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【短編恋愛小説】Just in time


野村祥太郎は、迷っていた。
 
間宮亜沙子とは、大学2年からの付き合いで、もう9年目になる。
 
まだ、一緒に暮らしている訳ではないが、お互いの部屋には、歯ブラシがそれぞれ置いてあるし、茶碗や、マグカップも置いてある。
 
普通なら、どっちかの家に偏りがちなんだろうが、二人の仕事の忙しさや、職場への距離の関係で、ほぼ均等に行き交っている。
 
祥太郎は、郊外の高校の物理の教師だ。東大進学率を首都圏で争うほどの進学校で、祥太郎の仕事は中々な激務だ。
 
亜沙子の会社は、都心の高層ビルにオフィスを構えるアメリカ本社のIT企業だ。彼女は、ここでアナリストの仕事をやっている。
 
 

二人は、大学時代に知り合った。
一般教養の講義。哲学の授業中に、講師の話を熱心に聞き、細かくメモを取る祥太郎に、亜沙子がちょっかいをかけたのが始まりだ。
 
「何が面白いの?」
「存在理由を探し当てるヒントになると思ってるだけだよ。」
「私たち、理系でしょう?そんなのに興味あるの?」
「君は興味ないの?」
「ないわ」
「なんで?」
「リアリティを感じないからよ。」
「リアリティ?形而上学的な回答だな。」
「何、それ?」
「まあ、いいよ。オレ、授業、聞きたいから。」
 
この後も、亜沙子は祥太郎に食い下がり、一緒に学校を出て、近くの学生の溜り場になっている居酒屋でずっと絡み続けた。
「納得いかないんだけど。」
「いいよ、それが君の基本的な考え方なんだから、それでいいんじゃない?」祥太郎は躱した。
「えー。それじゃあ、ちっともすっきりしない。アンタ、一人暮らし?」
「うん」
「近い?」
「歩いて15分ぐらい。」
「よし、じゃあ、今から行こう。飲み直しよ。徹底的に話そう。」
 
この日から、もう9年が経つ。
 
 

もうそろそろ潮時なんじゃないだろうか?祥太郎は、そう思っている。
腐れ縁にしても、9年は如何にも長い。これで、結婚しないという事にはならないだろう。
 
しかし、思い切れない。躊躇してしまうのだ。
それは、祥太郎と亜沙子の性格や人間性が起因する。
 
祥太郎は宇宙物理学を極めたいと思っていた。しかし、母子家庭で育った身だ。生活に余裕はない。
だから、あっさり大学院へ進む道を諦めた。そして、今は高校教師をやっている。受験のための学問、それは祥太郎が望むものではないが、仕方ないと割り切っている。
 
亜沙子は情報工学を学び、それを最大限に生かせる道を選んだ。アメリカ資本の会社は、まさに実力主義の世界だ。しかし、その中で、亜沙子は善戦している。
 
祥太郎は猫派で、亜沙子は犬派。
祥太郎は紅茶が好きで、亜沙子はコーヒーを一日に何杯も飲む。
祥太郎は酒が弱く、亜沙子は酒豪。
 
兎に角、何から何まで行き合わない二人だと、祥太郎は思っている。
 
だから、結婚を切り出せないのだ。
 
 

ここのところ、中間テストの準備とかがあって、亜沙子とは会っていない。
亜沙子も仕事が忙しいようで、夜、お互いの家で話すTV電話もご無沙汰だ。
 
今日も祥太郎は夜遅くに帰ってきた。晩飯は駅前で軽く済ませた。
家に帰りつくと、カウチにどっかりと座り込んでしまった。
疲れたなあ…誰もいない部屋で独り言を言う。
 
スマホが鳴った。
亜沙子からだった。取る。
「どうしてた?」
「中間テストがさ、大変で。そっちは?」
「私ね、来月からアメリカ本社勤務になった。」
えっ?絶句した。何、言ってんの?
「アメリカって、ニューヨーク?」
「ううん、シアトルだよ。西海岸。」
「ああ、そうなの。で、いつ、こっちを発つの?」
「明日の朝。」
ええっ?二度目の絶句。
「明日って、また、急な。」
「実は、2か月前には決まってたんだけど、ずっと、祥太郎には黙ってたの。」
「何で?」
「躊躇しちゃうからに決まってんでしょう。折角のビッグチャンスなのに。」
「チャンスなの?」
「そうよ、チャンスよ。当たり前じゃない。」
「そうか、チャンスか。じゃあ、仕方ないな。成田から?」
「そう。早朝便だから、今、成田のホテル。」
「そうか。」
 
