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  • ドゥルーズ集

    ドルゥーズ思想に関する記事

最近の記事

原稿4000字③

・とにかくテーマが見つからないのでテーマを探す。掘る。という風に比喩的に掘っていく。 ・人はそう簡単に自由にはならない。 ・エキサイトしても退屈になるだけ。

    • 無意味な行動を経て意味を創造する

      ドゥルーズの思想において、「意味」と「無意味」の問題は大きな位置を占めています。 ドゥルーズは、世界に前与の意味や本質があると考える形而上学的な見方に強く批判的でした。彼にとって、「意味」とは事物に内在する不変の本質ではなく、むしろ常に生成変化し続けるプロセスそのものでした。 つまり、ドゥルーズが重視したのは、意味の生成そのものの運動です。意味は事物の内側から発するのではなく、差異化や反復を通じて外側から生み出されていくのです。この意味生成の過程では、一時的な無意味の領域

      • 原稿4000文字2日目

         2024年5月31日 ・これはそもそもが人に読ませる文章ではない。 ・これはリズムを得るための文章なのだ。 ・誰が受け取るのかもわからない宛先のない文章なのだ。 ・絵のある生活。 ・そもそも私が何故ドゥルーズや坂口恭平などを読んでいるのかというと私は何かを制作したいという欲求はもっているのだが甚だそれも漠然としている。 ・制作することは快楽であり、美的生活であり、人間の根源的な欲求である。 ・主体は毎日のリズムから生まれる。そのリズムから生成変化が生まれる。 ・毎日筋トレす

        • 現代人はいかにして自由たりえるか

          私たちは如何にして健康的な心身でありえるだろうか。  現代人はいろいろな方法を駆使して自由。  テクノリバタリアンという人種がいるらしい。という話。テクノロジーを駆使した自由主義者といったところ。イーロンマスクしかり。    私は楽しむことを忘れた存在であり、逸脱した文章を書く。これは排泄のような代物で、現に私は排泄をしている。人間排斥をしなければならない。排泄を、することにヨって人は健康になる。毎日ぶりぶりやるのがいい。  私が安定した存在になるのも排泄をしているからだ。ド

        原稿4000字③

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          20本

        記事

          ポスト・マローンとケンドリック・ラマー

          現代ヒップホップシーンを牽引する二人のアーティスト、ポスト・マローンとケンドリック・ラマーは、それぞれ異なるアプローチで音楽界に大きな影響を与えている。 ポスト・マローンは、ジャンルの垣根を意識せずに自身の音楽世界を作り上げている。彼のサウンドは、ヒップホップ、ロック、カントリー、ポップスなどさまざまな要素が入り混じっており、一種独特の魅力に溢れている。歌詞の中に現代青年の孤独や不安をありのままに綴っており、リスナーの共感を呼んでいる。 一方のケンドリック・ラマーは、社会

          ポスト・マローンとケンドリック・ラマー

          台湾有事とロックンロール

          近年の台湾有事の懸念の高まりは、世界を不安に陥れている。しかしながら、こうした時こそロックミュージックの力が発揮されるのではないだろうか。 ロックの歴史を見れば、戦争や抑圧、社会の矛盾に際し、音楽が人々に勇気と希望を与えてきた証左がある。ベトナム反戦運動の際、ジョン・レノンの「イマジン」は平和への強い訴えとなった。ニール・ヤングの「Ohio」は、無実の学生を殺害した国家権力への怒りを投げつけた。 仮に台湾有事となれば、またもロックがフロントランナーとなり、その思想は世界中

          台湾有事とロックンロール

          ハイデッガーと決断〜覚醒の思想家〜

          ハイデッガーの思想における決断(Entschlossenheit)の概念は、実存論的分析の中核をなすものです。以下、決断について詳しく説明します。 決断とは、実存者(Dasein)が自らの本来的な有り方に目覚め、本来性(Eigentlichkeit)へと自己を取り戻す契機のことを指します。ハイデッガーによれば、人間実存は日常的な無人称的存在様式に囚われがちですが、不安(Angst)や死に直面することで、常套的な有り方から覚醒し、自身の有限で決定的な実存を自覚する可能性が開か

          ハイデッガーと決断〜覚醒の思想家〜

          メルロ=ポンティと顔ヨガ

          今度は「現象学的還元」の概念に着目してみましょう。メルロ=ポンティは、ありふれた日常からひとたび離れ、事物の本質に向き合う作業である現象学的還元を重視していました。しかしその還元は一過性のものではなく、絶えざる反復が必要だと説きます。 顔ヨガを実践する際、私たちは普段無意識にしている顔の存在から一旦離れ、顔そのものに意識を向けることになります。これは一種の現象学的還元の作業と言えるでしょう。 日常生活において、私たちは顔の存在をほとんど意識することはありません。しかしヨガ

          メルロ=ポンティと顔ヨガ

          メルロ=ポンティと顔ヨガと「反復概念」

          メルロ=ポンティは人間の行為や表現には反復があり、その中に新しい意味や価値が付与されていくと考えていました。つまり反復の中に創造性が内在するのです。 顔ヨガを続けていく中で、同じ動作や呼吸法が日々反復されていきます。しかしその一つ一つが単なる繰り返しではなく、そこに新しい気づきや可能性が生まれ続けているはずです。 例えば、ある日の呼吸は昨日とは違う。表情筋の使い方に新たな発見があるかもしれません。このように反復による蓄積が、顔の身体性への自覚を高め、顔との対話をより深くし

