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アンコ椿は恋の花 (3)

立木家は、伊豆大島での初日の夜、祐介と昼間一緒だったりんの友達のあんこさんたちを呼んで、網元の中嶋治次(はるじ)が用意してくれた、とれとれの魚介類で浜焼き宴会を別荘の庭で催した。
祐介の父春信が、島の人々とお近づきのしるしにと、ささやかな宴に招待したのである。

波浮にも梅原高明(こうめい)という医者が一人いて、その人は祐介の祖父が帝大の医学生だったときの同期だったそうだ。
先の大戦で跡取り息子に死なれ、今も老体にムチ打ちつつも、赤子の取り上げから、老体の看取りまで熱心に島民を診療しているという。
だから人望も厚かった。
その梅原先生も招かれていた。
「ほう、これが宗一郎のお孫さんか。よう似とるよ、宗一郎の学生時分にな」と、白髪を潮風になびかせて好々爺(こうこうや)となった先生が相好(そうごう)を崩して祐介を眺める。
ここに立木家が別荘を持ったのも、梅原先生が関係しているらしいことが祐介に明らかにされた。

りんのお母さんが、てぎわよく、魚や伊勢海老、鮑、栄螺(さざえ)、雲丹などを炭火で焼いていく。
汁が火に落ちるたびに、香ばしい磯の香りが強くたった。
「さあ、焼けてますで。みなさん、うんとこしぇ(たくさん)取ってくださいよ」
めいめいが炭火の前に並んで、金目だの、ホウボウだのをつつく。
酒が回される。
ここでは、十八にもなると、平気で酒を飲むらしい。
治次は大人なので、どうどうと酒に口をつけている。
すると、治次が祐介に、
「どうね、飲(や)ってみるかい?」と湯飲みに注いだ酒を差し出された。
祐介は、父の顔色をうかがったが、父はうなずいただけだった。
「じゃ」
飲んで見たら、のどが焼けるようだったので、むせてしまった。
「あはは、まだ、お子様には早かったずらか」
すると、りんが、
「はるじ、祐介君にそんなもの飲ませちゃだめじゃないのサ!」と、たしなめた。
そして「ほら」といって、浴衣の袂(たもと)をたぐって、りんがサイダーの栓を抜き、祐介に持たせてくれた。
祐介は、はずかしいやらで、もじもじしている。
「りん、そのイタヤ貝はうまいぜ、とってくんろー」「はいはい」
なれなれしく、夫婦のように治次とりんが掛け合う。
祐介は面白くなかった。
いずれ、ふたりは結婚するのだろう…そう思った。

治次の妹の和子も来ていた。水着姿ではなく、千鳥の柄の入った浴衣を着ている。
そういえば、信子や、さね、ふじも浴衣姿だった。
「祐介君、どう?大島は」と、髪をおさげに結ったふじが訊く。
「い、いいところだね。海は、学校でも遠泳大会があるんで」
「だから泳げるずら。東京の子はみんな金づちだって聞いたべ」
「そ、そんなわけないよ。東京にも海はあるし…ふじさんは、もう働いてるの?」
「ふうがわりぃ(みっともない)、ふじさんなんてぇ、お山みたいじゃないのサ。おふじでええよ。おらは家の手伝いしてる」
「おふじ…の家は、漁師なの?」
「ほうよ、おとッつぁんは、中嶋水産で漁労長をしとる」
みなが「網元」と言っているのが「中嶋水産」という水産会社らしく、治次はそこの「漁労部長」として、各漁船の船長を取りまとめているらしい。
「漁労長」は、各漁船に一人ずついて、船長の次に偉い役職だと、ふじが祐介に説明するのだった。

「おらはノンコでいいよ」と話に割って入ってくるのは、小柄な信子だった。
伊勢海老に、かわいらしい八重歯でかぶりついている。
「ノンコはね、治次さんにホの字なんだけど」「こら、言うな」「いいがな」と、ふっくらしたさねと言い争っている。
さねは、恋よりも食い気の方だった。
「治次さんはねぇ、りんさんと、仲がいいみたいだよ」と祐介がりんの方を指す。
「だよねぇ。あたしみたいなチンコロ(小柄な)は、相手にしてもらえんわなぁ」
信子が寂しそうに言う。
「祐介君、ノンコを慰めてあげてな」さねが器用に栄螺(さざえ)の身をえぐりながら、祐介に振った。
祐介は、どう答えていいか、まごまごしていると、
「だめよ、あたしが先にお相手すんだから」と、ふじが遮(さえぎ)ったものだから、一瞬、祐介も信子も、ふじも「え?」と、固まってしまった。
宴もたけなわになってきたころ、治次が祐介に、
「島の女には、気をつけな。ま、お前も大人にならないかんし、何事も経験だ、経験」と酒臭い息で耳打ちして帰っていった。
祐介が、その意味を知るのは、またのちのこと。

