってくる姐や(ねーや)がいたというが・・(^ ^)そら通いのメイドさんだよ!なるほど2才児の思考形態は度肝を抜くわァ。。住込み含めてバイトのJC,JKの娘たちでごった返していたから、妹はホントにそう考えたに違いなかった。で僕は、そのJC,JK姉ちゃんたちの‘おやつ番’だった。彼女たちが喜びそうなデリーシャスなパンを探しては買ってくるというお役を授かっていたのだ。当然、それなりにお金を預けられてるわけだから、ウフッ自分の好きなパンも間違いなく手に入る、いや口に入るわけだったし。ーーさて僕が買い物から帰って来るや、毎回大騒ぎ!JKたちの血眼(ちまなこ)パン取合いとオンエア中のドラマの話で、おやつタイムは大混乱。。とゆーわけで、小学生の時からJKJCの‘受け役’ってカンジだった。よくいる、大人になってから急にJKおもしろく感じたわけとちゃう②根本的に。その頃の夢見る巫女たちは(もち今の娘もだけど)みんな、み〜んな生き生きとしてたァ!さてそんな頃、突然関連会社である雑貨店の社長がななんと’夜逃げ’をしでかした‼︎おまけに、オリンピック景気が終わると、出資しているレストランも閉鎖。つまり、関わっている3社のうち2コアウト!・・今だったら1社倒産しただけでも連鎖倒産しかねない。が、バッテン、2社潰れたにも拘わらず、残る1社で、尻拭いは勿論のことそれなりになんとかかんとか’フツー’にやってけちゃったんだから、驚異的というかやっぱ、昭和20年代半ばから平成元年までほぼ続いた長い長〜い右肩上がりの奇跡の時代♪だったからこそ成せるワザ。でもま、‘フツー’の家から‘フツー’に見える程度のトバッチリはすこしはアルアルあったよネ。。例えば1つーー週6日あった家庭教師様は、みんなと行く補習予備校に格下げ、2つーー3社長家族総出の夏冬恒例の豪華温泉旅行も途絶え、3つ目ーーよその姐やが布団を敷いてくれるのを見たのは、僕の中1の時が最後だった気ィする。。とまあ生活激変!そして迎えた、最も多情多感な中高生時代。に奇しくも丁〜度ぶち当たってしまったのだから。思うにさ、中〜DK時代に出くわした奴にゃ、別にそれがフツーに見えたかもしれないけど、僕にとってはよくよく辛くてシンどくて耐えるに耐え難く苛立ちを隠しきれない数年間だったっっていうこと。) 

          2
 
 
 そんな、滲み入るというか、傷に触れるような心持ちにさせるのもまた、浅草という所なんだ。ーー懐かしさと提灯電球が、再びカラカラ走馬灯になって夜道参道の視界を埋めていく。。そっか。酉の市の前夜祭に向う人もいるんだ。境内に入れば鉛色の砂利の音。その音さえも、沁みる染みる。こんなにも玉砂利の響きが沁み渡る僕の心に、はたまた更に別の光景がぼんやり且つ次第にくっきりと浮かび上がってきた。・・

 (・・神宮上空天上。青の中の5色の輪。それは、ミミズのように腫れ上がったかと思うと、緑の濃い武蔵野上空トトロの森の方へと流れていく。ーー僕は小6だった。その頃、父のギンちゃん(永友義六・ぎろく)は、呼び屋をやっていて、家に帰ってくるなり、

 「今日は、三田明(新人賞歌手)にお茶を出したよ!」

とか自慢気に話す。で夜には、ギンちゃんが大株主の1人だった“不思議の森のレストラン”へ、キリマン主体の超旨んまいコーヒーをみんなで飲みに出かけたりする。4方向の壁に設(しつら)えた巨大スピーカーのある、山荘風のコーヒー香る館。そこで僕が飲んだコーヒーこそ、それはそれは、小学生のときのそれこそイッチバン美味しいコーヒーだった。敢えて比べても、一袋10円の‘オオカミ少年コーヒー’の一万倍、いや1億倍旨~~~まかった。とにかく広〜い駐車場完備のシャレた店。マイカー時代までには、あまりにも早すぎて閉店してしまったけどネ。30年後、当時‘森’だった辺りを走る“圏央道”が開通して偶然なつかしい町を通り抜けた時だった。高速のわずかな高架橋の隙間から、忘れもしないあの、軽井沢風の瀟洒(しょうしゃ)な造りのレストランの尖り屋根を目印に、ダークブラウンに燻(くす)んでいるのを一瞬垣間見た。ーーおおっ建物だけでもちゃんと残ってるんだな、と確かめられた。。後に伝え聞いた話では、もう1人の大株主の未亡人がこの建物を引き取り、調度雰囲気そのまま残しつつ趣味の教室を開いたりしながら、ほんとうに軽井沢辺りの別荘感覚でかなり長い間暮らしていたということだ。そして今、住宅地図を見る限り、ショッキング更地であった。あぁ夢の跡とや。。
 レストランとは別の雑貨百貨店の方は、店長にいろいろ持って夜逃げされ、結局レストラン含めた2社の負債を受けて立ったギンちゃんは、その時こう宣言した。ーー「これから何年かは、ママさんの取締役取分だけでやってこっ!オシャレ工房(株)の自分の役員報酬は百パーセント弁済に充てていく!!」と。
 しかし、キッチリ数年とはいかなかった。僅差、誤差の範囲の7年程度で完済と相成った。ーーこれにより、さきに述べた通りいろんな‘フツー’がやってきた。中でも、東京オリンピックのマラソン金メダリスト‘アベベ’を見た父が、いみじくも

  『メダリストだって皆が折り返し点過ぎてからスタートしたんじゃ勝てないぞ!』

とばかり週6日来てもらってた家庭教師も打ち切り。とはいえ、2年先の分くらいまで学習が進んでたので、成績への影響は当面なしで済んだ。それに、加えて消えたのが、、
 夏はサボテンの咲き乱れる伊豆高原・伊東へ、冬は賑やかな歓楽街熱海への豪華温泉旅館三昧の旅。その中でも、最もロマンチックだったのが、伊豆半島の、緑渦巻く高原から太平洋の青く光る海に雪崩れる小高い縁に位置する伊東での夏の思い出。。なんと、同世代の、どーゆーわけか女の子たちだけが入っている温泉に、僕は知らず迷い込んでしまった?いや男女分けはなかったので、入ってもいいんだけど面食らった。ーーだって、湯船に浸かっていたのではなくて、ヒタヒタと溢れ出る湯槽のの縁石に上半身からお尻まで真っ白肌の女の子たちが、何人も座っていたんだもの。いくら仄かな湯気に煙る中とはいえデスよん。。そうだ、その前にそもそもどーゆー旅館だったのかって、正確に思い出してみよう。。

 伊東近辺だったと思うけど。
1万坪近いだだっ広い敷地に平屋建?の日本旅館

果てしなく広がる庭園の芝の遠くには
毎日のようにいいフロがあるってTVでCMを流してる
何階建かの有名ホテルが見えていた。。テッペンに、
ハトのマークがあったかどうかは記憶に定かではないけれど、
なるほど
     『あ、あれか⁈』
というカンジでして、よく耳にしてた‘良きフロ感’は確かにあったよネッ。
ーージツゎ僕って、その頃からCM好きでミーハーなところがあったりしてん。なんで、一度泊まってみたかったなぁ感あったのデス!だって、休み明けに、クラスで話し甲斐あるし。とゆーわけで、言っても誰も知らない隠れ家的高級旅館での今回遭遇した話って誰にもしなかったし、絵日記のタネにもなれなかった。この、CM気にする習性って大学における教養科目にも影響したようで、世界中のCMをドンドン流す講義をとった僕でした。

ところで、後々よく考えてみたら、割と近くにあったか例の有名ホテルを、何ら遮るものもなくハッキリ見通せるほど、こちらのホテルの庭園がだだっ広いとゆーことの方が、改めて今“スッゴ”ということなのですよ。高々2階建てで、いやひょっとして広大な平屋だったのか⁇う〜ん!?とにかくです、2階があったかはわかんないけど、一階には、池に面した3LDKの菊の間とか梅の間とか名づけられた和室ーーそーゆー客室が5つあるだけ。ホント客室内から見ると目の前にはくねった大きな50mプールほどの、各室池付きみたくなってる。

あっちは派手な豪華?
ウチラのは隠れ家豪華!?なのかな
とゆーシチュエーションにあったのです。。

 そんな眺めの中、父はホテル付きマッサージ師のお姉さんに念入りに全身気持ち良さそうに委ねていて、一方スリムすぎる妹の食が、旅の疲れでか進まないのを気にかけた部屋付きの桃子オバちゃまは、美味しい秘蔵のミソでおにぎりをその場で作ってくれて、お陰で妹は急に元気を取り戻して一緒に庭園散歩にも出られた。こんな心のこもったサービス、実に‘有り難’かったのではないだろうか?だからここは、ケバケバ豪華というよりは、悠々贅沢という言葉がピッタリくる旅の宿だった。こーゆー体験を、小学生の頃の僕は、唯の一度も絵日記にも作文にも書いたこともなかったし、友達との話題にしたことすらなかった。
 ーー今なら、皆んなはブログに書くのでは?しかも僕は、自己顕示欲がなかったかといえば、むしろ逆かも?にもかかわらずなのです。おそらくは、こうしたゆとりの旅、今でこそ思える“豪華温泉旅行”は、きっとその頃の僕にとっての‘日常’であったからこそ全く特別視して気づくなんてなかったんだろし、ましてや絵日記・作文・自慢話のタネになるなんて1っかけらも思わなんだ!ようデスよ。だから、そーいや絵日記のネタには結構困ってたよなぁ。一度だけ、休み明けに、いわゆる学院系の中学へ行くことになるあるお嬢さまの話題がクラスメートの口から出たときの 一緒に温泉行った。』
って言ったら、超目ん喰らわれたことがあって。
 まあ、そんなサービスの行き届いた(←それもあの頃はフツーに思ってた)朝食のおかげで元気になった妹も連れ、家族で庭園を歩いたとき、マレー半島ほどではないかもだけど、伊豆高原の適度の湿気がまだ涼しい朝(その頃の夏の涼しさといったら、早朝配達される牛乳とかヨーグルトがクーラーボックスでもなんでもないフツーの木箱に入れられて、取り込むまで腐らず無事だったから凄いよ!)の芝生を優しく黄緑色に濡らし、それが心地よい風を僅かながら巻き起こして、青い草と池の緑色の水とから夏の朝の香りがクーンとしてくる光景。そして池のある縁側からへやに戻れば、客室の
  僕がいた客室ー紅葉の間ーを通り抜け出ると左右に
広~ぃ廊下が飴色にツヤツヤ艶々輝いてる。
  
 前夜、ぼくはひとりでその廊下に出たのだけど。。

 悠々贅沢な日本旅館の広い廊下というのは、歩いている人もなく。。
 時折り、各部屋付きの例えば紅葉の間の“桃子オバちゃま”とかが、しっかり和服で音も立てずに軽く会釈をしつつも楚々として通過していくだけだった。

 ぼくの、まあウチラ家族が滞在していた客室の丁度真ん前が、ここの内湯の脱衣場の入り口になっていた。右が殿方で、反対左側には紺暖簾(ノレン)に大きな

   赤文字 ‘め’ 印

が垂れていた。僕が明るい殿方部屋に入って着衣を脱いでいると、奥の方の湯殿側のドアからキャッキャッ女の子の声らしきが聞こえてきた。なので、おそるおそる湯殿に通じるドアをそっと開けると、、、

 、、薄暗い大きな鍾乳洞というか地下室に入ったような水滴るピタピタ音が耳に入ると同時に、すぐ右に白煙といくつかの白い背中が並んでいるのが目に入ってきた。右側に突然広がる音源

   “キャッキャッ”。

 一歩進むと正面遠くに湯煙で霞む行き止まりの壁の下にはいくつもの手桶が江戸時代劇みたく積み重ねてあって、その脇に栓が光り体を洗う場所らしきが数人分あるようだった。

 なよやかな白い背中ー少女たちが並ぶ右側は、多分壁に沿って楕円を半分切ったような、7、8mの径の半楕円形の湯殿なのだけれど、ぼくが温泉内に入ってきたとこに近い楕円の弓なりの端寄りで、女の子たちが話し込んでいた
 弓なりの一番端の壁寄りの子は、丁度ぼくのほうに視界が効く位置なのですぐ気づいたらしく一瞬こっちに振り向いた。と2番目の子も、えってカンジで熱った顔を左に回してぼくの方に振り向きかけた。、おっっとぼくは、彼女たちの濡れた白い背中の脇を危うい足取りながらも、彼女達全員が振り向く前になんとか滑らず大向かいの体を洗うスペースまで一気に辿り着くことができた。

  や、鏡 !

 湯煙でよく見えてなかったけど大〜きな鏡だ。
でも、白々と霧模様のモヤモヤ。。

 僕は、行き当たりばったり文字通りそうだね、うん歌舞伎の
段取り動作みたくさ。きれいに積まれた手桶の一つを
勝手知ったかのようにサッと掴んで座り込んだ。
 すると置いた拍子に、自分でもビックリするほどの手桶の木魂とゆーか
木の底の湿気に富んだジツに心地よい音が高天井の温泉内に

  スコココオーーン

と響きわたって、ドギマギさを程よく打ち消してくれたのはなんともありがたかった。
で、やっとぼくは耳を頼りに湯煙の中全体の把握に努めたってわけなの デス !

 どうやら

湯殿にはだれも浸かっていないというか。沈んだりする水音・気配が全くないし、

なのでです!、湯殿の端から弓なりの部分に足湯状態でキャッキャッ話し込んでいる

同世代gal数人:僕1人 !!

という現状の構図が、もやもや湧き立つ湯煙の中にあってあたかも、雲海を通り抜けたかのようにはっっきりわかった。
 ま、行き当たりばったり奥のほうに座っちゃったんで、とりあえずショーがねー、、
体を洗うほかなかったわけなんですが?

 。。それに、女の子のたくさんいる湯船にいきなり
  
   ドボン
 
は まずいだろうっ! というもっともらしい言い訳を唱えつつぼくは、洗うともなく体を洗い始めた。
 
  すると 

女の子たちの会話は再び元どおり復活しているようだった。
 何しろ会話は、悉く(コトゴトク)高い天井に抜けていくカンジで、まるで空気いや、湯気のクッションというか女の子たちの熱い吐息の マシュマロクッションがあるみたいで。モワモワワワ〜ン。。
  何話してるんだろう!?と思いつつも、そーゆー

 温泉独特の音環境 プラス 自分の洗い音シャアシャアシャァァー

で、一向に判読不可。と、そうこうしているうちに、ぼくは自分の体を一通りきれいに洗い終わっていた。

  天使が降りてきた?? か。。

 そういえば、こどもの天使ってみんな、なぜか裸んぼだよね、雲に乗ってさ。
 いまこの状況、真っ白い湯けむりの中に突然、天使が舞い降りて来てる!!
 としか思えない。。
 と、よくよく聞き耳を立てていると、次第にこの音環境に鼓膜が慣れてきたらしく、ホントに子ども天使もいてて、みんながみんな同世代じゃなくて、もっと小さな子もいることが、おぼろげながら見えたかのよなとゆーか、そのような光景に聞こえてくるんだ。
 とくに、1番ぼくに近い子は、まるで湯船の縁に今朝延びてきたばかりの青々とした蔓のような肌に見える。
 おそらく同世代は2人。。上から12、11くらいで、残る3人はたぶん8、7、6才というカンジ。
なのですこし安心? かな(^^)>

 よし!
  
石鹸で スベンなよ!!
と、心落ち着かせつつ僕は立ち上がった。

 湯けむりの中、しだいに、なよやかな5つの白い肌がはっきり迫るのを間近に感じながら、楕円形の湯船の弓なり部分のこちらの1番端に僕は辿り着いた。すると、 女の子たちのこんな会話が耳に入ってきたのだ。

 “ねえここ、潜って泳ぎきれるかなァ?”

1番奥の1番年長そうな、スラッとした姿勢で湯船の縁に腰かけている子の声。眉が吊り上がっててちょっと生意気そうだけど声はかわいかった。
 ちょうどぼくは、湯船の中に入って立ったとこだった。

 湯けむりに湧き立つ僕を、奥の2人きっと同世代11、2才の娘が一瞬、じっと見つめてきた。というか、楕円形の半分の両端同士の位置なので、多少斜めとはいえ、ほぼ目線が合ってしまう位置関係だしっ!暖かな湯の溢れ出ている湯槽の縁にタオルを置くぼく。

  ぃよ~し!

彼女の言葉に誘われたか僕は、そのまま熱〜い湯の中に潜りこんでしまった。。

。。1番奥の彼女の白くスラリとしていそうな足元までネットリした源泉を掻き分けていったぼくは、(>_<) 全身ひどく熱い上、息継ぎのためにも浮上したくなった。が!でも、そこで湯槽から顔を出した時目にする光景を想像すると、それはもう日活ロマンポルノどこの騒ぎじゃない!

 浮上すれば目の前は足湯状態の美少女たち!

 なので、ぐぐぐっ
とこらえて、、、
(でもよく考えるとなんか変?
 とゆーのも そもそもぼくが美少女たちの足もとまで泳ぎきった時点で
 
              キャッキャア〜

とかだれ1人として立ち上がるとか湯船にザボん しなかったんだろうか!? もしかして浮上してもまぁ多少の波風はたったにしても 全然オッケー!ってソレもアリ!!だったかもしれん) 結局

     ナイスターン

もう一度いま来た熱い湯道を 苦しくも泳ぎきったぼくでした。(・・?)なにしろ 温泉の湯という条件下では けっっこうきつかったデスょ もう浮き上がっても目の前は真っ白で

 大一番終えたばかりの
横綱を倒した新小結みたくハアハアしてた。

同時に
大一番直後の大歓声みたいな女の子の最初の一声が耳に入った

 『あらできるんだ!』

って。

火照って顔も耳も真っ赤だったろうぼくは

  『え“!?』

てカンジで かわいい歓声のほうに振り向いた。 湯船の上の裸ん坊の彼女たちは 振り向かれたという恥ずかしさよりも アッケラかーーん としていて&相変わらず足湯状態の足を 湯船にプランプラーンとしているまんま。。 とくに こっちから2番目の7才位の娘なんか ポランポランしてる足のワレメがハッキリ見えたり隠れたりしていたさ、もちろん 白肌の胸元は全員見えている けど 湯けむりで小さな乳首まではよく見えないみたいだった 、、

 みたいだったとゆーのはそもそも そんなじっと見てたわけじゃないし てか そーゆー好奇の目で見てないからこそ あの子たちも フツーにしてられたんだし  
し  

  この夜のことを思い出すと 以前は そんなでもなかったのに 最近とみに

  ひょっとして  なんていい人生送ってたんかな!?
って 
 
 オチとして 、
 20年後再訪したときのこと 帰り際お会計でそれこそ

   目の玉が飛びでる!!!

かと思った。 いま2人でこんだけってさ、 あの頃って使用人入れ一同 7、8人で行ってたわけだからさぁどんだけ大盤振る舞ってたんだかって なんとも昭和の絢爛恐るべしか!・・
イチゴケーキ・ショートケーキやイザナギなんんとか 天の岩戸景気とかとか いろいろアリスよ夢のごとし矢の如し

 あの夜のことを思い出すときの、もう幾つか付け足しとかなきゃ、些(いささ)か説明不足を否めまい。。で、

 以前はそんなにも感じなかったけど、最近富に、

  “なんていい人生送ってるんだろう!?”

って、つい思ってしまうのは、なんか知らんけど、この頃の富貧の質や程度をニュースなどで見聞するにつけて、その感慨が高まったように思う。‘富’については、そんなのフツーだよねって思うし、けど、‘貧’の方では
 
   “え゛っそこまでェ!?”

って思うことが世の中では起きているからだ。ーー例挙げつらわないとわからないだろうから、面倒だけど1コづつ列挙してみるか。。まず‘富’の方。ーー‘この度、銀座にリッチなサービスのホテルがオープンしました’とか言ってる。何がかと思って聞くと、‘はい各部屋付きの担当のような’者がおりまして、お邪魔に思われない程度に‘めんどう’をみる、とか。なら、だけどあの伊東での夏の朝、おっいしいお結びをサッと作ってくれた桃子おばちゃんのことを知っているウチラからすると、どーーしても“だからナニ⁇”感は否めない。。それに、、家庭教師先なんかであったことなんだけど、都心に中層ビルを所有し最上階から2フロアを占有しているリッチなご子息の口からのこんな会話が思い浮かんだ。・・『先生、明日から行くホテルってその島では1番リッチなホテルなんだよ』とかとか。。やっぱこーゆーのって、CMに毒されてるっつうか、兎に角一段上だ最高級だと捲し立てるキャッチフレーズ鵜呑みそのまんま感?やはり、“だから??”感とゆーか。。そーゆーとき僕は決して、自分も小学生の時に・・とかは言わないで、“へぇ〜っ!”と応じるだけデスね。ーー

 でも、只反省点としては、やはり言っておく方が、普通はいいようだ。例えばこんな風にーー自分も小学生の頃はそーゆーの良くあったよ、、楽しんできなさい!っとね。そう言わないと、勝手にそーゆー体験を持ち合わせてないパッとしない先生としてツケ込んでくる輩(やから)も稀にはおるということデス!さいわい当該のご子息は、物質的な豊かさだけでなく心の栄養も充足していたらしく、そんなことは全くなかった。思うに、良い生徒を引き当てたものよのぉ、と只々感じ入った。さて、‘貧’の方はというと、あるニュース、2010年前後のリーマンショックの頃、“年越しテント村”みたいなのがあった、よね、ハローワーク繋がりのだかの。。その‘困る’程度に、ビックラ仰天したっす!なにしろ、仕事紹介してて、さて面接に行くのかというとTV音声まんま信じる報道番によれば、なんと面接行く電車賃もない、とかで何々、その賃も援助するって!?
 いやァ半端ないネ。毎日面接生活でやっていけたバブルを知っている世代としてはですよ、それこそ目の玉が飛び出るほどのビックラニュースだや年越し〇〇村っつう‘炊き出し’付きのニュースはさ。。だって、バブルの頃って、面接に行くとお昼はなんと‘〇〇御膳’とかいう割烹料理屋の豪華弁当出たし。食べながら言ってた、これ全部食べたら午後の実技にヒビくかな、とか。そんな凄いお弁当が出た上、さらに帰る時には、

 ”では皆さん、合格しますように!それまで数日お時間ください”

とばかりの言葉と共に渡された交通費の金一封は、開ければ所用の数倍入っているではないかい⁈・・だもんで、帰りも銀座でリーズナブルな夕定食というかビールとピザとたんまりホックホクの分厚いフライドポテトを食べてもまだ、余って貯金までできちゃうという、ホントに贅沢言わなきゃ“面接ジプシー暮し“OK時代。いや贅沢入ってるよねェだってあんなお昼御膳食べてんだからさぁ。。だからダッカラその、面接のきっぷ代実費支給とかの炊出しニュースは、マジおんどろいたっすよん。そして何⁈それで面接行ってる家庭では小学校の給食費すら、、なんとか報じていた。あの、会社が2つ倒産して1社で尻拭いしていた頃のウチの中高時代と比べたら、もはや論外の領域!!給食費がとかそーゆーのは、1度もなかったから、レベルが違うわ最近のボンビーっつうのは。これに比べりゃ、ウチの場合は、ちょっとガマンすることが増えたっていう言葉で終わっちゃってんだろか。と、改めて気がついたニュースでした。以上、貧富両方向からの例証考察でした。(付け足し:面接行く時支給の万札貰ったらそれっきり‘村’に戻ってこなかった奴何人かいるんだって。)
 だからかもなのだけど、あの伊豆温泉での一夜の出来事を思い出すと、何とも言えない新たな感慨溢れるばかり也!
でーー

        3

 確か、あの旅行から帰った翌日は、小6夏休みキャンプの日だった。言うまでもなく僕は、起きられなかった。温泉場ってすべてが悠長で、だからさ帰った翌日、学校行事だからって早起き!という風には流石にいかなかったよネ。欠席の理由は、もう帰宅しているのに“家族旅行のため”という他なし。正確には、旅の余波、と付け足さなければならないわけですが。。で、同級生みんなときたら、その冬のお正月になってまで、年賀状に、

 『今年も“バンガロー!”』

って書いてきてたところからすると、よほどの事だったか⁈というのも、夏キャンプは飯能市名栗川辺りのバンガローに一泊だった。おそらく、この夏のキャンプ一泊の印象が、その間にあったはずの1964秋の、最初の東京オリンピックを飛び越えて強烈だった!ようで、きっとそれなりにみんなも楽しかったんだろうか、と只々想像する他はなかった。ーーだからさ、みんなの夏ってどんなん??って思ったわけさ。というのは、あんな入浴シーンてみんなもあるのかなあ⁈2学期になっても、特に誰にも聞かなかったし、家族旅行の話ってしたことなおもんね。。裸体の天使が湯けむりの中降りて来たなんて話、あまりに浮世離れのカンジ。。

 しかしあの朝の庭園散歩でもロビーでも、あの娘たちを見かけることはなかった。何組も宿泊してないのに。。もしかして、朝早く箱根とか次の目的地に向けて出かけてしまっていたのだろうか?あの幽かな白い湯けむりの中の美少女たち。。ほとんど泉鏡花の世界みたいだったかもしれない。 

 クラスメートの『バンガロー』賀状と行き違いに出かけた、冬の熱海でも、またまた熱〜い休暇が展開されるのを時が待っていた。。熱海では、伊豆高原・伊東の一万坪に5室だけ、の悠久の宿とは打って変わって、海岸沿いに軒を連ねる数回建ての豪華ホテル群の中でも1番評判だった宿に、各々会社を持っていた父の友人3社長家族が、マイカー時代には程遠い頃、トヨペットやアメ車など各々自家用車を連ねて逗留した。
 大人になってから、昔よく行ったからとつい気軽にこの宿にも行った帰り際、お会計でここでも又もや、目の玉が飛び出るよな思いをし、改めて当時の我が街のあらエッさっさーみたいなホクホクの経済状態を思い知らされたというわけデス。  

自分デザインのセーター頃

  そんな温泉三昧のころは、秋毎に自らデザインしたセーターをオーダーして“若旦那”呼ばわりされ。ーーそんなこんな諸々一斉、一気に吹っ飛んでしまうことになる、関連会社責任者の夜逃げがそのうちあったりすることなったんだけど。。
 とはいえ、その頃日本は、朝鮮動乱の勃発から平成元年までほぼ続いた右肩上がりの真っ只中!今なら、1社のために連鎖倒産になってしまうかもだけど、なんとか生活は“維持”に落ち着き。
 “維持”の意味はつまり、こういうことです。家庭教師とか旅とかの“サービス”即ちモロ生活色の薄いものは、確かに縮小せざるを得なかった。家庭教師→予備校、旅→中止。けど、注目すべきは、‘物の後戻り’というのが決してなかった。わかり易く言うと、例えば、一度2輪車が4輪になってるモノはそのままだったという類いの。逆戻りがない上、間違っても手放すなんてことが皆無だったのは、流石昭和元禄阿波踊りとまで騒がれた好景気のせいだろうネ。よっぽどいい時代だったってこと。ほら“年越しなんとか村”なんて想像の域外。
 ただし、維持はしてるものの、2つ目とか3台目とかいうのが、なかなかままならなかったというのはある。だからまぁ、多感な時期としては、僕自身少しは傷つき感じ入るところはかなりあるにゃぁあったってことよの。。
 。。何んにしろーーそれまでのウチときたら、年賀状の代書代筆に4人ものJKを雇い、そーゆーときは決まって小学生だった僕が、彼女たちJKおやつ番を申しつかっていたし。。「若旦那ぁ」とか「ぽくぅ」とか彼女たちからは呼ばれてメッチャ楽しく過ごした時代。・玄関脇は、いっつも酒樽の山・・幾つもの2ダース木箱が山積みにされていて、少しでも減ると、いわゆる御用聞きがきて酒類の山は途絶えることがなかった。当〜然、ウチラ子どものサイダー類も(ってジツゎこれ大人用でウィスキーを割るためもあったらしいんだけどネ、ほら‘ハイボール’)それこそゲップが出るまでいつでも飲むことができた。
 だから、お小遣い貰ってどこかへ子どもが好む飲み物類(すこし後なら‘ファンタ’‘コーラ’か?)を買いに行ったという記憶は全くなし!あるとすれば、それは冷凍冷蔵庫が普及する以前、メイトーのホームランアイスをおまけのもう1本が当たるまで買いに行った記憶かな⁇でもあれ、ヒットがメッチャ多くて、それ3本でホームランと同じく1本食べられたのは実に効率高でありがたかったよネ。
 
 戦後の上野でボロ儲けし、小唄・踊りをよくした父・ギンちゃん。月に数回は必ず、レモンを半分に割ったゴミが段ボール箱に大量に出るという、アラエッサッサーの毎日。ギンちゃんの好物は、じっくり揚げたてのトンカツと巨大海老の天麩羅だった。僕はいつも、大き目の甘エビが残るのを期待し、裏切られたことは一度としてなかった。それに、外の料亭で開かれる時の会議を兼ねた宴会で出される2段重ねのお弁当は、必ず持ち帰ってくれて、オレンジ照かり色のエビの艶々煮の甘味な美味しさといったら、子どもにとっては天上の旨んまさか!だったよ。料亭のタレは、うちのとは微妙に違う複雑曖昧な美味しさだったからネ!
 いつも持ち帰ってくれたのは、たぶん料亭ではマジメな会議の進行役とかよくやってたギンちゃんは、きっとツマミで飲むくらいしかできなくて、、かもしれなかったもね。でも、それ持って帰ってきた時って、いつもギンちゃんの顔は、甘エビの表面ように上機嫌で艶々だった、甲羅参った(^○^)
 
 エビと鰻は、よく会議に利用する料亭の、1番のウリなのだ。ーー“川端1番”という名の通り、1番川端寄りに面しているにも拘らず、今や私鉄の特急停車駅になっている駅からは‘徒歩わずか1、2分’というロケーションをまず思い出す。駅近で自然の川、、というロケーションはさて、次の駅、次の駅と上っていくと、こーゆーロケーションて浅草までない!なので、こんな素晴らしいロケーションに恵まれた通称‘カワイチ’に纏(まつ)わる思い出は結構あったりするのです。

 その1つ目は、スリムでダンサブルな妹から聞いた話なのですが、彼女が小学生のときのこと、下校時に、広い歩道の左側に広がっている大層綺麗に整えられた庭木や大きく美しい石を奥に控えた、丁寧に砂利を敷き詰めた広い車寄せの中に、吸い寄せられるように皆んなで入り込んでしまった。小学生のことだから、きっとキャアキャァ騒いでいたのかもしれない。がその時、突然、

 「子供ども!」

という、今思えばおそらく、その料亭(カワイチ)の女将の一声に違いないのだが、妹も含めた‘子供ら’にとっては、もんのスゴい迫力を持って聴こえたようだった。あたかも、
 
 『子供ども、そこで遊んだら‘いかんぜよ!’』

と大女優・岩下志麻が叫んだかのように。。実際には、ドスを効かして叫んだわけでもなくて、単に、ここは遊ぶところではない、と普通に注意しただけで、特にクルマの危ない出入口から児童を遠ざけたのだろう、と思うのだが、最初の呼びかけの一言がもの凄い迫力だったようで、その後何と言われたのか全く覚えてない、と。とにかく圧倒されて、皆んな一目散に駆け出したそうだ。うわぁッとばかり。。
 
 さてその女将さん率いる料亭の建物は、ロケーションも去ることながら、広〜い一階建てで、中へ入ると井草が青く香る百畳敷の和の宴会場の向うに張るガラス全面には裏庭の緑の木々に透けて、すぐ眼下に揺蕩(たゆと)う桂川(別名・霞川とも)の水面(みなも)の纏綿(てんめん)が目に優しく迫ってくる。その大向うには、真近に緑美し山々も見えていた。。更には、料亭厨房の炭焼き焜炉の窓は、先程の子供達が慌てて出て行った、当時としてはかなり広めの歩道に面していて、しかもそれが、小学校の通学路だった。その炉端の大きな網戸からは、既に春先から土用波来る夏一杯は、いっつもケムケム鰻の芳香漂い、コンロに向う職人さんの顔も毎朝見えていた。
 手際よく煽る団扇のパタパタ音もかすかに漏れきこえ。。僕が後年、京に馴染んだ原風景は、おそらくこーゆーロケーションからかもしれなかった。即ち、川・街・料亭のすべてが、家の庭続きにある、という。。
 
 カワイチの川側の窓の下は、丁度S字形の流れになっていて、昔は良い釣り場だったらしく、農家の友達の父親から聞いた話では、若い頃は夕飯用にと投網を‘それーっ’とばかりしたそうである。ウナギも含め鮎は勿論のこと、かなりザリガニが採れたんで、大家族でも十分足りたんだって。だからきっと、カワイチさんも、その昔は今で言う‘地産地消’の典型だったのかもしれない。がその後、鮎は禁漁の時期が設けられ、ましてや根刮(こそ)ぎ資源を枯渇させるような投網も確かダメになったよネ。

 それで思い出されるのが“鮎漁”のこと。ーーこれは、小学校5年の時、珍しく作文に書いたら花丸を貰った記憶がある。
 誰かのお父さんが‘アユリョウやりてえなあ’と言い、違法にならぬようにと、大バケツ一杯2、3百匹の鮎を仕入れ、川の澱みに放流した上で投網を掛けるパフォーマンスをするという、実に凝った粋な催しを、仲良し数軒で巨大テントまで設えて演ったのです。揚げるのは自分でなく、ホンモノの天ぷら屋さんを呼んで、そこの油で揚げてもらうという念入りな凝り用というかの贅沢三昧。旨くないわけがない!
 子供達ときたら、しこたま食べても元気でそのまま清流で泳いだというか水遊びだ。その写真が、鱈腹食べたお父さんたちがゴザの上から撮ったんだろう遠景の一枚だけが残っていたけど、あたかも楽しげな声が風に抜けていく雰囲気が如実に伝わってくる。遠いショットの一人ひとりの顔は朧げにも拘らず、間違いなく笑顔というか。。いったい誰のお父さんが、こんなにも素晴らしく酔狂な企画を仕出かしてくれたんだろう!!! 

