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『成功したオタク』を見た日の日記

4/7 日曜 晴れた
 
この日の自分はとことんいかれていた。気温が20度越えになることはわかっていたのに何を考えたのかあるいは何も考えていなかったのか、インナーに極暖を選んでしまっていた。加えて最近飲んでいるピルの副作用で胃の調子がよくないのにその場の誘惑に完敗し、担々麺の唐辛子を倍に増やした。そのせいでイメージフォーラムに着く頃には腹痛と暑さで既に疲弊を感じていた。大馬鹿者でしかない。

 『成功したオタク』を見に向かったイメージフォーラムは自分が普段からよく行く映画館のひとつだったりする。都内のミニシアターの中でも駅から微妙に歩く立地にあり、そしてちょっと変、小難しそう、暗そう、みたいな印象を受ける作品たち、手っ取り早く言うと大衆ウケからはほど遠そうなラインナップが新旧問わずに年がら年中上映されていて、映画好きの中でもコアな層が通うような場所である。わたしの偏見が入り混じった体感によるとだいたいそういう人間のほとんどは一人でスッと見に来て一言も発さず帰るので、普段は映画館といえど商業施設的な賑わいをほとんど感じない(それが自分がここをいたく気に入っている理由のひとつでもある)。
 しかしこの日のイメージフォーラムはまるで違った。映画館の前には明らかに『成功したオタク』を見に来たたくさんの客が待機していた。席はほぼ満員、上映前にはそこここで明らかにアイドルの話なのではないかという会話がされ、普段から通っている人間としては不思議とも思える光景だった。友だち同士で来ている客が多く中には3人、4人のグループもおり、コンサート前に似た静かな興奮が渦巻いていた。
 しかしわたし、わたしたちがこれから見るのは楽しいエンタメ・ムービーではなかった。「推し活」がすべてで、本人から認知もされていた<成功したオタク>であった監督の人生は推しが性加害者になったことで一転する。事件を直視し、ファンとの対話、そして自分との対話を記録したドキュメンタリーである。

 ここ最近、といっても二月くらいから、わたしはなんとなく”アイドル” ”アイドルのオタクである自分”から距離を置くようにしていた。何年も何年も誰かのオタクをしていたが、それが自分の人生の中心にまでなっているこの状況の恐ろしさに突然、というか今更ながら気づいたのだった。
 そしてわたしのように躁鬱めいた気質を持っている人間にとって、オタク活動は精神にジェットコースターのような高低差が生まれがちである。アイドルやオタク活動が人生の中心になっているならその高低差はなおさら愉しくつらいものになる。わたしはもうしんどかった。このめちゃめちゃなジェットコースターから降りて、大きすぎる喜びもはちきれそうなつらさもない場所で気楽に趣味としてアイドルを享受したかった。
 ”アイドル” ”アイドルのオタクである自分”から距離を置く試みはまあまあ成功していた。なのでこの映画も一歩二歩引いて見られるだろうと思っていたが、その期待は砕け散った。

初めての電車 初めて行ったソウル 初めての外泊 初めて買ったアルバム 初めて好きになった人 たくさんの“初めて”に彼がいた

 冒頭の監督によるナレーションにわたしは嗚咽が出そうになる。彼女のように、アイドルによってもたらされた自分のたくさんの初めてが流れ星のように脳裏をすっと流れては消えていく。

 推しに夢中な監督は自己アピールに余念がない。韓服を来て対面イベントに通い続けた結果本人に認知され、ファンとしてテレビ番組にも出演した。
彼女にとっての"オッパ"は恋愛めいた烈しい陶酔をもたらす素敵な年上の男性で、悩ましい人生を切り開いてくれるアーティストで、日々をサバイブするための原動力で、それはつまりきっと当時の彼女のすべて、本当にすべてであったことはたやすく想像できる。
本人に認知された監督は誰が見ても『성덕:成功したオタク(성공한 덕후の略)』になった。タイトルに冠するくらいだから本人もじゅうぶんに自覚はしていたのだろう。彼女はオタクとして幸せの絶頂にいたが、オッパは女性への性加害により逮捕され、ナレーションはこう続く。

でも“初めて”の裁判所は必要なかった

 報道に傷ついたファンの女性たちは「オッパ=犯罪者を応援したことは、間接的に二次被害にもなってしまっていたのはないか?」と苦悩する。

 監督と友だちがオッパたちのグッズを集め、どれを燃やすか選別をするシーンがある。推しを応援することは終えても誰かが処分しない限り買い集めたグッズは残り続ける。ふたりはグッズのひとつひとつを手に取ってオッパに精一杯の憤怒をぶつけながら、どこまでも愛おしげに当時の思い出話をしたりもする。吐く息に色がつくような熱量でひたすら喋り続けるふたりの饒舌な語りや表情からは、オッパが彼女たちの人生の中心にいて誰にも代えられない輝きを放っていたこと、そしてオッパを通して得た宝物のような友情や思い出のひとつひとつを鮮烈に感じられる。個人的にこの映画の中でいちばん好きなシーンだ。事件は残虐で卑劣で最低だが、それでもオッパを愛したことは彼女たちの人生における美しい思い出であることに代わりはない。
 ファンたちに罪はない。あなたたちはオッパを応援したことで加害はしてないよ。わたしはそう思った。
 しかしファンの応援やサポートを受け続けてスターの座に登った結果、芸能界における自分のポジションや交友関係を利用して犯罪に関わった可能性もなくはないのでは、という考えが冬の夜風のように脳裏をかすめたことも確かな事実だった。

 イメージフォーラムを出ると4月とは思えない強い日差しが渋谷の街をを殴るように照りつけていた。極暖を着た自分をふたたび恨みながら、考えたくはなかったがわたしの好きなアイドルたちが同じようなことをしたらどうしようと考えずにいられなかった。生きている人間を応援するということはその人の性別関係なくこういったことが起こりうる可能性がある、自分にそう言い聞かせたら地面が根こそぎぐらぐらするような感覚におそわれた。
 暑くなってきたのでカフェに行ってアイスラテを頼んだ。無意識にスビンのトレカと一緒にラテの写真を撮っていた。なんだかんだといってもオタクしぐさが身につききっている。

 本屋で買い物をしたあと、帰りがてら渋谷の駅に広告が貼られていたことを思い出して見に行く。

 わたしの横では中学生くらいの女の子ふたりがペンライトを出して写真を撮っていた。彼女たちの瞳のかがやきを眺めながら監督のナレーションを思い出す。あの子たちにとってTXTがあらゆる“初めて”なのかもしれない。かつてのわたしや監督みたいに。

初めての電車 初めて行ったソウル 初めての外泊 初めて買ったアルバム 初めて好きになった人 たくさんの“初めて”に彼がいた

 わたしはなぜだか自分の青春が完全に終わったみたいな気分になる。たくさん現場に飛んでいたころ、アイドルがわたしの人生の中心だったころ、たしかにあの日々はまぎれもなく青春だった。現在はアイドルという強烈なジェットコースターから降りてそれを遠くから眺めようとしているが、何かにいかれたように夢中になる行為から離れることは青春の終わりを意味するのだろうか。青春が終わったのであれば目の前に横たわっているこの鉛のような長い長い年月をどうやって生きていけばいいのかまるでわからなかった。TXTの前回のアルバムでは”Growing Pain(成長痛)”というタイトルの曲があったが、この心の痛みも成長痛なのかどうかぼんやりと考えていたら最寄りに着いた。コンビニで蕎麦を買ったが何も食べずに寝た。