出来事」と「力」とその具体的実践


ジル・ドゥルーズの思想の根幹には、「出来事」と「力」の概念がある。これらは決して抽象的な観念ではない。むしろ、具体的な実践へと私たちを導く鍵となるものなのだ。

ドゥルーズが「出来事」と呼んだのは、私たちの経験や認識の枠組みを揺るがす出来事のことである。それは単なる経験ではなく、私たちのあり方そのものを問い直す「力」を備えている。例えば、親しい人との出会いや旅行、病気や災害の体験など、さまざまな形で私たちの前に「出来事」はやってくる。

そうした出来事に私たちが身を任せ、その「力」に開かれていくとき、私たちの思考や存在は新たな地平へと開かれていく。固定化されたアイデンティティは揺らぎ、新しい主体化のプロセスが始まる。ドゥルーズはこの過程を、古いものの「持続的な解体」と新しいものの「曲折した生成」として捉えた。

しかしそれは単なる混沌や無秩序を意味しない。むしろ、既存の枠組みを超越しながらも新たな創造性と可能性に向かって運動するダイナミックな実践なのである。それは、変化と不変、秩序と無秩序の境界線上を進む、創造的な生き方といえるかもしれない。

では、具体的にどのように「出来事」と「力」に開かれた実践が可能となるのだろうか。

第一に、「出来事」に気づく鋭敏さが不可欠である。日常の中の些細な出来事でも、私たちの存在を大きく揺さぶるものとなりうる。そうした出来事の衝撃に留意し、耳を傾けることが大切なのだ。

第二に、「強度」や「強さ」に身を任せる態度が求められる。ドゥルーズは、出来事に備わる「力」は強度の差異として現れると述べた。私たちはその強度の運動に身を委ねることで、新たな主体化へと開かれていく。つまり、つねに変容し続ける姿勢が肝心なのである。

最後に、フィギュールという概念装置の活用が有効かもしれない。フィギュールとは人間的観点を相対化し、ヘテロな存在様態に思考を開く装置である。機械や動物、分子といった異質な要素に着目し、それらの力学に思考を連関させることで、新たな実践の地平が見えてくるかもしれない。

このようにドゥルーズの思想は、単なる観念論を超えて、力動的な実践を示してくれる。「出来事」と「力」に身を晒し、揺さぶりと生成の渦に飛び込むことで、私たちは常に新しい創造性に向かっていくことができるのだ。

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