 。。あんなアユ漁をやってくれちゃった方々は、殆どもういらっしゃらないだろうなと思われる当時のシャレた大人に、只々感謝感謝なのですよ。

     4

 そして数ある、ここら辺に纏(まつ)わる話として、ロケ話2つ。1つは、料亭カワイチ真横での事。広い歩道に、カラフルなビーチテントを張り、、ところがそこは学校指定の通学路。当然出くわすボクですよ!
 ロケーション的には、川側からの街道(R16)への道はトンネル!トンネルを抜けると、西武線高架下の16号沿いの、撮影セットのパラソル。なんと、トンネルを抜けてカメラ前に出る段取りの役者さんの後をちょうど、朝の通学ランドセルを背負った僕がついてく、とゆーことになってしまった。

 役者さんは、大層なシェパードを連れていた。なんとも、ものもの迫力だった感。もちろん僕が、‘撮影中’と気づいたのは、トンネルを抜けた歩道に設(しつら)えた場違いなテント前を通過した時だったけど。。
 後々学校で見たので、いわゆる‘学校映画’つか学校で上映する用の映画の一つだった。QPという役者さんが出てたけど、タイトルは忘れてしまった。ーー歌手になりたい、という子をQPが歌の先生のところへ連れて行くが、レッスン料が9千円(その頃の1ヶ月のサラリーって数千円だったと思う)と聞いてトンボ帰り!不貞腐れた2人は、西武園かユネスコ村の遊園地に寄ったような気がする(多分ユネスコ村。いま昭和rétro村みたくなってメッチャ流行ってんとこ)。で、ラストシーンがものすごく強い印象ある映画で、

  夕焼け小焼けの赤とんぼ
  追われて見たのは いつの日か。。

という超有名な曲が多摩湖と狭山湖の脇の、木々に囲まれた湖畔の草原で、〇〇少年少女合唱団によって歌われ、尚且つこの映画が決定的に僕の記憶野に導かれた理由は、明るい朝日に照らされたビーチパラソルロケに丁度出会したからだけでなく、合唱団の美しい声だけでもなく、そこになんと湖畔に、ゆったりと椅子に腰掛けた作曲家の山田耕作先生自身が映し出されていたからなのです。

 この強い印象の結果、僕が高3で知り合った女の子とのデートスポットが、紛れもなくこの場所この湖畔の草地になり、後に書くことになる‘襟元エリカ’とのシーンでハンカチを広げてあげることにも繋がっている。

 更に2つ目のロケバナ、料亭‘川端一番(カワイチ)’を百メートル程下った所に架かる橋のロケ。これは、全く別の映画なのだけど、あれだけ短い距離の橋の割りに幅がたっぷりある広めの石橋というのが、滅多にないそうでロケハンはここに辿り着いた、と聞く。着物の女優さんが、日傘差し渡るだけの、数秒のシーンなのだったが。。2、3百人のギャラリーが、撮影がもう終わるという頃に伝え伝わってゾロゾロ繰り出してきて、夏祭りさながらの大変な騒ぎだった。
 後々、歩行者の安全のためにと、この美しい橋の両脇に、贅沢にも歩行者専用の橋が架けられ、3つの橋が並行するという珍風景が出現した。やはりこれでは、絵的に美しくないのか、撮影隊の足は、ポッキリ途絶えてしまった!

  ・・・と思いきややっや!!あっと驚くなかれ、

さらにこの川と16号をわずか2、3百メートル下った史跡・有形文化財である‘石川組西洋館’では、近年‘日向坂46’のPV撮影が敢行されて、そここそが、新たな“聖地”になってしまった。もはや、聖地巡礼のお遍路さんが絶えず、あちこちに巡礼者のブログやYoutubeがアップされているのには、嬉しくも驚かされる。

 さて、ウチの話に戻るけど、兎に角、夕飯時ときたらいっつも誰だか知らない人まで居座っていて、家族は4人なのに10人以上の人が一緒に食べていた。え゛!?只飯??いやいや、良きにはからえ苦しうないぞという大盤振舞う父ギンちゃんの頭領運的性格からそのようになっていたのか。。
 そーゆー湯水の如くの生活が少し凋(しぼ)んでからの数年。まだ濡れ衣返済も消化中でパッとはしない頃に出会した友だちには、それがフツーに見えていたんだろうけど。
 例えば、自分専属の先生つまり家庭教師が、ワンランク落ちて共有というかみんなと集団で行く予備校の講習になってしまうけど、講習に誘ってくる友人から見れば、都心への電車賃は学割が効かないから当然数倍かかる通勤定期か毎回切符+講習費もある。だから、それ含めてすぐ誘いにのる僕を“困ってる”なんて思うはずもなく実際そんなのは、すぐ行けたわけだし、その点を‘フツー’といえば友人と同じフツーかもしれなかった。
 しかしまあ、多情多感な時期の超突然のフツーって極めてきっつ〜い!んよ。その昔、女の子たちを誘っては、会社の運転手に道を任せて大磯で遊んだ日々・・。

 あの頃のロングビーチプールには、まるでプライベートビーチのような“海への秘密の出入り口”があった。小6のとき、プールサイドで‘キョーコ’というしなやかに、ヒップがポインと張った中1のバレリーナに誘われ、“秘密の熱い砂浜”を一緒に歩いたことがある。大人になってからそのプールを訪ねたら、海に降りて出たはずの門は、暗がりの中で黒茶色に錆び付いた大きな南京錠がグルグル巻かれていた。あの熱い砂浜は。。すぐそこに波音が聞こえるのに、、熱く遠い海。淡く甘味な夏の思い出が塩辛く去った。
 だからというわけでもないけれど、その後の1960年代後半という時代は、僕にとってやはり普通じゃなく‘ややきつ‘真っ只中だった気がする。

 突然“ひょうたんツギ”が降ってくる!それは、手塚治虫の作品の随所に出て来るヤツ。ナンの話かというと、伊東、じゃなかった冬の熱海の豪華ホテルの時だった。トイレの壁に、それらしきモノが設(しつら)えてあった。金属製の瓢箪型の物で、そのひょうたんの下からはホントに漫画そっくりガスが噴射されそうな口が空いている⁉︎と思って見ていると、父がニコニコして、

 「あサトリ、これはこーやって使うんだっ。」

と言って、ひょうたん下部に、父は濡れた丹精な手を差し出した。すると、

 シュシュシュリスホーーー!

と、ホントに“ひょうたんツギ”そのものだったので、僕はえ゛ぇ゛〜っとズッコケ笑ってしまった。父も高がトリセツ実演⁈が、なんでそんなにおかしいんだと思いつつも釣られて大笑いした。けど、その方’ひょうたんツギ’を知ってのことではアルマジロ!?これって、今でこそよくあるけど、ジェットタオルマシーン初体験でしたよ僕は。。ところが、半世紀を経て、あのマシンは回りに水が飛散するからと箱型になり且つ低位置にセッチーされるようになっちゃって、超〜う使いにくくなったとは思いませんか??さらにデスよ、菌・ウィルス飛散防止のため使用禁止中のところも悲惨‼︎
 ・・おぉう、それにしても伊豆高原。夏の伊東のあの娘たち。一緒に温泉に入った白肌の天使たちは、いったいどこから来て何処へ消えたのだろう雲散霧散。すべては、硫黄の白濁する熱い茹で卵臭が妖しく漂う湯煙の中に、想いばかりが纏綿を繰り返す、か?ーーそれにしても、湯ケムリが、なぜ甘い???

           
  しゃんしゃんしゃん

 湯殿の水音でなく、僕の耳に鈴の音が響き渡った。続く手拍子けたゝましく、眩しい裸電球の束。。ーーそっっか。ごった返す人通りに紛れて様々な記憶が込み上げてきていたんだ。。人混みのドサクサ、浅草の参道。
 恐れ入谷から来りゃよかった。ボンヤリ浅草寺、花屋敷を抜けて、いつの間にか僕は、温泉の夢見心地のさ中のまま危うくも言問通りを突っ切っていた。ーーしゃんしゃんシャンシャン聴こえても未だ夢の途中だったか酉の市。手拍子の近づく中、ボウーッとしている僕。のぼせてるのか。湯槽の沸き立つ白いイメージの中にいた僕。湯煙に覆われて見えた、あの夏の朝延びたばかりの青草のような白肌は幻か・・と感じ入ったその瞬間、イオウが薫っていたはずの乳白色の湯けむりは、目の前に迫り来る白肌の先にある甘酸っぱい湯気に豹変した・・

         5

僕は、まだマフラーを巻いていなかった。この日は、夕方を過ぎると急に寒気が降りて来たらしく、僕の肩が一瞬ブルンときた。そのタイミングで、僕のカーキートレンチの右肩を誰かがポンと叩いた。
 ーー振り向くと、白肌のきれいなお姉さんが笑ってる。え? 目線ロックされた感・・。恐るおそるというか、目ん喰らってつい目を落とすとグレーっぽいふわふわのショートブーツが、てゆーか‘ポン’の前に最初それが視界に入ってきてたような・・
 
 「ふっ、何ぼんやりしてるの?カゼひいちゃうわよ、はい!」

と目の前には白く細いキレイな指と仄かに湯煙の沸き立つ紙コップが差し出されている。。色白だけど、健康的な勢いに圧倒されるというカンジで、なんとなく受け取りはしたものの。と、キャンギャルみたいなお姉さんが、大鍋から沸き立つ湯気の方に戻ったとき僕は、紙コップの周りをつぶさに一周よ〜く見ていて。そこへ、

 「何してるの?口紅なんかついてないってばっ!」

とムンムン湧き立つ大鍋から戻りながら、

「さっきから見てたのよ。いいから飲みなさいよ。」

と微笑みかけてくる彼女。ーーへっ、そっか、

「ありがとう!」

つか、甘酒試飲のキャンギャルのわけないよなァ、飛んだ勘違い⁈その瞬間、なぜかすべてがあったかく感じられ、改めて僕は声に出す。

 「ありがとうございます。」

 黙って頷く彼女の笑顔。彼女もまた、自分のコップを、その美しい白肌がもっととろけたような白濁した甘酒を少しずつ傾けていた。脇では、景気良くしゃんしゃんしゃんが響いてる。温かな甘酒の甘さもあって、喉元から下顎、耳から更に後頭部にかけてポーッとしてくる中、僕の頭の中にくるくる言葉が回るまわるーー

  あぁ、なれよなれ♪日も暮れたし、鐘も鳴れ♩
  こーゆーことってありそうでもなかなかないよネ。
  てかでも、あったりもするし、ホラいまあってる!

でも、あって欲しくてもめったになくてでもこうして今、今のい、あまさにソーグーしているこの真実!っと、お互いコップを口にしている目線が合ってしまった!!また振り出しの、彼女の“ふっ”に戻りつあっやば、道往く人々にぶつかられながらも甘酒の甘っとろさも合間ってまだボゥっとしてるぅ!
 とまァよ〜やく現状を受け止めたというか合点のいってきた僕でゎあった。・・それにしてもあァな〜んておいしいんだァ・・菜々さんみたく明るくスポーティな雰囲気のお姉さんだけど。思いっきり長めの紺系タイトスカートにシルバーフォックスらしきハーフコートを羽織り。カモシカを思わせる足からヒップは“ダンサー”と直感した。なので、

 「この辺なんですか?」

ときくと、彼女の魅せられるような美しいソプラノの声、
「そうよ。聖天町・・ムカシのネ。」
と。
 聴いた僕の、すかさず
「あっ運河の方!?」
という反応に、おやっという顔の彼女 (・・?)

 「あらっよく知ってるわねぇ!今もうそんな町名じゃないのに。」
と一瞬メゾソプラノに落ちる声。
 「よく来たんです、昔、、」
という僕の受け応えに、彼女はまた、心地良いソプラノに戻り、
「あ~ら昔って、あなたのムカシって ‘ちょっと前’ でしょっ。」

ウッまずい、トシの話に直結する!
 と思う僕よか素早い回転の彼女が、思わぬ方向へと話題を変えてくれちゃった。透けるような超心地よいソプラノキープしたまま。
 「ネ、こんな日はやっぱ鍋!だと思わない?」
「ナベ??ですかァ。」
と他人事のように受けてる僕を無視(?)するかのように彼女、僕を抱え込むように、
「ネッ、付き合いなさいよナベ!」
と、白くしなやかな彼女の左手がいきなり僕の肩先を包み込んでいる!
「はぁ。。!?」
 と、シャネルに咽(むせ)びながら答える僕。に尚も熱く囁きが。
「どうせヒマなんでしょ。あんなぼぅ〜っと突っ立ってて。」

 くっ、そう言あれては返す言葉がなかった。。つか言葉どころか膝下ガクガクで多分、彼女の香りの中を漂う葦の葉先状態の僕は、ゆあれるままにキラキラ賑やぐ明るい門前を抜け、言問通りに出た。じき彼女は、慣れたカンジで活きのいい食材店に入っていった。

 裸電球の照かりに映え、よくパーマのかかったオバチャンがニコニコ応対している。松茸・シャブ用豚肉・小ネギを包んでいた。万札をさっと出す彼女。仕込んだ紙袋を僕に渡すとオバちゃん、
「遊びに行く前の腹ごしらえ??」
と、もう歩き出しているウチラに、つかむしろ多分お初の僕に、挨拶代わりに言ったんだと思う!?でまァ僕は笑って肩をすくめる程度の YES で誤魔化し照れ隠すっきゃなかった。するとオバちゃん、
 「いいわねえ!」
そーゆー声が、買い物袋(ダンボール色のしっかりした紙袋、昔はみんなそうだった)を抱えた僕の後ろを追ってきた。元気でカン高い声。。でもその一声で何か気が楽になった。この辺の人が、いいって言うんだから堂々と歩いちゃおうかなって、そんな気分というかな。

 夜のラッシュ時の花川戸、いわゆる松屋界隈

   “助六花川戸”

の河岸方向へとウチラ。北東風にのって運河が匂う!なっつかしい、とてつもなく。昔、てか子どもの頃は、もっと臭く感じた記憶がある。ーー

 「ネっ!」

 突然の彼女のハイトーンで、鼻感覚の世界に浸っていた僕の耳が反り返った。
「えっ!?」
 さて彼女、いきなり、
「なんかあったんでしょ。」
「はっ??」
 すると彼女、突っ込みは図星とみたのか今度は、奥村チヨのように片眉を吊り上げて、
「猿わあまり怒らせないほうがいいわよ。」
と、覗き込むように囁いてくる。ーー懐かしい運河の香りから浅草情緒に浸っていた僕は、いきなし現実世界に引き戻された感さえあって。ので、
「へ、あ、よくわかんないけど、その言葉、ココロに留めときますっ!」
「それがいいわ、きっと得するから。」

と一転、今度はピンキーのように、よしってゆー唇をした。
 それで僕は、急に思いついたことが口に出た。
「ところで。お姉さんお名前は??」
「オナマエ?、、な・り・み。なりみっ!」
なんとなく僕は、その語感から口籠もりつつも、瞬間思考の結果、
「ミリーナさん!逆さから。いいかなあ??」
と言った。
「ミ・リーナ!?・・うんいいかもラテン系。君専用ネ、ぁハハッ。」

 ミリーナの魅惑の高音が、下町の夜風に心地よく響き渡った。祝詞のように、どこまでも知らしめるよな心地良さで。。
 隅田左岸の木々。旧聖天町。ぁ、浅草区だった。。
 コツコツコツ。ツバメの胸元のようなショートブーツを履いたミリーナのダンサブルな足音。猪突猛進とか言ってたから、ぇと・・タツ 引く イノ イコール 5 で繰り上がって21か!? .. ミリーナもまだ若かったじゃん。

 それでも尚、DK1の僕にとっては果てしないとゆーか、盛り過ぎた綿飴宇宙規模の未知を感じざるを得なかった。ーー当然だかも。シャネルの仄かに香る、遥か大人っぽい彼女の背中に向け、僕ときたらあとあと転けそうな質問を投げかけた。
「あの、」
「はっ?」
「ミリーナさん、、背中に真っ赤な蝶とかあったりしませんよネェ(・・?)」
と。
 すると、都はるみのアンコが飛び出しそうな大口で、
「バッカじゃ中ノ島!?」
と一喝されてしまった!うほっ。。

 。。正面に大河が現れていた。
 隅田川。その視界を、ミリーナが左手に曲がった。すぐ、茶色く燻(くす)んだ建物が目に入ってきた。
 「ここよ。」

 目に迫った木立に響く、ミリーナのハイトーンの声。茶がれた色に成長した枝に葉を多くつけた蔦の這うビル。。ここが、ミリーナの棲家なんだ。
 表札には、古い墨色の字体で ‘式部’ とあった。それを見た僕に、
「‘しきぶ’ じゃないの、シ・キ・べ!」
とミリーナが囁く。
「そォなんですかあ。」
と立ち止まる僕を、促すようにミリーナ、
「寒いからさーさっ!」

 古びた鉄の装飾門を抜け、彼女のシルバー・フォックスの後に、買い物袋を抱えた僕が続いた。
 玄関前、右に階段が延びていて。左手は、ビルトイン・ガレージらしくてグレーのシャッターがしっかり下りていた。右の外階段へはのぼらず、ミリーナは、更に奥正面にある濃いブルーを基調とした菱形のステンドグラスが輝く茶色いドアのノブに手をかけた。ギギイギ。。
 
 中へ入ると、玄関ホールから仄暗く広い廊下が、まっすぐ続いていた。ミリーナに従って靴を脱いでいると、廊下右手のドアの音が聞こえたかと思うと、若い娘がサッと出た。
「お帰りなさいませ」
と元気に言うその娘は、19位の子で、今世紀ならその年の頃の二階堂ふみ、少し前なら ‘ウエトヤ’ みたいな娘だった。ジーパンに白のタートルの首元というか顎のかわいいこと!スリムなウェストにかけてはコットンピンクのエプロンが映えていて。。と僕が感心しつつも、ミリーナは、この子を紹介することなく、すぐに夕飯の手筈を伝えていた。ので僕は、当然メイドさんと合点した。それに言葉遣いからしても。
 話終わったミリーナは、
「付いてらっしゃい。」
と、キレイな白い手を軽くポンと僕の肩に添えてから先に歩き出した。天井も高く、広々とはいえ屋内とあって、先に行くミリーナの背後はシャネルの螺旋トンネルになる。艶々の廊下の奥には、昭和の洋館らしいレトロ茶色な階段が見えていた。
 ミリーナのダンサーらしきキレイなヒラメ筋(ふくらはぎ)に見入りつつ後に着きつつ、そのまま3F上のルーフまで上っていった。出てきたのも、こわいお兄さんではなく、ピンクエプロンのかわいい子と黒光る廊下と階段。プチベルサイユチックでマーガレットなコレットな世界に、なんとなくほっと和んだ感の僕。。階段途中の2、3階に戸口はなかったので、多分貸していて外階段を使ってるんだろうなと合点した。けどそんなこと、初対面でいきなり訊くのはルール違反と弁(わきま)えているので、フムフムと勝手に類推の世界。

 さてその3Fの上には、緑豊かな2LDKのペントハウスがあった。
 広いLDKに明かりが灯ると、向う岸に点々とある佃煮屋さんの明かりは一瞬にして消え、程なく明るく照らし出された広いLDKには、さっきの娘が現れた。1Fを素通りしてペントハウスへ通される僕は、どうやらVIPらしい。それが上客扱いとゆー暗黙の取決め(ルール)があるらしくて。ーーま、大川河岸を一望できるミリーナ姫天守閣へは、めったな人は目通りならん!というような。

 「さっき届いたタイがありました。」
と、ミリーナよりさらに若々しい声が、広いリビングに程良く通っていく。
 「じゃ、それを乾杯のグラスにまず添えて、ケイ。あとゎゆっくりやっていいわよ。」

  猫の踏みふみ
  ・・4回ふみふみふみふみ
  3回ふみふみふみ
  2回ふみふみ・・二階堂踏みィ

とゆーわけで、ピンクエプロンをしている‘ケイ’と呼ばれている、踏みふみした子・恵子さんが、シンプルなロイヤルコペンハーゲンの皿にタイ刺しをキレイに盛りつけている。炭酸にちょっぴり地酒を滴らせると、逆三角形グラスの中に透明な泡がキラキラキララ、上下に踊る、6の字しの字8の字に。
 ‘カンパーイ!’の声に紛れて、カラカッチンカラカラ〜という音が、広いリビングに響き始めた。それは、始動し始めのスチーム暖房の、乾いたコルクに置かれたオンザロックの音だった。カラコロと、オードブルの皿に盛られた脂ののったタイ刺しをつまんでいる間中鳴り響いた。
 日本橋界隈の料理屋にいるかのように、厨房が部屋の中央に有り、ケイがジューっという音を立てつつ料理に魂入れしていた。・・

 暖房の音とケイの料理が一段落すると、ボサノバのギター音が、端切れよく流れ始めた。
 「さあ食べましょう!」
とミリーナに促され、僕ゎいただきますっと開いた口にまっすぐトロトロ肉を運んだ。
「ホロホロッとおっいしい!」
と感激しつつ、ホイル焼きされた季節の旬松茸も、脳ミソとろけるほど美味極上!
 途中、不意に箸の勢いが止んだミリーナ、まるで聴診器を休めた女医さんのような口つきで、
「ネ。君キミ、1つ質問!」
「え?」
左に座っているミリーナを振り返った僕に、
「今キミ、どこにいるわけ??」
ときた。
 するとケイも、一瞬聴き耳の動きの上目遣いになったのだが。なので僕、
「あ、着いた時電話しといた。」
 そしたらミリーナ、
「?とゆーと??」
となったので、浅草じゃないという説明を、僕は披露することに相成りまして。

 実は、うちの高校に、隣接学区から来てるヤツが1人いて、通学に2時間近くかかる。だもんで学校近くに、下宿を決め込んだってわけ。ところが、‘運良く’へやには電話がなかった。で、皆困った時は、そこに泊まっていることにしてるってことなんさ。。最盛期には、なんと10人も泊まってることになってたり。いくら広めの6畳だとしても寝れるわけがない!が実際覗かれるわけでもなし、いわゆるダブルブッキングの2乗3乗〜6乗ということですよ。
 けどまあ、実際学園祭の時とかは、ホントに帰れなくなったか部室も満杯だかで、2、3人は、事実泊まって騒いでたというし、有益性は有意であったかもしれないネ。で、フフ、ちょっと興味を示すミリーナ、
「あらそうだったのネ。ところでその、どーゆー子なのかしら?」
と。。
「うん、なんでもジャンボ機の機長になるって言ってるけどっ。」
「カッコイィ!」
突然、珍しくケイが話に喰い込む。右肩上がり言い値放題運賃のJALが、JALっちゅう“J”がつく会社が解散の憂き目を見ることになるなんて、誰1人として夢にも思わなかったお伽話の時代だったからネ。ーー後年、ANAだったか記憶も曖昧だけど

 『機長の森田です』

というアナウンスの声に

 “あれ?”

って思ったことが一回あった。しかしなァ、もう下の名前忘れてしまってたし。けど声がマジ・・。でもまさか、こーゆーヤツか?ってわざわざスッチーさまに確かめる勇気わかなかったわ。。ひょっとして、アイツのフライトに、僕は1度だけ遭遇したのかもしれなかった。

 シャブ肉で鱈腹になり、僕にとってはそれこそ、突然降って沸いた楽しい夕食が終了した。へやにはまだ、セルメンやジョビンの奏でる心地良いボサノバのリズムが流れていて。。
 暗がりに面した広い窓辺には、スタインウェイの茶色いグランドピアノが置かれていた。それが、東側河岸方向への音の広がりを感じさせ、時がゆっくり華やぎ流れてく。窓辺に向かって延びる、15cm離れた2段のレッスン用平行バーが、遠近法的に収束していく奥行感!さらに向こうの暗がりには樹木が秘そみ、葉蔭の下方は朽葉色した庭・通りを隔てて大河が横たわっている。ーーこんな時もあのニュートリノは、ダアァ〜っっっ、夥(おびただ)しく降り注いでいるはずなんさ。。そう!元はといえば、その‘ν’のために今、僕はここにいるんじゃん!?

 「恵子ちゃん、あしたは9時過ぎくらいには朝食お願いネ!」
と言うミリーナのソプラノで、僕は我に返った。
「ご馳走さまでした!!」
と言うと、ミリーナが優しく笑みを返してきた。勿論、恵子さんも笑顔で答えた。
「キミはわたしのベッド使っていいからネ。わたし、下行くから。」
と言い残してミリーナさんたちが、階下へ消えていった。ーー突如、ペントハウスに1人、残されてしまった。

 ・・だだっ広いLDKの西隅には、程良い広さのミリーナの寝室があった。その、ピンクと茶色基調のへやは、僕を落ち着かせてはくれたのだが。つか、
 それよか、ふわふわのピンクの毛布に潜り込むと “えっ!?” となってん。。そりゃ当然ながら、ミリーナの残り香かおる悩ましさとガチもろ対峙したわけっしょ!で、だんだん目ェ覚めてくるワァ、宇宙にキーンと1本糸が張ってるカンジっつうか。。ももんもん。

  夢。。幻。。
  まぼろし?ゆめ???暫く意識がふらフワさ迷いつつしてると、

空耳か?真鍮のドアノブが カチッ と鳴ったような気がして!?と、エッ、ホンのすこしの隙間から小声が、、

 “寝ちゃった??”

?ミリーナさん??
「起こしちゃったらごめんなさい、やっぱ。落ち着かないワ下じゃ眠れないっ。」

 で・・クレージーピンクのガウンをさァっと茶色のドレッサーチェアに投げ掛けた。
 ブルーの下着1枚になったミリーナの肢体が、僕の横たわるベッドに腰かけてきた。そのままミリーナは右を向き、びっくりしている僕の顔の脇に右手をついて、やさしく見下ろしてくる。。へっ。どうしようにも、反応の用意のない僕を見つめ、

 「ふっ。」

と微笑んだミリーナのロンゲの毛先が、僕の首をくすぐった。そうでなくても既に、ミリーナの香りの宇宙の中にいてた僕は、更なるブラックホール・香水の渦の奥深くへと入るやミリーナは “やっぱここで寝るっ” と言いながら、右手を挙げたかと思うと、ダンサーらしい敏捷な動きでさァっと僕に、半身覆い被さってくるではないか!?のみ込まれる・・あとはもはや、すべてがミリーナさんだった。。最初倒れかかってきたときの、ラファエルの彫像のようなミリーナの青いスリップの絹のスベスベ感に包まれた、溢れんばかりの乳房・きめ細かく美しい首の乳突筋だけが、いつまでも一生記憶に焼きつくほどのものだったということだけが確かだった。。ゆめ?
 まぼ・ろし?
 幻?夢??

 ・・目覚めると、ミリーナの熱い残り香の中で、僕は半ばまどろみつつ、ウェーバーかなにか、軽やかなピアノ曲がドアの向こうに響いていた。ミリーナさん、朝のバーレッスン中ぅ?なのかな。

 昨夜丁重にもてなされたLDKへのドアを開けると、さァっと差し込む朝陽の当たるバーの端に、ピンクのガウンが掛けてあり。さらに先では、ペールピンクのレオタードのミリーナが、すっとキレイな足先に向かって、手も足も白い手のしなやかな指先もが、外の樹木や河岸を宇宙の果てまで真っすぐ伸びていくような、斜め一直線の美しい構図を形作っていた。21世紀なら、オペラ座の踊り子八菜(ハナ)さんを彷彿とさせたネきっと。
 バーレッスンを終えたミリーナが、床に座り際、僕に気づいた。ゆかしなつかし第一声、

 「あなたも来なさいよ!」

と誘われた。最後の仕上げの柔軟、猫のストレッチを2、3分だけ付き合わされたけど、それだけでもメッチャ気持ちよかったぁぁ。
 ツーカーテンポで、今朝はキュートな赤いエプロン姿の恵子さんが、モーニングの用意を始めてる。目線が合うなり、
「おはようございますっ!」
と僕に微笑みかけてくる。
 朝食は、夕べのような汁ものではないので、厨房カウンターではなく、スタインウェイピアノの脇の南欧風の白い丸テーブルに、クロワッサン・ベーコンエッグ・ブロッコリーキャロットサラダが用意されていた。
 サイフォンからは、香ばしい湯気が立ち昇っている。サイフォンのツブツブ音が止むと、窓外から斜めに射し込む柔らかなひかりのなか、

ポポポンポン・・

遠くの水上船のおとがポポポポポンポン流れている。さらに、ガラス越しにテラスの木の葉の微かな音?見ると、グレーの尾の長い鳥がこちらを覗いてる。その後ろを掠め飛んでくは都鳥か。・・・
 超かぅわいいウェッジウッドブルーのコーヒーカップに注がれたコーヒーを、一口飲んだ僕は、
「あっっこの味!」
と思わず口ごもった。
「え?」
と言うミリーナの、ストレッチをした朝のすっきりキレイな笑顔に、僕は興奮気味に “不思議の森のレストラン” のことを話した。

「ーーそうだったの。じゃァきっとこれ、お父さまのその味に似てたのネ。」
「うん。」
「でももったいないわねぇ。そーゆーカンジのレストランて、多分これからよね。」
と言いつつミリーナは、キレイな白い指でこんがりクロワッサンを3分の1ほど千切ると、さっとコーヒーに浸し、キリッとした口元へ運んだ。僕も真似した。で、
「おっいしィ!」
と叫んだ僕は更に、
「コーヒーの賜(たまもの)!」
と付け足した。とミリーナは、
「あらパンよ。」
と言いかけつつも、点てたケイの手前もあってか、慌てて、
「勿論コーヒーのおいしさもだけどっ!」
と。すると、ここまで淡々と仕事をしていたケイが、ちょっと口を挟んだ。
「あの。也美(なりみ)お嬢様のお点てになるコーヒーは、それはそれはおっいしいんですよ!!わたし、そのやり方従って淹れてるだけですから。一度点てて頂くといいかもなす!ですよ。」
と、僕の目を見ておかわりを注いでくれながら、そのようなことを言うものだから僕、

「それってい〜いカモメ。」
と。ここで、すかさずケイが、
「そぉ鴨川。」
「え!?ここゎス・ミ・ダァ!」
「スンデない!まだこの話。」

 年下の2人の、思わぬ話の展開に呆れたミリーナは、
「ふっっちょっとあなたたち、六区(今の浅草ロック辺り)のどこかの前座のオーディション通るカモミール。」
「え!それなら “ケイとサトピー” さんでイキましょうか。」
とケイが舞い上がった。ものだからミリーナ、
「名まえからかっちゃダメよケイ!でも、かわいいワネェ。‘ミリーナ’と同んなじくらいグッドな命名カモミリーナ!」

と一瞬吊り上げかけたミリーナの眉は、ゆっくり柔和なほほえみに戻っていく。
 それにしても、かわいい娘は得だね。化粧前でも、ほぼキレイな眉ラインのお姉さんだもんネ。なまじストレッチゎやってあいネ。。ととと、
「そうだ!!わたし、今日ゎそんなゆっくりもしていられなかったんだ。お稽古見るんだった。」
「見るゥ?」
と僕がきくと、
「シドー、指導!」

 要するに、夜のショーダンサーの昼練習で、インストラクター&振付師。日舞も。で、特に今日のは、高校の音免持ってんのに音響さんやりながら作曲の勉強してるというどっかの兄ちゃんも来るなのだとか。ミリーナから、
「・・てゆーかさァ、‘サトピー’ あなたも学校、遅れても行くんでしょう!?」
「でもホントに、そのカバン置き作戦、うまくいくのかしら??」
「1回目だから絶対イケる!」

 ミリーナとの会話は、片付けに入っている厨房内までは、流石によく聞こえないらしくて、控えてる恵子さんはワケワカメ、ポカンとしていた。
 さて、ミリーナの支度を待つ間、僕は僕で、恵子さんの案内で、2つある1Fの広い化粧ルームでそれなりの支度を整えつつ、ミリーナが降りてくるのを待っていた。
 高い天井に灯る、白い華のような電燈に照らされたツヤツヤの階段を、ミリーナが降りてくる足音がじき聴こえてきた。ので僕は、恵子さんに、
「お世話になりました。」
と声をかけ。
 で間近に来た、ブーツを手に取るミリーナを、改めて見ることになった。
 ーーホールに立つミリーナの芥子色のトレンチコートに黒光りするブーツ。ヘアは、右から左に敢えてアンバランスにまとめ、右耳の上方に銀とプチダイヤの髪飾り。思わず、
「カッコイィ!」
と溜息混じりの僕でしたが。ミリーナは、サッとスマイル、
「お・し・ご・と・よ!」
と優しくあやしてくる。
「まいった!おじゃましましたァ。」
と僕が照れ返すと、ミリーナに、
「ノゥノウノンノン、いつでも歓迎よ。さ、ちょっとその辺までご一緒しましょっ。」
と外へいざなわれた。
「恵子ちゃん、戸締りはキッチリね。」
とミリーナが振り返ると、この娘しめる時はシメるんやなァというカンジで、
「心得ておりますっ!先生もサトピーさんもお気をつけて、行ってらっしゃいませ!」
と、彼女のジーパンのヒップラインのような、きっぱり爽やかさで言い放った。

 鉄門までの、季節感溢れる朽葉色した土。。ミリーナビル東部分の河岸側ベランダにいるらしい、遥か3Fの住人(2・3Fは各々商社・会社さんに貸しているということでした)の、いかにも景気のいい話し声と高らかな笑い声が、庭の深い樹木を越えて伝わってくる。。そーゆー時代だった。
 戦後復興の象徴としての東京オリンピックを4年前に終え、更に2年後に大阪万博を控えた東海道メガロポリスインフラが一気に構築されつつあった、限りなく右肩上がりの時代の賑わい。このカンジ、ギンちゃんの会社、少し前のウチと1つの違和感もなかった気がした。

 今朝は、一段ときれいなお姉さんになっているミリーナと2人で、言問橋からリバーサイドを南に向う。バーレッスンのアン・ドゥの名残りの語感のまま “アイドルを捜せ” を不意に口ずさむミリーナ。今日ダンスに使う曲なのか?ミリーナの中高音・美しいソプラノは、風と波に拐(さら)われて遠くへ抜けてゆくような、河岸独特の心地よさをもって僕の内耳をやさしく撫でた。ーーこの星で最も美しい河岸!隅田左岸、大川西岸。そして東側上流に向って、右岸には高いと呼べる建物は1つもなく、江戸歌舞伎からの世話物・人情噺の舞台を飾る背景と露も変わらず川向うが見渡せた。
 その昔、悲しいことがあった右岸。きっとそこには、スカイ(天)にも昇る大いなるツリー(樹)という鎮魂塔が、いつか建たねば。。
 水上船の着く吾妻橋の袂まで来ると右に曲がり、松屋前の地下鉄入り口で別れた。階段を下まで降りて振り返ると、ミリーナが ‘ずっと 恋人のように’ まだ立っている。お互い手を振り合い、、。
地上の光の中に浮かぶミリーナってなんて素敵なんだろう!コルコバードのキリスト像ぃいやそんなもんじゃないな。

 !ダンシングクイーン・ミリーナ!

