見出し画像

ポテトサラダの絵はどんなもの

畑のじゃがいもがかなり育ってきました。正確には葉が大きく育っているので、土の下ではどれくらい育っているかわかりません。


慣れた人は葉の大きさや茎の様子をみて、だいたい土の下にどれくらいの芋があるかわかるそうですが、私には見当もつきません。ただ、大きくて無骨なじゃがいもたちがところ狭しと並ぶのを夢みているだけです。


今日は部屋を片付けました。画材を出すためです。
水彩とパステルと、油絵の具を出すには場所がいります。もう使い古しているけれど、こうして少し時間が経ってから出すと今まで使ったことがないツールのように思えます。


先日、出張ブックカフェを開店して思ったことは、いきなりはできない、ということでした。

ひとつずつ、ひとつずつ、乗り越えて行きながら試しながら、広げていく。

それを過程と呼ぶ人もいるし、これが完成だよ、と言う人もいる。どちらであっても、それは楽しいと思いました。だからチャンスだと思った。そういう心持ちはなかなかないのです。


私は、そのどちらかでないと嫌でした。

過程なら過程で、耐えなければならない苦しいことがたくさんある。結果が出るときは派手にあって欲しい。


でも今は少し違う考えです。
今いるところが過程でも、目指しているところが結果でも、あるいは今が結果でも、この先過程がずっと続くとしても、どちらでもいいと思いました。


そこは大事ではなくて、いま自分が動いてなにかを変えているということが大事だと思いました。それは自分の内側と外側の両方に起こります。


感覚としては先に人に作用して、あとになってからブーメランみたいに戻ってきます。それがいいことでも悪いことでも、そうなります。


その経験を続けていくときっと、過程と結果はきちんとつながりグラデーションになります。過程は終わり結果が出て、その結果はまた次の過程につながっていく。その心地よさを、今は求めています。


部屋がすっかり、絵の具の匂いになりました。長く嗅いでいると息苦しいです。窓を開けてきもちよい空気をいれながら、絵を描こうと思います。畑のじゃがいもの葉は風に揺れていて、私はポテトサラダの絵でも描いてみようかななんて思うのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?