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カナダ移住に至った経緯

写真: YouTube video, "The Dark Side of Japan" - 海外に出て何とかなったから良かったけど、日本に残っていたら私は引きこもりになっていたかもなと思うことがあります。The Lost Generation の一人です。

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私の場合、カナダ移住に至った経緯って、そんな素晴らしい物語でもないんですよね。輝かしい凱旋物語でもない。でも「何で移住?」という質問は良くされます。真面目に答える必要もないので、幾つか用意している返答のうち、相手にとって無難な一つを話します。

でも今日はそれもひっくるめてのお話。

今でも日本の性差別というか性区別って酷いと思うのですが、私が幼かった頃はもっとえぐかったと思います。女の子は賢くても無駄。逆に可愛くない。成績が良くても、いい就職先は掴めない。セクハラには笑って対応、全てを受け流せ。浮気は男の甲斐性、女は貞操が大事。どうせ一人で生活をしていくなんて無理なんだから、いい旦那をゲットして永久就職するのがお得。その為に女を磨き、男を立て、内助の功で満足するべし。そんな感じ。

物凄く納得がいかなかった。悔しかったし、認めたくなかった。

母の実家は裕福ではなく、祖母を支えるため、自分の食い扶持を稼ぐため、結婚退職もせず公務員を勤め上げた人。私が成人した後に折に触れて話してくれた、職場での上司からのイビリや虐めは、大人げなくて呆れる内容だった。実家の本棚には、所謂フェミニズム関係の本が並んでいた。それを読みながら中・高校生活を送った。

小・中学校は小さな学区だったし、居心地が悪かったとはいえ、割と伸び伸び過ごしていたと思う。あんまり女子として扱われてなかったし。それが高校に入ったとたんに社会価値観の津波に襲われる。高校卒業の頃には、すっかり打ちのめされ、自己評価も低く、負け犬感を味わっていた。認めたくはなくて足掻いていたけど。

上記したフェミニズム関連の書籍の中に、千葉敦子さんのエッセイ集があった。晩年をNYCで過ごした日本女性ジャーナリスト。彼女の本を読んだ母がそうだったように、海外の生活・文化に憧れを抱いていった。

その後、紆余曲折しつつも何とか獣医師免許を取り、就職、奨学金返済。海外でまともに生活する機会もないまま、それでも英語の勉強だけは続けて、気がつけば30代になっていた。

その頃に「紆余曲折」の中で積もり積もった何かに押しつぶされる。獣医公務員職を退職。2年ほど放浪。日本社会に戻るのが怖かった。また潰されそうで。

冗談半分、本気半分で、主に日本人ではない人に話す「日本を出た理由」

30代を過ぎてね、社会に居場所がないな、これからどうしようって思ったときに、選択肢が三つあったの。

一つは、愛せるかわからないけど、適当な男性と結婚して、相手が暴力やギャンブルや虐待に走らないように祈りつつ、日本社会の中で居場所を確保すること。

もう一つは、今までと同じようにひとりを続けて、肩身が狭くなっても息苦しくなっても仕方ないからって全て飲み込むこと。

最後の一つは、どうなるか分からないけど、思い切って日本を出て生活してみること。

…要するに最後の選択肢を選んだわけです。

何故カナダかというと、英語圏で留学出来そうな国は、当時、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、そしてニュージーランド。イギリス通貨は高くて無理。オーストラリアとニュージーランドは知り合いもいなければ行ったこともない。アメリカ・カナダは1999年に二度行っているので、まだわかる。

アメリカ人の友人は二人ほどいるけど、コロンバイン高校銃乱射事件の後にマイケル・ムーア監督の映画を数本見たら「アメリカ、やばくない?」という認識が私の中に備わってしまった。堤未果「貧困大国アメリカ」も中々に衝撃的だったし。まだカナダの方が良さそう。

そんな理由で、カナダ。

最初は一年で目途が立たなければ、諦めて日本に帰ろうと思ってた。ダメならそれで仕方ない。でも一回でいい、日本ではないどこかで「生活」をしてみたかった。

それが、きちんと目途が立ったわけではないものの、一年過ごしたら英語力が上がり、日本社会で打ちのめされた自尊心(?)が若干回復し、何となく頑張ればカナダで何とかやっていけるのでは?みたいな。日本に帰ってやっていく自信の方が無かっただけとも言えるけど。

そんな感じで細々と生活しつつ、色んな人生イベントがあったような無かったような、そんなこんなで現在カナダ10数年…です。


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