 で一瞬 ‘?’ みたいなことが2つあってーーそれはね、ミリーナが、階段を2、3段降りた所で囁いたこと・・『あなた・お花畑の香りしたのよ・ネ』、その言葉に僕が反応して‘え’って振り向こうとした時には、僕の耳元にミリーナの柔らかな唇がチュッとしていて。地元の人目があるかも、で2段降りたんだワきっと。ミリーナさんやっぱ大人かも。それにしても、いつまでも響く耳元の感触・・深い深〜いエメラルド色に輝く聖水を湛えた愛の洞窟に小石をそっと投げかけたような、そんな音でした!

地上の光が差し込む地下鉄浅草へ

  第 3 章

     1

都心から下りに乗ってすぐ、受かったけど結局通わなかった準名門の私立進学校が見えてきた。
 偏差値だけではない何かを求めてか、僕は敢えて古い公立高校へ進んだ。偏差値=入学までの知識(中学生)??そーゆーのはまァ、‘要は知ってる知らなかった’のクイズ選手権の役にでも任せ、僕はもっと創造的で深く広いものが、僅かの偏差の中にあると思ったのか。。僅かの‘ゆらぎ’、ほんの‘あそび’。
 それに通じる話として、梶田先生は、ウチラ高新聞・放送部共同インタビューに答えて、こう発言している。

  ーー『英語と社会科をしっかり学びなさい。』と、そして勿論、『自由な校風を活かしてのんびり学ぶように!』

とも。
 かくなる私は、文系クラスだったことプラス、受験大学が毎年指定科目を変えてきたので、倫社・政経・地理・日本史・世界史など社会科全科目を受験科目として取る羽目になり、で先生と同じく理医系に進学している。
 
 中3のときに両高校を見に行った時の、僕の忘れられない光景は以下の通りだ。ーーまず、都心の進学校のことだけど、教室の外の樹木越しに授業風景を校庭側から見ていたら、6限が終わると、マジ数秒でカバン抱えた生徒が出てきた。つまり上履きなし。教室の、校庭に面した出入り口は非常口ではなく‘通用’だったのデス!だからいきなり出れるんだワ。ま、まるで予備校みたいにさっさと歩き出て、多分そのままホントに予備校の補習に急いでるのかも。。サッと帰れて良いように一瞬見えた、と同時になんともいえない世知辛さも漂っていた感。
 一方、正門に‘大いなる木’の高校の方はというと、見学した日の帰り、ちょうど近隣の人たちの下校と重なって、その生徒たちの生の話題を盗み聴きすることができた。電車の中でも傍にいて。すると、座席では、さっさと宿題を片付けてしまう姿に、多少の世知辛さはあったものの、その後、

『ウチ帰ったら‘時代(‘コース’と並ぶ進学雑誌)’の付録小説読む!』

て明るい声が。

         2

 昼近くに無事!?学校到着!
 男子高ウチラの同じキャンパスの中にある、男女共学の夜間部‘定時制高校’は少人数なので、ウチラの3年生の教室だけで事足りている。なので、昨日置き放した僕のカバンは、そのまんまの形で在った。
 はっきりそれとわかるようにとゆーか、登校後ちょっとカバンだけ置いて廊下へ出ていってしまったかのように、机上に多少雑に置いといたのが功を奏し、出欠のとき誰かが、

「トイレ行ってるみたいっす」

と推測的出任せを言ってくれちゃったらしくて。ホンナンで欠席にはなっていなかった。
 但し、勿論ホントに席に着くまでは、‘校内出歩き中扱い’につき、コマ毎の‘欠席’、という所謂“サボり”、そんなカンジ。(ーーだけどっデス!これには後々‘オチ’があって。修学旅行の時、朝バス集合時、誰かが今回と同ンなじカンジですぐ戻るだろうと“いるよ”って言っちゃって。さて僕は、モ抜けの空のパーキングを見て唖然、、奈良で置いてケボリを喰らった、へっ。こーゆー親切はやっぱ、T.P.O.に依りまんなっ。)
 さてっと。ーーだもんで、

「‘モーニング・サービス’でもゆっくり食べに行ってたのか?」

と訊いてくる奴には、“そうだ”と答えておいた。・・かわいいウェイトレス‘ローザ’の笑顔が浮かんできて、なるほどそれもアリかって、そいつの解釈に感心しちゃったり。で、4限遅刻で、5・6限はバッチリきいた!
 というわけで無事1日?終了!!
 喉も乾いたしか、ブラ②っと廊下の階段を下りてると、下からもの凄い勢いで別のクラスの、チックガトガチオールバック・ヘアの関君が、バスケのドリブル突っ込みみたく駆け上がってきた。で、

「アレ!?きょう居たっ??」

といきなり訊かれたので、口から出任せ、

「ちょっと飲みに。」
「飲み!(・・?)ナニそらァ。ダメだそらァァ!」

と叫ぶように、そのまま猛攻撃のドリブル勢いで階段を駆け上がってっちゃったワ。。だって、“酉の甘酒で釣られたんだからウソじゃネーデ!”と、今度は、上から雄叫びが追ってきた。振り返ると、階段上西日の中に、ライオンの鬣(たてがみ)が光ってる。大間だ。
 追ってきた大間と共に、下りきった踊り場に射し込んだ光のスポットを過ぎてしまうと、廊下全体は廃屋のような薄暗さだ。ーーこれ、1年生のいる旧校舎ならではの光景。そこ歩きながら、夕べの顛末の一部を話したり。。で、

「・・あったのか!?」

とゆー一言に尽きる大間。ーー廊下の暗がりのせいもあってか、ミリーナのペントハウスの夜の庭の暗い広がりや河岸の黒光りが不意に込み上げてくる。ぁ、ニュートリノが降ってくる!僕ゎ一瞬めまいみたく。フラッ。。と、肩にパ〜ン!&耳もとへ突然の言葉、

「いろいろあることは幸せなことよ。」

ドーンと暗がりに目立つ白衣!以前、人の話を保健室のカーテン越しに立ち聞きしておきながら、そのまま人生相談にのってくださった保健婦の木村まつえオバちゃんだった。びーっくらしたぁ!何も言ってないのに。。そんなこと、ベテランには全てお見通しに決まってらあか。不意を憑かれ我に返ったとき既に、ダババッとした白衣は笑いながら保健室へと消えていた。ーーと更に今度は、薮のような真っ暗がりの廊下どん詰まりの前方奥から、いきなし別のもう一頭のライオンが雄叫びを上げてきた。

「あっ永友君、出席気をつけてネ!あと1回だよ休めるの。」

と言い言い通過したのは、親切な美術教師の大沢寛先生であられた。
 そもそも、この学校って音楽も美術も、芸術系の先生って代々最高峰・東京芸ジツ大学出身の先生しか赴任してこない。だからこそなのか、毎年、音美両学科共1名以上合格者を出している。ウチラの学年でいうと、最終的には、なんと採らない年度もあるという募集定員たった2名の指揮科に合格者が出た。まぁ公立の普通科進学校で、東京芸大に毎年コンスタントに各1名づつ合格者がいるって並みではなかったよネ。だから、『芸術系に関しては名門校だ』といつも大沢先生は、胸を張って言い続けている。
 いやそれにしても、優しい先生だぁ。と思っていると、大間の奴、いきなりUターンした。

「俺、絵ェ見てもらってくるワ。」

と。ーーライオンの親子が、斜めからの西日でサバンナ色に燃え立つ光の中へ消えていっちまった。
 大間というのは、いずれさっさと◯◯褒章を賜ることになったシロモノ。しかも、ここだけの話、大間の奴一度この僕をモデルにして“17才の肖像”を完成させたこともあったりして。自宅の自室の、緑色のソファにもたれる僕を前に、

『オレは土着民だ。オマエには何かある。宇宙人だ。』

とか、ブツクサ唱えながら絵筆を走らせていたっけ。ところであの絵、今いったいどこに??値は!?さて。。
 前方は真っ暗な行止まり。勿論どん詰りの暗がりをこじあければ、そこに広〜いグランドがあるにゃァある。けど僕は、ターンして帰ることにした。

         3
 
 僕はカバンを取ると、まっすぐキャンパス西のジュラ門(正門)に向かった。・・ジュラ紀のような太古の大木が鬱蒼と垂れ込めた校門。門の脇奥には、公立高なのに、絹と石炭の時代からの遺物でもあるなんとも美しいチャペルが青黒く燻(くす)んでいる。写真を見た女の子はみんな言う。

 「あら、どこのミッションかしら??」

って。こんな公立男子校の光景って?マジ・アンビリーバリィヒルズ!!

 と、敷石を思いっきり突んざく轟音!ZAZAZAZA ZA〜ッ。いきなり迫りくるブレーキ音。大層なクルマが突如、ジュラ紀様大木の下で急停車した。

「乗れよ。」

とドアが開き。見ると、唯一僕と小・中・高・大(?)同ンなじで、おっそろしく制服がサマになってる山脇先輩だった。関君のバスケ部のキャプテンでもあられるし。
 で僕が乗り込むと、左右の安全確認をキッチリしつつ、ブオォォ〜ッと大いなる木のあるジュラ門(正門)を出た。一瞬背中にGがかかり、ベルタワーの辺りまで真っ直ぐ駆け上がった。ーータワーの鐘が鳴り響く♩

「4時だな。。元気か?」

フロントをちゃんと見つめたまま、先輩がきく。

「はい。」
「そうか、そりゃぁいい。ところでおまえ、帝大か?」
「へ??旧帝大系ってゆーか、やっぱノーベル賞大学ですかね。」
「ほうぅ。じゃ京都か。」
「はい。」

 先輩は、少し考える風のあと、遠くに信号を見たか、ギアを一段戻してから、やや力強く口を開いた。

「やっぱり自由な学園だな、ノーベルプライズってのは。甘くないぞ、今からやっとくことだ。」
「はい、こころに留めときますっ!ところで山脇さん、まだバスケやってるそーですねっ!!」
「え!?」
「言ってましたよ授業中、化学の先生が。学祭終わってんのに、まだ1日おきくらいに部活来てるヤツがいるって。それも、微笑ましいカンジで仰言ってました。何でも一生懸命やるといいって、ボソッと。すぐピンときましたよ!先生に見込まれてんですよセンパイきっと。」
「そっか。ハハ、でも決して真似するなよ。」
「へへ。あっもうその辺でいいですっ!」
「おっ“ダンディーダ”か!シャレたた名のカフェだな。おまえも3年なったら免許取んだろ!?」
「はいっ♩ありがとーございました!」
「おぅ!」

 ・・白スカが、排気音をブブブォーンと掻き鳴らし、後方に蔵造りの立ち並ぶ灰色の古い街路を、16号方面へと走り去った。

 濃いガラスドアに人影。カフェ“ダンディーダ”のウェイトレス‘ローザ’が、丁度、通りを眺めていたようだった。そこへ入るなり、

「送ってもらったのネッ。」

と頬が若々しさの特徴で少しぷくっとはしてるけど、スリムな肢体のローザが、ローザ・ピンクの超ミニワンピースに黄緑色の長めのエプロンをして、僕をニッコリ迎え入れてくれた。
 
 ドアから右側にカウンター5席、左には、かわいい白の丸テーブル3コとド真ん中にジュークボックスがトグロを巻いて(?)キラキラ輝いてる、そーゆーカンジ・・今からはとても②レトロな店内。ローザが、

「車通学オッケーなんだ。」

と訊くので、

「オッケーてゆーか、まァ生徒を信用してんのかな。」
「へえ。」
「だって、バイクすら禁止の学校もあるっていうからさっ。」
「あ、それ・・あったあった。八王子かどこかの高校、2人カーブ曲がり損なって崖下転落したって。その煽りかも。。」
「だよネ。けどウチラ、そんなムリしない。校風っつうか、のんびり改革して来年度かその次くらいには服装も自由にする闘争始めようか、まだ考え中の段階。」

 それを聞いたローザの目が、反転したかのようにクリッとして、

「えっ!?じゃもう、制服要らないの?」
「それがさっ。めんどくせえから自由なら制服で来る!って半数近くが言ってた。」
「へぇ。。じゃあこーゆーのはどうぅ?通学する時にはいいの着てきて、学校に制服置いといて着いたら着替える。それなら1日中汚れ気にしないでリラックス・集中できる!とは思わない??」

 それ聞いた途端、今度はこっちが目ん玉、トリプルあくせくして、

「え“ーへへぇ!さっすがオッシャレーな娘は、考えることがチゲーナァ!!」
「キャハハ。」
「ウチラの高校って公立のくせに、なんかおめでたい子どもとまでは言わないまでも、坊っちゃん系が多いんだよネ。改革もゆっくリズムで、気がつきゃ先頭行ってる。とまァ校歌通り、過激に走らず実につくって・・」
「は???」

 知るわけネッか!それよか、
「ネ、コーヒー、“ダンディーダ1番”」
「はーい!」
(注:実際、近隣の急激に走り過ぎた高校では、改革派が卒業して消えたのをいいことに、翌春には教員たちによって、服装は‘非自由’に逆戻らされたり。ウチラ、まるで遺言か公正証書のように文言をこれから何ヶ月もかけて取り付け、堅実な改革を成し遂げることになる。今の2年生が3年次に成す文言故恩恵無し。もの凄い自己犠牲の精神であり、話の発端だけ創って去っていった山脇先輩方はもはや神様だ!!)

 さて多分、2つくらいは上なんだろうけど、全然気ィ使わなくていいカンジのローザ。こんなウェイトレス、あとにも先にも会ったことがない。近くの道の反対側を歩いてる時でさえ気づいて、不機嫌な顔してたことは只の一度もなく、いっつもにこやか(^○^) 心身ともに健やかなんだろうな。
 且つ、こーゆーところでは大抵付きまとう筈の男女の駆引きもゼロで済んでいる。ってか、勿論魅力はあるニャァあるよ。ーー髪は軽いポニーテール位で目はわりとパッチリ系、口元脇には意味深な小さなホクロという。けど何とゆーか、コレもう口で説明するより会ってもらう他ないワナ。ほんと気が‘ラク’なんだよネ。単に愛想がいいとかいうレベルじゃない。
 
 テーブル席でコーヒーを待つ間、シルバーコインをジュークボックスにコトーン。キラッ。透明の氷砂糖のようなクリスタルボタン。

  S-4、J-6、A-3、
  ジーーーカシャカシャクッ。もう、最初にプッシュしたS-4のレコードが移動し始めている。
  C-5、でもう1回 S-4!

 コチン!中2曲“フランス・ギャルの夢見るシャンソン人形”(コレ今聴くとニコるんに聴こえなくない!?)と“ホリーズのバス・ストップ”以外3曲とも、オールブラジル66セルメンオンパレード。いつもい〜っつも新作出るたび真っ先、楽器レコードショップからLP抱えて帰ってくる金子先輩のモロ影響。いったいドンダケ小遣い貰ってんだか!?そーゆー僕も、実ゎ、母親の趣味からか文庫本代はお小遣いとは別扱いで全く制限がなかったんだけどネ。買った書店の領収証を持って帰れば、まるで小切手のように僕の財布の現金がまんま復元したからネ。
 ーーさァブレンド飲むこと4曲。軽やかなボサノバのリズムにのって、ローザの瞳も輝いている。旨んまいコーヒーを丁度飲み終える頃、5曲目の、

 “コンスタントレイン” 2回目ターン

が、ゆっくり始まった。そのタイミングで、そろり僕は立ち上がり、ジュークと同じシルバーコイン1コのブレンド代を置き、気分のいい曲中にトットと引き揚げる。これが1番!
 実ゎ、カフェインより安価メニューが1つだけあった。百円玉(シルバーコイン)1コでお釣りがあるっちゅう!けど、いくら高校生だからって、そこまでして通いつめることは僕はしなかった。・・ま、ブレンドといえど、その頃の時給の6割ぐらいしたのだから高価と言えばそうかもしれないけど。今のマックは言うまでもなく、21Cのスタバやタリーズに比べても高かった計算にはなる。ーーそれから、も〜う1つ、ここでの僕のルール!決してカウンターには座らない!でもいつだったか、テーブル3つとも埋まっててしかも、カウンターが5席とも丸々空いていたことあって。。仕方ネー、掛けた。初めて間近に見合ったローザと、おほほ。それがローザもニコッとしてネ(つか、笑顔はいつもだよな。マジカ感だよ。。その)で彼女、いきなりウフってカンジで後ろを振り向いたと思ったら、カウンター背後にある棚から何かを手に取ると再び、僕の方に向き直って、

「トランプしない??」

だってさ!ホンマカイナ!?・・であの時、確かにそのまま2人でトランプをしたのだけれど、いったいどんなプレイをしたのか、どーしても思い出せない。それよ何というか、ハツラツと癒され、更に何よりも1つ気づいたこと・モノ?があった。後ろのテーブル席の方には、通りに面したドアのガラス越しに西日が入って来出していた、そんな空気感の店内で間近に見るローザの口元・右上方にとても小さな意味深なホクロがあることに、その時初めて気がついた。その視線に気づいたローザがニコッと受け流す。さりげなく‘受け流す’っというのが、この娘の特技なんだと思う。ーーなんとも愛らしかった。・・まあそんな娘だった。

 ここで、さっきの山脇先輩の話に戻るけど。少し前、校内放送で呼び出されてて。なんでも、城址跡にあるウチラ高校のキャンパス外堀沿いに、いっつも同じ白スカがあるって、所轄署から学校に問合せの電話が入ったんだって。近隣住民が不審車両として110番通報したらしい。勿論、その道路は‘駐禁’にならないだけの法定幅を有してはいたのだけれど。

『学外通りに車を停めている生徒は教頭室に出頭のこと!』

という‘お触れアナウンス’と相成り。
 さて、重厚な壁の教頭室の前に立ち塞がる山脇先輩なのでしたが。。
 先輩は、詰襟をしかと正して、恐るおそる重いドアをノックした。。遠奥からの声を確認した先輩、そろり中へ足を一歩踏み入れると、顔色の濃〜い教頭は、所用のあるらしき生徒の顔を見るなり、

「ぁ君か。・・中に置くように、なっ!」

と、そう言い終るなり教頭、でっかい机に据え付けられている古びたスタンドに照らされた書類の束に目を戻してしまい、そのテカッたポマード頭のてっぺんがやけにツヤツヤしてみえた。

「はい!?」

と反射的に応えつつも、タイミングを外して固まってしまった、とゆーか。流石の山脇先輩も、その場に‘取り残されてしまった’カタチとなった。・・ポカンとした山脇さんに再び目を向けた教頭は、まだ居たのかって顔で、

「アレ、、君の自分のクルマか?」

「ぁはい。」
「生意気だな。」

 結局、呼出しの件て、それだけだった。目立たぬように外へ置いたら、却って目立ってしまった!という顛末なワケだけど。拍子抜けして、やっと、
「失礼します!」
と頭を下げて教頭室を退出した山脇先輩であった。。

 思うけど、この一件ほど、本学の校風を如実に物語っているネタってないかもネ!一言で言うと、

“ほのぼの”

他に表現のしようがない。奇しくも後々、外科の指導医で当ったDr.後藤田(山脇さんやオールバック関君のバスケの何年か後輩)も、全く同じことを、リンジツ(臨床実習)の打上げ飲み会のとき語ってた。ーー『ホノボノとしていた。』って。ああ全くドーカン!“ほのぼの”というのには良きことも勿論のこと、これから展開していくストーリーのあらゆる側面を含んでのこと!なのだけれど、ウチラ高ってやっぱ、その一言に収束するか。。

        4

 “浅草”から1週間が過ぎた。
 そーいえば、連絡先聞いといて、1週間も電話しなきゃ女の子は忘れちゃうって、誰か言ってたなあ。けどそいつ、女子大生限定の話だったかも?ま、いいや。丁度そんな時期だよけど、電話が鳴った。なんと、ミリーナから!
 1週間経つなぁと思いつつ放っといたけど、年上さんだから、こう‘鳴って’くれたのかも。

「あなたの‘ミリーナ’よ!何してるのサトピー?」
「え!?」
「だって私のことそう呼ぶのあなただけよ。だから言ってみたのよ、アハハ、ハハッ。」

 なつかしく綺麗な高音の妖しさ。一瞬にして甦る凝縮された艶やか匂いやかな、優しい指先の美しさ・かわゆいさ。初めて酉の境内で、沸き立つカップを差し出した、あのしなやかな白い指。

「そっか、あの。行きます!」
「は?」
「アレ!?きょう浅草行ってもムダ??」
「ふっ、いいわよ。」
「ヤッタァ!じゃ今からソッコーで行くぅ!着いたら電話入れます。」
「オッケイ!サトPの名付け親‘ケイ’にも分かるように申し付けておくわネ。」

と快活にほほ笑むミリーナが、受話器に間近に感じられた。その背後に、大河やあの庭の樹木越しのポンポン船の音や下町浅草の喧騒が、ボゥッと浮かんできた。
 そーゆーカンジで、お互いのいろんな都合があったりで、月に1、2回は会ったた気ィする。それでまぁ、連れていかれたところというのが、はじめのうちはその頃流行りかけたばかりのジュータンバー。これって、いわゆる靴脱いで上がるタイプのスナック。勿論ここは、ダンサーの力量発揮できるナイトスポットなのです!てか芸能人多しっちゅう。。‘六本木族’とか‘みゆき族’とかの流れから??で、じき目まぐるしく時代を映して赤坂・新宿の‘ゴーゴー喫茶’!これも、ダンサー・ミリーナの活きる空間だよネ。ミリーナの振りが始まると、女の子たちが何とか対抗してはみるものの、ミリーナよりダンスの上手い娘はひとりもいなかってん!・・まるで、台風ーンの目のようにウチラ、引っ掻き回しては去っていったのさぁ。。ーーま、そんなんで、’70年万博頃までこーゆーカンジが、断続的に取り敢えず続いてたかな。。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そうそう、あの師走の白バイを使った‘3億円強奪事件’まではあと半月かという頃。快進撃を続ける‘ピンキー’の『恋の季節』を、迫り来る18才のメリーホプキンがまさに討ち取ろうかという『Those Are The Days』・・思えば、ミリーナさえ若かった酉の市の頃。。

 ウチラ若い2人の真上には、1500光年の彼方から‘白色巨星・デネブ’が煌めき立ち、目前の水面では、対岸の佃煮屋さんの光が暗がりに波打ち映っていた。もう水上船が走っていない夜。だんまりの河。そのとき川面には、遥か宇宙からのニュートリノが燦々と降ってたのだろうけど。ーー時空を越える鉄剣さながら、トキオからアマゾンまでシュルッと地下水脈をコアを、燃えたぎるマグマをも抜けてゆく。ボーキサイトをウラン鉱床を純金の鉱脈を沈んだかつての大陸を、重水素の青と緑と泥色の混り合うアマゾンデルタへと一瞬に抜け。。
 おっとっとォウチラの腸内細菌の消化管やサバンナで草を喰(は)むシマウマの群れの背中をも素通りし、遠くジュピターのメタンの海を貫き果てはアンドロメダをもさァァーっと越えていっちゃうんだろうネ。

 そんなこととは関係なくてもあっても、僕の記憶には、あの夜空スバル星団や超巨星デネブが光りひしめく直下、大河のほとりでシルビー・バルタンは勿論のことクロディーヌ・ロンジエの『Love Is Blue』やジュディ・コリンズの『Both Sides Now』を口ずさむミリーナの姿が、確かにあるのだ。
 流れゆく歌。降りくるニュートリノの中のウチラ2人。冷たい川面にミリーナの細く強くオレンジな声・・そんな唄声が流れてたあの遠い日々。。
 そしてもっと寒い、冬のソナタへ響くにはまだ、30年余りもあった遠いとおい日。

 第 4 章

     1

ところで、とゆーか

 高校生活最初の冬がーー以後45年間破られることのない記録的大雪の冬。。

 忘れもしない激動のシックスナイン1969が明けて間もない南関東未曾有の大雪の日の朝のことだった。それは、大難を小難に変えてしまうという僕の流儀元年だった。

 ‘モーレツ’な時代の夜明け前、白バイによる史上最高のジュラルミンケース入り現金3億円強奪事件(未解決)のあの寒い冬。

 ‘“その日は早朝から大雪だった。 設立以来これから黄金の30年への裾野をゆっくりのぼり始めたその鉄道会社線は、大雪にも拘らず新宿都心をほぼ定刻通り発車した。
 
 若い車掌も運転手も、雪でお客さんが滑らないように かといって遅れないようにもと
いつも以上に気合を入れて職務を遂行する。ーーOhモーレツ時代の仕事人間!
  僕も同じく、気合い入れて駅に向かって慎重に歩き始めていた。 だが石橋を叩き過ぎたか
いつもの列車は目前で発車してシマッタ~_~; 実わそれって校門まで余裕で歩けるlast trainなんだ。

 さて1つ後の電車は、遅いんでガラガラとまではいかなかったけど、てか立ってる人がマバラ
という程度。かつ完璧JKゼロ!

   何事もなく10分が過ぎた。
   外は見ても雪、雪、雪ばかり。

 ウチラ高校の最寄の終着駅は出口が1番前の端にあった。だから一両目は混む。
早く改札を出なぁと思う一方、僕はある種神がかった直感的理由で、2両目の1番前の左側に座っていた。1両目と2両目の連結器は車両を繋ぐ連結器ではなかった。1両目と2両目でこれから始まる出来事というか運命を分ける繋ぎ目だった。

左を向けばいつもなら見えるはずの先頭車両の中が、車両間のわずかな隙間にも次々に飛来してくる雪でほとんど見えない。わざわざ首をひねったまま見ているほどのものかと、すこしトロンとしてるぼくの耳に、快活なOLさんらしい声が心地よく響いてる。

 それは、僕のすぐ右に立っている職場の同僚らしき男女2人連れだった。あとで考えるとこの2人、向いでなくこちら側でよかった。。OLさんは、きれいな細い指で軽〜く吊り革につかまり、オフホワイトのコートを着、こんな雪の日でも途中さえ気をつければ車内を颯爽と歩けるのか、雪よりも白いヒールの踵はやや高めだった。

 きれいにカールしてある髪はチェスナットのセミロング、いやロングがカールされてセミに見えたのか?きれいなOLさんは、大雪をもロマンに変えてしまうらしく楽しうに話している。同僚らしいスーツの男性は、うんうんと笑って頷いている。

 爆発的に女子高生が使うようになるホットカーラーは、未だ大々的な普及型が出る少し前の頃だったので、一生懸命夜のうちから巻いて寝たに違いない!よく巻けた、綺麗にキレイにちゃんと巻けてる!って会社で言われるに決まってる。。だから大雪でもルンルン、ヒールの高い靴で来てしまった!?
 
  けど、軽く手を置いているだけのはずだった

細く美しい指が、延髄からのショート指令で掌に食い込むほどの勢いで吊り革をギュギュギュイっと握りしめるその瞬間は、もう2秒後に迫っていた。

ぼくの耳は再び、OLさんの快活なソプラノにトローンとしていった。。 と 突然

"ドーンドゴゴゴゴオオゥ“という強烈な音と共に”ズシシィイイーン“という1回目の衝撃がまず来た。直後ガリガリガリガガガァという轟音振動が床か線路からか僕の体を突き上げようとする。

 反射的に僕の足というかつま先が力みつつ踏み込むように左を即ち列車の進行方向を向こうとし、思いっきり 首を回して直視した。ーー
 真っ白だ!それは大雪だからということではなかった。いくら大雪でも30cm前方の車両は完壁には霞むまいょ。な、なんと1両目先頭車両がそこに居なかった!えっえ”け“ッッッ!!いったい何がどうなったのか!?ーー3時空の2秒ほど前の状況を確認してみる。

 折からの大雪で辺り一面が真っ白なことは誰でも知っている。10分前に列車が通過したした線路は、どこが踏切の端なのかもわからないほど更なる新雪で覆われてしまっている。そこを一台の大型トラックが通過しようとしたのだが、前述の通り、線路と横断道との境も分からないほど、どんどんドンドン新雪が降り積もってくる。トラックは堪らずスリップする。一方、電車は当~然いつもよりやや速度を落として安全走行に務めていたところ、分厚い白雪のカーテン越しに何か大きな固まりを見つけ反射的に急ブレーキをかけた。

 運転手は必死にブレーキに手をかけている。トラックはトラックで、ドライバーが踏切脱出のアクセルを足先目一杯無我夢中で踏み込みつつ。
 双方の運転手は、最後の瞬間まで衝突を回避しようと試みていた。

  ーードドドーーンッ!!

この瞬間、双方の運転手共 重傷を負う。

 列車の前方左は、線路脇が一度ダウンした溝状部分があり再び盛土があり堤状に草地の土手が続いている。片や右方は、空地1区画を隔てて民家とアパートとそこにプロパンタンクが数本備え付けてあった。。列車は、2両目以降の強大な運動量が残っているので、押された先頭車両がトラックを引きづりながら右方へ脱線してしまった! さらに空き地のど真ん中を線路から全く直角方向にまでズレて走行し大横転してやっと停止した。

 脱出不能の運転席には、プロパンタンク数本が目前に見え接している。

 僕の乗っていた2両目はどうなったか?先頭車両が右にチギレた制動反射で、左側へわずかに飛びつつあった。だから前に車輌なんかあったはずもなく、ましてや もはや線路の上なんか走っちゃいなかったのだよ。状況は

、、状況はこうだ!先頭車両が横倒しになり多数のケガ人が出ている。その上に更に刻々と雪が降り積もっている。で残された2両目以下の列車の先頭に居て、今まさにそれらのことをハッキリ見知っているのは僕唯1人だけだった。この瞬間僕1人が真っ直ぐ目の前を見ている。白々広がる雪原を!

"小学校の朝礼後の行進を仕切るが如く、今おまえがこの列車の先頭に立っている。もはや運転手はいない!遥か右方で重傷を負って救出を待っている。勿論乗客も。しかも、割れたガラス窓からは容赦なく冷たく新雪が吹き込んできて、早くしないと凍死してしまう。そうだ、この列車はおまえ次第だ。誰1人として前を見ている者はいない。今しっかと雪原前方を見据えているのはおまえだけなのだ。“ーーそう、何ものかが僕に呼びかけた。あぁ白一色。億万銀杏ほどの雪が、大雪が、次々とテニスボール大に見えて迫って破裂する。が、見えたのは白ばかりではなかった。

 ・・恐ろしく急激な勢いで灰色の真っ直ぐなモノが見えくるではないか!

うおぉぉぉっ!僕の視界に渦巻くように拡大してくる鉄塔。そ、それは線路脇の灰色に聳え立つ鉄塔だろうが!だからもう電車はレールの上なんか走ってないんだよ!!3メートル、あと1秒もない!?

 こんな話がある。鉄のジェットコースターはつまらない、と。上下揺れだけで横Gが一定で面白くない、と。それに比べ木橋コースターは、構造物全体が計算不能なほどの揺れ方をするから上下振動に加え直進時でさえ小刻み不規則な横gまで体感できて堪らないと。なら今、砂利の上を走ってるこの列車に乗ってみろってんだボケ!
 第一向ってる真正面先3mに鉄塔がデンとあるなんて状況ないだろがよ!!いやもう2mだ。
 くどいようだけど、鉄塔は脇に立っているんじゃなく今まさに向ってる真ん前に迫っててあれっや1メートル・・ぅ 60センチ!!床は、敷石や砂利で突き上げる揺れと同時に大きく左へ45度近く傾き始めたギイイイイッッ!

