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【短編小説】小生先生、走る!


「では、これで添田先生のみんなの作文のコーナーを終わります。今日も添田先生、ありがとうございました。」
「こちらこそ、ありがとうございました。このラジオを聴いてくれてるみんなも、ありがとうございました。みんなまた、楽しい作文を書いて送ってくださいねえ。」

off…

「先生、ありがとうございました。」
「いや、ありがとうございました。では、私はもう行かなきゃ。」
「今日はどちらですか?」
「刑務所で慰問です。作文教室をやりに行きます。ああっと、もう時間がない。では、私はこれで…」

添田先生は、ラジオ局の廊下を走って行った。


ここは地方都市の県庁所在地。
添田芳馬は、僕のおじいちゃんだ。
おじいちゃんは元は小学校の校長先生だった人で、定年退職をして今は得意の国語を生かして、作文教室をやったり、講演会をやったり、また、今のように毎日午後15分間ラジオで集まった子供たちの作文の紹介したりして、忙しくしている。

じいちゃんは僕のような子供と話す時、自分の事を「小生」と言う。
だから、子供たちの間ではおじいちゃんの事を「小生先生」と呼ばれている。


僕は亮介。9歳だ。おじいちゃんとは遠く離れて暮らしている。
しかし、今は夏休みで、先週からお母さんと妹と一緒におじいちゃんの家に来ている。
今週金曜日にはお父さんも来る予定で、お父さんと一緒に、日曜日に家に帰る。

おじいちゃんは、ちっちゃい。普通の大人の女の人よりも小さい。
おじいちゃんは、太っている。コロコロとしたちっちゃい小太りなじいちゃんだ。

おじいちゃんは、足が速い。歩く時も速いんだけど、走るとホントに速い。
僕が真剣に走っても、今はおじいちゃんには負けちゃう。それぐらい速い。

おじいちゃんの足は親指の付け根のところがボコって出てる。
「これ何?」と、おじいちゃんに訊くと「外反母趾」と教えてくれた。
両足とも、ボコっと。

だから、おじいちゃんがいつも履いている革靴の親指の付け根のところはボコって出てて、革も擦り切れている。

それなのに、おじいちゃんは足が速いんだ。

おじいちゃんは、力持ちだ。小さいのに、重い本を一杯担いで家まで帰ってきたりする。
どっかで借りてきた本らしいんだけど、そんなの担いでチンチン電車乗って、家まで歩いて帰ってきた。
おじいちゃんが書斎にその本を持って行ったあとをついていき、おじいちゃんにその本を持たせてもらうと、とてもじゃないけど、僕は一人では持てなかった。

おじいちゃんは、勉強家だ。
おじいちゃんの家には、離れがあり、それがおじいちゃんの書斎だ。
おじいちゃんは、朝早く起きて庭で寒風摩擦をやって、ラジオ体操をやったら、朝ごはんまでずっと書斎で、仕事をする。
朝ご飯を食べたら、すぐに出かけて、夜になったら帰ってくる。
みんなで晩ごはんを食べたら、また書斎に行き、夜遅くまで仕事をする。

ごはんの時、僕がご飯を持つ手と反対の手を食卓に出さないと、おじいちゃんはいつもこう言う。
「亮介!」
「ハイ!」
「あんたは、人間の子か?動物の子か?」
「人間です。」
「人間なら、食卓に手を出しなさい。行儀を気にしないのは、人間ではない。」
「分かりました。」

でも、大体の時、おじいちゃんは優しい。


おじいちゃんが、月水金の夕方からやっている作文教室に特別に入れてもらった。

「今日はこの子も入れてあげてくださいね。実はこの子は私の孫なんです。さあ、亮介、あいさつしなさい。」
「こんにちは、皆さん。僕は添田芳馬の孫で、上村亮介と言います。今日は、皆さんと作文を書きに来ました。宜しくお願いします。」