          メルロ=ポンティと顔ヨガと「反復概念」

          『メルロ=ポンティと顔ヨガ』

          現代社会で注目を集める「顔ヨガ」。これは顔の筋肉を使ったストレッチや運動によって、肌のハリを保ち、しわを減らそうというものです。一見、ただの美容法のように見えるかもしれません。しかし、この顔ヨガには、20世紀の現象学者メルロ=ポンティの思想が色濃く反映されているのです。 メルロ=ポンティは、人間存在の根本に身体性があり、身体こそが知覚と思考の根源であると説きました。身体は単なる物質的存在ではなく、世界との関わりを支える深い意味作用の場なのです。そして、私たちはこの身体を通し

          『メルロ=ポンティと顔ヨガ』

          ストアカとドゥルーズ的実践"

          ストアカ(ストリートアカデミー)とは、若者たちが自主的に集まり、学び合う場を作る活動のことです。公園や路上など、様々な場所で開かれるこの自由な学びの場は、一見するとジル・ドゥルーズの思想からは遠く離れているように見えます。 しかし、よく見ると、ストアカにはドゥルーズ的実践の側面が潜んでいるのかもしれません。 まずストアカは、制度化された教育の枠組みから逸脱した実践です。学校教育が画一的な知識を注入するのに対し、ストアカでは参加者同士が対等な立場で自由に学び合えます。これは

          ストアカとドゥルーズ的実践"

          逸脱

          「資本主義社会の超克」 ドゥルーズは20世紀を代表する哲学者の一人ですが、その思索は現代資本主義社会への強い問題意識から発していました。彼は既存の資本主義的価値観や制度に深く組み込まれた抑圧と均質化のメカニズムを見抜き、そこから逸脱することの重要性を説きました。 ドゥルーズが目指したのは、資本主義社会の垣根を乗り越え、新しい可能性へと思考の地平を開くことでした。そのためには既存のコード化された体系から離脱し、常に新たな生成変化を促す必要があると考えました。これが彼の「脱コ

          「無気力症とその克服方法」

          現代社会において、無気力症は深刻な問題となっています。私たちは日々、ストレスに晒され、疲労を感じ、やる気や意欲を失いがちです。この無気力は、仕事や人生への熱意を奪い、生産性と幸福度を低下させかねません。しかし、適切な対処方法を見出せば、この状態は克服可能です。 無気力症の原因 無気力症の背景には、様々な要因が潜んでいます。 ストレス 過剰な仕事や心理的負荷は、身体と心に大きな影響を与えます。慢性的なストレスは、免疫力の低下やホルモンバランスの乱れを招き、疲労感や意欲低下を

          「無気力症とその克服方法」

          「何故人との付き合いが増えたり深まったりするとペルソナが豊かになるのか」

          「何故人との付き合いが増えたり深まったりするとペルソナが豊かになるのか」 私たち一人一人には、多様な側面があります。ユング心理学の観点からすると、これらの側面は「ペルソナ」と呼ばれる概念で説明されます。ペルソナとは、社会的な仮面のようなものです。状況や対象に応じて、異なるペルソナを使い分けることで、自分を適切に表現し、周りと上手く折り合いをつけていきます。 人との交流が深まれば深まるほど、私たちは多様な場面に遭遇し、様々な役割を果たすことになります。例えば、友人との親しい

          「何故人との付き合いが増えたり深まったりするとペルソナが豊かになるのか」

          「さようなら不機嫌な現実、こんにちはご機嫌な現実」

          「さようなら不機嫌な現実、こんにちはご機嫌な現実」 ジル・ドゥルーズの思想は、私たちが日常的に経験する「不機嫌な現実」から抜け出し、新たな「ご機嫌な現実」を切り拓くことを促しています。 不機嫌な現実とは、慣習化された価値観やコード化された秩序に縛られた生活のことです。私たちはしばしば無意識のうちに、そうした既存の枠組みに押し込められ、思考を固定化させてしまいます。その結果、現実は単調で刺激に乏しいものとなり、私たちは不機嫌な気分に陥ってしまうのです。 しかしドゥルーズは

          「さようなら不機嫌な現実、こんにちはご機嫌な現実」

          逸脱した思考とドゥルーズ~ノマドロジー~

          「逸脱した思考とドゥルーズ~ノマドロジー~」。 ジル・ドゥルーズの思想の中核には、常に既存の枠組みから逸脱し、思考の地平を開く試みがあります。彼はこの「逸脱した思考」を、「ノマドロジー」という概念で表現している。 ノマドロジーとは、遊牧民のように定住することなく、絶えず移動し続ける思考の様式を指す。これは単なる場所移動を意味するだけでなく、思考そのものが領土化された価値観から離脱し、新たな可能性を切り拓いていく営為。 従来の哲学は、普遍的な真理を求めて一つの中心的体系を

          逸脱した思考とドゥルーズ~ノマドロジー~