  “力積って知ってる!?リキセキってほら、じき物理で習うとこだよ。‘力’掛ける‘時間’、F・t ってやつだ”  

 ソレが何ダカね!?
  “それこそが今から超肝心なんだよ!“

  エ ?ナニ⁈サッパリワッカンネーョ。依にもよってこんな時にヨォ!
 “つまりなぁ、この2秒前だかにだ、2両目てかそうだな、ま3両目以降が既に持っちゃってる E(エネルギー)は今さら変更できないっていう事実があるんだよ。

” ダカラそれが何ナノサってか それってアンタ、ナンなのさ!?

  “だからそれが大変だっすてんだよ分からん奴だなァ!ーーつまりだ。1両目は既に雪の中にドはずれちゃってる。2両目とて、1秒先か 0.1秒先か分からないけどいつかどんな形かで止まるだろう。それに必要なのが、今持っちゃってるEnergieと同等のリキセキなんだよ(ーー;)その時2両目には、さらに当たり前のことに3両目がしっかり繋がってるんだ!?!!で電車って遊びがあるんだ。2両目が止まっても3両目はまだきっと動いてる!?その連結器のわずかな遊びの分だけ撓(たわ)むっちゅうか・・もっとわかり易く言えば、そうだ!長〜い貨物列車の出発シーンを1度でも見たことある人ならすぐピンとくる。長蛇連結の貨物列車というのは実をいうと全部同時にスタートするわけじゃない。”

 エ“ッ⁉︎

”うん、先頭の機関車がスタートを切る。と直後、カシャカシャカシャシャシャッていう音が列車に沿って一直線にものの1秒間位の間響き渡るだろ。つまり、ユルキャラ連結部の遊びの部分を消化してからやっと最後部尻尾も出発していくんだよ。ま、運転手と車掌さんの出発時間は厳密には違うっていう相対性論理かね。だからってtime card押し直すほどの要なし、あいや、順次動き出すとゆーことは?そう、そのジュンジだ。

“ アノオ、ジュンジってイナガワさん?

”そう、その頃イナガワさんは女子高生御用達の爽やかでカラフルな下着デザイナーを始めたかどうかって頃だった。そもそもジュンジ出発とユーことは、同じように順次停止とユーことになるんだよ。“

 !!へ!?テコトワ、例えばモウ2両目が止まったのにそこへ3両目がツッコむって事??

”一概に言えないけど、だからこそこの遊びに微かな期待をしてるのさ。“

 アソビにキタイ?

”あァ。馬の止まり方ってあるだろ。時には前足をヒヒィンと高らかに挙げて止まる。オートレースでもアレやるヤツいるよな、アレだよ。“
 よくわかんないなあ。ギャンブルミケイケンだし。

“そっか じゃもう一回、力積。今から習うところで申し訳ないけど、こんなカンジさ。F・t をもって既に一定量あっちゃってるEnergieを止めるわけだから、3両目の t(時間)が増えるような力積の加え方、例えば2倍すれば力F は半分になり2両目への衝撃は半減する? そうもいかないんだそれが・・“  
  だって鉄塔まであと60センチだで!!
時間2倍されたら半分の力でも2倍時間押され続けるってたまんネーナァ!

軟着陸の余裕があればいいけど今は激突のさ中だ。じゃ時間半分にしたら・・ってだと必要な力は強烈な2倍に膨れ上がる!

やっぱ力は半分のままの方がいいよね。3次元空間にも心ばかりの抜け穴が用意されている。というのもそれこそが”アソ

ビ“なのさ。具体的には馬と同じさ。まるで大地からこの地球の大気に力を分散するかのように前足をヒヒィン。そ

うさ電車も前足とゆーか前輪がちょっとでも浮きゃいいんだよ!2両目に乗り上げない程度どころか、決して脱線せず再び

レールの上にちゃんと戻れる数センチ程度の浮上が理想的なんだけどね。これなら時間稼ぎは可能だ。2倍時間作用してるの電車は留まって上へ行くだけだし2両目を潰しにかからなくて済む!馬と全く同んなじさよし、それで行こうっ。

こんな地響きガタ揺れの中でそんなこと言ってんから見ろよ!もう鉄塔は50センチに迫ってるぞっ。気をしっかり持て、光を集めろ。生憎大雪だ。なら雪明かりだ。ゆきの白い光をたんまり集めて F・t 用の光の盾を創るんだ。あと百分の1秒以内に。

”おまえがやるほかない!”    ああやるよ、集まれ集まれ集中しろ意識を集中するんだあァ少し膨れて

きたぞ光が集まって綿のように膨れていく。床は傾きそれが幸いして線路肩の直角砂利に床が当って

制動できる!?けどそれはおっそろしい振動と轟音を伴うF・t だ。よし千分の1秒単位で制動が始まったぞ、やった!でも、うわああああああああ“っ。もう鉄塔まで30センチ!!もう駄目なのか

と僕は最後の瞬間をしっかと目を見開いた。。ダークサイドが一瞬忍び寄る。ーー

”ホラ モウツッコンデ オマエハオワル。デンシャハ、テットウデマッ2ツニワレテクダケテ サケテチリジリ タノシカッタオーエルサンモ ドコカマッシロナユキノナカニ トンデイッテシマウ、トドウジニワレタ2リョウメニハ、サラニ3リョウメガツッコンデクル・・“ 

  ‘ぅわっそんなの絶対ヤダア’

 身の毛がヨダった。

僕はは心底光の盾に集中した。目はしっかり見開いたまま床は轟音で張り裂けるように ゴリアゲ
鉄塔は30センチに迫り・・30センチ! あれ!?さっきも30センチだったデ、てことは?止まった??・・えっ・・止まった! 2両目は止まって 大きく傾いていた。
 この時点で僕は、全くの無傷だった。ようだ、しかし、、

       
    2

 兎にも角にも
 3時元空間はヽ(´o`;そんな甘くはなかった。つまりだ、

後1秒間の1つ目の苦難は、後続3両目からのリキセキなんだ。だって厳密には貨物列車で喩えたように3両目はまだこちらに向かって動いている!・・僕が祈ったように果して3両目は運良く浮上してくれた!おかげで多少なりとも大気圏へ力が抜け、外宇宙へのEnergie解放を果しそれこそ2両目に割り込んでくることもなかった。それでもやはり、いくらかの力はしぶとく壁を伝わって、どうやらガラス窓が吸収してくれたのだが。吸収イコールいよいよ割れ始めるのか!?

 というのも小学校とかで誰でも1度はボールで窓ガラスが割れる音って聴いたことあるでしょ。変な言い方だけど、ああいう面に飛びこむボールによる素直な音とはまるで違った。
 列車のガラスは、四辺から押され割れかけヒビが走る。厭がらせなのか、よくガラスの上をプラスチックとかで擦ってイヤ〜な音出す奴いるよな。例えたらあのカンジを十分太くしておまけにボリュームを千倍した、そーゆー音がした。キュギュイグギリイィィィ。四角ガラス窓が平行四辺形に歪み始めハジける寸前!車内は飛び交う悲鳴の渦と化す・・

 キュギュイグギリイィィィ。

 まだ止まる実感を得てなかった僕は、左を向いて前方鉄塔を見据えたままだ。が、向い側繋ぎ目のガラスが裂ける音と同時に、車両が傾いて思い切り吊り上がってるシートの中年婦人がツッぱってたけど、ついに足が耐えきれず剣道の気合い大声でもって‘面!’とばかり僕に突進してきた。これぞ2つ目の苦難災難。と言っても、いきなりじゃ、サッパリ分からない、よね。どーゆーことか?

 この状況を、身近の分かり易い空間で説明しよう。

 例えば、ドアを開けると左右両側にソファーがある部屋があるとすれば、左奥ソファーに座ってるのが僕の位置、で中年婦人は部屋右側 即ち僕のお向かいのソファーのなんとうしろの壁のてっぺん天井にくっついてる部分にしっついていることになる!?のだが、これこそ45°車両の床が傾いている状況なのだ。
 そこから一気に剣道気合い!!流石の僕も、その叫び声に振り向いた。

  “あっ!“

と思ったが手を差し出すにも全く間に合わない勢い。第一あんな位置から降って来るなんて、巌流島の武蔵以来じゃないのか!? 間違いなく、高校総体の第一戦に出られる気合だった。 ちょっと遅れて入学しましたとさえ申し送れば。。
 かくなる非常な状況故、僅かに肩より前に手が動いたところで婦人を受け止めざるを得なかった。

 もっとタイミング早ければちゃんと受けられたかもしれなかったけど、その僅かな違いで僕は背中にかなりの衝撃を受けることになってしまった。勢いづいた重みで、背もたれから窓への椅子のデッパリでT辺りのどこか(その時は知らなかったけど後に医学を修めることになり知った頚部上の頚椎C1〜7、胸椎T1〜12、腰椎L1〜7までの脊椎の真ん中辺のどこかT6か7辺りかどこかだったんだろう)をおもいっきり打ったようだ。

 ”イテッ“

と思うと右足にも何か硬いものが・・。  固くはなかった!  それは、か細い手で必死に吊り革につかまっている、あのOLさんのオシャレなオフホワイトのコート越しのスリムな足だった。柔らかスリムなはずの脚がこんなにも硬く感じるほどの勢いで、僕の右足を進行方向に押し続けていたのだ。

 考えてみれば、OLさんは吊り革と僕の右足の支えでなんとか止まってたってことになる。

 さいわい45度も持ち上がってる向い側ではなかったため、後ろ向きに落ちてくる災いから免れているのか??でもよほどの恐怖感に襲われたとみえ、暫くすると肩を震わせて泣き始めた。さらに更に4両目の衝撃は、ある程度アソビが吸収してくれたか、もうこれ以上ガラスを横から押すような破壊の波動2波は来なかった。

 しかし、、大混乱!!
 どうなったのか?いったいどうしたものなのか!?

 これだけ列車が傾いてると、非常コックを捻(ひね)ったところで、ドア開いた途端それこそ、みんなトコロテンより早く外の雪原に滑落っつか真冬のソナタに放り投げられてしまうぞ!!!

   と どうだ。

 吊り革に掴まって何とかちゃんと立ってよ〜く見ると、傾きのせいで座席が”階段!”の一段目に見えてきたから。。で僕の席の辺が1番傾いていたので、当然1番、脇の土手に近かった。
 『落ち着けおちつけえ』って叫んでる人もいた。
なので落ち着いて、いやいやそうでもなく窓を開けてみる。歪みをもろともせず運よく開いたぞ!

 う〜ん、1メートル近くありそうだけど?雪の深み?の分もありそうでサッパリわからない。
  降りてみなきゃ雪の下が溝なのか土なのかそれとも柔らかな草なのか?いや、真冬だから草はあっても少なく硬いので期待しないほうがいい。とにかく、小学生が先生の机に乗ったところを見つかって慌てて飛び降りなければいけない状況の高さか?

 ・・雪は降り続いていた。

 窓を開けたのでそれが直に見えている、つまり外と同じ冷気が入ってくる。・・ひとりが階段を一段降りるように座席ソファに踏ん張って飛んだ!
 “サクッッズゥ~“

 大丈夫みたい、溝じゃない!
 続いて僕も、弾力のある一段を踏んでから注意深く、窓枠から手を放って ポ〜ン・・

 飛んだ、、飛んで着地と同時に学生カバンもぶっ飛んだ、つか持ち続けたら手首を挫(くじ)いたかもしれない。雪の下は土手の枯れた草地のようだった。OLさんも、先に降りた同僚に手を差し出されたのを頼りにしてやっとオフホワイトのコートごとふわっと飛んで出た。

 別にどーーしてもこの窓でなきゃいけないことはないのかもしれないが、そこはパニック。みんなみんな、自衛隊大型輸送機内で順番を待っているパラシュート部隊さながら降下に挑む!次々に、ここなら迷わず!というカンジの迷彩服続々と

雪中降下 北満かサハリンか。とうとう高校総体初出場かというあの中年婦人も航空自衛隊大型輸送機様列車の窓枠から雪原へと難なく飛ぶ。おおぉう凄いという他はない!光と雪の真綿ではあったが、何人かは足を挫いたようだ。ていうか既に車内で、ガラス片などで怪我をしていたかもしれない。だとすれば、よくぞ飛んだ傷病兵よ! シュッザク、シュッザクザクッ 、、パラシュート部隊全員無事降下完了〜!!!それにしても・・雪!

 雪だ、容赦なく降り続いてるオー雪だ!どこが足場なんだ??
 降りたはいいが、
 歩くのに1番安全なのはどこなんだ!?

線路のほんとにすぐ脇のところが、平だし意外と安定していたので、そこを目指した、その時だ!凄まじく青い稲光を見たのは。
  "ジッギリリリッ!"

『危ない!架線が切れて落ちてくるぞォ!!』

という誰かの叫びとビュインッという音。振り向くと太い電線が切れ、パニック映画の大蛇の如くもんどり打ちながら地面を叩くその先端は、雪の白の中に青白いスパークをバキンバキン発してショートしたんか、不気味にも動かなくなった。。この時自分も、あホントだ『危ない!』って思わず叫んだように思う。・・恐怖の余り、自分の声だか誰の声だか分からずとゆーか、大蛇はまだ生きてるように思えて恐怖感か以後背骨の痛みは消えてしまった。と突然

  ザォーンザクッ。尻尾だ!架線の切れたもう一方が空中で唸った。白い雪に青い火花。危うく僕は、

  線路脇から真横へカバンごと飛び退いた。パシューン、チリチリビリリン、再び苛烈火花。

もうもう仕方なく、みんな辛うじて土手側に避難して登り

  雪中行軍八甲田山203高地。
  何百キロも歩いた先に果して引揚げ船は待っているんだろうか? あぁ帰りたい。

 遠くから更にさらに大きな声、叫び声が。

『うわーっ助けてくれェ救急車呼んでくれぇ!!』

 ーーそのように聞こえた、、
 大雪で声のヌシまでは見えなかった。同じく、雪に霞む右方雪原に崩れた先頭車両。その真っ暗な車両の中によく知らない先輩らしき目線が一瞬光り、、と同時に

わかった、後方遠くの車掌さんの声だ。それに他の悲鳴が雪混じりに響いてたんだと。

 考えてもみろ、なにもあの入社したての若い車掌さんの気が狂ったわけではない。この場の社員は運転手と車掌のたった2名のみ!うち運転手は脱出不能の重症のしかも真上からの雪も収まる気配は全くなし!とすればたった1人の車掌!電話ボックスも何もない。ましてやケータイなんて影も形もない1969明けたばかりの真冬のこと。

 大音響で、離れた民家からこの寒さでも流石に人が出た。
 その人に向って、たった1人なので現場を固く離れず職務全う!叫ぶような救急要請となったのだ!『電話してください!!』と。

 じき、真っ白い世界に続々赤色灯が溢れ。
 自分で歩ける人は歩くあるく。 あのOLさんが、オフホワイトのロングコートが同僚の男性に寄り添うようにしてどんどん白に吸い込まれていく。肩を震わせて泣きながら歩いてる。

 ついさっきの車内とは打って変わって、男の方が盛んに話しかけ女の子は( ;  ; )シクシクうんうん頷いていた。“大丈夫だよ大丈夫だから”と何度もなん度も只々優しく宥(なだ)めていたに違いないのだ。
 。。それにしてもだ、列車本来の進行方向へ、つまりこのまま出社?引き攣ったか細い声が途切れとぎれ雪に紛れて聞こえてくる。頬には雪がかかり涙と混ざって霙(ミゾレ)のように頬を伝わる。恐怖はまだ収まらない。すこし歩きにくそう??やっぱ足を痛めたのか?ややチェスナットの一夜かけて綺麗にカールしたヘアは、雪と涙で項垂(うなだ)れた。 大雪の純白の畝(ウネ)り中に彼女はとうとう涙とともに溶け入った。

 ぼくは、後方が事故現場踏切混乱だからか、気がついたら彼女と同方向に向かってはいた。のだけど、ぼくは自然、線路伝いの土手からひとり左の小道に曲がった。ーー街道の方が歩き易いのではと思いつつ、方角的には小径の先にあるはずの街道を探した。

 程なく広い国道、シュンシュンシュンシュン雪降る街道に出た。

 学校方面なら右、国道外回りだ。が自然体、僕は左に踝(くるぶし)の舵を取っていた。


公立男子高なのにチャペルがあって、、

 只々雪の中で何も考えなかった。例えば雪のチャペルがどんなんキレイかとか考えるわけもない(ウチラ高校って公立なのにチャペルがあった、それも男子校だで。& 今電車の中にさいわいJKゼロだったんは、近隣10校共冬時間は当然30分遅いけど、ウチラ高って特別でかなり広域遠くから生徒が集まる名門(まもなく全国5000校のうちたった20校のノーベル賞高校になったりしかも普通科なのに芸大進学多くて文武両道とかゆあれてる)なのでプラスさらに15分遅い始業になってたから、さっき見た顔はウチラ高の先輩らしきのみってこと)

 行っても帰りの電車がないとかそんな理詰めのことなんて全く考えつかなかった。ただ唯、左に向かって歩いていたということだが。。

何でもいいからさっさと自室に戻ろうとしてたのか何なんだか分からないけど、いずれにしろどっちへ向かおうが歩ききれる距離ではなかった。。

 そのよほどの姿に、程なく親切なバンが速度を落として脇に停止してきた。
 シュンシュンシュン
 雪道を行く白いバンが僕の視界右にスッと入ってきた。

 “どーしましたァ?”

そー言われ窓を開けたバンに近づき、ぼくは電車とトラックの衝突で歩いてる旨
伝えると、その20代後半位の兄さんは、すぐ事情を呑み込み温かい!バンの中にpickupしてくれた。いうまでもなく話題は1つだし、相槌と“へえぇ!"で事足りる世界。

            3

 ぼくが、Johnson Town に住んでいると告げると、お兄さんは、ちょうどその先の空軍基地近辺に所用のようだった。超〜Lucky! で、5、6キロ R16内回りを走行していくと、左側に

 見たような大きな白い屋敷が見えてきた。本来の総煉瓦の焦げ茶色が雪に染まっていたんだ。
 このお屋敷は、渋谷とか世田谷の設定で度々CMやサスペンスTVドラマに出てくる。まさに1920年代の光と影!京都旧鶴巻邸と、前世紀初頭のドイツ焼成煉瓦で米国からの招聘技師が建てたという巨億の富を投じた当館とは、あの時代の関東西の代表建築物なのだ。

1920年代の関東西の代表建築物


 当館は、建築直後の関東大震災でもビクともしなかったし、その震災を踏まえた徹底的な耐震化建築が旧鶴巻邸だ。

     1970年代頃は、年に2度華やかにパーティーが催され、さながら鹿鳴館の様相を呈した。
 いつだったかお呼ばれした時には、上品なお母様がシンプルでおいしいお茶を点ててくださったこともある旧知の家なのだが、その大層なお茶の間、2百W電球に変えてやっと明るくなるほど高天井だった宮殿そのものの応接室のある洋館は、21Cには寄贈文化財になり住まわれてないので訪ねることもなくなってしまった。
 かつ、開業する気になったら必ず連絡せよ、ちょうどその時わが社で建つビルが有れば優先的に受け入れるから!と当主に言われたが、あいにく関西での医院開業となり約束は果たせないままになった。

 1世紀前、この史跡の前の道にはシャンシャンシャンシャンと駆け抜ける鉄道馬車が敷設されていて横浜港までの絹の道でもあったのです。

 というのも、この館は絹の家とも言われ、近隣に広大なシルク工場を幾つも持ち、1930年代には国内では言うに及ばず生糸生産高東洋一であった。そのため、ナイロンで攻勢をかけてきた米国から徹底してマークされ、完膚なきまで空爆を受けた結果、館の500m西に直径2m近い煙突が残るのみで跡形もなくなった。
 ために、2番手の冨岡が世界遺産になった、というからくりだった。

 しかもあんな目立つ巨大な洋館が爆撃の対象にならなかったのは、GHQ下の占領後に接収して統治館として使う意図があったからで、そこまで情報があることこそが、まさに軍事力の差だったと今更ながら‘情報(インテリジェンス)’の最重要性に気づかされた。

 なお廃墟となった広大な工場跡地は、戦後50区画ほどにして遺構の煙突付きのも含めて売りになった。駅10分内という利便性もあり大人気につき、場所も選べない籤引きということになった。

  後にYMOの細野さんが住んでレコーディングまでした隣町側にいた私の父親も話を聞きつけエントリーした。

     今、ITでリッチな20代たくさん聞くけど、まさに当時は戦後上野でボロ儲けをした父のようなノリの20代の青年たちがけっこういたようで、蓋を開ければ同世代20代で家庭を持ちかつ会社も始めたという(それこそ今の少子化担当大臣が腰を抜かして喜びそうな)夢いっぱいの街が突然出現してしまったわけなのです。

                      さながら‘昭和のオープンセット’!?

 かつ半分は、米国人向けに広々芝生のAmericanhouseが建ち並び、強いドルを背景にいくらでもお金を落としていったから、何をやっても上手くいき、同世代のウチラ子供達もその成功の流れなんだか気付けば、親たちとは全然違って半径3軒以内だけでも医歯薬系進学が5人もいて、その内2人は数少ない国立のノーベル賞大学に入ってもっと確率稀少なノーベル賞高校にゃ3人も行ったんだから教育高さのレベルというよりもむしろ、昭和レトロ華美絢爛豪華の勢い恐るべし!なのか?もしれない。。。さて

  『この辺でいいです』

と告げると、親切なバンのお兄さんは、雪の中慎重にゆっくりと速度を落として止り、僕は丁重にお礼を言うと再び降る雪の上に降り立った。

 ・・のだけれどはて、何度も吹っ飛んだせいで傘が、役に立ってないことに今頃気がついた。ムリもない。拡げてさしてるもののヘナヘナでおおよそ傘の体(てい)をなしてない。しかたなく一歩二歩歩き始める・と  ・・するとそこがまた、

 もっと見たような建物だった。

尖塔、ビルボーリズ設計

 ・・白い天頂に向かって尖塔が雪の白で霞んでいたけど、まさしくそれはクロス、ビルボーリズ設計の神の家だった。 こんな真正面に間近に来たのは、ホントに13年振りではなかったろうか!? ぼくは2才のとき、ここの幼稚園に入ってからだし、そもそもここを建てたのは先のお屋敷のお母様の先々代当主なのだ。

 なんでまた僕は、よりにもよって今日、この日この場にいるんだろう? ・・ぼくは、雪の白さと時間という白色矮星(はくしょくわいせい)の中を歩いていた。・・・

歩いていた … …

 ・・・夕方、忘れていた痛みが、再び背骨を走った。
 ぼくは鉄道会社に連絡を入れて外科病院へ行った。診断は、全治2週間の打撲だった。

 翌日、トラック会社の代理だといって鉄道会社の社員のひとが菓子折り(文明堂のカステラ)を持って見舞いに訪れた。
 ところで確かに背中の痛みは2~3週間ほどで消退はしたけど。

 3ヶ月後再び、鉄道会社の人がやはり代理として我が家にやって来て、その後具合は如何がか??と聞いてきた。・・もしよろしければ、治療費+それと同額の見舞金で‘手を打ちたい’ つまりは、終了のサインを捺印して欲しい旨言ってきたのだ。 

 正直10年待ってくれ、って言いたかった。しかし恐らくは、3ヶ月でもなんの意味もないだろう、と僕はわかっていた。なので、

 いいですよ

と言って僕は自室に戻った。

 なにしろ、大方の事故責任者であろうトラックの代理人としての疲労困憊(こんぱい)は、手に取るようにわかったし、父親も困ったようだ。たぶん、僕が席を外し際、いいですと言うのを聞いて、父親は捺印したんだと思う。
                         

 ーー実際、僕の背骨の真ん中辺は、30年後のある寒い夜再びあの痛みが走った! あの痛みとこの痛みが同一かは ”?“だけど今もたまに痛むことがある。だからか
満員電車には絶対乗らない。背中を押されるよりは、ロマンスカーやグリーンカーを躊躇なく選ぶ。でなきゃ高速をひた走る。

 ぼくは、ゆったりしたシートの車窓でたまに思い出すことがある。あのOLさん、多分あの日後になって肩関節か膝関節(しつかんせつ)辺りが痛んだんじゃないかと思うけど、うまく対処してもらえたのだろうか??

 ところで、この事故について。2つの奇跡についての新聞の言及はなかった。
 先頭車両についてのみ、“あわやガスタンク”と記されていた。
 後続の2両目だって、僕も“あわや鉄塔激突!” だった。

 ・・鉄塔・ガスタンク2つも同時“あわや寸前!” だと奇跡の乱発であり、ですがこれこそ光の盾の証というか直感で2両目に乗ることで、大難を小難に変えた初事象でした。

その後、この肩代わりして救済に尽力した太っ腹な鉄道会社は日本一の球団を持つに至り、僕やOLさんやあの高校総体かパラシュート部隊のオバチャマが雪中行軍した鉄路には今、“小江戸号”が何事も無かったかのように軽やかに走り抜けていく。      

 一方僕は、実に2014年まで45年間破られることのなかった記録的大雪の寒い冬のあと、同級生になるオールバック関と授業が終わったあと映画“青春の光と影”を新宿スカラ座?か池袋ダイヤかどこかで見たのがきっかけで突然意気投合し、春休み下町に詣でては映画の撮影に興じるという青春真っ只中に突入していくことになるのだが。  


         第 5 章

      1

DK1修了式の日、HR(ホームルーム)でクラス替え表が配られた。学祭かなんかのきっかけで口をきくようになった、オールバックのイケメン関君が同じクラスになるようだ。

 ところでだ。またちょっといろいろと考えたみた。
 入学後ーー半年で部活終了!で、この半年のドタバタッ。何でこーゆーことになったかを考察することしきり也!?
 そもそも坊ちゃん私立へ行くコースは、小学から中学にかけての、丁度その頃のウチの事情で、アウト!になった。というのは、その昔小学生の頃の夏・冬といえば、いつも家族若しくは父親の仕事上の相方家族もみんな一緒に温泉リゾート大盤振舞いの旅というのが定番だった。
 マイカー時代にはまだ遠い時代、10軒に1台くらいしか見かけなかったクルマ。てか、そもそも車庫証不要の時代でして、自宅前置き放しで何のお咎めもなしの合法P!そんな時代に、父の相方3社長家族の3台のマークワンを連ねて、夏冬高級温泉街へ繰り出す。
 
 先方の息子君、兄貴肌の‘マーチン’さんは頗(すこぶ)るリッチ中学生で、‘華麗なるギャッツビー’みたくて、いっつもホテルではピンボールマシンは打ち止めにしてしまい、プールゲームも超スマートにカチンカチーンと決め玉落しを教えてくれる。
 そしてなんとローマ風の豪華大風呂では彼の妹君とも一緒になってしまい、あの白いヒップがキャッt湯けむりの中を駆け抜けていったかわいく美しい姿は今尚鮮明に甦り涙溢れるほど懐かしすぎる光景の1つだった。
 彼女たちは、AとかGとかの学院系へ中学から大学まで進学していったようだ。僕は、そうもいかなくなって。
 ーーといっても、御三家に次ぐ名門2番銘柄の都内の進学校には合格してはいた。今いるとこと両方受かったわけだけど、こっちに来始めたホントの理由は、あの見学の時の1件だけに留まらない気もする。

 両校の国公立大及び有名私大合格者数はほぼ互角だったが。もし僅かに差があるとすれば、今いるところの芸術系の合格者がその最高峰のところに毎年2人いるってことだけ。で、こーゆー数字は、受験界での偏差値とかには微変もでなくて、敢えて説明でもしてもらわなければ永久に知れない!まァ総数のデータでは、誤差の範囲!としか映らないシロモノ。おそらく、この僅差の深〜い意味が本当に身に染みて解るのは、遠い将来に委ねられようぞ・・。

 ・・それにしてもよ、その頃の日本は、とんでもヘンテコリンな国だったな。教科書といえば、日露戦争は1回しか出てこないという大嘘書籍。だって、1945、8、15から米英とは終結したけど、9月2日まで第2次日露戦争じゃん。しかも一方的侵略っつか条約破棄でさ。とか、それに、あの白洲さんが訳したG.H.Q.憲法が占領終わって日本国が独立した1952年以降も日本の憲法になってるって!?変な訳語多いし

 『合いの子なっちゃったよ』

って、白洲さん自身言い残している。且つ、吉田総理がなぜ独立したはずの日本国憲法を作成しなかった、いったいなぜ!?これこそ吉田総理が唯一残した最大の汚点だとも、白洲さんは指摘している。なんてヘンな日本語なんだって、中学生の時、教科書に引用されてる憲法読んで皆思ったけど、あれって、タダの占領政策文だったんだねっ!何しろ今、米国の退役軍人は、

 『え“っまだあんなの使ってんの!?』

って、聞いたらホントにびっくり仰天するらしいからネ。
 平和だったことも1度もないし。ラチ犯が、オレがやったって言ってんのに、とりに行かない国家って何なんだろうね!?そもそもそれ国家?んとに。ドロボーが入ってんのに、

 “すいません、ここウチなんで出ていってくれませんか”

ってお願いする国って、そもそもナニモノ!?ワッケワカメ(・・?) 自衛すらしない自衛隊ってナニモノ!? ど〜〜〜んなに少なくとも、入って来たら迎え撃つんじゃなかったっけ??珊瑚盗まれ放題、、ほら、歯舞、中まで来ちゃってるよ!あれ、竹島、住んじゃってるよ!!自衛すらしないんなら、無力隊?何隊って呼べばいいんすかね。。ドロボー入られたら、“普通”、鍵強健にするよね。ドロボー反対運動をするか?
新型爆弾落とされたら、“普通”シェルター造るよね、みんなやってるよ。それがゼロで、反対運動だけやってる国ってナニモノ!?ボケ???ワッケワカメ。。

 ・・さてと、長〜い今までを考えつつプラプラ帰り際、例の関君にバッタリ出会した。向うもクラス編成表を見たらしく、

 「おォ!」

と、すぐ連んできて。。とりま“カフェ・ダンディーダ”へ直行!と相成ったわけデス・・

     2

 「あら珍しいわねぇ、お友達と来るなんて!」
と、毎度笑顔のメイドローザが、お出迎えのご挨拶をしてくれる。そんな、かわいいローザをお初見た関君、即刻、
 「なるほどネッサトリさんがよく来るわけだァ。いつもメチャクチャほめてますよォお姉さんのこと!」

 当のローザの真ん前で、そんなこと大袈裟にバラすから、こっちが恥ずかしくなっちたい。が、そこはホレ、
 「えっ嬉しいなっ!」
と明るく笑って受け流す、ピンキーエプロンのローザ。ったくい〜ぃよなァこーゆーラクなリアクションしてくれるってさ!ローザは快活に続けた。
「2人ともブレンドでいいのかしら?」
「もちろん“ダンディーダ1番ブレンド”!!」
「はァい!」

 白い丸テーブル席に着くなり、関が切り出す。
「サトリさん、部活やめたんだって!?」
「まァね。」
「じゃ、最近はここで思索中??」
「帰宅中!ぁ帰宅部っちゅうか、たいていまっすぐ帰ってるよ。」

ネッてカンジでローザの方を振り向くと、聞こえたのか彼女も、一瞬サイフォンの手を休めて顔をカウンター越しに上げてニコッとする。が関君、ウチラ2人の動作をチラッと気にかけ出したけどおっと、そんなことよりって感じでバスケボール抱えて勢い踏み込むみたく、こう続けた。

 「てことは時間あるんだ!?」
「そーゆーこと・・」

 メイドローザが手際よく運んできた、コーヒーのほど良い香りが白いテーブルの上に立ち込めていた。それを一口啜ると、オールバック関が、突然呟(つぶや)く。
「オレさァ、映画作りたいんだよね。」
「えエイガ!?」
「うん。単なる記録でもなんでもいいんだけどさっ。普段はホラ、バスケでクタクタんなって寝るだけの生活だったからネ。ナーンもなくホント一気に眠っちゃうんだよ。」
「そっか。でもある意味それも羨ましいな。」

 ところで、映画作るならここで当〜然、そんならとゆーことで超リアル具体的な機材・モノの話になるよね。。表通りは、年度末の午後のクルマの混雑かたまに騒々しかった。でもウチラ、きょうわ話に無我夢中ちゅう。ボックス(ジューク)にも触らなかった。
 で話は殊の外カンタンに出来上がった。ーー関君が映像(16ミリ)、ウチは音響機器をってことで。1年ちょっと前に発売されたばかりで、“録音の革命”と言われた全く新しいタイプの“カセット”っちゅう‘テープ’の音響機器を僕が持っていたので。ーーよし!話は決った浅草寺!