「添田先生のお孫さんね?すごーい!」
「いいなあ、先生がおじいちゃんなんでしょう?」
「羨ましい…」
「俺と、孫、代わって!お願い!」

僕は満更でもなかった。
おじいちゃんの顔を見た。
おじいちゃんはもう先生の顔になっていた。


作文教室が終わると、夜になっていた。
僕は、おじいちゃんと二人で教室のある公民館を出て、市電の停留所まで歩いた。

公民館から停留所までの間は、大人がお酒を飲む店が並ぶ通りを歩かなければならなかった。
通りには、小さな路地が何本もあり、その奥にも店があった。

左の路地から怒鳴り声が聞こえてきた。そしたら、その路地からボーンと、人が飛んできた。
その人は、反対側のブロック塀に背中をぶつけ、その場にへたり込んだ。
「お前‼くたばるのはまだ早ええぞ!」飛んできた方からおじさんが三人出てきた。そして、へたり込んだ人を担ぎ、立ち上がらせようとした。
「待たんか!」おじいちゃんが言った。
「何だ、ジジイ!年寄りの出る幕じゃねえ!」
おじさんがおじいちゃんに殴りかかってきた。おじいちゃんは、サッと避けた。すると、殴りかかってきた人が、道路に背中から落ちた。
「この野郎!」今度は、二人いっぺんに殴りに来た。
おじいちゃんは、二人に向かって両腕の広げた。すると、二人とも飛んだ。

おじいちゃんは小さいが、柔道と、合気道の師範代だ。
三人は、道路で伸びた。
警察官がやって来た。
近くに店の人が証言してくれた。
僕とおじいちゃんは、その場で警察官にお礼を言われ、家に帰った。


時刻は、3時になりました。いつもの添田先生のみんなの作文のコーナーです!
はい、添田芳馬です。今日も宜しくお願いします。

おじいちゃんのラジオが始まった。

一つ目の作品は、東小学校の三年二組、緒方直哉君の作品です。
タイトルは、「お父さんを怒ってみたい。」です。



「さあ、この作品について、添田先生のお話を聞きましょう。緒方君、聞こえますか?」
「聞こえます。」
「緒方君、こんにちは、添田芳馬です。」
「添田先生、こんにちは。」
「緒方君は、どうしてこの作文を書いてみたんですか?」
「学校の授業で、「やってみたいこと」を作文に書く事になったからです。」
「で、緒方君のやりたい事が、お父さんを怒る事だったわけですか?」
「そうです。」
「何故、やってみたいのですか?」
「だって、いつも怒られるから…」
「小生は思いますに、緒方君のお父さんは、緒方君に良い人間になってもらいたいから、叱るんだと思いますよ。だから、お父さんが怒っても、その時は、お父さんは僕の事を思ってくれてるんだと、思った方が良いですよ。」
「お父さん、そんなんじゃないんです。いつも酔っ払ってて、ビールがねえぞ!もってこい!とか、そんなんで怒る事ばっかりです。」
「それはいけませんねえ。そんな事は小生から県の教育委員会を通じて、話してあげますよ。」
「本当ですか?」
「本当です。約束します。」

おじいちゃんは、確かに小生と言っていた。

おじいちゃんは、本当に児童相談所に話が届くようにしたらしい。


おじいちゃんが、刑務所に慰問に行った時のビデオを見せてくれた。
おじいちゃんは、体育館の舞台の上で講演台から話をしていた。

「じゃあ、今日はお母さんの事を作文にしましょう。お母さんが生きている人は、お母さんへの手紙のつもりで、お母さんが死んでしまっていたり、いなくなっている場合は、お母さんの思い出を文章にしましょう。書く時間は30分です。じゃあ、始め!」



「30分経ちましたが、まだ、鉛筆も握ってない人がたくさんいましたね。何故ですか?左から2列目の前から5番目の君、何故ですか?」
「俺?」
「そう、君です。何故、書かないのですか?」
「俺の母ちゃんは、俺を捨てたけん、いい思い出なんか、何もなかからです。」
「お母さんを恨んでいますか?」
「はい。」
「じゃあ、それを書きなさい。心の中にある悪い思い出を全部、書きなさい。他にいますか、お母さんを憎んでいる人?手を上げてください。ああ、たくさんいますねえ。じゃあね、言いました通り、憎んでいる事、嫌っている事、自分の思いを全部、原稿用紙に書いてください。決して、文章にならなくても結構です。箇条書きで結構。上にね、番号を書いて、一、アイツは俺を捨てた!二、アイツのせいで、俺は4歳から親戚をたらい回しにされた。とかという風にね、書いてください。でもね、途中で、お母さんのいいところを思い出したりしたらね、必ずそれも書いてください。いいですか?では、後30分、あげましょう。始め!」



