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古傷 (4)

土曜日の朝、家内を施設に送り届けたおれはそのまま車を駅前に向け、走らせた。
カーステレオにはiPodをつなぎ、お気に入りのビートルズナンバーを仕込んだ。
真由美とは駅前のセブンイレブンで待ち合わせることにしていた。

おれは、ガラになくときめいていた…
それほど、日々の暮らしに閉塞していたのだ。
一度は袖にした真由美が会ってくれる…背徳感を感じながらも、期待に胸が膨らむ思いだった。

まだ十時になっておらず、コンビニの隣のパチンコ店は静まり返っている。
向かいが、ビッグボウルというボウリング場だ。
三十年近く前の、真由美と組んだボウリングのゲームがよみがえった。
信号を右折してセブンイレブンの駐車場に車を滑り込ませる。
約束の時間までには十五分ほどあった。
空模様は、秋晴れというには、雲が多い。

おれはスマホを胸ポケットから出してメールを確認する。
真由美からは来ていなかった。
おれは車から出ようとドアを開けた。

ふと後ろから靴音がして、
「おまたせ」と、真由美の声がした。
「やぁ、おはよう。おれも今来たところなんだ」
「そう。ちょっと早かったかなと思ったけど」
「あのころも、キミは早めに来ていたよね」
「待たせちゃ悪いから」
いくぶん、上気したような真由美の顔を見て、若い頃のときめきを感じた。
「乗ってよ」
「うん。何か飲み物とか買ってく?」
「そうだな」
おれたちは、車から離れてセブンイレブンの店内に入った。

飲み物とおやつを買って、おれたちは再び車の中にいた。
「さて、どこ行こうか」
「決めてないの?」
眼鏡越しの真由美の瞳が不満そうだった。
「いきなりホテルってのもな」
「あたしはいいわよ」
抑揚のない声は、意外な答えだった。
三十年も経てば、女は変わるものなのだろうか?
「割り切ってるね」
おれは、真由美のほうを見て言う。
「たぶん、そのつもりで誘ったんでしょ?」「まあ…」
反対に気後れしてしまうおれだった。
「じゃ、行こうか」「うん」
おれは、愛車のエックストレイルを国道に乗せた。
「エターナルグリーンに行ってみようか」
かつて、おれと真由美が使ったラブホテルだ。
「いいよ」
「まだあるかな」
「あるでしょ」
真由美は、助手席でペットボトルのお茶を手にして答えた。
「奥さん、どうなの?」
真由美の方から訊いてくれた。
「車椅子生活さ。家のことはおれが全部やってる」
「そうなんだ…なんだか、かわいそう」
「おれが?」
「奥さんが」
「…」
だろうな。
おれの身勝手がさらけだされたようだった。
「誰ともつきあわなかったのかい?」
しばらく沈黙がただよった。
信号が変わった。
「なんていうか…めんどくさくなったのね。たかし君がどうしてあたしを嫌になっちゃったのかって」
「ほんとにすまなかった」
「やめてよ。謝るの」
少し語気を強めて真由美が遮(さえぎ)る。
おれはカーステレオを点けてみた。
『Yesterday』の途中から始まった。

Why she had to go ?
I don't know, she wouldn't say.
I said something wrong.
Now I long for yesterday.

(なんで、あの子は行かなきゃならなかったんだろう?
わからない…あの子はなんにも言ってくれなかったから。
おれが、なんかひどいことでも言ったかな。
今はただ、昨日にもどってほしいと願うばかり…)

"she"を"he"に替えたら、真由美の気持ちを代弁しているかのようなビートルズの歌詞だった。

「あたしね、たかし君が、体目当ての付き合いだったのかなって最初は思った」
「ああ」
「だから、結婚したって聞いた時、不幸になれって願った」
「…」
おれは背筋に悪寒が走る気がした。
「でもね、こないだ会った時に、たかし君の話を聞いて、奥さんが気の毒でね。たかし君だけが不幸になるならいいのよ。奥さんは何も悪くないもの…なのに、体が不自由になって、たかし君にうとまれて…あたしと会ってるなんて」
「もう、やめてくれよ」
おれは、げんなりしていた。
こんな気持ちでホテルになんか行けやしない。
「ごめんね。でも、あたしも共犯なんだなって」
「共犯?」
「だって、断れたんだよ。なのに、のこのこ誘いに乗ったりして」
「堕ちようよ。いいじゃないか」
「わかった…」
国道から、ホテルのある川べりの土手に右折した。
町のはずれに、エターナルグリーンはあった。
ほかに二軒ホテルが寄り添うように建っている。
最近は、普通の旅行者のカップルの利用も増え、サービスも良くなっていると聞く。
たたずまいは変わっておらず、外壁が塗り替えたのか美しくなっていた。
駐車場にはすでに数台の車が停まっていた。
薄暗いロビー、トロピカル調のデザインも変わっていないので、タイムスリップした錯覚を覚える。
部屋を選び、誰にも会わずにおれたちはエレベーターに乗った。
「ひさしぶりで、どきどきする」
「真由美…会いたかった」
「あたしも」
エレベータの中でキスを交わすが、すぐに三階に到着してしまった。
302号室のランプが点滅している。

ドアを開けて真由美を先に入れ、ドアを閉める。
もう、だれにも邪魔されない空間がそこに用意されていた。

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