 「思い立ったが吉右衛門、あしただ!」
と僕が叫ぶとオールバック、
「脚本書いといてくれんの!?」
僕のストレートバック、
「ソッコーで創ってみるヮ、いわゆるクワケ区割だけ。正式な書き方なんて知らんし。」

 そーと決ったら、お互い機材の準備・点検、カラテープ・フィルムの調達やらあるので、さっさと立ち上がった。ピンキーエプロンを捲(まく)り上げ気味に、慌てて濡れた手を拭うローザ。その一瞬のチラリズムを見逃さないオールバック!を見逃さない僕。けどキレイなモモ。しかしながら当のローザは、ちょっとハニカニッとしつつも、ウチラの慌ただしさがそれ以上に気になったらしく、

「ナンカ始まるの!?」

とレジを打ちながら訊いてきた。のでウチ、

「えーが創るんだ!」
「えっ!?」
「記録フィルム程度かもだけどネ。」
「カッコイィ!いつ?」
「あした!!」
「へえぇ、おもしろそっ!」

 射し込んでくる夕日を斜めに受けたローザの頬の片側だけが、残像のように朱(あけ)色に輝いていた・・

 店を出るなり関君、
「かわいいお姉さんじゃん。」
「そぅお?」
「じゃ、あしたの9時半、浅草ホーム上がった途中の地下喫茶で。」
「オーケー!」
 何ぶんケータイなどない頃。念には念を入れ、お互い遅れたりハグれたら松屋デパート正面10時という予防線を張っておいた。それでも万万が1には、松屋さんに“迷子のお子さん”放送してもらうってさ。

 ・・・・・・・・・

      3

 さて。
 約束の
 0930

 にピッタリなっちゃった地下鉄浅草到着。
 ガラガラ走り抜けてゆく地下鉄風洞の轟音背中に、地下喫茶室へと急ぐ僕の足音がトントン響いてる。・・とガラス越しにオールバックが光ってる!

「待った!?」
「い〜や」
と振り向く関君のコーヒーは、ほとんど空だった。うーむ時間にゃ律儀だなァ、モテる男ゎチゲーなぁ、へへ。。関君は、動き易い明るい系ハーフコートにジーンズショートブーツ。僕は、朝寒かったせいもあって革ジャンにアディダスニット帽被り、着ぐるみ状態だ。その僕が、カーキーコーデュロイパンツに暖かブーツを、コーヒー香る店内に一歩踏み入れるなり、早速“即稿”を渡した。

 とゆーわけで、ハアハァしてる僕が、コーヒーを飲んで落ち着くまでの間、既に充分落ち着いていたオールバック関君は、僕の拙文をチェックチェックチエ〜ック。ーーその

    “即稿” 『Duわ何セン?草寺(ソージ)』

 時:1969 春の彼岸頃
 所: 東京下町江戸浅草界隈

      脚本 及び
      インタビュア : 永友 理々(ナガトモ サトリ)

      カメラ 及び
      監督    : 関 貴登志 (セキ タカトシ)


      出演者: 巷の美少女たち
         (注: Du(独)= You (英))

 ((大東京俯瞰の景、パンパンパノラマ))
    松屋デパート屋上より、東京ベイ〜下町を望む。南に多くの船、ゆっくり反時計回りに270度。

   隅田右岸より大河を越え、花屋敷を掠め一度雷門まで回り込んでから戻るようにして、スローリー仲見世を上がる。浅草寺境内にて、ズーム寄り留め。

 ((浅草寺境内))
  サトリ:マイクを持つサトリのアップ、特に手元。
     宇宙の片住む東京大川端、隅・・
     百万年のニュートリノ流星雨の中、
     果して、人々の変らぬ営みとはいったい
     何でしょう??
     (次の一言をキバってキめる!)
     Du(ドゥー)は何せん?草寺(ソージ)!?

 ((境内ベンチ(撮りの①))
   美少女①: こうこぅこーゆーわけで私ゎ今、浅草寺に来ています。

  ((別のベンチ(美少女②の撮り))
   美少女②:だからわたしここにいてます、とか。

  ((別景(美少女の言う用件場所を撮りに行くかも)))
    何処か・・

  ((別のベンチ?⓷の撮り))
   美少女⓷: 実ゎワタシ・・(←尋くまでわからない、臨機応ヘンリー!)

  ((応変の景))
   美少女④、⑤: あとは現場にて判断、出たとこ少々

  ((再び浅草寺前))
   サトリ: 総括的な決め台詞を言ってシメる。
                  ....... 了。

 「うん。いいんじゃないっ。あとは‘モノ’に会ってみないとわかんネッシ、生ものだから。応変りーってト書き、わかり易いよ流石サトリさん!」
と言う関君の感想に気をよくした僕の口から出任せ1発。

「よし!じゃ出たとこショージョ!!」
「何それ!?サトリさんノってるネッ!」

 バスケで鍛えてるだけあって、背筋がスッと立ち上がるやや高オールバックとやや小柄僕とは、撮影クルーのいい相方かもしれんぬァハハ。さあ予定通り地下鉄階段から出たとこデパ屋てっぺんからベーエリア・湾を望む

 SCENE1/TAKE 1

 まんま左に270度。途中スカイツリー予定地を掠りつつ急角度で奈落のように地面へ一気にズームしたそここそロケ地センソージ!寄り留めて。即刻ウチラも現地着陸。・・
 
 まだ少し肌寒いかネ。日が高くなりゃ暖かくなるさ。カラコロカラコロ足音の・・参道仲見世の人通りは朝からけっこう多くてい〜ぃカンジだので、そこもワンショット入れとく関君抜け目ないネ。と僕が感心していると、オールバックおっと何か忘れてたか慌ててバックパッカー荷を取り出しつつ、
「これ、夕べおふくろに作ってもらった。」
って、布きれ??に

 “高映連”

と印字・刻印?
「え?腕章!?」
と言う僕に、関君は、
「怪しくなくなるかもだし、それになんかサマになる!っしようぜ!!」
と早速腕に通して付けて始まる僕のアップ・語り撮り。
 次、即ロケハン。ウチラ自身見世物になってる感あるけど気にしない②。で、
「サトリさん!」
と“高映連”の関カントクの小声、、アゴで指示・示しながら囁く。

「出たとこ勝女発見!カメラ回ったァ。」

カントクの指示通り僕は、すうっと回り込むようにベンチに佇む髪長の美少女目がけて左から近づいて見ると、美少女というより真近には、19才位の清潔カン溢れるお姉さんでした。何年か後に出た西島M子似だった。ホラ池上線の歌姫。21Cだと、デビュー当時の松下奈緒ジョータイ。うぉっ、でもビビらないよ、ビッビッらない!とりま趣旨を説明したら、ラッキー、難なくオッケー!ツイてる!!

 でまずウチ、サトの口上、
“Du(ドゥ=貴女)は何セン?ソージ!?今日はどんな理由でこちらにいらっしゃるのですか?”

を入れながら、彼女のチェストショット撮りへと。。僕の、マイクを持つ手が少し入る手タレ状態で、彼女の高く透き通った声、

 「すぐ近くで祖母の法事があったので、その帰りなんですけど。こちらにも寄ってみたんです。」
「法事流れというカンジでしょうか??」
「はい。」

 いかにも利発そうで、目は細めだけど横にくっきりしていてとても優しいお姉さん。。グレーの春コートから黒いワンピースが少し覗いてる。黒真珠の輝く首元が白く美しい人。
「ありがとうございました!」

“カァット!オーケェー〜イ!!”

と叫ぶカントクの声、突然のカン高い声にお姉さんちょっとビビり気味になっちゃったので僕一言、

「気にしないでネ、あいつファインダー覗くとナンも見えなくなるみたいだから。」

とあやすと、初めて寛(くつろ)いで微笑んだ。ーーかわいい笑顔てか素敵な表情。あっ!これこそ撮っておきたかったけどっ!とすぐ脇に関が来てて、頭を下げると上手く連絡先とかも聞き出していた(^○^)・・脚本通り臨機応変りー!ちと誤解釈のようだが。

 こんなカンジで何人か撮って、少女①の撮りの話に出てきた“近くの法要”の墓地にもちゃんと参考資料映像を撮りに行ったり、・・いろんな娘がいた。いまの今で言うと、やたらハスキーキャットなアリアナ・グランデちゃんみたいな娘とか妙に色っぽいエリザベス・ギリースみたく目つき付けまつけた娘とかとか。それに、随分動いたよ〜。

 気がつくと、とっくにえ“っ2時回ってるじゃん!どちらからともなく、
「うーハラ減ったなああ・・」
とゆーことでDK1、16才の胃袋はいざ大黒天!

 大黒屋で、天丼3人前を入るなり頼んだ。で、お茶を運んだお姉さんは、
「もうお一人は後からいらっしゃるんですか?」
と尋ねた。のでウチラ、顔を見合わせ、僕がしっかり3つ目のお茶を右手のひらでキープしつつ、
「食べます!2人で。」

すると、
「!アハッ、あァ〜。」
 
と納得笑いながら厨房の方へ戻っていくお姉さんのグレータイトなヒップに見とれるおバカな2人・・バカでケッコーコケ滑稽!いっつもくだらないことしか考えないウチラの、DK中後にも先にも唯一まともに真面目に取り組んだ、人々の変らぬ想いネタのドキュメントなのでは!?・・

 ・・丼を待つ間僕は、さっきの一瞬の出来事を思い出していた。それは、、

浅草名物・天丼

 仲見世のお店とお店の間の僅かな隙間の背後裏通りを何かが過(よ)ぎる気配を感じたのだが。この辺で気配といえば・・だよね。ミリーナ?2つの影??すぐこちら側の人通りにも紛れて何も見えなくなったけど。とゆーか、お酉さんから4ヶ月経つわけだしだからかな、そんな気配すら変に感じすぎる時があるのかな??地元浅草の人が、土産屋の立ち並ぶこの通りをわざわざ通ることはそうないはず、と思いつつ。でもちょっと気にはなったかな。。

 ですがデス!クラゲのように漂うそんな考えも“ドーン”で吹っ飛んだ。しかも鱈腹“丼”で満足したら(何しろ2人で3人前だし!)もうとても②動けない雰囲気。だもんで、少女2人組“④の撮り”でもって打ち止めと相成り。

 ところでどっこいこのフィルム、本格的フィルムにつき現像依頼先はそこら辺のカメラ屋さんではなく

 “直接製造元本社送りせよ!”

と、注意書きがあるではないかい!おぉ〜〜、待つこと待〜つこと・・春休みどころか、完成をみたのはゴールデンウィーク近かった。

     4

 それで連休中は、ウチの会社用デッキまで父親から借り出して、オールバック関君宅で一生懸命仕上げたさ。そんなんだから、最後の僕アップの決め台詞は今でもはっきり思い出せる。

 『酉の市でも有名な、
  広大な銀河に輝く国際宇宙都市
  アサクサ。

  この界隈
  様々な人々がいらっしゃります。

  来るものを拒まず、 
  去る者にも感謝!
  ひとに優しく!!
  楽しい街であってほしい。』

 そうだね、いまの僕なら、“人にやさしく・自分に楽しく!”って言うかもっ(^○^) まァそんなカンジに仕上がった作品は、学校近くの大口医院で上映されることになった。
 クラスメートの大口のところに、頗(すこぶ)る優れた映写機があるらしいと聞いた関君が、話をつけた。
 数人が試写会に集まり、ピンクトレーナーがパッとしてるモデルさんみたいな大口の姉貴(20の麻友菜さん)も隅に控えてたっけ。そうだな、まゆゆが一回りスポーティに思いっきり明るくなった雰囲気。。
 四十畳ほどのへやの壁には、宅急便トラックの側面ほどのスクリーンがーーなるほど、小学生の頃大口が、家庭教師と休憩時間に毎回手打ち野球をしたというだだっ広さだワ。で、長明寺桜餅がピラミッドのようにた〜っぷり用意されてて。。みんな2、3コ頂き、大口は5コ食べた。お姉さんも快活に2コ、そのクチビルといったら。。

  シャーシャー、シャーーン。
  壁面全窓のカーテンが閉まっていく音・・
  緊張。の一瞬の静けさを打ち破る予期せぬ拍手と共に、

  まわった!

  大東京俯瞰の図、

  から一気に下町、寺社へズーム。
  一瞬寺社が揺れる。。(ウチラ頃、ブレ補正機能なんて勿論なし!)

  キレイなお姉さんたちの連続コマ送り、なつかしい仕草・表情に、春彼岸頃の柔らかな日差しが被る。

  サトの口上、

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 完。

 10分もない超短編映画。
 で大口先生が、(てか今日行って初めて知ったんだけど、いわゆる白衣が似合う大口の父殿と思い、さんざ挨拶を考えて乗り込んだのに、ホンナンふギャっとall忘れ茂太さん状態の僕デス!

 「うーん。もう少し撮影計画に練りというか詰めが必要かなあ。あと人物の動きがもっと欲しかった!・・最後の、P?サトP君でしたっけ?台詞は決まってたわね。いずれにしても、わたしはシロートだし。その辺のひとに聞くより、必ず専門家に意見を聞くことよ。」
 と、キレイな頬を少し興奮気味にしつつも、優しく冷静な瞳で、にこやかに示唆してくださった。ーーハァァ・・とお礼を言う他なかったカンジ。更に先生が、サトに、

「ところであなた、俳優なの?それとも哲学者なのかしら??」

と尋ねたら、関が横ヤリを入れた。
 「思索のサトです!」
と。先生の、

 「あらっ!?」

という声を掻き消す同時さ勢いで、大向こうみたく隅から見てた麻友菜姉さんが、
「大ファンになった!!」

と思いっきりニッコリ笑顔で叫んだ。僕はハニカンだ。けどお姉さんとしっかり見合った。関はちょっぴり不快がった。
 さてこの映画、春休みの暇潰しになったっつうか“高映連”製作は一本で頓挫か?しれんけど副産物として、関君が、5人中4人の出演美少女の連絡先を聞けて、そのうち3人と連絡をとり合ってるらしかった。4人のうち1人は、多分関君の好みじゃなかったんか!?まァそれはそれでいいじゃん?それこそ青春、‘なんでも一生懸命やろ’だろしさ。それって化学の先生の口癖だったよな。
 遊び半分みたいだった関君、でも卒後一応、いわゆる芸術学部っつうとこへ行ったみたい。。で、僕を“思索の”と言ったのは、ある意味‘ズレてた〜’かもしれない。ってのはネ、後々まず僕は、“なーんも考えん”CM界、正反対の方向で花開いたから・・

 それからもう1つ、重大メッチャ重要な気づき→僕の人生をずっと一貫するール:

 3年間、大口と口をきいたことって、とうとうなかった!姉の麻友菜さんとだけ会話があった。勿論、母親である美人の女医さんとも。。学校近くの道すがら、偶然大口姉チャンに出会したりして。そいつの家まで行ったことあんのに口きいてない、そーゆーのってさ、考えてみたらケッコー何人もいるいるいる。。(・・;)
 まァ男子校なんてそんなもんだみん。考えてみりゃ不思議だ?いぃや正常かも。だって逆に、男に興味あったらキモイよネ、だからさ。それでリアル、イガったんじゃない??

 そうこうしてるうちに、DK2もあっという間に初夏の日射し。。
 光目映い7月後半に差しかかろうという頃のことだった。ーー私鉄沿線、乗り換え駅ホーム。。そこで僕は、いつも電車到着の数分前に来ている美少女に気がついて。
 印象派のルノアールか誰かが描いたお人形さんというか、そーゆーカンジのヘアの娘。今日あたり、なんかツテ!?を見つけないとひょっとして夏休みなっちゃうかも!よその学校の娘なので、いつから休みになるか知らんし・・・風雲急を告げる!!


   第 6 章

        1

 ツテ???
 ホンナンなし!どころか、電車到着までのフリータイムは‘5分!’しかない!?いや、

  ‘5分ある!’

 すると・・目だけでなく、僕の足までが彼女にズームし、勝手に開いた口が声が。

「あのォ、お付き合いしてほしいんですけど。」
「(_)えっ?」

 えっ?てそりゃそーだろう、いきなり。。
 でもう一度、僕が同じ台詞をゆっくり繰り返すと彼女、やや他人事(ひとごと)とゆーか、斜め30㎝上空方向に何かあるかのように意識が向かったカンジで、

「こーゆーときってどうしたらいいのかしらっ??」

と、小声で囁き、でも僕の目を再び見ていてくれてはいる。。とそこまでは、はっきり覚えている。見合ったまま(←多分)しばし沈黙。いやな顔とゆーよか極めて?友好的ともとれる微かな笑みを伴う困惑感。ーー脇に突っ立ってるサラリーマン風の兄ちゃん2人のうちの1人が、やや藁でジッと見てるようなちょっとヤバ状況の絵が視界に押し寄せた。・・ぅうんうざざそんなことどーでもいい!!
 その後どーゆーふうに話を展開したのか全く覚えてないけど、僕は手帳に自分の名前とTEL番書いたの切って渡し、次に手帳をその娘に差し出したようだ。でなんと彼女も、僕のペンを、その白くキレイな指に持っているではないか!

 一柳瑠奈(ヒトツヤギ ルナ)
 04・

 彼女はそこで、ペンを一旦止め、一瞬の間のあと再びペンを走らせた。

 03・353・・・・

あれって僕が思うと同時に、初めて会話らしく聴く、彼女の中高音のキレイな声。
「あの、来週夏休みには、都心の家の方に行ってると思うので。」
と。
 はァ家2つあるんだ。その時、見入っていたサラリーマン風さんは、ちょい‘引く’カンジ。まぁ彼女はやっぱ、お嬢さんですかネ。どーゆーか僕、こーゆーの特に何も感じなかって。でそれよか単に、
 「あ、そーなんですか。」
と受け応えた後だ、うっペン返されるとき、ちょい彼女の指に触れただけでカッとアゴの辺りが熱くなってしまった。そこでダダダダダーーン、丁〜度電車が滑り込んで、初夏の朝の暑い空気を一瞬吹き飛ばしてくれて。一緒に乗って何話したんだか!?ホンナン覚えとらん。。。でも、彼女のカバンの隅のイニシャルだけは、はっきり納得刻印された。Rのシッポのカーブがhという文字に連なった“R h”は、言うまでもなく彼女のイニシャルかと。濃紺地の皮の上にシルバーに光ってた“R h”。

「じゃ来週、03の方に電話するかもしれません。」

 彼女と同じ駅で降りた僕がそう告げ、学校が直進方向の彼女と別れ、右に曲がって登校した。
 微妙な頷き顔だった、そのルノアールの絵のようなお嬢さん。ーー白ブラウスに紺のスカートのプリーツが、とても清々しく去っていった。。すごく丁寧で、話してみるととても誠実な方でした。何よりも瑠奈が、同じ2年だったことでちょっと、気が楽な‘タメな’カンジもしたっけ、グフっ。

 ・・1週間経った。
 ーーし・お・ど・き!

    
       2

 03・・
 ルルルルルンルルン。ーー1発で彼女が出た!

 ひょっとして予期してたのかも。てか単純な話、親とかに先に取られたくないので、待つのは得意な猫のように耳をじっとすましてたのかもね。そーゆー時代さ。で、
 新宿西口広場での、数日後の待合せ(=初デート!?)の約束をした。なんとその日、僕は17になるのだ。もちろんそんなこと、彼女瑠奈さんは、まだ知るはずもなかったんだけど。。( ̄O ̄;)

 約束の日、ピーカン夏晴れ!
 僕は、広場で少し待った。すると・・えっ今ならそれ、危うい佳子さまでは!?改札口方向とも違うし、といって??あらぬ方向としか言いようのないカンジでポッコリ現れ、ハァハァ、、

「ごめんなさい!」

 ブルーのややミニのワンピースを着た瑠奈が、小走りで近づいてきた。駅に着いてから10分以上かかったんだって。やっぱりお嬢様だワ。ひとりじゃ全然出かけないから“新宿の目”すら丸っきりわからないんだって!
 なので、ここゎお堅く、美術館へ行くことに。ーール・コルビジェ建築なる上野の森の美術館へ。

 印象派系の常設もの中心にぐるっと見て、(←皇室ニュースじみてます?)外は暑いので、中のソファでゆったり休んでお話。。帰り、ルナロンゲよ〜く見ると、美術館の近代的ピロティで一際引き立つ、エメラルドのリボンでのお嬢さま結い。極端言うと、ハイカラさん!?
 & 大いなる気づき1つ。・・それは、やっぱ見間違えじゃなかった。きょう瑠奈さんと、ゆっくり面と向かってお話しできたので、しっかり確認できたけど、彼女の口腔内に金属ラインが。。勿論、それ、矯正中ってことなのだけど、“それがどーした!”ってぇ??お〜ノウノ〜〜〜ウッつ!!だって、’60年代デス!よん!
 そもそも、僕が通学してた、あの路線で矯正バンドお口に見えた娘って、あの頃の後にも先にも皆無だった。ってゆーか、港区辺りでも、“歯列矯正医院”という看板を見かけたのって、‘70年代も後半になってっからお初にびっくり(・・?)した経験が未だ鮮明に記憶に残ってるくらいだし。確か、3丁目を飲み歩いてる時初めて出会したよ。
 分かる??瑠奈様の‘お嬢様度’って話だよょ。当〜然こーゆー娘って、金歯なんて受け付けないだろネッ。。いやぁ、ビックリしたよんネ。

 さて話戻んけど、ルナさんは“新宿まで戻る”と言うので僕は途中で降りることになったのだけど。降り際、僕のある告白、
 「きょう17になりました。」
「えっ?」
「誕生日だったんです!」
「っおめでとうございます!」
 迷わず瑠奈は、そう言ってくれた。笑顔で、
「ありがとう。」
と素直にカンゲキしたまま僕は、山の手線を降りた。。

 ゆっくり動き出す列車のドアの黄緑色の枠の、ルノアールの絵が見えなくなるまで僕は見送った。彼女が、軽く頭を下げる動作というか会釈する絵が遠のいていくのを。。
 夏の生暖かい風が、ホームを回ってまわりそよぐ中で、・・僕は、ぼぅと考えた。ーーフツー、17才の夏ってどんなもん??反省ってか自問自答。みんなゎどんなっ?・・

 ① 大金に埋もれてセスナのジェットで彼女と機上ラブ②♡
 ② とりま彼女とラブラブなとこ。
 ③ 家族で迎え祝うお誕生会中。
 ④ 今の僕(なんとかして話しかけることができた娘からストレートに“おめでとうっ!”って間近  にゆあれる!
 ⑤ ルナのような娘もいなくて指をくわえる。
 ⑥ しょうもないとこへ行く!?
 ⑦ ひとりでシコシコ過ごす。
 ⑧ 身動き1つしない。
 ⑨ 予備校で夏期講習
 ⑩ ほとんど死んでる(コワッ)

 うーんざっと17才DKの10パターンを考えてみたら。ーー “④” でまァまァなんじゃ?ってとこに落ち着きかけてボンヤリ突っ立ってて次の電車の勢い風で我にかえった、17才搾りたてサトッピでした!

 さてっと。。
 ところでその頃、ミリーナさんはというと。
 実は今年、東京大空襲25回忌法要のある特別な盆なのです。とゆーのもそもそも、河岸のあの建物をはじめ軽井沢の別荘群も、元はあの3月10日までは、ミリーナの大叔父の所有だったという。5家族のうち生き残った2家族で受け継いだのだと。
 ミリーナの父親は、大空襲の傷が尾を引いて、ミリーナが生まれる前に他界していた。母親は、軽井沢の別荘をいくつかの貸別荘にして経営していて、都心と時々往復する生活をしていた。が去年、ミリーナが成人したのを境に、ほとんど軽井沢に住みついていてめったに戻らない。そんな浅草でこの夏、2家族遠縁・その子どもたちが会して25年目の大法要を予定。ミリーナはその準備に追われ。。
 そんなわけで、ミリーナさんとは3週間近く会ってなかった。しかも電話してみるといきなり、お母様が初めてお出になり、いろいろ尋ねられたりしたこともあって。それ別に、電話ならまだいいんだけど?そーゆー状況でわざわざ行って直接会話とゆーことになるのはなァう〜ん??というカンジなので遠慮こそ良かれかと。。

 それで暇な僕は、例のライオンの鬣(たてがみ)の大間に声をかけられ、みちのくツーリング即ち、奥州スケッチ修業に付き合わされた。将来の“大間遊山(オーマユサン)”画伯に誘われるまま、最上から月山・日本海へと、陸奥の山寺を泊り歩く旅を半月以上も続けて・・
 さて、とある寺に居つくと、朝は一応英作文の学習をし、昼からは、僕のカメラ・彼のスケッチ散策に出かけ、夕方は、深々香り漂う寺の勤行に毎日参加し、夜は夜で奉仕つまり食の片付けやら洗い物を引き受けて泊めて頂いている・・という生活。。道中折よく訪れたJK2人組と4人で、1日をラッキー!そこら辺の名も無い東北夜祭りに御一緒という宵もあったりして。
 心地よく、人と自然と土地の文化に融合っつうか。そして何にもまして、芭蕉の恐るべきほどの歌マジ実体感。

 “集めて早し” 最上川

僕は、何も言わない静かな川辺で足をとられ、入ったら最後まさしく“集めて早し”とはこのことかと、“ひえぇ!”
真っ逆さまに百メートル近く一気に流されること半端なかったネ。何かにつっかかって止まって、今のいま生きている。
 体はびっしょ濡れたけど、僕はとにかく助かる人らしかった。と納得する。どうやらこいつ、あつめてるのゎ五月雨だけじゃなさソーダった、リアルコワッ!!あんなおっそろしっ超あさましきことよのぉぉ。まさに名句を身をもって体験体得しきった、いといとど貴重な重大インシデントでありんした!ーーま松尾はん、あんたもどっかで浸かったんやない!?て考えさせられちゃう。ホント単なるクソリアリズム感なのでは!?って。
 うん大切なのは、読むより感じ入る、書くとき漢字要る、どちらも真実也!ーー夜の日本海に辿り着けば、佐渡に横たふ天の川も、漆黒に無限奥の宇宙屏風を並べ立てた感ありっでしたよ!
 そうやって星の流れのように、ニュートリノが通り過ぎていくように。さァァッと短い夏を突き抜けたウチラの、17才のみちのくツーリングでした。

     3

でまぁ、やっとのことでなつかしきミリーナ姉と一度会えたと思ったら休暇終了!と相成った。ーー“惚れちゃったんだョォ”が巷に何百回となく聞こえていたニッポンの夏が終り、米国ではベトナム戦争にとうとう僕の従兄までもが駆り出されていった。
 去年高1のとき、試験明けに気晴らしに大間君と見たスカラ座の『グリーン・ベレー』は、もはや他人事ではなくなった現実に、僕は直面していたことになる。
(注:『グリーン・ベレー』とは:米軍特殊部隊の手の内を明かす、として物議を呼んだベトナム戦争小説の映画化版。)

 2525年・・
 それは、流行り歌さ♩その頃ーー
 2学期がスタートしてすぐ、乗換駅のホームでさっそくツーリングっつか例の“みちのくツーリング”の話を、瑠奈にすると、

「うわあ〜男の子っていいなあいいなっ!」って、キイキィ羨ましがった。いいな②を連発しまくった。
 (注:2525とは:“2525年”というタイトルの洋楽がヒットしていた。“ゼーガーとエバンス”の曲。)
その度に、結いの緑のチェックリボンがかわいく揺れるお嬢様には、そんなアウトライダー無宿旅なんてできっこないっしょ!でも僕には、その清楚な紺のプリーツと白いブラウスとルノアール絵画的ハイカラさんヘアがとても懐かしくさえあった。

    4

この頃。・・古くは東大青医連の闘争に始まった事変、いわゆる安田城(講堂)がシックスナイン年初1月に陥落してからというもの、‘紛争’はいよいよ時差を伴ったものの高校へ舞台を移し、裾野を広げつつ流れてきていた。
 (注:東大青医連とは:国試前1年間の卒後研修と称して無給での長時間労働を余儀なくされていた医学生が立ち上がった。現在は卒業と同時に国試、研修医は国費で有給になった。が、ちゃんと貰えたのは、セントルカ病院とか数少ない例外を除いて国公立大付属病院だけだった。どこへ行っちゃったんだかマぁネー私立は!?)

 それよりも、入試が中止になったことが強烈なインパクトになって、驚きの輪を高校生に直接的に広めたといってもいい。しかも、中止したのは東大だけで、その理由が、全員留年するので新入生に対応できない云々・・という不可解なものだった。不可解というのは、どこの大学でも事情は似たようなものなのに、だから。。
 例えばよその、いわゆる帝国大学に於いても、先輩先生方の卒業年度を見れば、大半が翌年の入学者と一緒に卒業してるってこと。マンモス私大と言われたN大などは、事態はもっと複雑だった。つか、よりお金が絡んでくるから。その頃の国公私大1年分の授業料の差はデッカいぞ!なんすったってる国立が只も同然の安さだった。その後チョコチョコ何段階にも渡って国立が上げ続けたのは、そのシワ寄せ?
 さてそのN大などでは、その冬、温泉旅行斡旋ボロ儲け大流行。なにかって、いくつもの“集中講義”と銘打った温泉ツアーが組まれ、わずか2泊3日で半年分(?)くらいの不足分単位を修得できるとかいう集中講義温泉合宿が横行した。すべての温泉ツアーに参加できる学生なら、それなりに進級・卒業できるってわけ。コレもう記録映画並みの世界だった→大戦末期の、ほら戦地に赴く学徒出陣の繰上げ卒業みたいな。。

 まァそんなこんなもあったりしてたから、1校だけ入試中止というのはやはり不自然奇異であって、その謎が解き明かされるのは21世紀になってからの1公開文書によってであった。ーーこの中止は、そもそも大学の決定ではなく、機動隊を校内講堂へ突入させたことで大学の自治が無くなったことと関わる。悪いことに、講堂下にいた公務中の方お1人が亡くなった。栄ちゃんか文部省の半強制的な入試中止が布告!せられたというイキサツが実はあったのだ、と。
 ・・なるほど!とまァ摩訶不思議だった入試中止の顛末は、世紀を越えた暴露によってやっと納得のいく理由が判明したのだった。

 さて、そんなこんなの流れ舞台、高校という1つウチラ高も例外ではなく、毎日のように校内いたるところがソクラテス状態っていうのか。でウチラ特徴としては、革命というよりは改革・改善派だったかネ、たぶん。ゆっくりノンビリ、でおそらく一番着実に実を結んだ学校だと思う。よその高校(例えば所沢高校とか)では革命騒ぎで、さっさと服装自由を勝ち取ったかと思いきや、1年後にはすっかり粛正されてしまい元の木阿弥ってカンジだった。
 ウチラは、急がず遠い翌春実施の諸々法案を、当局・校長に認めさせた。服装についても、諸般の実情(要するに着るもの考えんのめんどっちー連中もいる)をも考慮し“自由”とは自由!なので“制服”着たきゃ着るっちゅう制服温存療法(両方!?)。これで逆に、教員も納得し易くなったし。。なにも制服に反旗を翻す、っちゅう革命じゃないっすからウチラ、そもそも。でも制帽は、流石にスタれ減ったワナ。

 結論。ウチラが3年になる1970S45年度からの実施を取りつけたってことはさ、団塊の先輩方は苦労しただけで、恩恵を享受できたのこそウチラ金塊シラケ世代以下からだったっちゅうことなんデス!!ウチラが棚ボタ的に創業なっちたよ。ま、山脇先輩は制服おっそろしく似合う人だったから、損はネッカ^_^
 さてです、学園紛争をよくよく分析してみると、ウチラの高校闘争には1つ大きな、クレバーでスマートなポイントがあったんさ。校歌通り、過激に走らず実につく的な、歌詞通りさ。五千高校のうち、たった20高校がノーベル賞を生み出す。250分の1にはやっぱ、それなりのわけがあるのかも。偏差値とちゃう!

