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君が最後の青春ならいいのに


 わたしの青春と呼ばれる時期は何もかも最悪で、英語圏の人間なら毎秒fワードを連発していたような日々だった。自分と輝かしい青春なんて無縁だ、そう思いながら大人になった。だけどMOAとしての日々、たとえば友達とオタ活にまつわる心底くだらない話をする、とっておきの服を着てコンサートに行く、スビンくんの一挙一動にときめく、そしてTXTの音楽を聴いたりスビンくんを好きでいることでわたしの人生から過ぎ去ってもう戻らないはずだった⻘春がふたたびやってきた気がする。スビンくんはわたしの人生最後の美しい⻘春なんじゃないか、そう感じることがときどきある。


 自分はひどい飽き性だ。スビンくんを好きになったときだって自分の人生によくありがちな、すぐ過ぎていく熱情のひとつに過ぎないと思っていたのに、気づいたら好きになって二度目の冬を迎えた。
 去年の誕生日からなんだか本当にあっという間だったのはそれほど彼がわたしに濃密ですてきな時間をもたらしてくれた証拠なのだろう。そして自分が見ていたここ一年のあいだで、彼はさらに大人っぽくなったように感じる。

 最近だと特にMMAのスビンくんは鋭い勇ましさを放っており、そのまなざしは完全に男性のそれを思わせた。スビンくんはこれからさらに大人の男になっていくことを思うと、アイドルという不確かで刹那的な職業に少年から大人になっていく貴重な歳月、青春のすべてを投げうって活動してくれることに感激せずにはいられなかった。しかし同時にチェ・スビンという韓国の安山出身のひとりの若者の人生、強烈なスポットライトを浴びない人生、過剰な感情のこもった注目にさらされない人生、森の奥にある湖のような安穏とした人生に彼はもう戻れないことを思うと、わたしはなんだか複雑な気持ちになってしまうことがある。

 去年の誕生日のVliveでは「流れに任せて暮らしたい」「幸せな時は幸せだなと受け止めて、悲しい時は悲しいなと受け止めて、やりたいことがあったらやって、わがままを言いたければ言って。流れに身を任せて暮らしたいです」と言っていた。なんだか朴訥としていてすごくいいなと思った。多忙な一年だったと思うが、スビンくんの願いは叶っただろうか。

 彼らに青春を見出す人間がいるように、彼らひとりひとりの青春、アイドルではない個人としての彼らの青春だって間違いなく存在する。いつだったかのビハインドで「MVが青春映画みたい」と言ったメンバーにテヒョンとスビンくんが「そうですね、僕たちは青春です」「そう、まだ青春です」と返すシーンがあって、なんていいグループなのだろうと思った。常に誰かの視線にさらされる彼らの青春がどうか少しでも穏やかで綺麗なものであってほしい、そんなことを考える。


 スビンくんは内省的で自分の中へと閉じこもりがちなわたしを行動的にさせて(まさか自分がタイまで行くなんて思わなかった。この記事に載せている写真はすべて公演で撮影した写真である)、たくさんのすてきな友達と出逢わせてくれて、何よりわたしの晴れることのない曇天みたいな人生をやわらかくあたたかな光で照らしてくれる、そんなひとだ。本当にすごいひとだ。

 でも、わたしは一年後もスビンくんを好きでいられるかどうかわからない。人の気持ちは常に移り変わっていく。わたしが短くはないアイドルオタク生活で学んだことのひとつだ。スビンくんはわたしの人生最後の美しい⻘春なんじゃないか、本気でそう思うことはあるし、そうあってほしい。でもなんとなく、そうじゃない気がしている。
 好きなアイドルを一生好きと思える瞬間があることは本当に幸福だ。だけど大人になったわたしは知っている。いつかスビンくんのことをたやすく忘れることを。最初から何もなかったみたいにさっぱりと忘却してしまうことを。だから明け方の白んだ月のような慎ましく静かな気持ちで祈り続ける。スビンくんがわたしの最後の青春ならいいのに。これはきっと叶わないまま散っていく儚い願いだ。それがわかっているからスビンくんからもらった幸福もときめきもおどろきも痛みも悲しみもぜんぶぜんぶ写真のように鮮明に捉えて忘れたくないなと思う。それくらい、今のわたしはスビンくんと彼がもたらすこの青春を愛している。

 スビンくん、お誕生日おめでとう。来年の12月5日も今と変わらず大好きでいられたらいいな。アイドルのSOOBINだけではなく、ひとりの青年の青春がどこまでも美しくあることを願っています。