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自由への旅路 第一章 ② 救いとは



      「信じる者は救われる」

 キリスト教を知らない人でも、このような言葉を一度は聞いたことがあるだろう。

 それは聖書の主題である「神の王国による人類の救済」を端的に表したものだ。

聖書研究会はその「神の王国」とは何か、

そこに入るために何をしなければならないか?

と言うことを学ぶために行われる聖書教育の入り口だった。

 用意されたテキストは、わかり易い文章で聖書の歴史やその信憑性、更に未来に関する予言などが書かれていたが、その女性信者の巧みな説明のおかげで、理解するのにさほど苦労はしなかった。

 しかし先に進むに連れて、聖書が自分たちに様々なを課していることを知ることとなる。

 例えば、国旗掲揚の禁止など、

聖書の神エホバ以外は、いかなるものをも崇拝してはならないこと。

集会への出席や野外での布教活動の義務。

そして、喫煙婚前交渉輸血の禁止など、一般人からすると理解しがたい規則もあった。

 しかも、彼らの用いる聖書は独自のものであり、カトリックなどと比べると、解釈に様々な違いが有ることを後に知った。


  当時はまだ16歳の高校一年生だ。

 一般社会についての知識もさほど持ち合わせていない年齢であった自分は、この教義の要求の深さや厳しさに、すっかり怖気づいてしまったのだった。


 それと同時に自分は家族の問題も抱えていた。

我が家は父子家庭であり、父親は重度のアルコール中毒者だった。

 酒が入ると人が変わったように暴力を振い、

理不尽な暴言を吐くのには、幼い頃から本当に悩まされてきた。

 母親が家を出て行ってからは、その矛先は常に子供に向けられ、

自分たちの成長と同時にエスカレートして行った。


  
    逃避
 
 それは、エホバの証人が我が家を訪れ始めて半年ほど過ぎた頃の事だ。

 いつものように昼間から酒を飲んでいた父を咎めたのがきっかけで、 住んでいた長屋中に聞こえるような壮絶な親子喧嘩にまで発展してしまった。

 その喧嘩は逆上した父親が包丁を振りかざすなど、あと一歩で事件になってもおかしくないほどの激しさで、怒鳴り声は近所中の人々の注目を集めていたらしい。
 
 このことがきっかけとなり、身の危険を感じた自分は、以前から何かと気遣ってくれてい

た、市の福祉課の担当者と民生委員を密かに頼ったのだった。

 程なくして生活保護の申請が受理されると、

自分と妹だけ別のアパートで暮らせるよう手配をしてくれた。

 しばらく後に父親はアルコール中毒者の施設へと強制入院させられることとなり、その時を見計らって二人で親元をはなれたのだった。
 

 とりあえずアル中の父親から解放されたものの、退院後にここへやって来るのではないかと言う不安は絶えなかった。

 古い安アパートで兄妹の自活がはじまったが、学業と家事を両立するのは慣れないうちは苦労した。
 
 先の進路として大学を希望してはいたが、生活保護は高校卒業まで。

それに1歳年下の妹の面倒も見なければならない。

 諦めざるをえなかった。

 しかし、そんな思い煩いとは裏腹に、しばらくして妹は非行へと走り始めた。

 異性との付き合いや水商売のアルバイトを始めるなど、手のつけられない状態へと転落していき、終にはアパートにも帰らなくなっていった。

 結果的にそうなったのも、これまでの境遇からすれば当然のことだったのかもしれない。

 そのことは己の力不足による酷い自責の念をも抱かせたが、同時にそれは自分自身にも影響を与え、生きていくだけで精一杯の日々を送るうちに、聖書研究への熱意も冷めていった。 

 

 聖書が述べている「救い」など、本当にある

のだろうか?

 「周りの同級生たちはそれほど思い悩まず、

親が何でも買ってくれて、楽しくやっているじゃないか」

 それまでずっと貧しかった事もあり、

「人並みの生活」と言うものを経験したいと思うようになった。

 そんな自分の心境の変化を察してか、 

エホバの証人たちは、今後も学び続けるようにと必死に自分を引き止めるのだった。

 しかし、遅れてきた反抗期とでも言うか、

これまで受けた父親からのトラウマも相まって、 
自由に生きたいと言う渇望を抑えることは次第に難しくなって行った。

 聖書はこの世界に「救い」がないと述べている。

 自分は未だ、その世界を何も知らない。

 実際この目で確かめてみたい…

 それまでも、自分たち兄妹が親元を離れる時に引っ越しの手伝いをしてくれたり、
夏休みのアルバイトを世話してくれるなど、
様々な助けを無償で差し伸べてくれたエホバ証人たちの顔が思い出される。

 彼らに対する感謝の気持ちは言葉に表せないほどだが、それでも今は自由になりたい…

 そんな葛藤を引きずったまま時は過ぎて行ったが、高校卒業を前にしたある日、ついにはその関係を自ら断ち切ってしまったのだった。

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