【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】「マナリ短編集1」#5. そんなに遠くないある夏の日に君に訊かれた「空を飛べたらって、思った事ない?」という質問について イラスト作成:幸野つみ
あの日は、こんな風だった。
あの、忘れられない不思議な夏の日…
「カイトお!早く起きてえ!お母さん、もう出かけなきゃならないんだからあ!いつもの時間に起こしてあげられないわよお!」
うるせえ…
ん?今、何時?
んんん…まだ6時じゃねえかあ…
あっそっかあ…かあちゃん、今日、広島のおばあちゃんとこ行くんだったな…
「カイト!聞こえてるのお?起きてるう?」
「うるせえなあ~…起きてるよ。何度も下から叫ぶなよお…」と呟くように言い返し、俺は起き上がり、階段を降りていった。
トイレを済ますと、キッチンにはかあちゃんがいた。
かあちゃんは、出掛ける服を着て、エプロンをして、俺の目玉焼きを焼いていた。
「しょうがないじゃない、お母さん、支度で忙しいんだから。」
「じゃあ、呼ばないで、支度してりゃいいじゃん?」
「それで、アンタが起きなかったら、どうすんの?今日も学校で補習があるんでしょう?午後は予備校の夏季講習だし…」
「分かってるよお。今日は忙しいんだ。補習終わったら、予備校の前に部室へ行って、俺のもん、取ってこないといけないし…」
「えっ?じゃあ、予備校、遅れるの?」
「ちょっとだけだよ。1時間目は、地理だから、受験にそんなに影響ねえし…」
「やめてよお、予備校の授業サボるのは…受講料、高いんだから…」
「分かったよお。」
キッチンの向こうのガラス窓の外は、暑い事を確約するような日差しがもう照り付けている。
庭の木にスゲエ数の蝉がいるらしく、朝っぱらから大音量で鳴いている。
「後、パンは自分で焼いてね?」かあちゃんは、俺の分のハムエッグをテーブルに置きながら、そう言った。
「分かった…ねえ、母ちゃん?」
「何?忙しいんだけど…」
「俺、コーヒー飲んでみようかな?」
「ええ、部活中は、背が伸びなくなるって、コーヒー牛乳も飲まなかったのに?どうして、バスケ、辞めたから?」
「まあ、そうだね。だし、コーヒー飲まなくても、俺、そんなに背伸びなかったし…」
「何言ってんの…お父さんは173、私は158しかないのに、アンタ、176㎝もあるじゃない。伸びた方よ。あっ、いけない、もう時間がない…お母さん、出掛けるわ。48分のバスに乗らないと、新幹線に間に合わないから…じゃあね。来週の月曜日に、帰ってくるから…お父さんは今週末は、岩手から帰って来れないみたいだからね。宜しくね。」
「分かった。」
かあちゃんは、あたふたと玄関を出て行った。
俺は一人、キッチンに残された。
コーヒーを自分のマグに入れてみた。
恐る恐る啜ってみる。
にっが…
俺は、マグをテーブルに置いた。
そして、いつものように牛乳を出してきてパックのまま飲み、朝飯を食べた。
午前中の補習を終えて、購買部でパンとおにぎりを買って食った。喉が渇いたので、自販機に行くとコーヒー牛乳を見つけた。
買ってみるか… いや、でも、あのコーヒー、バカマズだったからなあ… やっぱ、やめとこ
いつもの牛乳の500mℓパックを買い、飲みながら体育館の裏手にある体育系の部室だけが入っているプレハブの建物へと向かった。
体育館の横の細い通路を左に折れると、部室がある。
俺が曲がると、急にドサッと、腹に何かがぶつかった。
なに?
ぶつかった拍子に俺は、後ろへと倒れ込んだ。
飲んでた牛乳のパックは、盛大に白い放物線を描いて飛び散った。
頭、打たないように!咄嗟にそれを考えて、顎を引いた。そして、背中からコンクリの床へと落ちた。
すると、俺の前に女子が被さっているのが見えた。
なるほど…出会い頭って、ヤツね…
しかし、女子は俺の胸に顔をつけてるので、誰だか分からない。
女子が顔を上げた。
大塚巡(メグリ)だった!