それから、たわいもない話をして、電話を切った。
 
祥太郎は、風呂に入る気にもなれず、そのままカウチで静かにしていた。
仕方ない。仕方ないよな。そう、言い聞かせる。諦めるのは得意だ。
祥太郎は、疲れから、そのまま寝てしまった。
 
 

それでいいのか?それでいいのか?それでいいのか?
 
良くない!
 
祥太郎は目覚めた。夜中の3時半を過ぎたところだ。
 
構わず、亜沙子に電話した。
繋がらない。2回目、3回目、全く出る気配がない。
彼女は、普段から電話を見ない。かかってくる電話にも関心がない。
自分が対応できる時だけ、電話に出るし、メールをチェックする、そういう人間だ。
 
ちくしょう。
 
祥太郎は、メールを打った。
 
 
結婚したいんだけど。ずっと一緒にメシを食おう。
 
 
確かに、祥太郎と亜沙子は、全く反りの合わない人格かもしれない。
しかし、一つだけ、二人には共通項があった。
 
それが、メシだ。
美味いもの巡りを二人で何度もした。
堅焼きそばの麵について、中華街で激論を交わした事もある。
 
でも一番は、一緒に作って、一緒に食べる事だ。
祥太郎も亜沙子も料理が上手い。
祥太郎は、おふくろの味派、亜沙子は、どんな料理でもチャレンジする派だ。
二人でキッチンに立ち、役割分担して作る。
出来たら、熱々のうちに、二人で食べる。
それが、二人にとって最高に幸せな時間だ。
 
メールに既読がつかない。
 
祥太郎は、着替えもせず、スマホと財布だけをもって、家を出た。
流しているタクシーを拾い、成田に向かった。
 
 

国際線乗り場に着いた。祥太郎は、カウンターへ向かう。そこで亜沙子を待ち伏せする作戦だ。
メールをチェックする。30分前に、既読はついているのだが、返信がない。
不安になる。
早朝便のカウンターでの受付時間の終了が迫る。しかし、亜沙子は来ない。
どうなってんだ?祥太郎は焦る。
しかし、無情にも、受付時間は終了した。
呆然と立ち尽くす祥太郎。きっと、亜沙子は先にイミグレーションを入ってしまったのだ。
 
間に合わなかった。
 
何故? メール、見てるのに、何故?
思いが噴き出そうとするが、公衆の面前だ。堪える。そして、諦めるのを待つ。諦めるのは得意だ。
そう言い聞かせる。そして、電車の駅を目指した。
 
 

亜沙子がいなくなって二日目。
祥太郎は、珍しく、早めに学校を出た。
陽も落ちきらないうちに、家に着いた。
ドアを開けると、家の中の様子が変だ。
スマートスピーカーは音楽を鳴らしている。
家の中は暖かい。
何より、台所が騒がしい。
 
亜沙子だった!
 
「どうしたの?」
「ああ、祥太郎、間に合ったね。今、餃子の皮ができたとこなの。祥太郎、餡を包んで。」
「じゃなくて、何で、ここにいるんだって、訊いてるの?」
「そりゃあ、いるでしょうよ。ズルいわよ、さんざん待たせておいて、出発間際にメールで言ってくるなんて。私、アメリカ着いて、本社行って、その場で退職願出しちゃったわよ。」
「ええっ」
「だから、今日は許さないわよ。餃子は作った。後は、祥太郎が美味しいもの作ってね。」
「ああ、まず、手を洗ってくるよ。」
祥太郎は、こみ上げる微笑みをかみしめながら、洗面所に向かった。
 
間に合って、良かった。
 

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