 クレバーでスマートな点、それはね、全国的に廃止・反対という言葉が吹き荒れハビ凝る中、ウチラはあくまでも

    ‘自由と自治’

という本来性に徹した点だ。大人になってなんでも反対の只のアホ政治家いるよな。アホはどこまでいってもアホなんか?欠点・悪口言うなら解決策・対案てやつをセットで唱えなきゃ。それが知性ってもんだみの。

      5

 具体的にはウチラ、繰り返しになるけど制服廃止とか卒業式中止とかでなく(勿論、国旗下ろしただけで笑ってる何人かはいたけどネ。)、服装法案1つ取っても全生徒が納得するような手法をとって闘争した。そーゆーやり方の方が近所の評判もいいんさ。おかげで、ウチラ混乱は1年余りで収束し、よそより先延ばしした法案が実現し、ウチラがTシャツ着て・考えんのが面倒な奴は制服で通学し始めた頃には、廃止闘争してた近所の公立他校では教員によってスッカリ反動化され制服強要に出戻りしていて、そこら辺の改革はさらに更に数年以上遅れていったようだった。

 結局、ウチラの穏健着実な手法は、他校の範となり、10年近くも遅れてよそも後を追う展開になった。追うっつか、やりなおし、だネ。
 丁度そーゆー頃高校生になった妹の場合、入った学校が自由か基準服(=制服みたいなもの)かを着る、という校則になっていた。で妹は、都心のMデパートで特注の一点ものセーラー服をオーダーし、コレが秘かな評判となりファンクラブまでできたらしかった。“らしかった”というのは、超スリムで北村U子似だった妹は、そんなことにまでなってるとは、本人かなり暫く知らんかったって・・。

 
      6

 さてこの闘争、更にウチラ高校では、加筆すべき超アカデミックなでき事があった。ーー自由と自治の金字塔、本分発揮ノーベル賞納得か!?冗談でなく、ここは相当マジ話デスよん。

 それは、学期末試験後、特に3学期の。普段からそうなんだけど、自習の多い時期には“カット”(自習コマ以後のコマを順次達磨落として1限短い1日にしてしまう!)が、登校時朝一気になるネ!でフツーなら単純に、アラうれしなのだけど、そこでです、無駄日課を有益にして学生の本分を全うしようとする意見が出たらしくて。。
 なんと、この時期を全校対象のセミナー(講座)を、教員説得して張らせたのだ。大学教養レベルの内容で、1番人気は、この混迷の時代、70年代の幕開けを反映して

 “実存主義と構造・・”

とゆー講座だった。これは、2教室ぶち抜いても尚、廊下に溢れんばかりという盛況ぶりで。。ので2日目は体育館で。
 僕は、他の教室“大衆心理”と“集合論”を取った。どーぉ??つい1年前のN大温泉講義とウチラ高のコレ、比べてみいや!?どっちが大学だか分からんビィやに。だからさ、ここの冒頭で、わざわざ“特筆すべきでき事”と銘打ったんさ。
  
 しかしです。こーゆー動きに対し、さしもの県教育庁も、この自主的な向学心にはあっぱれ感を抱いたものの、誰かが責任をとるという形にせざるを得なかったようです。
 当然校長・副校長もしくは教頭の首を取ったわけだけど。PTAの役員にだけは、異動の挨拶状を出したようです。臨機応変性に富んだ力腕の校長は、近隣の私立女子高の教頭になったという知らせの葉書を、僕はうちで目にした記憶がある。もうひとりも、良妻賢母育成で有名な〇〇女子大の参与になったとか。
 それってかえってよかったんじゃ?だって、最後の職場が、ウザいとこよか女子高女子大の方がしあわせでしょ!?かのノーベル賞候補詩人の西脇先生かて、ラストは確か有名なN女子大でしたよネ(^○^)

       7

 まァそんなドサクサ的改革年度中の学園祭は、去年よか雑論会多くて忙しくてイッソがしくて。トバッチリで、ルナさんたちが来てくれたとき丁度、僕の時間調整アウト!で‘遭遇’流れたり。とか一度街中で、共学校の彼女を遠目に見かけたことがあって。2、3歩前を歩く男子が時々ルナの方に振り返っては何か言って笑わせているみたいな。。ほほ笑む瑠奈の、そんな横顔が遠くから窺(うかが)えた。あのカンジ、並ばず歩いてたので、フツーにクラスメートなんだろうけど。遥か後ろから見えた、瑠奈さんのやさしそうな横顔には、なんか微笑ましいものさえあった。ーーそれはそれとして、秋晴れ!!
 季節はあまりにもツーリング日和だったのです!だもんで当〜然僕は、バイクで行く日がメッチャ増えまくり増えまくり、

 増えまくり増えまくり増えまくり過ぎて、ルナとはなんとなく疎遠になっていった。でまァツーリング日和の秋が去り、当たり前だけど冬が来た。


 ところが、うちの高校には、かなり広域からの通学者が多く、そのためか当たり前じゃない冬時間設定になっていた。周辺校よりも15分以上始業が遅い(朝の5分10分は黄金だよネ!)ので、他校性よか1電車後でもギリ間に合う。のに、寒い冬時わざわざ早く行くってのはなあぁ・・?
 ホンナンで、瑠奈とはますます疎遠になったわけ。

   
       8

 1969、瑠奈と疎遠になりつつあった晩秋。
 芸能界レコード音楽業界では、あの声の主、藤圭子がバカ売れしていた。まゆーー片眉を、思いっきり投げ掛けた釣り糸のようにシナッた奥村チヨも大ヒットしていた。CMでは、小川ローザが

 “オー猛烈〜ッ”

に吹っ飛んで来だして止まらない!

 そんな頃の天気のいい日には、白ミニスカの巨大ビルボードに釣られてさっと抜け出しブロロロォーー近くの湧水まで1時間爆走。。とシャレ込んだり♩どーゆーわけか、そーゆー時って丁度、校内に戻ってきて駐輪してると真上の見張り台みたいな高みから、日を受けたライオンの鬣!モニュメント‘自由への憧れ’とでも名付けるべきカンジで、

「いいなァ〜!ハシってきたのぉ??」

という声が。。やっ場!!偉大なる美術教師・大沢先生の鬣姿だよ。気分、突然エンスト。2階の美術準備室の出窓を、茫然と見上げてコックリする僕。すると、

「あのさぁ、休み今年もあと1回ポッキリでアウトラインだよぉ!!」

と相変わらず、超親切に教えてくださいました。ァーほんと考えられないワッ。のほほん・ほのぼの・優しすぎ。ひとにやさしく自分にも??
 でこのカンジ、ずっと何かみたいだなと思いつつ解らなかったけど、この『あと1回』って人生逼迫(ひっぱく)大転換危機という超キンチョー場面。にもかかわらず、のほほんってアッわかった!アレだ、大河ドラマでホラ。合戦の合間に小休止みたいな時の場面。敵陣に使者がひとり“頼もうー!”とか叫びながら近づいて行き。と、『何事ぞ!?』とばかりに見張の者が訝(いぶか)しげながら応じ。。すると、使者はこう告げるのだ。“死体を片付けたいと思うのだが如何か?”と。すると今度は、敵陣地壁上の見張りは「暫し待たれよ」とばかり一度奥へ引き、じき頭(カシラ)の許可が下りたとみえ、再び塔の上から「おーい!半時くらいならよいそーだ」と叫ぶ。あのキンチョーすべき合戦の合間の、何とものほほんとした光景。あんなことホントにあったんかって、見てて思うんだけど。でも現に今、自分にも似たような状況出現!だからきっと、アレもあったんだよって変に最近納得セリ也。

 先生といえばそうだ、こんなこともあった。ーー学内に、いよいよ改革の波が高まった頃のある日。。休み時間が終わり、皆席に着いていたのだけど、全校集会のメンバーの1人が、教壇黒板前に立っていて、まァ演説をしていた。その時、勤続30年のベテラン野口先生が、マジメにグレースーツを着込んでウチラ教室に近づきつつあった。その足音が掻き消されるほどの教室のザワツキを、先生感じたのか?教室内へ一歩足を踏み入れるなり、

「何か話し合いたいことでもあるの?」

と一言。教壇を占領した形になってしまっていた集会の委員が、すかさず、

「はい!」

と威勢よく、入り口で立ち往生中の先生に向かって返答した。すると先生、

「じゃっ。」

と言ったきりUターン、そのまま職員室へ戻っていく様子。えっ野口先生英文法どうなるの?とゆーよか、もう僕は只々

 “え“っっ!?”

と呆れるばかり・呆気にとられ。。大学のようなバリケードも張らず、先生が去ってゆく、有り得ないネこんな学校!以心伝心???ニュースに見る大学紛争の光景とも違うし、後々後々遥か南の若松高校とかいう紛争ニュースの教職員と生徒との対応を見比べれば、天と地の差かと思われた。多分ウチラ高校、こーゆーところからして数少ないノーベル賞高校への途上にあった、と最近確信しつつある。いわゆる“自由と自治”というコンセプトだよ。これは昔の‘三高’(京都大学)に通じるものがあり、ウチラ高校の学帽がその旧制三高のものを踏襲したのも単なる偶然とは思えなかった。もっとも僕は、2年次以後は被った試しがなかったんだけどね。

     9

 けど、こうやって度々授業がヤンワリ潰れていったことも、確かにあったわけだよね。そんなんでか、学校やめるヤツも続出だ。私立幼稚園から一緒、幼・小・中・高ずっと一緒だった唯一の奴が辞めちまった。僕は、その私立幼稚園を中退した3才の時、一年浪人してとんでもない目に合った。でも今度は、あの時一緒だった奴の方がやめることになるとは!彼の戦線離脱は、僕にとっては少なからずショックだった。だってまだオムツ2才の時から遊びに行ったことのある付き合い。父親の実家から届いた木箱いっぱいの採れたて柿をバイクに積み込んで、彼の“こころ”の見舞いには2回も行った記憶がある。引き篭もってた彼は、ポピュラー音楽家の‘ヘンリー・マンシーニ’そっくりな純粋な音楽的な瞳で憂いていたっけ。しかしそんな見舞いも功を奏さず、結局彼は、学校へは2度と戻って来ることはなかった。

 その他には、脱落とは違うけど、プロコルハルムとかをコピッてはコンサートを開く奴がいてさ。そんな奴らから、僕のあのカセットレコーダーを貸してくれというオファーが有り。
 実際、いろんな奴に機材が渡り歩いた結果、今ウチにはわけのわからぬ、コンサートのものらしきテープが紛れ込んでいて処置に困っている。すぐ奈良まだしも、10年以上経った引っ越しでポコんと出てきたりするから面食らう。でまぁよ〜く聴いて、1本だけ出所っつか音源が‘見えた’のがあって。。どうやら’70年秋頃のものらしかった。プロコルなんたらで、もうカフェインつうかカフェオレ色にテープが変色しかけてた。それわかった!と思ったらなんとカンジンのウチラ“高英連”製作の音声テープは、どこを探しても未だ行方不明のまま!これじゃチャップリンだよ、無声映画になっちたよぉ。
 ところで、紛れ込んだテープが、例えば今や天文学的大金持ちとなった‘額田の王さま’とかが関わったコンサートのお宝だったとしたら、今6億円で売り付けることも可能では??そしたらホンダジェットを手に入れ、2、3年乗って半値で売り逃げたゲンナマで購入したビル収入で暫く次のチャンスを待つという人生構想も、果てし無く盛り上がってくるのだけど。しかしそもそも、あの頃の彼は、コンサートなんかよりも勉学に勤(いそ)しんでたしなァ。現実的には、今額田はん所有のジェットを、ちょっこりシェアさせてもらう方が、ウチの院機の保険としたらリーズナブルかもネ。

 そーいや学内集会に飽きちゃって、ヒョロ久野(くの)と2人で、コッソリ抜け出したこともあったな。ーークノ君は、アソビニンでホントにいい奴だった。決して、テイク&テイクの人間ではなかった。時折、地主の血の意地悪が垣間出る以外は・・。
 例えば、僕がある教科でわからないことがあったりすると、あぁそれにはコレだよ、と言って最適な参考書を教えてくれる。しかも確実に僕は、その教科が10点アップしたのだ。だから、彼にはホント感謝している。中学のとき、こういうギブ&テイクの人間は、1人としていなかったから。ひとにはトコトン尋ねておきながら、こちらから質問すると、『そのぐらいわかるだろう』とか、ひどい時には、『そんなの常識だよ!』って小馬鹿にして結局、教えてはくれない。そーゆー悪代官如きが、中学では横行していた。周りにこの種の人間しかいなかったというのは、裏を返せば“来る者は拒まず”と“来る者を拒めず”の差もわからない自分に見合った環境にいた、ということなのか?“言葉”と“住む世界”とは、同時に変わるんだよねきっと。ーー要するに、住む世界がアップすれば、ウェルカムな人が多い世界になっていく。ならば拒む必要もなくなるわけだ。
 “来る者を拒まず”というのは、そういう世界の住人から出た言霊なのだろうね。

 で話戻るけど、その親切な久野の口癖というのが、どーゆーわけか、

『アイツはおめでたい奴だ』とか『あいつ子どもだなぁ』

なんだよね。言霊の法則から言っちゃうとさ、久野君自体が、“おめでたい子ども”という所に焦点像を結んじゃうんだけど!?もしその通りなら、この事実をホンニンに伝えるのは、猫に鈴というかまぁ、一生不可・至難のワザ!という結論になってしまう。ーーだからさ・・その良さ?を活かして地域世界に生きていくのがベターなのかな??いわゆる“田舎紳士”ってことになっちゃうんだけど。彼の語る夢とは180度違うってこと。何しろ、世界的なCMディレクターとかヌカしよるから。まあ“真実を知りたい人など1人もいない!?”という格言もありそうなので、敢えて伝えるべからず、その方がお互いし・あ・わ・せ。5年・10年でいずれ結果は、残酷か出てしまうわけだから。。

 さて、そんな“いい奴・久野”と新宿に向う電車の中では、いっつも英語のリーダーを見てるJKを、よく見かけた。僕が見つめると、必ず目をテキストからチラリ上げて、一瞬マカロン2個頬張ったような微笑み方をする。けど、すぐまた、真剣にテキスト丸暗記に励んでいるようだった。彼女は、早い時間でもちゃんと降りるべき駅で降車していた。ウチラはというと、この路線の終点“いあゆる歌舞伎町駅(いま上が曲がり也にもPホテルになってるので新宿界隈の駅にしちゃ頗(すこぶ)るキレイな方)”に着くまで、まんま乗ってる。ーー数年後、彼女は、‘ブラウン管(まだ液晶じゃない!)’に突如として登場したかと思うと、四半世紀に亘り女帝のように名キャスターとして君臨することになる・・。

 歌舞伎町に“横付け”の終着駅に到着したウチラは、まだ都電線路の残ってた靖国通りをまず渡ると、二幸(後のイイトモ)の裏坂を登り新宿東口に立った。
 通りがかるカップルでも、カワイイ娘がいると僕は『なかなかカワイイねぇ』とか言うのだけど。するとクノ君、なぜか、

「見んなよ、男が喜ぶだけだから!」

って一喝してきた。。いやぁ僕は、カワイイ娘を見かけた日は“ラッキーデイ!”くらいにしか考えないけど、久野君は‘収支損得(バランス)’を考えるようだった。こーゆーことにこそ、“おめでたい”方がいいと思うけど、久野君のそーゆーところがわからんネ。いつだったか、久野ビルの店子の1つの奥さんが美人のところに至っては“亭主が憎らしい”とまで言って聞かされた日にゃあマジ呆れ果てた。時々わからん友よ。さてそんなこんな話しつつガールウォッチングしていると、二十メートルほどのところに、なんとウチラ隣クラスの竹橋たち2人組が同じようにDK2突っ立っているではないか!?
 そいつらも、久野と僕に気づき、一瞬ニガニガにやっとしたのだが。勿論、間違ったってお互い寄ってったりしないし知らん顔だ。折角DKんとこ抜け出してここまで来てんだから冗談じゃない!まっぴらゴメン被りたい、のはほぼ互角の気持ちのハズ。ーー翌々日だったか、学校で、偶々竹橋に訊かれた。

「おまえら何しに行ってたの?」
「ガールハント。」
「なんだ、同んなじかよ。」

だってさ。。

     10

 要するに、DK2になってからって、まぁこんな調子の学生生活だったためもあり、紛争多き年度中に、成績の方も、入学時に“居た”前の方から喫水線ギリギリまで急降下していった。
 入学時は、できる奴しか当てないと言われてた英訳の先生にいつも指名されたのは、東大現役なる奴と僕と大間と、後に僕と同大医系の棚橋。1年後半には、僕は既に呼ばれず、になり。それでも稀に、やる気出して、優秀な人でも丹念にやらないと攻めにくい化学とかで高得点を不意にマークしたりすると、2年次で初めて僕を知った割とできるクラスメートからは、

「なんでオレよりいいんだ!?」

と言い掛かりをつけられたりした。その時、超然とした存在の‘額田の王さま’が、静かに横ヤリを入れてくれたのだった。

「サトリさんは凄いんですよ。」

と、穏やかに、しかい確信的に一言グサッと。言いがかり屋は、納得できず今度は額田はんに絡む。

「なんで!?」
「とにかくすごいんです!」

王さまは、静かな迫力でそのように囁くだけだった。
 額田の王さまは、校内トップテンに入っている優等生だ。その額田が、もはや後半(ウチラ“番外地”って言ってたよな)に入ってしまった僕を、一突きで擁護するその発言には、一種冷徹なまでのスゴミがあった。いわゆる、根拠のない確信、とか言われるものかもしれない。
 ともあれ、明日にも変わり得る事実に人は嫉妬しないものだ、という法則をこの言いがかり屋は知らないようだった。知っていれば、言いがかる必要など、元よりない。また、知っても、能力での可変域が狭くて固定してちゃしょうがネーけっど。はたまた、我々は事実を変える為に生きている、とゆーことにも無縁だったのかもしれない。いわゆる固定観念にドップリはまった人生を送っているというか。。

 ーーその固定観念。
 これがくっ付いてる奴は、歩道に貼りついたガムよりもタチが悪い。例えばそーゆーひとり君を、

 ‘コテイズム’

と今呼ぶことにして、と。その‘コテイズム’君が、あるカップルを見て、

『ノミの夫婦』

って呼んだんさ。理由はカンタン言うまでもなく、お姉チャンの方が坊やチャンよか2、3センチ背があったというだけの話。で、そう名付けられた奴は、タチオ君だったので、そうだなぁここだけの話では仮に、

 ‘タチ・ノミ’

って呼んでみるか。でその‘タチ・ノミ’ってのが、まァまァオシャレには多少気を使う方で、スリムで平均よりはイイ男の部類にパッと見、入るかとはおもうワ。ところが、困ったことに、自称のナルシストでさ。ナルシストなんてことは別にいいんだけど、だって自分なんてひょっとして内宇宙的にはナルシスティッシモかもしれんしの。さて‘タチノミ’君てのが全くの“情報不通”なんさ。朝いっつもニヤケて女の子と歩いて、まではまァいいとして、女子校との分かれ道からは女子高サイトに道ズレて消えてくんよ。グルッと回って再び男子校通学路へ戻った時にも勿論ニヤニヤしっ放し。。

 なんせ彼女との別れ際は、いつものこととて小学生のように腕時計を交換するのさ。それによるニヤニヤがまたスッゴ過ぎて。もちろん学校に着くや、その女ものの時計を机に置いて一日中コレ見よガシて(こーゆーのって、肉体に目覚める替わりに小学生ときやったことあっけど)、帰りは当然それ戻すため待ち合せるわけさ。


 鉛筆削りを一緒に使い、削りカスのゴミ箱も一つを机の中に置いていつも一緒に使い、お掃除の後はハンドクリームまで一緒に塗りたくってた小学生ときを思い出したワ。


 タチノミ君、ホント時代年代錯誤なんだよネ。ーーそれでです。ノミの名付け親‘コテイズム’君と僕が、学校帰り、DK同士つまり男子2人で歩いてたら、待合せに向うニヤニヤのタチノミ君が丁度通りかかって、ななんと、

「君たちかわいそうだねっ。」

って!ホントーにバカなんかと思っって、腰抜かすとこだったよぉ。


 ま、どーゆーわけかウチラ、たまたまタチノミ君の見せびらかしタイムに何度か出会していて、且つタチノミ君は、僕がルナや諸々とにかく女の子一緒だったところに3年間で只の1度も偶然にも出くわしたことがなかった。誰だって一々ケツの穴のことまで話す奴なんていない。つまり見たことが全てでオマケに類推力が枯れている!つかナルシスとあってはフィルターが強過ぎてお手上げだ。ーー君たちかわいそうだね!?ーー開いた口が塞がらなかった。朝の通学路にしても、あの2人が女子高生だけ曲がって行く道を一緒になよなよ回り歩いていく。フツーの感覚の娘なら、よほど特別なときでない限り、女子の方から、
『目立つからやめて。』
と言うのでは。。つまり、、どっちもどっち相愛の小学生カップレアカップ。ど〜喩えるか。。教会で一番御講和が深まってきたところへ紛れ込んで大声を出した幼稚園児ってコレ、ホントによくある話だけど、ウチラ高校生にとっては、突然教室(現実では路上だね)に小学生のへんなカップルがチン入して騒いでいるくらい、みんな迷惑してるはず。おそらく、ウチラ高と女子高の双方で知らない人は一人もいないんじゃないかと思われる。
 小学生じみてるとゆーことは、男女のナンノ関係もないんだろうな、ってピンときた。だって物の交換とか、ウチラ小学生ときのそのまんまやってることから当然そのような推測に至った。そしてそれは、まさしく正しかったことは、2年後に知ることになるのだが。。

 ‘タチノミ’君は、金子先輩の行ったS学園といい勝負の、別のお坊ちゃん嬢ちゃん大学へ進んだ。そしてです、そこで知り合った娘とやっとこ初エッチに漕ぎ着けた時点で、初めて友達に真実の告白をする気に、とゆーかまぁやぁ〜っと喋くったらしい。実はあの頃はあの娘には、なんと指一本触れたことすらなかったんだって!ことをよ。え“っ!?指ィ??ウチラ、別に手ぇ握りたきゃ握るし、肩寄せたきゃ腕を回してフツーに、軽くだけど抱き寄せてたけどネー。アッホらし。それでよくもまあ、どの面下げて “かわいそうだ”なんて他人のこと言ってんだか、バカかお前はってカンジ。ーー僕は、高卒後すぐの夏、かつての乗換駅で偶然出会した、タチノミの友人であり且つ僕の友と、“やぁ”とばかり喫茶店へつるんださ。清野とかいうヤツだったけか、何しろ結果的には、その偶然それっきり、この人生で出会してないよ。でまぁ、モーニング、ギリで付いて食べながら聞いたんさ。もう記憶も曖昧だけど、BGMにかかってた“インザサマータイム”のあのなんともいえない間の抜けた心地良さだけは鮮明に覚えている!
 そう、タチノミ君の顛末っての、一部始終聞かされたんさ。ったくバカバカしい限りだったよやっぱり。。“かわいそう”ってのは、タチノミ君、あんたの口から発された言霊。つまりあんたの体に、中に巣食ってた‘モノ’なんだよ。結論は言うまでもなく、“かわいそうだなァ”はアンタ自身だったってこと。いつもいつも女の子と一緒にいたとか、ウチラ、一々全員に言うかよ!?あんた知らないだけだよ、つか多分中途半端なナルシスが類推力を、より鈍化させてたんだよ。。でです、ここで話、‘固定観念’というのに戻そうか。

   11

 コレって、どうしようもない問題でね。というのも多い多い、実に多かったよその持ち主が。
 そもそも、“蚤の夫婦”の名付け親である“コテイズム”君だけどね。

ノミノ夫婦、

とかいう言葉をつかうだけのことはあって、その柔軟性の無さには恐れ入る。。事ある毎に、

 『そんなのムリだよぉ。』

を連発する。それも、無類の即物的機械好きときてるから、やたら理論立てて‘ムリ’を実証しようと突っ掛かってくる。超古臭い物理爺、とでも言えそうな。。僕が、立体印刷の話をしたら、そんなのどーやってやんだよ!?だってさ。それ考えんのが真に発明っつうもんだろう!って言うと、うーん?とは答えるのだが。21Cじゃ、立体3D印刷フツーに売ってるよネ!
 ところがコテイズム君ときたら、え“っ!?工科大出てから有名な会社の、いわゆる開発部に入ったらしくて。よくよく調べてみると、確かに特許庁の出願書にコテイズム君の名前も連名で見かけるものの、すべて“改良”に相当するもののようでした。ーーやっぱりな、と思った。それこそ地球がひっくり返っても

 “青色ダイオードを発明してノーベル賞!”

なんてことには決してならないだろう。
 人はもれなく、自分の発した言葉通りになるってことだま。『そんなのムリだよ』と常日頃言ってた白日夢が実現したということか。コテイズム君の固定観念の重さ・・おそらく一生、他人の創ったものの改良に終ることだろう。が、企業にとっても良き改良品は必要だ。だから良い企業人として手厚くされて生きてくんだろう。それだけではなく実は、コテイズム君の固定観念は、僕のとっても有用性があるのだ!ーーつまり、彼の常識観がそれで、例えばコテイズム君が、“あいつとは関わらないほうがいいぞ”とかよくよく説明してくれることがあって、そーゆーときって百%正しい。だから、こーゆー人間ひとりぐらい、身近に置いといた方が失敗しないってことだ!

 そのためにもデスよ、彼の固定観念をそうそうバカにしない方が得策だってゆーこと。まァ、気分的には損して得する戦略の1つかネ。僕個人にとってだけでなく、あの手の人間は、学内にとってもバッファの役割を果たすのだ。その点、この学校には彼のような固定観念の持ち主は多く、それはそれで、だからこその常識を打ち破る傑出した人間が飛び出る素地、というか培地とでも言うべき役割を持っているのだ。多くの培地の人々は、それなりの大学へ行き、それなりの学校の教職につく人が多いのだ。況してや、中学時代に生徒会長や副会長をやっていた人物が、3人に1人はいるから、、まァまァまあまあというカンジの生徒さんが多いんだネ。

 だからこそ、そんな中でウチラみたいな、型を破りたがる者への変身エネルギーやキッカケを与えてくださるわけだ。更には、常識じゃ考えられないとかいうような、フツーの尺度も提供してくれるので、一歩止まって再考するチャンスを与えてくれているともいえる。だから、“そんなのムリだよ”にも、一定程度の意味はあるわけさ。


   第 7 章

      1


ーさて、一回も女の子と一緒にいる場面を

  “見た・見ない”

かの、実にくだらない話・・に戻るけど。ジツゎ、この学校、それがすごく多い。何なんだか!?
 いかに類推力欠如が多いかって。いかに、ケツの穴まで見せないってルールを知らない奴が多いのかって。。んとに付き合いきれないワァ。その1人“タチグイ”君についてです。
 この人、“タチノミ”君に少しカンジ似てて、どちらかというと見た目だけは、まァ平均以上に入る部類かね。でだ。。“立鍋(タチナベ)”とかいったので、鍋を尊重致しまして、

 ‘立ち食い’君

と、ここでは名付けたのですすんませんヨロピク〜!さてこの‘タチグイ’君、お金に関してルーズなことが多い人で、1回キセルで挙げられて、それもよりにもよって“テイク&テイク”で有名な、中学から同じの橋川尚(ヒサシ)と一緒の時だったからタイヘンだ。
 『言わないで』って、‘タチグイ’君は、橋川に懇願したんだけど、その話を知らない奴は1人もいない!というオチ。だけでなく、どこかへ行ってつまらなかった場合には、立て替えといてって通しておいて、絶対返さない。しかも白々しく、その後会う度んびになんと、財布を目の前でわざわざ開けて見せて、『きょうはないんだ』と、堂々と言うから呆れ果てる。
 そーゆー“タチグイ”君の話なのですが、ある日の下校途中のことでした。・・‘タチグイ’の奴、なんと、瑠奈さんの隣に座ってた!カワイイ娘を見つけて、敢えて隣に座ったことくらい仕草でニオっていたさぁ。。ルナは、電車に揺られながらも、眠いわけじゃないんだろうけど、半分困惑してるらしく目を閉じ寝てるフリをしているようだった。丁度、乗換駅だ。僕は、車内をしっかり踏ん張って真っ直ぐ、ルナ目がけて移動開始!‘タチグイ’は、僕に気づいたようにも見えたが、僕はあいつに用があるわけでは断じてない!!ホントに凄い勢いでルナのところまで行き、

「瑠奈着いたよ。」

と、いきなり彼女の手をとってしまった。ルナもやっぱ、しっかり起きてたらしく、すぐされるままに立ち上がって。。。唖然の彼。
 今まで瑠奈さんに、そんな馴れ馴れしくしたことはなかったんだけど。状況上、彼女も助かったのかもしれない。藁をも掴む、というか。
 
 さてこの話の、ロクでもない核心。問題は、翌日の学校からデスよ。ーー‘タチグイ’君の態度、急変りー!コレも、‘タチノミ’君の例の如く、もしこんな目撃が1回もなきゃ、‘タチノミ’みたく『かわいそう』とまでは言わないまでも、その位に腹の中では思ってる扱いになったんだろうね。ルナの隣に腰掛けてた‘タチグイ’君からは、学内で出会すなり、

 「きれいな娘じゃん」

とゆあれ、以来、何かと一目置かれるようになった。誠に持ってバッカバカし過ぎるお話だけど、まァ男子校なんてこんなもんだみの。そしてこの人、結局、一緒に出かけてつまらなかった時に立て替えた代金を、卒業までどころかとうとう返すことはなかった。何よりも驚くのは、他人の家の設備のケチを平然とつく、という躾の悪さ。お里が知れるってか。

 “見た見ない”、そーゆー類いで、もっとひどい例がある。それは、ある朝登校中の車内でのこと。クラスメートのクーちゃんが、相当ひどいことを言われたらしい。クーちゃんと一緒だった其奴は、電車に乗ると、丁度傍ににいた知り合いらしいJKと(クーちゃんを無視して)話し始めた。まァクーちゃんさァ、ここでカンを働かしてその場を離れるべきだったわけだが、混雑してたの?ずっと側で張っていたクーちゃん、変な巻添えっつうか、世にも不思議なトバッチリを喰らうことになったのデス!・・降車駅に到着してJKと分かれたソイツときたら、クーちゃんにこんなこと言ったんだって。(今じゃチョイ禁止用語含まれてるかもだから心して聴いてネ!)

『女の子いない奴は、カタワだ!』

って。。
 クーちゃん、“カタワだって言われた”って、僕に、半ば泣きついてきた感有りすよ。先生に怒られたかのような顔してさ、何なんだか??そもそも『女の子いない』ってどーゆー意味!?ただ電車の中で偶々出会して話してただけじゃんソイツ。も〜馬鹿馬鹿しくて付き合いきれないけど、こーゆー‘バカ男’、おおいんだよ。コイツといいタチノミといい、ちょっと前までのタチグイといい。ねぇこの高校、どうかしてなくなくないっ!?
 クーちゃん、反論のネタ材料が丸っきり無いかった感だけど。じゃもし僕がその場に居合わせていたら??そら反論材料はあってもさ。なら、って

『おめえよぉ、人ってケツの穴まで見せてまで自己紹介すると思ってんの?Hならシコタマやってんでよってそんなこと一々言うかよ例えばの話。類推力起こせよボケ!オメエ只、お話してただけじゃんかよバカヤロー!』


とかすぐ言えるのは、石原さん(故慎太郎)みたいな人ならね。僕なんて、今もって“優しいお兄ちゃんのイメージでいて”欲しく、はたまた“優しい先生のイメージでお願いします!”ってゆあれているキャラです。だからきっと、クーちゃんの代わりに居たとしても、結果は同じダンマリだろうし。勿論、僕の表情は呆れ顔にはなるワナ。黙ってりゃ、ソイツ益々ズに乗るんだろうけど。で一生気づかないで終る??まこーゆー状況の学校だからこそホラ、‘ウォーターボーイズ’とかやって何とかして女の子を調達しようと真剣に考える輩(やから)が出てくるわけさ。でも、コレ半分正解・半分ムダ足見当外れ?という考察あるデスよ。実にホントに!ーー何でか!?

      2

 そこでです。
 ここに於いて、僕のDK時代の最も尊敬すべき(もはや崇敬に近いものさえあって神がかった畏敬の念をもいだかせる巫女ともいえる存在)お友だちのご登場!!!と相成る。それは通称、

 ‘エリ②’

こと、襟元エリカさま、とゆーJK、なのですが。。
 でウチラ学区ではよく、ペア高、と飛んでもない勘違いをされていて、名キャスターを輩出することswも有名な女子高のJKなのですワ。話を簡潔に進めるため、彼女を、経歴っぽく紹介しておくと、

 <エリカさんにつきまして>

 エリ②こと襟元エリカ
 ウチラ学区内では名門といわれる女子高在学中のJK
 部活ではコンサートマスター
 同級生に後の名キャスターTA◯さんがいる
 有名な数学者の奥さんを出身者にもつ大学に現役合格することになり、大学入学後は有言実行、名門国立大のカレシをつくることになるのですが。。

 ざっと、エリ②さまご紹介を終え、さあ待ちに待った“エリカラクリ”のお話に移りましょう!!
 ーーえっ何の話かって!?それは、ウチラ学区内での最高の男子高と女子高は、当り前だけど、まるでペア校扱いされる。というのも、中学でトップテンに入ってれば、まず進路指導の時、男子ならウチラ高、女子ならペア校視されている同市の女子高を勧められる。勿論、それ以上に飛び抜けてる人は、黙って国立(学芸大付属高とか)を受けるわけだけど。或いは固く、有名私立大付属高へ流れることも有りですが。
 ともあれ、ペア校視されているウチラ高が、最終的には

 “ウォーターボーイズ”

まで考えなきゃならない所に追いやられ締め上げられた根本原因たる、その名門女子高の構造的カラクリ・内幕について考察したいと思うのデス!

