自由への旅路 第二章 ① シンクロニシティ
ことの始まり
この記事を書き始めたのは、ある出来事がきっかけだった。
それは約一年前に始めたインスタグラムで、ある著名な人物と知り合ったことが発端であり、今は友人となった彼の強い勧めがあったからだ。
普通では考えられないほどのシンクロニシティがもたらしたその出会いは、何か一つでもタイミングがズレたり要素が欠けていたりしたら、
ほとんど成立は不可能に思えるものでもあった。
しかも未だに直接会ったことはなく、こちらは自分の顔を明かしてもいないのだ。
彼は洋楽のコンポーザーとして、以前は長い間ヨーロッパに居を構えており、その世界において、誰もが知るような数々のビッグネームたちと仕事をしてきた人物である。
片や自分は、少し変わった経歴の持ち主とはいえ、ただの一般人だ。
それでも彼が元々そういったヒエラルキーには拘らない人であったのと、ある共通の関心事をいだいていた事から、彼のnoteを読むように勧められ、それに対する感想をインスタグラムのDMで返信したことから交流が始まったのだった。
そして、もう一つのエピソードについても話そう。
ここで自分の過去について一部明かしてしまうと、子供の頃、自分は広島県の阿賀という港町に住んでいたことがある。
メールのやり取りの中で、なにかの拍子にその地名を書いた時、彼はそれに強い興味を示し、今度は電話で直接話したいと申し出た。
まさか彼がその地名を知っているとは思いもよらず、こちらも非常に驚いたのだが、それにはかなりユニークな理由があった。
20数年前、当時まだヨーロッパに移り住んで間もない頃、慣れない外国暮らしの中で、彼は母国の日本的なものに飢えており、日本語の書籍を扱う数少ない古本屋へと、時間を見つけては足を運んでいた。
そこで彼は、広島が舞台となっている「仁義なき戦い」という小説を見つけ、日本に比べて3倍もの値がするそれを全巻購入し、幾度となく読み返したそうだ。
阿賀とはその重要な地名の一つであり、関東出身の彼の印象に強く残っていたらしい。
自分がそこに暮らしていたことから興味を掻き立てられ、実際にどんな所であるのか詳しく知りたいとのことだった。
元々SNS自体、人に勧められて始めていたし、初めはそれほど乗り気ではなかったから、いきなりこんな繋がりが出来るとは思っても見なかった。
しかし、その後も電話でやりとりする内に、ここに書ききれないほどの様々な共通点があることが判っていった。
自分がよく聴いていた洋楽のアーチスト達と、彼が直接仕事していたことなどには驚いたが、東ヨーロッパのとある国にもそれぞれ友人が居ること、更には有名なスピリチュアリストである、エックハルト・トールの著した同じ本を共に所有していることは衝撃だった。
時も場所もまるで違う世界で生きてきたにも拘わらず、それらの時空をあっさりと飛び越え、まるで旧知の友のようになるのには、さほど時間を必要とはしなかった。
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