イギリス紳士とアジアの警官

2003年7月のある日

遅めの梅雨が長引いてソウルは蒸し蒸しだ。

イギリスの田舎から来たジェフ君。28歳。将来は翻訳家になりたい。そんな夢を持っているクラスメート。

実家はオールドスタイルの屋敷だという彼は、いつも物静かで喋り方も抑揚無くボソボソっと話す。イギリス紳士っぽい（なんとなく）。彼の韓国語は新しい国の言葉のようだった。

ある日の休憩時間、彼と日本のCちゃんと私が外へ出て缶ジュースを買いに行くと

道路を挟んだ向こう側（ソウル大学）に機動隊警官と車両が並んでいる。

すると警察官が二人、休憩なのかこちら側にきて缶コーヒーを買いベンチに腰かけた。

20代から30代半ば？の若い警官だ。

いったいソウル大学で何があったの。おばちゃんは興味津々。

ちょうど彼らも休憩中のようだからチャンスだ。私は自分で、は、なく、ジェフに

「これはとても良い韓国語実践の機会だよ。勉強になるから、彼らに、何があったのか質問しなさい」

と、強要。若干パワハラ笑。

気軽に「オッケー」と言うと思ったら、なんとジェフ君滅相もないって顔で振り返る。

「ちょっと、あの、僕、怖いです」

「なにが怖いのっ会話の練習よ。ほれっ」

どこまでも無責任なおばはんは彼の背を押す。

警官たちが、なんだという顔でジェフを見る。

ジェフは、薄い皮膚の顔と耳ついでに首まで真っ赤にして、後退り

「彼らは銃を持ってるもしかしたら撃たれるかもしれません」

咳き込みまくる。

「なんでやねん話しかけただけで撃たれるわけないやろっ」

仕方がないので、おばちゃん学生（自分）

「すみませーん、私たちは外国人です。語学堂で韓国語を勉強しています。ところで何があったのですか？」

話しかけられた警官は驚いた様子だったが

「あっちの大学でデモがあるとの連絡で云々」
「念のため警備にやってきたんだ云々」

めっちゃ早口で二人同時に説明し始めた。

これ、よくあるパターン。英語でもそうだけど、覚えたての簡単な質問フレーズをサラッと偉そうに述べたら、普通に話せるもんだと思われてペラッペラ返されるやつ。

私たちのアホ面をみてやっと気付いたのだろう、こいつら理解しとらんのやなと。で、どこから来たのかと聞かれる。日本からと答えると

「日本語かぁ話せるやつ、今はいないなぁ」

背後の仲間を振り返る。それから今度は私の影に隠れるように立ってたジェフを指差した。

「イ、イギリス」
ジェフが蚊の鳴くような声で言うと

「英語かぁ。あ、それならヒョンチョルを呼ぼう、あいつは英語が得意だ。呼べ」

指示された隣の警官、いきなり馬鹿でかいトランシーバーを出してヒョンチョルを呼び出しにかかった。

至急とか言うてるし。

いやいやいや、そんな大げさにせんといて。詳しい事情知りたいわけじゃないのよ。

先輩警官はジェフに近寄る。

「英語わかるやつがすぐに来るからな！」

怯えと緊張のジェフは、木彫りの首振り人形化し、首だけが小刻みに揺れている。

あららこれは困った。

と、ヒョンチョルともう1人、そしてこれまたラグビー選手みたいなのが物凄い勢いで、こちらへ走ってきたがな。

私たちの背後では
遠巻きに語学堂の生徒たちが噂しあう。

あの子たち何したの？　捕まったのかしら。

だが、到着したヒョンチョル

「俺はー英語話せないですよ」

と言い出した。

「うそつけーお前この前、俺に、英語話せるってゆうたやんけ！」

「そんなん言うてないです！」

「ゆーたよお前忘れたんか！」

これもうなんとかせなあかん。私は事態を収拾するための韓国語を頭で必死で組み立てた。

木彫り人形は

銅像に化成していた。

長いまつ毛はピクリとも動かない。優しいCちゃんがその背を支える。

「すみません！　授業が始まりますので失礼します。お勤めご苦労様です。いろいろ教えて下さってありがとうございました！」

私は愛想良く、かつ慇懃に礼を言い、急いでCちゃんと青い目の銅像を引きずって教室へ戻った。

後から聞くと、ジェフ君にとって（イギリス人にとって？）アジア系警察官や兵士は、否応無しに怖いそうだ。ただただ畏怖の念を抱くのだという。知らなかったよ悪かった。
おばちゃん大いに反省の巻。

終わり

ソウル日記は続く