 エリカさまから聞き知った、貴重な情報、というより彼女の卓越した類い稀の知性のみが、その分析を可能ならしめた真実の事実。・・それが大きな一因となり、僕のスリムでダンサブルな妹は、進路指導でこの女子高を薦められても全くといっていいほど関心を示さなかった。僕の時も担任だったグラマーな先生と父親の2人から盛んに勧められても、決して受験しなかったのです。‘エリ②’の存在が、我が家に与えた影響は計り知れないレベルだった!といえるよね。
 さてエリカラクリ、その発端からお話しましょう。ーーあれは、いよいよ春本番真っ只中チュウと思われる暖かな日。ルナに呼び出されて、久々会った帰りだった。。

 私鉄沿線のあの乗換駅で、僕が列車に乗り込んでいくと、ホームから既に近くにいたのか、4つしかプリーツのない特徴的な制服でピンとくる女子高に通う‘エリカさま’が、丁度目の前に座ったところだった。吊り革に掴まった僕は、セミロングの前髪の分け目からの、彼女の上目遣いと何度も目線遭遇してしまい。。コーヒーミルじゃないけど、眉が中細でグレーブラウンぽく見えていた。顔は全然違うのに、そこだけが妹に似ていて、妙な親近感が湧いた。2、3駅通過していくうちに、何か話したい気分が、というか話せそうな気分!なのにジレッたい、なかなか席空かず!僕の降車駅の1つ前で、やっと彼女の隣が空いて。座るとすぐにも、僕は‘エリカさま’に話しかけていた。
 入学以来、電車の中で、遠くに何度か見かけたことがあっただけなので、向こうだって知ってるわけないと思い、取り敢えずは知らない前提で、どこどこの高校の‘モノ’ですけど、みたく名乗ったら、

 “あぁ。。”

と安心したみたい。そのことは、事実後々、彼女から直接聞かされたので、ホント安心したらしかった。何しろ僕は、その日、カーキートレンチだったし、それに通学路でのウソなんて通用しないだろし、旅先じゃないんだから。
 彼女は、部活の帰りらしかった。すぐに、コンサートマスターをしてるんだァ、とか話が展開して、僕の降車駅なんか余裕で“スルー!”。さいわい彼女は、僕の降りるべき駅を知らなかった、やれやれ。。朝はまだ寒かったのでしてきたらしい、向日葵のような手袋をカバンの上に外してあった。その色彩のイメージから、僕は唐突に、

「もしかして夏生れ?」

と尋ねると、

「えっ!?そうだけどナンデなんでェ?」

と盛り上がったところで、今度は彼女の降車駅に、列車は辷(すべ)り込んだ。まさかここで、いきなり一緒に降りて上りに戻るのもなんナンで、“バーイ”ってことにしちゃって、ルナのときのような肝心な連絡先交換はしなかったのだが。。
 でもこの時代、いろんな方法があったんです。だからお互い、姓だけでも名乗っておいて良かったよ。それに、駅からは“割と近いの”っていう彼女の言葉が、アドレスのヒントになり得たのです。
 ーーそして何よりも、サラッと降りてゆく彼女の姿。ややスリムでウェストも程良くスンナリ、膝下紺の4つのプリーツが風に靡く下の、ヒラメ筋もテニスレッグみたいに格好良くて・・。

 後日、電話帳を開いてみると、あの駅近の町内での候補は、たった2、3軒に絞られた!ツイテル!!あとは、彼女の家族による対応が未知なだけ、だ。乗換駅のようなビル街なら、“割と近い”は、5、6分だろう。でも、彼女の降りた駅は、住宅街の背後にすぐ田園風景が広がっており、中規模の河も流れていた。そーゆー所での“割と近い”は、おそらく15分以内?かと踏んで。
 数日後ルンルルルーン・・おぉ!2発目で当り!ケッコーつきまくり!だが、お父様がお出になりましたァ。ここが運命の岐路なのですが、ウソとホントを2点セットで言うことに。

「◯◯高校の××という者ですが、あのちょっと部活の連絡がありまして。」

と言うと、頗る明るい声で、

「ああエリちゃんネ。」

と、拍子抜けるほどすぐに、エリカさまに代わってくださったのです。
 恐らくは、架空部活を名乗ったことで、“どーゆー関係だ?”とか考えさせず、気をラクにさせたようです。というか、向こうも、それウソと感じても、それはあくまでも通行証みたいな言葉として受け取ってくれるのですよ。だってもし、◯高の×ですってだけ言ったとしたらですよ、えっ!?娘とどーゆー関係だって、訊かざるを得なくなる、立場上。そこはこっちも気を使うべきなのだ。そんな芸当もできない奴に、娘と口をきかせられるかってんだヨネ。ま、思い遣るってか、究極の思いやりっつもんですね。

 とにかく、第一関門突破!と気をよくして、さあエリカさまと直に会話できる〜!かと思われたンデスがね、世の中、そんな甘くはなかったスヨン、まぁトドメの関門程度ではありましたがデス!

「あら、どちら様でしたっけ??」

という展開に、少々あ然・・いや、すぐ気を取り直して、だって半分トボケてる可能性も無きもナシ。それ、微妙な線だけど、“ホラこの前電車の中で、”と言いかけたら(待ってたかのように!?)

「あぁ〜、半ば忘れかけてたワ。」

だって。早い話、しっかり覚えてるという意味じゃん!!・・しかしです。高貴さを保ちたければ女子は、このようにあらねば、どんなにカンジのいいと思った相手からの電話だったとしても安売りすべからず、ですよね。面喰らうけど、その方が、コチラとしても安心安全。ということで、不測の第二関門も突破し、見事デートの約束にコギ付けた!のデス。

    3

 ほんとに小春日和つか、桜の蕾滴る春爛漫とゆー日。有り難いことにその頃、桜は4月に咲くモノだったのです。それに、光化学スモッグが出るほど暑い年もなくて、おそらくその年の夏、史上初、石神井で光化学スモッグが発生することになるのだが。。
 僕たちは、東京西郊の一大レジャーランドが広がる丘陵の一角にいたのです。

 風車のある青い湖畔の土手を、ピンクのワンピースが、平均的なJKの肢体にスリムにフィットしていて、見るからに爽やかな‘エリ②’と僕が並んで歩いていると、向かいから大学生らしい男女数人(きっと団塊の世代の先輩方たち)が近づき、すれ違いざま、

「いいなァ青春〜ン!」

って、ホントに厭味でもなく、いいカンジに1人の男子が口にした。土手幅は、さして広くなく、なのでその声は、ハッキリとウチラ2人にも聞きとれたので、思わずエリカと僕は、“えっ!?”ってカンジで一瞬見つめあって笑ってしまいましたよ。だから大学生さん、ありがとうございます!なのでその人たちとも目線しっかり合ってしまい、ホントに“いいなあ”と思われたようで、そのように囁いた‘庄司薫’みたいな兄ちゃんもニッコリし、お姉さんたちも“ウフフ”(o^^o)というカンジでした。。で、少し気恥ずかしくも、

 “ああ僕たちいいんだな”

って、ほのぼのとした気分でみずうみの対岸側の緑に揺れる草地に辿り着いたのです。地球温暖化以前、この時期まだ花見の席も無く、4月初めの平日とあって人垣はほどほどだった。

 さァここで見せ場!のハズで持っていった2枚のハンカチの1枚、濃くて鮮やかなブルー地に緑の縞柄のハンカチをポケットから取り出して、僕はマジシャンのようにサッと両手で前に広げ。ここでエリカさまは、一体なんのパフォーマンスが始まるのかと目を真ん丸くしちゃって、でも広げたハンカチを青い草地に置こうと手から離れた瞬間、なんとも爽やかな春風を孕んで、1メートル近く飛んでいってしまうではありませんか!?

 こいつゥ!

と心に叫びつつ慌てふためき拾う僕が、ハンカチをパンパンと埃?叩くカンジと同時に、彼女ドッと笑い出したのだけど、この予期せぬ前座とも言うべき場面のおかげで、僕の想定していた見せ場ーー草地にキレイなハンカチを敷いてあげるということーーに対し、

「ありがとう!」

と、満面の笑みを浮かべ、ホントにうれしそうに腰を下ろした。ピンクのフレアの中に、キレイな脚を揃えて座っているエリカ。
 ま、なんとも気紛れな春風のイタズラで、いわゆる初デートにありがちな堅苦しさが一気に払拭され、話がスンナリ展開となったのは、メッチャついてたなあ。だから、まるで台本にあるかのようにスレ違った若者たちといい、気紛れな春風さんといい、感謝感激!!・・だって、村上龍の小説シックスナインとかにあった、ジェーンのサンドが海風で砂だらけになっちゃってランチどこじゃなくなった!ってシーンに比べたら天国!!遥かに気の利いた設定の春風さま様じゃんネッ!?

 この日の話題は、ウチラ新高3ということもあって、やっぱ

 “受験とプラス恋愛”

だったネ。さらにプラスも1つ、このデート自体の話。ってネ、エリカったら、図書館で待ち合わせて一緒に勉強しようかと最初考えたんだって。で、そのことを友だちに話したら、

『バッカじゃない!?』

って一笑にふされたっとさ。でも、そう言われた時のエリカ様の再現された表情が、コレも〜ぅ超おっかしくておかし過ぎてマジ笑けたワ。うん、でもそーゆーデートも、とてもロマンチックかもって後になって妙にココロに残ってて、別の娘と大学内で実現しましたです。しかも、その勉強の後、図書館前の池の淵に並んで‘体育座り’しちゃって、西の空にキラキラ輝く“宵の明星”を一緒に見つめた!ウフフッ。

 さてその、受験の話は、大方定番でよしとして、恋愛の話。エリカ様の場合、高校生のあるべき状況というのが、超具体的で説得力があって、尚且つ彼女の現状にモロ即していて、それこそ“目から鱗!”。。エリ②が言うに、

「高校時代の恋愛は、先生との関係程度で十分!」

というのが、エリ②サマの切り口っつか、ま、結論っすよネッ。僕の怪訝てか‘はてな顔’に向かって、エリカ様は、敢然と説明してくれたのでした。

 まずは、

 “間に合ってる”

ということ。こーゆー表現にいきなりサラされて目ン喰らう僕でしたが、つまり、お友だちは確かに、いたほうが良い、と言う。でも、男友だちという存在も、リスクを冒してまで開拓する必要性がない、という。あなた(=僕)のような、勇敢にも話しかけてくれる人はうれしいけれど、お友だちなら歓迎よ、という。だって、受験も部活(彼女コンサートマスターやってるし)も目一杯だし、深入りは大学でいい、と。その深煎りも、十分吟味するそうだ。
 エリカによれば、彼女の姉は凄くイイ男を見つけたから、それに習うつもり、とも。あ、だから、お父様が電話すぐ取り次いでくれたわけだ。。つまり目利きの娘たちを信用してんだねきっと。姉キャン長女がしっかりした人見つけたから。当り前だけど、彼女のいうイイ男とは、単にイケメンとかいう浅い意味じゃないことは話の趣旨からして明白だった。ホントに、良い人、というマジ意味。

 特に、彼女の部活の話だけど、ここがかなりポイント中のキーポイントなんだす!エリ②たち数人の楽器パート毎に練習が終了になることも多くて、おそくなったチームは、先生が‘宅送’していく。女子高生が何人もいるわけだから当〜然、ワイワイ楽しくドライブ!ってカンジ。この話のこの時点で、

 『ドライブするくらいのお友だちなら間に合ってる。』

というエリカ様の言い分に相当する‘ウラ’が採れたわけです。夜の巷を宅送していく途中、男の先生のクルマから、ひとりまた1人、と降りていき最後の1人は当然、闇夜の2人旅となるワケっす。でまァ、先に降りていく生徒とラストのJKとは、全く同んなじ

‘先生とのお友だち関係’

の場合もあるし、そうじゃない場合もあるんだってさ。

「え“っ!?それって?」
「ーーそうなの。」

と、あっさりエリ②は続けた。ラストに降りたJKと卒業待ち結婚だか卒業後結婚だか、表向き後者の表現をとったに決まってんだけど。とにかく、結んだカップル、もいたんだって。。

 『だ』という過去形だから、先輩からの又聞きか??ここで僕は、とにかく聞かされてた僕は、

“結ばれた”

なんて言葉を使う気にもなれないけどね。だってそれ完全自給自足体制っての。だから、
 地域の名門ペア校扱いの世間の目は、丸っきり見当外れ。かの女子高のペア高は、そこの男子だけの職員室であり、ウチラ高にペア高なんて断じて存在していない!ってワケなんよ。この女子高は、最初っから共学同然なわけさネッ。。
 面白いことに(むしろ、おもしろくネッカね!!)、いま2020年代になって全国の共学でない公立高校30のうち12校が、なんとこの近隣で、尚且つ、共学が望ましい勧告が騒がれたところ、女子校のままでいい、と言って猛反対が出たのが、4校だけでしかも、ななんと半世紀前エリカ様の通われた女子高であった!且つデスよ。ウチラ高からは、反対が出ていない。

 ーーホレ見たことかってよん。。

だって、さっきも言った通り必要無いんだよ、最初っから共学なんだからさ。教員には、男しか入れない、生徒は勿論女子のみ。それで共学状態を維持してた。女の教員入れたら、聖域が崩れるっつか聖域バレるからね。でウチラ高ときたら、生徒は勿論男子当り前、プラス暑苦しいことに教員はなんと全員男だったし。(いまは多少女子教員いるらしいけど、かの高校のような聖域作りとは雲泥の差!)
 相変わらずの‘バカウンサー’、ちゃんとそこまで分析して報道してや!ニュートリノのことといい、全部出鱈目ダラケてる。ええ加減にせえやぁ。。

 だから、夜のドライブ程度のお相手なら生憎間に合ってるってワケ。で、ほとんどのJKは、先生とは楽しいドライブ友だちで終われる。その程度のお付き合いだけでもしようよってウチラがもし望むなら、大前提の運転免許も含めていくつもの関門が待っている。
 というのも、やっとの思いで見知らぬJKに話しかけたとして、先方はホントにそれだけでコチラがいいつもりでいるとは、絶対に思ってくれないだろう。こっちだって進学校なんだから、ホントにそーゆー程度のお友だちでいいよってゆー風には、なかなか理解しまいよな。それどころか、安心安全?なドライブ男が学内にいるのに、どーしてわざわざリスクを冒してまで、アッシー新規募集する意味があるんでしょうか!?と。勉強の予定も狂うし、いいこと1つもないとまでは言わないまでも、たいしたメリットはなるほど無さそうだ。ーーだからだったのか、わかった。(マジ池上彰のコレでわかったジャンね)・・絶対に女の先生を入れないワケだ。だって自給自足体制が総崩れるもんネ。てゆーか、凄くやりずらくなっちゃうこと間違いなし!なんてこった!な〜んてこったったったァァァ!!!バカバカしすぎてやってらんネーワッ。

 そして僕は、そーゆー視点でこの事実をつぶさに目撃する機会に、数ヶ月後、“恵まれた”!?それは、よくよく考えてみれば、なんとも愚考だった過去の自分をも露呈した。
 というのも、エリ②の女子高祭には、1年生の時も2年の時も、大間たちとチラッと寄ってはいた。けど、あの

 “選り優れた襟元エリカ視点”

で見たことはなかったので、ナンモ気づかんかったわけだ、たとえ同じ光景を目にしていたとしてもだ。だから、この年ばかりは、エリカ様の分析力をバックに、諸々を目の当たりにした感有りんすよ。つか、そーゆーエリカ的確認視点がなきゃ、見過ごしてしまう光景なんだけど。

       4

 学園祭に遊びに行ったとき、エリカには、こう言われた。
「あたしコンマスだから、楽団の練習終わるまでここに居なきゃならないの。1時間くらい待ってくれたら付き合えるんだけどォ。」
って。

「え“っ!?」

と僕は言いかけて、更に続けてこう言った。

「じゃ、暇そうな人、誰か付けてよ!」

それ聞いたエリカは、チョイ、

「ぅえっ??」

ってなったものの、クスッと笑いながら、律義にみんなの方に足を向けたではないかい!風そよぐ屋上だったので、制服の紺スカがサラっと揺れてる。目ぼしい4、5人に聞き回った。流石コンマス、どの団員(部員)が抜けられるレベルかわかってらあ。。でも、そのリアクションがひとつひとつ身につまされたのデス!
 コンサートマスター・襟元エリカが、各パート(男先生1対JK5人)に話す度に、ゆあれた娘は屋上への出口に控えた僕の方を一応見、先生も斜めくらいまで首を回し見ては、皆んなで一瞬ちょい笑ったりする。コレって、僕を品評・品定め(それもゼロじゃないかもだけど)という以上に、要は、

 “間に合ってる!”現象!

の実体験をしたってワケっすよんよんよ〜〜ん!でまァ、苦笑しつつトコトコ戻ってくる健気なエリ②。さっきの風はどこ吹く風!?制服の特徴的なプリーツが4本とも真下に向けてガックリみたいな。。でもエリカの足元はキレイだよ。

 「ごめんね。」
 「いいよ、じゃ帰るわ。」

とあっさりドライに答える僕。勿論、1、2時間くらい待たぬでもないが、女子高内でひとりブラリっていうお宅趣味は、僕皆無だったネ。屋上からの降り階段の、急に暗くなったとこで、

「来てくれてありがとう。暇とき又、電話するネッ!」

とエリカ。。その言葉通り、1回5分くらいだったけど、エリ②との電話デートはホントに受験直前まで続いた。

       5

 “間に合ってる”現象以外の、この日の出来事の一部始終を、後日‘コテイズム’君に話して聞かせたら、彼はほとんど笑い転げた。特に、エリカさまが、暇そうなJKを僕に付けようとして聞き回った時の描写が、

「何ソレ、超可笑しくて笑ける!」

とさ。ゆあれてみれば、確かにおっかしぃかもっ。だっって、堂々と、待たせんなら、

  ‘女の子の1人くらい付けろ’

っていう僕の提案自体が藁けるって感心しきり。

『サトリィって心臓に毛が生えてんじゃネーノ!?』

ってさ。うんたしかに、それも言われてみればそうかも。・・そうさな例えば、‘タチノミ’君なんかに、こんな芸当できるだろうか?ちょ疑問だね。しかも律義に動くエリカさまといい、なるほど常識家の‘コテイズム’君の指摘というか笑い通り、僕たちけっこう面白い人生送ってたんだかネ??
 自分的には、ケッコーフツーだったんだけど、エリカ様は??
 で、‘コテイズム’君には、特に言わなかった“間に合ってる”の話に戻ると。。

 そーいえば、地域の名門校同士の交換会って、DKからしか申し込んだことなくなくないっ!?JK向う様からの打診て、記憶にある限り只の1度もなか!?・・だって“間に合ってんだもん”か。それもその感覚に気づかずに、だね。 
 ‘冷害’も絶対起きないとすればソビエト社会主義計画経済自給完全自足達成奇跡の復興!小麦相場もあんからそれムリィ。しかしかかしデス。なるほど先生は全員男。つまり、この女子高のJKに声をかけることは、公立だけど世界一効率が宜しくない、とゆーことなのでしたぁ。あ〜ァあと十日早く、大口に聞かせてやりたかった!それって、、、

       6

 忘れもしない、2年の終了式の日の午後のことを。僕は、何でその日そんな時間までそこに居たんだか皆目忘れたけど、教室右前のドア近く、自分の席に居てた。で、その列の1番後ろの方辺りに、何故か大口と矢田がいて。大口の席って、も1つ左だったよなぁ。まいいや。矢田が突っ立ってる脇で、大口が何か盛んに‘キック’してる。いつも政治的用法で言葉を操る矢田君だけど、この時ばかりは、フツーに、

「大口、追え!」

といきなり叫んでた。言われる大口はというと、‘キック’を繰り返してやたら騒々しかった。

 コテーーーン!!

なんか凄い音してた。よくわかんないけど、ウッカリ近づきにくいオーラだよな。もう1発

 ゴテーーーン!!
 パキッ!

あれ!?ちょっとヤバくない?それで僕は、矢田の、たった1語から、すべての状況にピンときた。ーー教室の一角は、バラバラ殺人事件の現場のようになるに、2分とかからなかった。何せ、大口のヤツ、男も惚れぼれするような(←ちょ気持ちワリィなスンマセーン!)すっご筋肉モモの持ち主。そのキックの連続で、椅子はもはや原型を留めず分解センメツと相成り。びっくら、ぼくが恐るおそる振り返ると、矢田はもう廊下に消えていて、ギラっと、でも怖くなく俯いたおおぐちの弱いギラ目と目線合った途端、破竹の勢い機関車のように大口君、教室を飛び出ていってしまい、在学中2度と学内で出会すことがなかった。

 彼は3年次は医理系の4Fクラスになり、僕は、その時は文系ゲイジツ系の2F教室だったし。おまけに僕は、3年になると、まぁ休み時間も惜しくて、毎日母サンド持参で昼、席でパクリ単語覚えたりで、1年の頃のような“正午のレース”には出走せず=学食にも行かずなっってたさ。

 さてそもそも、このエリ②理論に関しては、今のいままで誰からも聞いたことないし、あそこのJKも、自分たちの受験上好都合な環境に気がついていないんじゃないだろうか。
 そう思うと、エリカさまの分析力って、

  白洲正子並の才力

ということだよね。他の誰かが言ってれば、ウチラ高のみんなには、尾ひれが付いて伝播するような話題だから。てことは、ウチラ高の誰も知らないってことだよね。・・とゆーことは、襟元エリカという才女でしか気づき得なかった真実、であると同時にエリカ自身も今まで誰にも言ってないんじゃないんだろうか。やはり、コレはも〜考えようによっては、エリカ様とて相手を選ぶ!いや、恐らくはエリ②自身気付かぬうちに、直感的に選りすぐっただけかもしれぬワ。これが因果で、きっと半世紀後に、物語として上梓されることを本能的に予見していたのかもしれない、巫女のように伝えてくれた、とも解せる。聞けた僕は、メッチャラッキー!だって大口君、こんなん聞いてりゃ学校の備品を完膚なきまでキックすることもなかったろうし。何よりも、時間と心の浪費を強いられてしまっていたことになるわけだし。

 ホント、よ〜く考えてみてごらんDK君たちさァ。。ウチラ、当時うち高校って、なんと全員男の先生しかいなかったよな。校舎で、もし女の人を見かけるとしたら、唯一、あのベテランの木村マツエおばチャンひとり、

これ毎日いらっしゃるのかわかんない保健婦さんだった。で別の建物、例えば図書館棟へ行くとお姉ちゃんいなくもなかったけど。ここで注釈入れると、ウチラ高のような図書館棟があること自体が、公立高校ではいい方らしかった。多くは、なんと‘図書室’だそうですよ。
 図書館棟の周囲には、お堀まであったのは、城址という由緒ある立地に恵まれていたってのはあるんだろうけどね。

        7

話を戻そう。わかりやすくするために、ウチラ高がもし今、エリカ様と同じ環境だとしたらの場合を考えて説明すると、事態は一気に明々白々になるだろう。即ち、毎朝登校するや否や、担任のキレイなお姉さんが出席をとる。この時点で、僕は絶対に遅刻しない!だろう。一日中一緒に居て、うまくいけば、

 “ご一緒にポテトはいかがですか?”

でランチ食堂も一緒、更にしかも教科が終われば部活も付き合い、きわめつけが、練習が遅くなればドライブがてら送ってくださる、、、としたら!・・そ、それでもDK君あなたは、リスクを冒してまでワタシのように勇敢に、見ず知らずのJKに声かけしますぅ!?ってんだよなぁ。。バカバカしいから誰もやるめぇっての。つまりだ、そーゆー自給体制が、現実にそういった人民共和国が、カーテンの向う側ににある!ってことなんだよ。それを知らないから、あんな大口君みたいなことになったり、果ては、

 “ウォーターボーイズ”

まで捻り出さなきゃならなくなっちゃう!ってゆーオチッ。
 只々、‘ウォーター’は、世間的にペア高と勘違いされているトコだけでなく、いろんなとこから来客あったんで、うまくやってたヤツはいたらしい、と2003年頃?TVのルポでも言っていた。何しろ、僕の通っていた下りの終着駅を利用するJKというと、ペア高と勘違いされてる女子高の他に、私立女子高が2つ有り、更に私立共学高1、公立共学高が商・工・農の3つ、つまり7つの学生がいる。更に、通学では顔を合わせない多くの娘も存在する。それは、この終着駅の近くには、別の私鉄の駅と国鉄(今のJR)の駅もあって、最寄駅は3つもあるという、大きな中核都市なのだ。
 それらすべてが、“ウォーターB”に集客できたわけだから、それなりに意味はあったに違いなかった。副産物というか、それはそれとしてちゃんとあったのだから、そら良かったよおっ目でとー!!

 ウチラの時も、たった1日だけ、自給自足制を彷彿とさせる出来事があった。『教員実習』というのがあるけど、コレ決まって卒業生しか、つまり男っきゃ来ない。ところが、音楽科の牧野先生は、作曲家でもあり、その裾野は広く母校・東京芸大へへ進学した本校生を中心にした、先生の名を冠した会(サークル)があった。当然そこには、大学の女子も入ってる。チャーン!なんと2年次の時、その流れからの実習生が見えたのデス!
 生憎僕は、芸術科目は、大沢先生やはり東京芸大出身なのですが、美術をとってまして。。ですがところが・・Oh!音美違っても、さすが同じ芸大同士ツーカーで、音楽教員実習に来ていた女子学生が、本校生の絵を見たい!ということになり、な、なんとちょ〜どウチラの時間に、大沢先生がキャンパス内で写生中のウチラひとりひとりの絵を、その人と一緒に見て回ることになりました。
 とても美人さんで品の良い方。見るからに快活でお育ちも良さげだった。で、

「あらあなた、絵の具がもったいなくない〜っ??」

と、キャッキャッ話しかけて寄って見つめてきたではないかい!ーー勿論、絵をですよ。僕が、ナイフを使って、まるでバターを取るかのように、直接絵の具チューブからニュルっとナイフペインティングをしてたから。まァ、普通は油で薄めてから絵筆に盛って描くから、もったいないって言ったんだろうけど。でも、あんなリッチな雰囲気のお嬢様のお口から、ホントに“もったいない”なんて思うわけなくて、只々僕の大胆な絵の具の使い方がよっぽど珍しくて面白かったらしかったよ。バーミリオンの華やかなワンピースを着た、そのお嬢様は、高らかに(今なら紫式部の吉高笑い(^○^)に近い?)お上品な笑い声を残し、広いグランドを次の絵の方へと案内されていった。・・ホラ、

 こんな先生がホントに毎日来てたら、しかも他の教科もこんなで且つ部活も担当だったらってかんがえてもみろって。それが、エリカのあの女子高なんだよ大口君!こんな先生がいてくれたら僕でさえ、リスクを冒してまで赤の他人JKに話しかけるメリットなんてアルメーニャ!?

 しかし現実は、この高校悲惨悲惨。だから、ウチラも〜
っの凄く損してんだからさ。こんな先生と結婚する奴が出ても全然いいわけじゃん。だってエリ②の先輩はそれやってたんだから。だからさ、そーゆーの全然ないんならさ、ウチラノーベル賞でも貰わなきゃ合わないってことなんだよ。せめてノーベル賞受賞者のひとりくらい出なきゃ、ノーベル賞高校としての誉れくらい貰わなきゃ合わネーッてことだよネ、わかる!?ペア校って勘違いされてるとこからは、せいぜいキャスターが出るくらいに留め置いてもらって、ウチラ世界的栄誉を受けてこそ、やっとこバランス保てるカンジなんさ。

 でさっきから言ってる自給自足のカラクリストーリーの件だけど、なぜ?どうして?もっと早く誰も気がつかなかったんだろう??
 そこでデス!ここに、もっのスゴくわかり易い喩え話とゆーか、芸能界では有りがちか実際あっちゃった例を挙げて、一筆論じるのが良さそうだ。・・

      8

 それは、アイドル歌手・北村優子のストーリーです。時は、遡ること、

 1980、S55

巷の2大芸能誌『明星』に、衝撃的な

 “ハタチ婚・白無垢姿のユッコ”

を覚えている方は多いのではないだろうか!?てゆーか、
『え“っ!?ユッコ©️なんでこんな衣装着てんの??』
っていきなり意表を突かれたのではないでしょうか?ここだけの話ですが、何よりも誰よりも一番びっくりしたのは、ユッコのマネージャー‘Sさん’ではないだろうか!あの時は、同時多発的に、“山口百恵ハタチ+1婚”もあったんだしも〜ぅっ!
 ジツゎ僕、どーゆーわけか東横線に乗ると、かなり後のことだけどそのマネージャーのSさんに、何度か出会して、世間話をしたことがあって。。

「いやァあん時はわかんなかったんだよなあ。。」

ってSさん述壊してた。菊名に着くまでずっと、ユッコ、かつてマネージャーとして仕切っていたはずのユッコの話をしてくれた。
 いつも彼女高校の終るスッピンのユッコを迎えにSさんが行く。ユッコと合流すると、JK1頃始めは電車移動だったという。で、JK1の北村優子と20代なったばかりのSさんの二人が普通列車に乗って二人して座る。メッチャ清楚でかわいい娘だ。もうその組合せでいるだけでも、車内の何人かの目を惹くことになる。しかもユッコは、突然化粧を始める。今でこそ珍しくないかもだけど。で、あの色白の北国育ちの肌が、鮮やかに飾られていくその様ほど驚異的なものはあるまい。向いの席の人たちは唖然となって一斉にこの二人に喰い入る目線。これが毎日だったというから。現場駅に着くまでにユッコは、完璧に芸能人ユッコの顔に変顔しちゃうわけ!それこそ目を見張る美しさ・かわゆいさ・・
 そしてその日のスケジュールをこなすと、Sさんはユッコを、彼女の‘寄宿舎’でもある芸能事務所の社長宅へと送り届けて、無事仕事終了おつかれ!となる。今日も滞りなく首尾よく運んだぞ、とSさんは日々安堵したわけだ。『じゃお疲れ、あしたは3時ネ』とか言い、ユッコは『お疲れ様でした』と、かわいい声で答える。翌日もユッコは、元気に

  『おはよーございます!』

とまたSさんに落合い、車内で周りビックラの化粧行事。。巷芸能誌系の怪しい噂も全く無し!ーーですが、デス!いきなりですよ、その社長宅の息子さんとの結婚!!・・『いやあ目ん喰らったネェ全然気がつかなかったよぉ。』とSさん、自由が丘辺りから僕が乗り換える菊名に着くまでに、2度溜息混りで思い出していた。

 つまり、自給自足体制の喩えとして、いまの話、いかがでした?

 これと同様、襟元エリカのような才覚ある分析なしに自給自足体制を気づかせるのは、至難の業ではないだろうか、ということ。
 そしてこの喩え話には、もう1つ‘オチ’があって、それは、遠い将来レコード大賞歌手の歌番組でバックダンサーを務めることになる、スリムでダンサブルな妹が、ユッコのイベントに行ったことがあって。スポーツに長けていた僕の実妹は、当然優勝してユッコから直接賞品を受け取ることに。(もちSさん居たわけだけど、お互い覚えてないらしい。笑)で、傍に集まっていたユッコファンの男の子たちから、

「ユッコの妹??」

って訊かれたんだって。やっぱ似てたよネ。まぁそーゆー色白の雰囲気だったから、あの女子高が自給自足と知れば当然、進路変更ということになったわけです。それでまぁ余裕で入れる一段下の共学高へ進学したら、ファンクラブができた。そんな程度で済んで良かったんじゃ??
 ファンクラブの代表は、今だに同窓会で、“僕からです!”とか言って花束をくれるそうで、何ともいい同級生ではないか!いつまでもファンを裏切らない体型。・・みんなズボンで来るんだって。同窓会に“スカート”で“着た”のは、たった3名の女子のみだったそうだ。大方オバチャンになったんかね。当の北村優子ユッコはどんな??とてつもない芸能事務所の家に入ったわけだからということもあってか、百恵さん以上に噂はオールシャットアウト。全く知る由もないもんね。
 当の、といえばそもそもエリ②こと、あの襟元エリカ様は今どーゆーことになってるかって?そら芸能人じゃないしねぇ&知ってどうする!?

