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ソウル親子留学2002年①はちゃめちゃ始まり


幼稚園児の娘を連れて、約10ヶ月ソウルへ語学留学したときの話です。そのころ日本の親戚や友達に非公開で(生存確認用に)書いてたブログをnote用に加筆修正しました。

ファッションもスイーツも化粧品も、まだまだ発展途上だった2002年頃の韓国ソウルで、行き当たりばったりの親子留学思い出。

いつの日か、娘や孫にも読んでもらえるように備忘録としてここに残します。

当時のソウルの様子なども出てきます。

語学留学に関しては、もうずいぶん前の情報になりますので、そのあたりはご参考程度に。

今日は2500文字ありますが、次回からは約1000文字程度にて週2回ほどの予定です。
宜しくお願いします。

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2002年冬

リムジンバスで成田へ出発。青い空が気持ち良い。まさに晴れの出発。今日から私はソウルに語学留学へ行く。

4歳の娘メロンパンナ(以後メロンと表記)を連れて。目的は韓国語を勉強するため。

【なぜ行ったのかは、おいおい書いていきます。なんせまだ、冬のソナタブーム前のことなので、なかなか周囲には理解して貰えませんでした。笑】

メロン父(夫)は、もちろん日本で仕事があるから、当分のあいだ家族はなれ離れだ。

メロン父は今日も仕事が忙しく早朝から慌しく出掛けていった。私は夜中までスーツケースと格闘していたので、半分寝ながらの見送り。して、メロンさんは爆睡中。

今日は私の母、つまりメロンのバーバが、計6個のスーツケースやスポーツバックを抱える私とメロンのためソウルまで同行、一週間ほど滞在してくれる。部屋探しの間、メロンの面倒をお願いしないといけない。

今思うと、めちゃくちゃな見切り発車留学である。だが独身時代どこでも住めたし乗り越えてきたから、子連れったって、飛行機で三時間ほどの隣国、なんとかなるやろ。と、当時はなぜかへっちゃら。無謀な精神だけで気づいたら走り出していた。

成田に到着すると
さっそくトラブル発生。荷物検査で一番大きなスーツケースに機械が反応した。

「開けてください」

冷たく言う職員に駄々をこねてみる。

「これ開けるとね、絶対に閉まらないんですぅだから開けられないですぅ」

当たり前にNOである。

びっくり箱のように飛び出すメロンのオモチャやポーチ。職員が取りあげた反応ブツは『バルサン』だった。

そう。私はソウルで部屋を借りて住むのだ。荷物を入れる前にバルサン炊くのは必要不可欠だろう。

同居予定の日本女性あさひちゃんのも含めて、大小4つを詰め込んでいたのだ。

なのに

「爆発の恐れがありますので」

あっけなく没収された。

が、これしきのこと。

この後起こる大騒動に比べたら、軽い序章に過ぎない。

ソウルに到着。タクシーに荷物をむりやり詰め込み予約していたコンドミニムへと向かう。住む部屋が見つかるまで滞在予定だ。

『地球の歩き方』に小奇麗な部屋の写真が載っていた。幼稚園児のメロンがいるから、洗濯機やキッチン付きが便利。一泊5000円。

宿のおじさんが少し日本語話せるとあり、それも安心材料だった。

甘かった。そのいち。

宿は、車が横付け出来ないほど細く急な坂道のド真ん中にあった。

「アイゴー、こんなとこ入って行けまへんよ。悪いけどここで降りてんか」

坂の上で降ろされてしまう。

あまりの急勾配に、バーバとメロンはしっかと手を繋ぎ二人でチョコチョコ歩き。

荷物運びを手伝ってくれた宿のおじさん(ありがたい)と私は3往復して荷物を運ぶ。砂利道だから、重いスーツケースのコマも悲鳴をあげる。


甘かった。そのに。

やっとのことで宿の入り口まですべて運んだ時だ。おじさんが「3階です」と言った。

階段を指差して。

うううう嘘でっしゃろ〜。私が仰け反ったとき、ようやく入り口あたりにチョコチョコ歩きペアがゴールした。

今度は階段を往復。
息切れ半端ない。黙々と手伝ってくれたおじさん。本当に本当にありがたいのだけど、けどなガイドブックにはもう少し詳しく

道が急です。階段のみ。などなどもっと情報を載せといて欲しかったよ。

でも、おじさんにしたら

こんな引っ越しみたいな大荷物持ってくる客なんか、想定しとらんからっ

と、言いたかっただろう。ごもっとも。

甘かった。そのさん。

部屋でホッとひと息ついたら

「ママーお腹すいたー!」

メロンが騒ぎ出した。

もう夜の9時だ。今から外へ食べに行く気力は残ってない。けど手元にはメロンのお菓子しかない。

コンビ二でなんか買うか。

宿が、ソウルのどの辺りに位置するかもよく分かって無いまま、コンビニなら、ちょっと行けばあるだろと軽く考えた私は一人で宿を出た。

タクシーを降りた坂上には明かりが無かったので道を降りてみる。

だが、歩くほどに道は先細り、突き当たりからは右手に階段。その幅も降りるたび狭くなる。街灯も少なくなり、とうとう暗闇に近い。

ひぃぃ。
これワタクシ怖いぞ。危ないぞ。

知らない場所でも夜道でも平気な方だったが、この時ばかりは怯えた。

戻ろうか。

いやしかし、部屋では飢えた老人と子供が待っているのだ。進むしかない。

と、階段を上がってくる女性が見えた。

すれ違いざま、意を決して声をかけるソウル1日目、語学力無しの女。

ほとんど日本語で

「す、すみません! オディ(どこ?という意味の韓国語)セブンイレブン? ローソン? ファミマ? コンビニエンスストアはどこですかー食べ物(むしゃむしゃパントマイム)」

あちこち指さした。

しばらく首をかしげてた女性だが分かってくれたらしく「ああ」と行き方を教えてくれた。
女神だ。ありがとう。

コンビニには、おにぎりが数個しか残っていなかった。具がなにか分からないが、米だし大丈夫だろう。飲み物とを買いダッシュで来た道を戻る。

おにぎり中身はどれも真っ赤だった。メロンには海苔近くの白いご飯を取り分ける。

甘かった。そのよん。

疲れ果てた。
もうシャワーを浴びてこのまま寝よう。

と、その時だ。
床から一番近い目線のメロンが言った。

「あ、アリさんがいるよ?」

見ると、小さい小さいアリが床を歩いていた。赤いから他の虫にも見える。でも姿はアリ。

「あ! そこにもいるよ!」
メロンが叫ぶ。

「いやっ、ここにもおるわ!」
バーバが叫ぶ。

それからの恐怖は……思い出したく無い。

私たちはコンドミニアムに荷物を残したまま、先ほど降りた道路まで坂を駆け上がり
タクシーで

一番近いと思われるシティホテルへ移動した。(逃げた)


                  つづく

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