嫌いな本は「星の王子さま」だった
サン=テグジュペリの「星の王子さま」を初めて読もうとしたのは、中学生くらいだったか。
読もうとした・・というのは、読み進められなかったのですね。
ゾウを飲み込んだ大蛇が帽子に見えるとか、意味がわからなくて、面白くないのでいつも最初で止まってしまうのです。
挿絵もおそらく、好きじゃなかった理由のひとつ。
サン=テグジュペリの絵が不思議な感じがして、あまり好きではなかったのです。
読みかけてはやめて、を何度か繰り返し、読むのを諦めました。
そして、「星の王子さま」は嫌い・・・になってしまいました。
大人になって、イタリア好きの人たちといろいろ集まって活動していた頃(2000年前後)、集まりの中である人が、星の王子さまを読み返して、泣きながらページをめくった・・という話をしていて、そんなにいい話なのか、と思ったものです。
箱根の「星の王子さまミュージアム」はフランスの町の雰囲気を作っていると聞いたので、写真を撮りに、読まないまま行きました(上の写真も)。
それからさらに何年も過ぎて、思い立って先日の箱根行きに持っていって読み始め、その後やっと完読しました。
読みかけてから一体何十年かかったのか。
やっと、こういう話だったのね、とわかりました。
カリグラフィーも書いているのにね。
この言葉は有名だけど、当たり前すぎて、もうこれだけではあまり心が動きません。
通して読んでみて一番好きだったのは、”砂漠が美しいのはどこかに井戸を、ひとつかくしているから”のところでした。
ここを読んだとき、昔、友人が私について言ってくれたことを思い出していました。
私の中には、石だったかなにか原石だったか忘れたけど、そういうものがあって、そこには美しい文字がくっきりと彫られている。というイメージでした。
細かい言葉はもうすっかり忘れてしまったけど、そんなことを言ってくれて、私はその友人のイメージの豊かさに感動しました。
それ以来、私の中心の奥深くに誰も入ってこない場所があって、そこになにか美しい原石のようなものがあり、くっきりと何かの言葉が彫られている、というイメージを時々思い出すようになりました。
きっと誰の内奥にもそういう場所があり、誰もがそこに美しい石を隠し持っていて、なにかのおりに、その人は外側にその光を発することがある。
その中心部には誰も入ってくることはできないので、ほんとうの自分自身でいることができて、いつも安心していられる。
ある時私は、その内奥にある洞窟のような場所のさらに奥には、外に続く扉があるのではないか、と思いました。
本当の自分自身に戻ったそのままで、その扉から外に出ていくと、そこはすべてが調和している場所で、他の人とも繋がっていくことができる。
そんなイメージ(というか妄想)を抱いたことがありました。
「星の王子さま」を読んで、このことを思い出すとは。
「星の王子さま」からちょっと話が逸れるけど、
だから人はその内奥の場所で自分を整えることが最も大切で
本来の自分自身でいれば、自分以外の外側をなんとかする必要はなくて
それは波となって、自然と外に伝わっていく。
そうすると、砂漠のなかにいてもきらきらと光るものがあることを感じ取れる人と繋がっていくことができるのだろうと。
妄想なんですけどね。
ポーラ美術館と星の王子さまミュージアムは割と近いので、2か所行こうかと思いましたが、あちこち行く気分でも、時間の余裕もあまりなかったのでやめました。
機会があれば、またあらためて行ってみようかと思います。以前と変わっているのではないかと思うので。
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。