 ところで、1つ重要な点がある。エリ②は、その分析力・知性を全くの自分の人生の向上のためにだけ使っている、ということだ。同級生のT◯さんみたく有名キャスターになって世にもの申す!というスタンスは全くなく。従って、いいオバチャマになっててもオッケーなのですワ。1良妻賢母というか、そーゆーものを真剣にマジメに追求している聡明なJK、と言えたワケ。
 しかし、こーゆー‘1良妻賢母’になろう!という考えの人が、よりにもよって非情なまでの分析力を発揮し、尚且つ僕にそのことを話して聞かせたというのは、奇跡に近い遭遇!ではなかったろうか。。キャスターになるような人が、こーゆーことを言っていなかった点が、やはり比べると凄過ぎる!!ってことよ。

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 で思い出したんだけど、あの女子高ってさ、自給自足先生の呪縛が解けた卒後、フリーになるという現象、いきなり。。の証として、高卒後オールバック関及び久野両君とも、‘縛’ほどけたばっかのそこの元JK(勿論エリ②理論に全く気付かぬまま)に見事揃って引っ掛かったから。ーーなるほどエリ②理論は、核心を突いていたヮ。
 オールバック曰く。

『あんな女、◯◯◯』

って。要するに、便利娘らしい格付けの女子ですかな。で、クノ君の方はというと、デート中どこで車を止めるかって、ヤッキになっていた。別っつにさーー景色いいねってカンジで自然に止まんないのかなって思うけど。そこはホレ、ちょい幼稚なとこある久野くん、わざわざ卒アルなんか持ってって、ここでコレ見ようよと理由付停車。・・で、H方面へのキッカケに。この話の桃の木は、そっこからデスよ!アルバムを肴に話した内容というのが、信じられんが、

 “コイツはこんなバカやる奴”

だとかの、オモシロ恥かかせ話を、な、なんと僕の写真も指さして語ったそうだ。ずいぶんだやね。2、3人指さしたところで頃合い!か、とばかり少しだけHにもっていったっていうノロケ話。これって悪ふざけの範囲??イカレてなくない?しかも本人の僕に言うって、どーゆー神経してるんだろ?神経抜いてあんだかって。。
 まぁそんな姉ちゃん一生会うこともないかって、太っ腹で大目に見とくか。ここで久野くんの口癖を借りれば『子どものやることだから』とかなるんだろうけどさ。さて久野君言うに、要するに、彼の‘見立て’では、

『その娘、誰だっていいんだよ』

って。。
 これってさ、是非久野君を!じゃないことを久野自身が言うなんて、なんつう自己評価か!その女子、ホントそーなら勿論“おバカ”だろうし久野君自身も下がると思う。第一、そんならバカップルのHの場作りに使われた卒アルの僕らという人々を、なんてゾンザイに扱ってんだろう!?
 中学頃のテイク&テイクの輩とは違って、そもそも久野って普段はギブ&テイクのいい奴だのに、稀に豹変するんだワナ。こーゆー久野君のこと、清野がイミジクも言ったことがある。ーー『オレ、クノみたくあんな、きのうは笑ってたかと思うと今日は不機嫌みたいな落ち着かない奴とは付き合えネー!!』って発言、確かに当を得た意見かも知れなかった。それに、ある女の子が、久野君の第一印象を、馬子にも衣装などにも惑わされず『意地悪そう』ってコッソリ言ったことあった。(←“馬子にも・・”は久野君の口癖の1つだったかな。)

 まァなんだネ。こーゆー久野君の、いわば“天然のイジワル”ってどこから来るかといえば、おそらく‘家’から。つまり“地主の血”というのが正解だろうね。いつも、『見上げて話すのは大嫌いだ』と平気で我儘を言う。なるほど上りのエスカレーターなんかで、こっちが先に乗ろうものなら、話すときの久野の見上げ顔といったら、明らかにニガワライしていて如何にも厭そうな受け応えになってしまう。これ、ああホントにコイツ厭なんだなコーユーシチュエーションって思ったよ。

 でもさ、コレって相当我儘な考え方が根底にあるよね。だから、久野と一緒の時はエスカレーター要注意!という標語が生まれる。
 それからもう1つ。うちの話にかかわるのでアレなんすけどまいいや。僕のまぁ経済状態で良くない頃が、生まれて20年間で1回だけあった。その時は、いろいろなことが重なって、うち、マジ金欠的状況に瞬間的になったことがあったらしくて。確か、オールバック関と久野と僕の3人で、旨いコーヒーを点ててつつ、くっちゃべってた時だったと思う。・・僕が、そのことを、それとなくボソッと口にすると、何でわざわざこのタイミングで!?と思うような久野のリアクションに仰天した。な、なんと笑いながら、

「俺ンチさあ、いま生前贈与始めてさぁ。きのうも、ん十万貰ったよ。まだ何十回もやんなきゃなんないけど。」

と吐き捨てるよに言うではないか!仕方なく僕が、

「ん十万じゃ足んないだよ。」

と、うんざりした表情モロに、言葉を繋ぐと、今度はオールバック関が横ヤリストレートバック!
「困った時のん十万て役にたつで。」

ーーなんで!?まァまるで相手を諭すかのような嫌みを言うときの関君てパターンがあって、いつものことではあったんだけど。。ジツゎコレ、関君、僕に言ったんじゃなくって、知る人ぞ知る、本質は久野発言への嫉妬有りなんす。ーーそれわかってても、この段階でいよいよ、ぼくがウンザリすると久野君たら、ニヤニヤ笑った!!信じられん。。
 けど僕は思う。久野にあんなこと言われた時、矍鑠(かくしゃく)としてこう言うべきであったと。即ち、

『久野君さ、何でこのタイミングでその話題を言うわけ?君は友人かと思ってたけど違ったようだね。フツー奨学金の話とかする場面じゃないの??』

そうすれば久野とて、

『ホントだ、確かに友達じゃないワ』

って、さっさと帰ってくれたんじゃないかと思う。
 あいつ、普段は地主のいい面が出ていいヤツなのにさ。・・2人で組んだガールハントで、取り敢えずの話を女の子に断られて喫茶店にも入らなかったなんてことは、只の1度もなかったよな。通学中の乗換駅でも新宿でも、はた又旅先の道頓堀辺りでも、いつも1発で女の子が応じてくれたよな。なのによ、、、だから、コレ‘血’なんだろうね。だって、コレこーゆー意地悪だよね。元気な人が倒れたら、そこへ行って、救急車を呼ぶのかと思ったら、ここぞとばかりのタイミングで捨て台詞を浴びせて去っていく・・そんなイジワルだよ。もうー天性としか言いようなくて、しかも、この時点では僕知らなくて後々出てくるんだけど、こーゆー意地悪、もっと手の凝ったと言うか時間熟成かけたイジワルを、実は久野君これから遠い将来に渡っても、再三やることになっていたんだヮ。。

 この経済的事柄とあの卒アル変格活用の2つの意地悪があって、以後丸2年以上、久野君とは会わなかった。トバッチリでオールバックともだ。
 ここで触れておく。オールバックと久野との、奇妙な三角形について。・・それは、

 ‘関君の深層の嫉妬の構造’と‘久野君の幼稚性’ のカラクリ

から成り立っていた。図示すれば明確なんだけど。例えば、三角形ABCの頂点に僕を置いた場合。
左下B点を久野君、右下C点をオールバック関君、とする。CのオールバックからBの久野に向う“嫉妬”という矢印ベクトルがあるだけの単一構造・一直線のみ。なのにデス。関君がややこしいことを言うから、事実が捻じ曲げられ、なんの関係もない僕まで巻添え要一な役割を押しつけられ、甚だ迷惑至極な構図成らしめられてしまっていた。

 そもそもの原因の1つは、この2人、嫉妬とは優れたものに抱く感情だという根柢的な意味を忘れてるか全く思いつかないのか、にある。関君は知っての通り、バスケをやっていた。彼にとってバスケをやる上で久野の方がちょっとデカいということが根底で気に入んないようだ。ここでかれの内面では、誠に便利なスリ替が起こっている。まるで化学の電子安定配置の如き素早さでもって。ーー即ち、先程の三角形の底辺の鎖(C〜Bの結合手)が切れ、頂点A(僕)から左下B(久野)への架空の嫉妬点線がいつも見えてるらしいのだ。
 だから、何かにつけて

『サトリさん嫉妬すんなよぉ〜!』

と言ってくる。具体的には、こんな会話。。

「久野は何着ても似合うなっ。」

とオールバックが言ったとき、僕が‘フツー’に、

「でも“まわし”はムリなんじゃ?」

とか藁のつもりで言おうものなら即、関君、

「嫉妬すんなよ!」

と迎撃される。スリムだ、というむしろ褒め言葉にも聞こえるように言ったんだけど。。元より、オールバック関君の頭の中は、根柢的な嫉妬で歪んでいるので、‘誤作動’が自然な反応として頻発するのだ。で、さらに良くないことには、困惑する僕を見た久野君が今度は、彼の口癖な言霊“単純・幼稚”の真価を発揮する出番に。・・なんと、関君の僕への非難の言葉を本気で受け取り、ニヤニヤし出す。ここで、図解の点線は実線に昇格!というトンデモない虚構が現実味を帯びてくるのだ。あぁ、久野君に一滴でも知性、エリカ様のように知性があれば、大人の知力でもってこの虚構造を見抜くことは、赤児を捻るより簡単だのに。もしそうなら‘ニヤリ’は、僕でなく席の顔に向くはずなのだ。そしたら関君、何がおかしいんだよ!?ってちったァ考えるチャンスを与えられたかもしれんが。
 しかし、この久野君のおめでたさは段突No.1!!あぁなんたる子ども。しかもおめでたい久野は、こう付け加えさえする有様、

「オレ、自分好きで不満ない!」

と言い切りの口調。けど、ーーホント!?てゆーか、

 え“っ!?そ、そんなんでいいの???何の管弦のお習い事なし・嗜みもない只の木偶の坊(デクノボー)でホントにいいって言うの?

勿論、口には出さないデェ。。そもそも、
 10代で“満足”って言えるって、僕はゴールドメダリストだけだと思ってる。それですら『でも次の目標もできました』とか一言添えるはず。だからあれじゃ久野ビシロゼロか!?ということは、これ以上の発展は望むべくもなく只々老けてゆくばかりなのか。。まァ関君は関君で、その場凌ぎをやっているに過ぎないにも拘らず、幼稚な久野君は完全に関君の言を信じきっている。それは子供心にきっと心地よいはず。僕にとっては、迷惑以外の何モノでもない!のだが。
 まァ久野君が、あのエリ②みたく分析力に優れた人であったなら、一言、

『関君、もういいよ。』

って、オールバックにとっては天地が引っくり返るような発言をしたことだろう!したら関君、頗(すこぶ)る狼狽して、

『え“っ!?何がぁっ??!』

という転回奈落のドン底に限りなく落っこってもはや2度と2人に顔向けすらできないくらい尻尾を丸めて退散してくとこだけど。。ところがドッコイ、何しろ久野のあのおめでたさ天下一品だから。いつも他人のこと“あいつおめでたいおめでたい”と言霊は当人久野からまさに滲み出たもの。なので、関君のオールバックが、ビックラ逆立ってオールフロントに雪崩れるほどの退散劇は決して起こり得なかった。それこそ、駱駝が針の穴を通り抜けるよりも遥かに稀有なことに違いない。

       10

 エリカと知り合うのと相前後する頃、僕は、余りにもカエルみたいな子を見つけ、ウフっとちょっと話しかけてしまった。が、その子ときたら、

『いつも一緒にいる子。。』

って探りの一言を入れてきたではないか。ーーなァんだ、帰りによく久野と一緒にいるウチラを見たことあったのかよ。念押しに、今度はこちらの探り、

「興味あるの??」

って半ば単刀直入に訊いたら、揺れる電車の中で黙ってこちらを見つめたまま。ーーなるほど。
 全く否定してない!っつわけで、

「アイツなら・・・」

と辛うじてコンタクトをとれる情報を与えてやった。すると・・

 10日もしないうち。ーー『カエル娘とデートしたよん。。』
とまあ久野が、ニコニコ語り始めるではないか。それはそれは、逐一詳しいと言うか、もう詳し過ぎる描写を伴うおはなしでしたぁ。

 そうデスにゃ、会ってどっか行ったとかいうのは、大方誰しも同んなじなので、特に俎上にないけど、チョイえ“っって思ったのは‘キセル’の段!なんで初デートの話に、こんな項目があるのか、ちと考えられない。『こうやるんだって。』と手のひらにコインを置き、指先に切符を持ちつつの仕草の久野君さらに、

『あの娘に教わったんだ。』

と。ーー僕は、只々びっくら!呆然でした。(え”っ!?初デートでそんな話したのその娘!それって自己紹介でケツの穴まで見せるような行為では??旅の恥はなんたら言う旅先でならまだしも、毎日通学する路線でよく会うかもしれない相手に対して。そーゆー話って、万一いや億が1出るにしても何ヶ月とか経ってからなのでは?あら、お育ちが。。あ〜〜よかったァあれ以上関わらなくって!!)と僕は胸を撫でおろすように&呆れてグッと黙ンまりしているとアレ、久野君にわかにニヤニヤし出した。何ニヤケてんだか、と久野と目ん玉が合ったままいると、彼の口から予想外の言葉。。

「ぁ、言わないほうが良かったかなっ。」

って。ゲエェェエ“ッ!?コレって要は、“僕たちこんなことまで言える仲よっ”ってことらしくて、まさか僕がそれを‘ヤク’ってか!?エ!ゲッ?いやもうこれは全く頂けない話だヮヮ。ちょっと住んだ世界、そんな違ってんの感。これじゃ久野君がいつも他人のことをよく、

『あいつ全くおめでたい奴だ、単純で幼稚だなァ、子どもだよ』

って言うその言葉そのまんまのおめでたい存在なっちゃうけど。
 
 ところで、1、2回目のデートでいきなりケツ穴云々を喩える前に、一度ここでそもそもの“お嬢さま”についてのお話をしておかないと、話がうまく進まない、ということに僕は気づきました。

     
       11

そこで、久野君と僕の、今の考え方と、互いの小学校のときいた娘たちの考察が必要になりました!
 端的に、僕の、キレイな娘に関する考えは1つ。ーー

 “キレイな娘は何でもできる!”


 そして、久野君によれば、

 ”鉛筆を削ってきてくれるコは不細工で逆にキレイなコは料理しない”

とまァ、僕とは真逆の感覚を持っており、では何故そうなったかってことよ。
 ウチの方って、都心から大方3、40分の私鉄沿線にあって駅からも10分くらいで歩いてける家が多い。しかし、小学生から30分以上の通学というのは、親としても心配らしい。家が史跡指定で天文学的資産家の子息といえども、都心の私立校へ通い出すのは中学からがほとんどで、従って地元の小学校には、けっこうお嬢様お坊ちゃまが居て‘玉石混淆’状態なのです。因みに、席が隣り合った子も、そんな1人で、

「ねえ、貴方のと鉛筆削り一緒にしましょうよ。」

と丁寧上品なお言葉遣いで、いつも二人一緒の小箱に鉛筆削りと削ったカンナ屑みたいのを溜めておいて、休み時間というか1日おきくらいにポイってカンジ。あの‘タチノミ’君が高校になって時計交換してたように、

ウチラ小学生でこんなカンジで、万年筆交換したりしてたっけ。いずれにしろ、こーゆーのって、小学生がする‘愛’の典型なのでは!?

と言いながらも、僕は、その娘の白い家の脇の広い芝の上で、1回だけその娘を息が詰まるほど思いきり抱きしめたこともあったけど。なら‘タチノミ’とかは小学生未満なの??

 鉛筆もきれいに削るし、髪もメッチャキレイにしてるし、1本1本の鉛筆のキャップも目の覚めるようなゴールドのキャップが芯を守っていた。も〜オシャレで上品できちんとしていて言う事なしのお嬢様は、来るべき中学から合流するだろう都心の生徒に遅れマジと小学1年からちゃんと英語を学習していた。・・遊びに行くと、いつもハンディ辞書を持っていて、お話の途中でも、例えば、食べたおいしいイチゴの話の時なら、さっと辞書を開いては、

「ね、サトリさん、イチゴって英語で何て言うか知ってる?」

と。僕が、一瞬でも考えると、すかさず辞書を見せると同時に、

“strawberry ”

って滑らか流暢に発音してみせるのだ。だから僕が、一番最初にキチンと覚えた英語のspellと発音って、strawberry なのです。同時に、芝の上で抱きしめたときの、甘酸っぱい香りは、勿論苺ミルク味!になって思い出される。

 そして、家もキレイな白い木組のハウス。

1960年頃の日本では、瞬間ガス湯沸器すら大して普及していなかったのに、外に潜水艦みたいなオイルタンクがあって、水道が青と赤と2つあった。赤を捻ると、それこそ‘湯水の如く’お湯が出てきたし、リビングもだだっ広いし。。・・こんな家、今ではどこにでもあるけど、半世紀以上前の話だから。。
 要するに、こんな娘がクラスに2、3人はいて、学年ではフツーに10人以上いたわけだから、僕の女の子に対する考え・イメージは、自然、

“キレイな娘は、ヘア・爪からお洋服、削る鉛筆に至るまですべてキレイ!”

ってなったわけ。

 さて、久野君ちの方はというと、同じ私鉄なのに特急は止まらない駅で、しかもその駅からも30分近い、実はかつての近隣の村が編入された田舎部分でもあった。ウチラの特急停車私鉄駅から10分圏とは、まぁここで環境の分岐点あるのかも。
 久野君が小学校の音楽の授業中、こんなことがあったそうだ。一人づつ前に出てタンバリンをリズムにノセて叩く、という。で10人やっても10人共リズム音痴が続き、1人としてリズムに合ってるのいなかったんだって。見ててイライラしてた久野君に番がきて、叩いた。・・シャンシャンシャンシャンシャラララシャーン!と、先生の言うリズム通り見事に(てか当り前のテンポで)打ち運んでいって。。10人も不作続きのあとだったので、先生含めて逆に、しら〜っと沈黙。ま先生としては、よくできた、と。このタイミングで久野君、

「なんだこんなモン!」

と言い放って、タンバリンを虚空高らかに投げ捨てちゃった!そうだよん。かなぐり捨てたっつうか。・・一同唖然。。

『後で先生の顔思い出すとまずかったと思うけど、だってあんな・・・』

と言う久野君でしたが、その話で僕は、その学校のレベルの低さに只々唖然だった。
 何しろそれなら、鉛筆きれいに削ってくる子は不細工だ、という考えに凝り固まっている現在の彼の心境も、さほど想像に難くないかぁってカンジした。しかし、、同じ県内で、なんでこんな差があるのか?1つ理由は、久野の街規模の方が大きかった。それは、やはり幾つか‘村’を合併してのことで、その村の部分の広々とした所領が“久野家”という具合だ。
 で、ウチラの方がコンパクト、小さな街だけど、私鉄特急も止まる駅のうえ、駅近部分に集約されており尚且つ更に、インターナショナルな街だった。ドル円がフツーに使われることも珍しくなく、僕は、小学生の時のカーニバルでは、フツーに換金所で1ドル=360円で換金し、ルーレットをドル建てで賭けてやったことすらあったのだから。小学生頃からの、以上のような蓄積の差もあったものと思われた。

 で、僕は、久野が女性論を語るとき、いつも頷くこともなく黙っていた。決して『そんなことないよ。何でもできる子はいるよ。』なんて言ったことはなかった。しかしだンまりは“肯定”と取られていたかもしれない。特に久野のことだから、自説が天下一品のはずなので尚更のことだ。よくなかったかもしれないな、と反省しきりの21C今日この頃デス!

 そんな背景がありつつです。久野君、次のデートのことを盛んに言い出した。キスしよう(‘キス’というものをしてみよう感有り)と思う、と言っている。ので僕は、

「したいんならすりゃいいじゃん。」

と。するとこんな応えが返ってきたのです。

「でもチンケだしなあ。。」
「え!?」
「‘チンケ’な顔してんだもん。」

久野にそのように言われて、僕はダンマリたよ。僕には信じられなかった。‘チンケ’だと思う女の子によく時間を割くものだ、とネ。呆れて、暫しのち、

「え〜ぇ“っ!」

と思わず僕は口籠もる。ーーそれにしてもあの女、久野の情報をやったのに、分りゃ用無しかお礼の一言もなし、いやそもそも“初デートケツの穴発言ぽい”よなお育ちの子に、そんなん期待するのも何なん?つか関わらなくてホント良かった結果的に。
 だけどです。久野君の、キスの予定の堂々巡りの話は、1回じゃなかった。そこまで魅力を感じない娘にどーして会うんだか、さっぱりわかんない。なんなんだか???・・確かに、僕のはじめカエルみたくてちょっとおもしろそっ?という印象と彼の言う‘チンケ’という表現は、一致感有り。しかし、いま僕にとっては単にお里が知れただけだった。マジうまい具合に、なんかこーゆー子には縁ない、か今回みたく運良く?自然、縁なくなる。声かけても、だ。逆に、お嬢様からは決まって興味をもたれる。なんなんだか。
 一方、久野にとっては、チンケであり且つそれで会い続けてる。こうなってくると彼が、ドン・キホーテにさえ一瞬見えた。。なぜって久野君て、“人を使う”という考えが全くない。自分で爪を切ったこともないような僕とは大分違う。だから、喩えれば、‘田舎紳士’は紳士でも、

  “従者のいない領主様”=“サンチョパンサなきドン・キホーテ!”

というところか??
 この話に限らず、久野君女の子にまつわる妙な話、多い気ィするワ。・・例の、クルマをどう停めるかの、Hの場作りに利用され、まるで巣作りに骨身を砕身活用された気分だったときの子の話だけど。それから2年も経った頃、電話と手紙が彼から僕に届いたことがあって。。電話には僕が出ないことがあってか、執拗に手紙が来た。表向きは、あるJAZZレコードをお借りしたい!というのだが、それにしては少々しつこ過ぎるので、何かあんだろなぁ感を薄々感じた次第デスよん。
 だって、最後に会った時に、久野君、こんな発言をしてたのだから。

「感覚が合わなくなった友だちとは、会わなくなっても仕方がない。そのまま一生会わなくてもそれは仕方ないことだと思う。」

とさえ。
 でまぁ、見事に、あのHの巣作りぁいや場作りの肴にされた僕や何人かの‘お話’をノロケ暴露されたのを最後に、丸2年間音沙汰無く、それがいきなり、

『こんにちは元気ですか、あの、コレこれのレコードを・・・』

とくれば何か危ないよなァ?非常に非っっ常にメッッッチャ良くない予感がしますたネ。
 しかし、、、久野君、アーティスト名・録音年までキチンと書いてくるからして、しょーーがね〜ィ。。


   最 終 章

   1

ところでデスよん、

出かけてったらさ、鼠取りのような罠が用意されてたことは勿論で、メッチャやな予感通りだったばかりでなく、その先々も、14万字なんかじゃとても②語り尽くせない、森田公一の歌のような青春時代は

  ”胸に棘さす”

よな物語がワンサカ待ってたってことなんさ。
しかも、そんなことには全くお構いなく、

あのニュートリノってヤツはいつでもどこでも飛来してたってことなんだ。。


 
 ・・それからも僕は、地道に?自己実現に拘(こだわ)りつつ、意地悪をモノともせず生き続けてた15年後のある日。。
 スキー場でインストラクターから『スジが違う!』と賞賛された、スリムでダンサブルな妹は、

歌番組で大賞歌手‘明菜’のバックダンサー8人の1人として

白銀のっちゅうか桜吹雪の舞い降りるステージに居って・・その夜も僕は、放送局脇で、迎えにシボレーのハンドルを握り待っていた、‘80年代の準ゴールデンタイム。

        21:00 !

 赤坂の放送局前広場。
 “ザ・ベストテン”のオープニング。
 真昼のような照明の中、
 きれくカッコいいダンサーたちが一斉に踊り出し、
 ダダダーーーン!

 CMに変わると、
 その僅かの間に、すざましい勢いで出演者全員がGスタに向って走る走るハッシる!
 本篇は中のGスタなのだ。さァさァ走れ走れトットと走るダンサーの1人僕の妹も
 Gスタへ急ぐ。カモシカのように走る妹に廊下で、丁度ローラースケートの練習をしていた、まだホント に少年だった’光GENJI’がぶつかりそうになって。“あっあァァ〜ッ!” 妹直撃寸前で停止!流石!!

 「ゴメンナサァァイッ。」

 ナンパしてんなよ!?難破して遅れたんだよ、
 いや難破船よ、早くハヤク!・・セーフ!全員Gスタすたんバイ、CM明けに間に合う。ふぅぅ。。
 生ってコワイねッ。

 破竹の勢いのアキナ、
 白い光線。
 この夜、
 アキナを飾る8人のダンサーは、
 Vの字になり。
 白無垢の打掛けを纏(まと)った
 妹がVの要の位置に立ち。

 それを見た司会兄ちゃんたら、
 「なんてキレイなんだろう!
  ひとりくらい持ち帰りたいなァ。」
 などと。。

 今宵のステージは、
 白が基調で、
 連続トップテン入りした翌週は、
 モダンバレエ風の
 淡い紫が基調だった。

 ブルーやパープルライトの中、
 アキナのバックダンサーたちが、
 天女のような美しさで舞い踊る。

 そうして大抵は、
 パンしながらクレーンで急速にズーミング
 したかと思うと明菜が首を傾(かし)げる、
 ハッというカンジのチェストショットで
 フェイドアウトしていった。

 僕は毎週、ビデオ録り続け、
 ちょっとしたプリズム色シリーズ、かなって。
 コレって、言うまでもなく、
 同じ曲が毎週トップテンにランクインしたからこそ、
 振付が違うバージョンのセットが可能だったわけで、当〜然
 アキナは、この年のレコード大賞に輝いた。だけでなく、
 なんと翌年も連続大賞をゲットした。

 この時僕は思ったーーこ、コレは、ノーベル賞2回も獲った
 キュリー夫人に匹敵する!と。
 確かにこの巨大潮流は、更なる歌姫アムロ・アユを生んでいくことに。。


     2


 そして迎えた大晦日の夜、
11時過ぎ、僕はその時も、真紅のシボレーのイグニッションをスタートさせ、
 ブロンブロロロゥッーー、ブーツがアクセルを蹴る。

 夜の渋谷の街の華やかなイルミネーションを抜け、公園通りからNHK脇に待機。
 ‘紅白’が跳ね、新年同時にオレンジコートの妹が姿を現した。この日妹は、
 先の仕事であるレコ大のハードなダンスの後、僅か数百メートルをロケバスで大移動。
 紅白では打って変わって、煌びやかな扇を両の手に掲げての日舞だった。なのでか、

 「ロケ弁食べる暇なかったァ。」

 と豪華な重ね袋をリアシートにドサっと置いた。

 「へえーけっこういいモノ入ってそうだから‘お節(おせち)’に加えてたべよっ!」

と言う妹。

「い〜ィカンガエだァ!」  

と僕も痛く喜んだ。

この時間光まばらの山手通りを、賑やかな花園神社へと辷(すべ)るように直行した。 

     3

 花園芸能神社へ初詣出参拝すると、大きな木馬のある歌舞伎町のアイスクリーム屋に寄った。
好みの3種類の新鮮な木の実をその場で混ぜてくれる。木いちご・ラズベリー・クルミを、バニラアイスクリームに入れてもらい。。(^○^) とろけるほど美味しいおっいしぃぃぃぃぃっ。

 神さまは木の実がお好き!?
 日本の神棚に挙げるのは、御神酒(おみき)と水とお米や木の実・・と菜食系。肉を食したら21日間大根を食べよ、と日の国に於ては1万年以上も前から言われている。こーゆー4万年も続いた日本の文化・文字などがG.H.Q.によって焚書されたり、未だに独立後の憲法すらロクにない結果、入ってきたドロ棒に向って、

「すいません、ここウチなんで出ていってくれませんかぁ?」

なんて情けないこと言ってる。アメリカでは、ハロウィンで家どころか庭に入っただけで射殺されている。ロシアでは、領空を旅客機が通過しただけで撃墜されている。日本は、侵入者(侵犯機や侵入船)をご丁寧にも、民間機だとか民間の船と言ってる。ドロぼーにあら民間の方なんて言うかよボケ!バカウンサーええ加減にセーや。世界の常識と照らし合わせ、小笠原のサンゴ泥を撃沈しないのは、小笠原の漁民を見捨てていて、もはや正真正銘のバカのレッテルが貼られるのではないか?

 世界6位の面積と海洋底に膨大な資源を有する、最古の王国・民主王国、日出ずる国よ、そろそろ目を覚まして雄叫びを挙げよ!

     4


 ・・眼下のスカイツリーのイルミネーションが、華やかなショービズの思い出にまでインフレーションし、わけ分からん世界にまで話が迷い込んでしまったようだ。

考えてみりゃ、そのインフレーションの時から存在してたんだろうネ、諸々もろもろの問題がさ。
 でも、決して
 しあわせはレトロの世界にあるんじゃない!!
 未来を信じろ!
 そーすればお釣りが来る!

 ・・え“え”ぇっ!??

 それはね、ジツゎ
 過去も変えられるからさ!!
 もちろん現在、
 命の全くの元通りはなかなか?だけど、ところが

 未来を変えると新しい‘いま’の考え方が形成され、
 過去さまも、違って見えるのさ!
 だから、
 ほのぼのしてた少年よ、
 大志を抱いて生きてみろ!っての。

なら、そもそもしあわせの時って\(^-^)/
 未来を信じることができる
 “いま”でしょ!!

    日も昇れ、鐘も鳴れ、
    月日は流れ僕も進む。

 だから、
 だからこそ、

 マララさんはじめ、
 翼をもつ夢見る人・・

   Girls
       Be Ambitious !?


   5


こんな時でも、それでも
ν(ニュートリノ)は流れてる。

・・アラスカにも注ぎこのツリーにも、な 。。

 ならならば、あの時もきっと隅田左岸にも、銀河より遠い150億光年の彼方から降り注いでいたんさ!
ボケっと浮かれたウチラの頭なんか、ふいっと貫いて変幻自在・不滅のエネルギー体として形を変えながらも、再び広大な銀河団の大向うの彼方へ帰ってゆくなさァ。。。


 仮に、その変遷するエネル源、浅草に飛来して通り抜けた波動を

   “浅草ニュートリノ”

と呼ぶことにしよう。

 さすれば、あの日あの時ウチラ2人が歩いていた隅田西岸。夜空に輝く頭上の白鳥よりもっと遠くから、僕は何かを感じていたはずだ。フヮッとシャネルの香るミリーナと初めて歩いた聖天町の紅葉し始めた木々の中。・・それらを一気に貫いてゆく、何かを感じて見たはずだ。ーーリオやブエノエア清らかな空気という

ブエノスアイレスまで、瞬間通り抜けていくドドドドさァァーっと、光陰矢の如き”浅草ニュートリノ”をっ!

              
           (『浅草ニュートリノ』本篇完)


参考付録・クラス編成表(1968〜’70年度)

団塊終了につき、ウチラ世代より毎年9名づつ定員減(超半端49人クラスのワケ)

1年次(1968年度) 織花一好(オバナカズキ。電通部、後に工業会のお偉方、某社取締役)
同級生・文理分けなし 大間遊山(オーマユサン。美術部の‘ユーサン’、自称‘土着民’。後に陛下褒 賞を賜る画伯。
・・・ウチ含め49名
          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2年次(1969年度) 額田諦造(ヌカダタイゾウ。‘額田の王様’、後にA.U子と食事をしたり、自 社を上場したり。マイジェットを下駄にする天文学的大金持ち。)
          関貴登志(セキタカトシ。バスケ部、オールバックヘア。サトリと ‘高映連’結成、そのカントク)
           大口滋(オオグチシゲル。高映連へ映写場提供。麻友菜は姉)
           久野久大(クノヒサヒロ。アソビニンのいい奴)
                               ・・・ウチ含め49名
          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3年次(1970)   大間遊山(再同級)
文系クラス     関貴登志(再同級)
(実質芸術系?)  荻生寿秋(オギウトシアキ。‘オーギュスト’、のちに難関大指揮科に進学、新聞社作曲コンクール優勝、クラシックCDリリース)
           ・・・前年シックスナインの学園紛争で退学者相次ぎ各クラス1名減 に。結果、同級は、A組DK48名からI組DK48名まで、3年次同窓生 
           48×9クラス=432名になった。



あ♡と♡が♡き

 今世紀が明けてからのある日のこと。。
 スターウォーズ冒頭のディスクのように、机の奥の方から突然、何かが続け様に転がり出てきた。
 1つは、内容物のサイズに合せ、丁寧に何層にも折り畳んである黄ばんだ封筒。差出人は、フィルムメーカーの現像所で、受取人は既に40年以上も知らん人宛になっていた。“サトリさんの方が物持ちがいいだろう”という声が、宇宙線のように一瞬脳裏をよぎった。ならそれは今、たまたま大正解になる。但し、40年以上見かけたこともなかったシロモノにつき、ホントに偶々だ!中身は、ウィンナーコーヒーのように色の歪んだ、短編映画の16ミリフィルムのようだ。『1969春、高映連製作』とある。

 もう1つのモノは、カセットテープ。『ミルクお入れになりますか?』とジャズ喫茶でゎ必ずきかれたあの頃、「はい」と答えたわいいが、毎日ブルージーンズのウェイトレスのいつものこととわいえ、思いっきり注ぎ過ぎた’ミルク色したカフェオーレ様のあの色・・。飛び出したテープは、そんな色だった。切れはしないかと、おそる恐る回してみると、どうやら学祭の雰囲気。けど、大学じゃない。こ、コレは・・DKの声のみ!うっ、最悪だゃゃ!!高校のだよ。よく機材を貸してたから、バンドなんて関わってないウチんトコに、偶然紛れ込んでいたらしい。

 とゆーことで。肝心の映画の音声テープのしょざいは!?なんてこった。もぅ存在しないのか??
 それでも、白んだ、澱(よど)んだコーヒー色の2つのテープを前に、まざまざと、ある光景が浮かんできた。

  “出たとこ少女発見!
    カメラ・・アクション!!“        

ーー僕ゎ、ある寺院の境内で、ベンチに佇(たたず)む美しい年上の人(といっても19くらいのキレイなお姉さん)に、あの時、確かにカセットレコーダーの銀色のマイクを向けていたのだ。・・      

 ーーそして。
 ’モノ’が出現してから数日後、更なる偶然が重なり、なんと‘オールバック氏’快存を知った。僕のブログを見つけてくれたのだ。僕は早速、業者にフィルムの‘スス払い’を依頼し、且つDVDにRecしてもらった。僕は、DVDと16ミリフィルムを携えて、東京の定宿で、遅い朝食後の発声練習をしながら都庁のよく見える部屋で待機した。長年の習慣で、朝音階と発声をしないと1日が始まらない僕にとって、ピアノのある定宿は必須だった。

 フロントからコールがあり、中層階のティールームで、30年ぶりのオールバック関君との再会。流石に、かつての歌舞伎役者顔負けの色男度は少し燻(いぶ)し銀になったものの、着ているグリーン系のシャツは、さり気無く実にオシャレだった。医学が進歩したお陰で、オールバック関君は見事、カムバック関君、となり得た!というのも、我が父は、奇しくもオールバック関君の場合と同病・同じ歳に倒れ若く他界しているのだから。

 その関氏ですが、現在父ひとり娘ひとりの、関君の娘さんは、ああ何という巡り合せだろうか!?滔々と遡れば、あの才女・襟元エリカさまはその同窓に当るのだ。娘さんは、その後、いわゆる学院系のお嬢様学校へ進学し、現在欧州留学中につき関君退屈、というので30年ぶりの再会がキッカケで2ヶ月ごとに3回ほど、コロナ騒ぎの直前まで会えたのだが。
 
この騒動で日本の習慣に着目中の欧州の皆様、気は確かですか?記憶力大丈夫ですか!?・・僅か150年前の‘命の起源’の実験。あの時、靴底(外履き)の泥が舞い上がって菌が発生したとかの疑問が呈されたのに、なぜそれを衛生学・微生物学の観点からも考察しなかったんですか??賢い人は、その日から、玄関先で靴を脱いだことでしょう。

 さて、‘モノ’を渡す段になって。。西口公園方面から、幾ばくか光がカーテン越しに差し込む高層階の、テーブルの上に僕が差し出した‘たいそうなモノ’を見た彼は、神妙な眼差しで暫く見入った。その口が開くまで、じっと僕は、それこそ

  “白鳥の首フラスコ”

のように、首を長く長く長〜くして待っていた。と・・・
 以前と変わらぬテカリオールバックン・カムバック関君は、ボソッと一言、

「オレ、何撮ったんだっけ!?」

 うっうわああああああ。。
 まァ男子高なんてこんなもんだみん。

            (『浅草ニュートリノ』 終り )


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