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たらればばかり思い浮かぶんだけどね

今日こそは、と思っていたのに蓋をあけてみればいつも以上に慌ただしくぐったりしている。こんなに重なるのか、と言いたくなるくらいひっちゃかめっちゃかで、思わず笑ってしまうほど。

周囲からも労いの言葉をかけてもらって、扉を開けるまではしゃんと、それ以降はぐったりしながら歩いた。歩きながら今度は家族の案件をこなす。頼まれていた用事がトラブル続きで、仕事前には終わらなかったのだ。
どうにか解決策を思いついてよかった。

仕事が忙しいだけならまだやりようがあるものの、同時多発的に家族の問題やトラブルが生じているのが中々辛い。しかもそれぞれには秘密にしておいてほしいことが多すぎて、逆転時計かもしくは分身の術が使えないと詰んでしまいそうだ。ミニドラみたいな小さな分身に、家のことをお願いしたい。

元々気の利くタイプではないのに、常にあちこちに意識を配っているからなのか、ひどく疲れる。気が利くタイプの人は普段からこんな感じなのだろうか。大変だなぁ、としみじみ。

人に話すと「私がしなくてもいいこと」として扱われることもある家族の問題。たしかにそうかもしれないが、私がしなければそのまま放置され、雪だるま式に膨らんでいくのが目に見えている。放っておけば、それなりにやるから大丈夫という言葉は気休め以外の何物でもなく、どうにかなるのであれば、そもそも私が関わる必要はないのだ。

私が子どもの頃からどうにかなっていたわけではないが、当時は知らないことが多すぎた。もしあの時大人だったら、もっと知識があったら、家族のことを守れたかもしれないのに、と今でも時々思い出して後悔することがある。特にお金に関する問題はなんとももどかしく辛い。

せめて今の状態になる前に、もっと何かできていたら。
自分の無力さに情けなくなる。そしてまだほんの一握りでも希望があるのであれば、やれることはやってあげたい、と思わずにはいられない。
自分の身を削ってでも、放っておくという選択肢は選べないし選びたくないのだ。

もちろん放っておけばどうにかなる人が家族なのはラッキーなことなので、大切にしていただいたらいいと思う。そしてそうじゃない人も案外身近にいることを、ほんの少しだけ想像してくれたら嬉しい。

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