「皆さん、書けたようですねえ。これは良い事です。小生が思うに、皆さん、お母さんの事を実は鮮明に覚えてる人が多いのではないかと思います。良い事も、悪い事も、ずっと忘れてないような気がいたします。お母さんはねえ、どんな事があっても、あなた達のお母さんです。だから、良い事も悪い事も、これからも覚えておくんですよ。それが小生は良いと思います。」



「おじいちゃん?」
「何か?」
「何で、お母さんの良い事も悪い事も覚えてなきゃならないの?」
「簡単じゃよ。お母さんを忘れないためさ。お母さんの存在がいつも心の中にあれば、きっとやり直せると、ワシは思ってるんじゃ。」
「ふーん…」

僕はお母さんが大好きだったから、忘れる訳ないじゃんと思っていた。


おじいちゃんの作文教室に、また連れて行ってもらった。
今日は、小学校高学年や中学生のクラスだった。

みんな、先週出された宿題をやってきて、自分の作文を読み上げた。
その作文を聞いて、おじいちゃんは一人一人に質問したり、褒めたりした。
ある中学生が、おじいちゃんに質問した。
「先生、質問があります。」
「何でしょう?小生に答えられる事なら何なりと。」
「先生は、僕たち生徒相手にご自分の事を小生と言われます。何故ですか?」
「はあ、どういう意味でしょう?質問の意図が分かりかねますが…」
「学校で習ったのですが、小生とは、自分をへりくだる時に使うと聞きました。先生は、僕らよりもだいぶ年上で、経験を積み重ねてきておられます。知識も僕なんかと比べられないほど豊富だと思ってます。僕の知らない事を一杯知っておられます。だから、僕なんかと比べて、よっぽど偉いんだと思ってます。その偉い人が、僕にへりくだるのはおかしいと思うんですが…」
「偉い?小生が、君よりも偉い?ホントにそう思ってますか?」
「はい、思ってます。」
「それは残念ですねえ。がっかりしました。」
「えっ、どうしてですか?」
「小生は、決して君より偉くなんかないからですよ。」
「偉くないんですか?」
「ちっとも!君は、ここに何をしに来てますか?」
「作文を学びに来てます。」
「そして、自分で作文を書いておられる。」
「はい。」
「作文とは、漢字でどう書きますか?」
「文を作ると書きます。」
「そうですね。文を作る。つまりは創造です。創造には、年齢や、経験は関係ありません。その時その時、感じた事がすべてなのです。私が長い間、勉強してきたとか、小学校の先生を長く勤めたとか、校長だったとか、そんなのは全く関係のない事です。」
「そうなんですか?」
「そうです。時に、君は今、何歳ですか?」
「今月の27日に13歳になります。」
「それは、おめでとうございます。その13歳の君が、仮に故郷について、作文を書くとしましょう。」
「はい。」
「その文章は、今この13歳の君にしか書けない文章です。君が来年になって同じように故郷の作文を書くと分かるでしょう。きっと、全然違う内容になるはずです。つまり、今、君が書く、13歳の君が書く文章は、これ以上なく、この瞬間にしか書けないものなのです。そして、それは私なんかには到底かなわないような素晴らしい文章なのです。」
「何故ですか?何故、先生がかなわないのですか?」
「それは、私がもう13歳には戻れないからです。大事なのは、今、君が見るもの、聞くもの、触るものを通じて、どう感じるかです。そして、感じた事をどのように文章で表現するか?なのです。13歳の君は書く文章は、それぐらい貴重なものです。それには、小生はかなわないのです。」
「分かったような気がしました。僕が書く文章は、今しか書けないんですね。」
「そう、その通りです。そんな稀有な体験を私もさせてもらっているのです。だから、みんなの方が偉いのです。」
「だから、ご自分の事を小生と呼ばれる?」
「その通りです。」
「よく分かりました。じゃあ、先生、一つ、お願いがあります。」
「何でしょう?」
「僕の書いた文章をもっと褒めてください。」
「ああ、つけあがりましたねえ…そうはいきませんよ。君は句読点の使い方をよく間違えておられる…」




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