その夜、祐介はなかなか寝られなかった。風が止んで暑いせいもあったが、それだけではなかった。
父と梅原先生は下の食堂でまだ、酒を酌み交わしているようだ。
舟屋りんとその母はすでに帰宅しており、母が父のそばで、梅原先生のお話に聞き入っている。
島に台風が来た時の話や、戦争の時の話、先生の息子さんが戦死された話などが、二階の祐介の寝室まで漏れ聞こえる。

祐介は、去年の秋に、父が買い与えてくれた森鷗外の『ヰタセクスアリス』という新潮から出された文庫を荷物に忍ばせてきた。
その本を祐介は何度も、貪るように読んだ。
そして、自ら慰めることも知った。
医者の息子である祐介も、医学書が身近にあったせいで、性についての知識は、同世代の男子よりはあった。
しかしいざ自分の体のこととなると、甚だ、暗愚であった。
「ペニス」や「陰茎」が、皆の言う「ちんぼ」であることは間違いなかったが、そこを刺激して、大きくし、皮を剥いて、さらに快感が極まると「射精」という精液のほとばしりを経験するというのが、幼い祐介には具体性に欠けた。
小便の通る道を通って、精液も噴出するのであるから、不思議である。
尿道をたどれば、解剖図などでは膀胱に至ると明示されているも、「きんたま」と俗に言われる「睾丸」との連絡が皆目、祐介にはわからなかったからだ。
祐介は、精通を中学校で「のぼり棒」を降りるときに経験した。
あの体操着を通しての摩擦が心地よく、ドキドキして地面に就いたとたんになにやら暖かいものを漏らしてしまい、急いで便所に駆け込んだのを覚えていた。
じんじんと響くような射精後の亀頭部分の感覚…それは自慰を覚えた今でも経験するものだった。
漏らしたものは、白っぽい膿(うみ)のような、決して尿ではないものだった。
ほのかに青臭いような、妙なにおいもした。
その日のうちに、家が医院である祐介は、父の蔵書を引っ張り出し、それが「精液」であることを知ることができたのだが、反対に、そのことで自分が、言いようのない汚らわしいものにも思えたのも事実だった。
純情な祐介は、「このままでは、母にあわせる顔がない」とまで思い詰めてしまったのである。
「かといって、父に相談できるだろうか?」
「父は医者だ…適任だ」と思われた。
はたして祐介は父に、精通を見たことを打ち明けたのである。
やはりそれは正解だった。
ドイツ留学の経験もある父は、息子の勇気ある打ち明け話にまずよろこんだ。
「祐介、おめでとう」
そう、讃えてくれ、件(くだん)の『ヰタセクスアリス』を後日、買ってきてくれたのである。
鷗外のこの書籍は、長らく発禁処分となっていたが、昨年(昭和二十四年)の秋に新潮社から改めて出版されたばかりだった。
「実によい本だ。祐介もよく読むがいい」と父、春信は言うのだった。
おかげで、祐介は母ともわだかまりなく過ごすことができ、ますますはつらつと勉学に励めたのだった。

祐介は、その深夜、皆が寝静まったころ、寝苦しいので風呂に入ることにした。
残り湯はかなり冷めてはいたが、汗を流すには十分だった。
木製の椅子に腰かけ、背中を冷たいタイルの壁にもたせかけていると、ひんやりと気持ちがよかった。
そして昼間の女の子たちの姿態を思い浮かべ、陰茎をもてあそんだ。
じわりと硬さを増し、次第に隆々とへその方に向かって竿が立ち上がる。
先の敏感な部分に水をつけて滑らかにしてさらに刺激を続けた。
りんのすらりとした足、よく動く唇。
「祐介君」と、りんが呼ぶ声を再現して、自慰にふけった。
あはぁ…息が早くなる祐介。
下腹部がへこみ、射精が近いらしいことがはた目にもわかる。
祐介の脳裏に浮かんだ、強い日差しの中で海水に濡れたりんの顏が、髪を解く、塚谷ふじにとってかわった。
祐介にもわからないが、ふじを思って分身をしごいているのだった。
「おふじ…」そうつぶやくと、おびただしい精液を噴き上げる祐介だった。
その飛沫は祐介の額や胸にまで降り落ちてきた。

ぐったりとして、祐介は行為後の始末をし、風呂場をあとにした。
(つづく)

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