「何よお、アンタ?私にいつまで抱きついてるつもり?」
俺は両手で彼女の肩を持ち、守ってあげる姿勢を取っていた。決して、抱きついてる訳ではない。
「うわっ!ああ、すいません…」俺は、肩を持っている手を離した。
っていうか、そんなんはどーでもいーぐらい、心は衝撃を受けていた。
そのせいで頭が全然回らない。
メグリ…
俺の好きな人…
告りたいと、思っている人…
彼女は、俺の顔を見た。
「あっ‼舟橋海斗!」と言った。
俺はなんと答えていいか分からず、「そう」と言った。
「カイト、今、暇?」
「あ?」何と答えるべきか…「ああ…」何とも曖昧な回答…
「海、行かない?」
「海?」
「私さあ、アンタに話したい事があるんだ。」
「あっ、ああ、いいけど…」
「じゃ、行こう。」
俺たちは立ち上がった。
そして、俺の自転車をとるために、自転車乗り場へ向かった。
俺たちの学校は、相模湾を見渡せる高台にある。
俺はチャリンコ通学してる。家から学校まではチャリンコで20分ぐらいだ。
メグリは、バスと電車通学なので、海までは俺のチャリで2ケツする事にした。
校則では2ケツは禁止だが、今は夏休みだ。誰もチェックする人はいないだろう。
俺たちは、海までのなだらかな下り坂をノーブレーキですっ飛んでいった。
スゲエスピードが出た。
「カイト、ヤバーい!」メグリが後ろで叫んだ。
「怖い?」
「ちょっと…でも、楽しい!」
メグリは、俺の腹に両手を巻き付けて、俺にしがみついた。
俺の背中はバリバリに緊張してる。
モゾモゾとする。
俺は、それを悟られないように、ペダルを漕ぎ、スピードを上げた。
「キャー!」
「スピード、緩める?」
「ううん、平気!かっ飛んじゃって!」
「OK! 」
俺らは、目の前に広がる海を目指した。
夏休みだが、そんなに有名でもないここの海水浴場は、平日の今日は人が少なく、閑散としていた。
砂浜の奥の上を国道が通っている高架下の海の家にも、店員さんらしき人以外はいなかった。
しまったな…こんな事なら、今日は制服じゃなくって、ジャージで来ればよかった。ジャージなら、ワンチャン、泳げたかも… あれ、俺、何考えてるんだ…
暑い砂浜を俺とメグリは歩き、テトラポットを上がっていった。
テトラポットは、遮るものはなく、今はガンガンに直射日光が照りつけているのだが、メグリは気にするふりもなかった。
「ここならさあ、誰にも聞かれる事ないじゃん。」メグリはそう言った。
海は青かった。
空も負けずに青いのだが、北の空では入道雲が湧き、西の空は雲のせいで少し白っぽい。
俺らは微妙に50㎝ぐらいの距離を取って、テトラポットに座った。
座るなり、メグリは俺の方へと向き直った。
「なに?」俺は、狼狽えた。まず正面から彼女の顔を見れなかった。
「舟橋海斗くん」
「ハイ…」優等生みたいな返事だなあ…
「私ねえ、あなたが好きよ。」
えっ…
「好きって、どーゆー事?」
「好きは、好きよ。大好きって事。」
「あれ?どういう事だろう?」
「何が?」
「いや、そう、もう、俺も好きなんだけど…」
「そうなの?よかったじゃん!」
「両想い?」
「そうなるねえ。」
「じゃあ、俺ら、付き合う?」
「それはムリ!」
「ええ?何で?」
西の空から白かった雲が黒くなり、どんどん進んできてる事は気づいていた。
遠くで雷のゴロゴロという音も聞こえてきた。
メグリの制服のシャツに大きな雫の跡がついた。
そしたら、ドカッと大雨が降りだしてきた。
俺らは、慌ててテトラポットを降り、砂浜を走り出した。
俺らは国道の下の小さなトンネルへと逃げ込んだ。
トンネルの中は、海と低気圧の匂いがした。
二人ともずぶ濡れになっていたが、中は蒸し暑く、寒さは感じない。
トンネルの端っこは、国道の橋脚があり、段差があった。
俺らは、その段差に座った。
「…あのさ?」
「ん?」
「ムリって、どーゆー事?」
「ムリはムリ。」
「だって、両想いなんだろう、俺ら?」
「でもムリ。」
「何で?」
「カイトはさあ、空を飛べたらって、思った事ない?」
「何それ?急じゃない?」
「いや、飛べたらね、付き合えるのになって…」
「またさあ、どーゆー事?訳分かんないんだけど…」
「私さあ、もうすぐソウルへ行っちゃうんだあ。」
「ソウルって、韓国の?」
「そう、オーディションに受かってね。」
「オーディション?」
「パフォーマーの。」
なるほど…
メグリは、ウチの高校のチアリーディング部のキャプテンだった。
彼女は俺の試合の応援をしに来てくれた。
俺は彼女のダンスする姿を見て、好きになったんだ。
「デビューできんの?」
「多分ね。」
「空さあ、飛べたらいいのにね。そしたら、すぐにカイトのとこへ飛んで来れんじゃん。」
「飛行機でいいじゃん。」
「空港行ったり、待ったり、時間かかんじゃん。レッスンでそんな時間取れなさそうだし…」
「そっか…そうだな…」
「キスする?」
「えっ?」
「想い残すのが嫌で、今日告ったんじゃん。だから、記念に…」
「記念?俺は嫌だなあ…余計に想いが募りそうで…」
「いいじゃん。」
チュッ
メグリは、俺の唇に軽くキスして、トンネルの向こうへと駆け出した。
おい、俺のファーストキスを…
「待てよお…」
「待たない!」
メグリは、トンネルを出て、雨の向こうへと走って行った。
嘘みたいだが、彼女は消えた。
トンネルを出て、彼女が走って行った方へと俺も走ったのだが、見つけられなかった。
さんざん探した。
そのうえ、駅まで自転車でいき、改札前で彼女を待ち伏せた。
ずぶ濡れだから、そんな恰好で電車には乗れないじゃんって言って、俺の家に連れていく事を考えていた。
今日から家は俺一人だし…
よからぬ事も考えていた。
夕方になっても彼女の姿を見つけられなかった。
夜になり、帰宅客で駅がごった返す頃、俺は諦めて自転車に乗り、家へ帰った。
家に帰って、シャワーを浴びて、服を着替えても、気持ちは切り替わらなかった。
どうしようもないイライラ感、疼く感じ…どうすればいい?
食欲もない…
キッチンに朝の残りのコーヒーがあった。
俺は温いままのコーヒーを飲んだ。
美味くはないが、今日の気分にぴったりだと思った。
早いもので、あの日からもう5年が経つ。
僕は何となく大学に入り、何となく卒業した。
しかし、何となくではないものが一個だけあった。
仕事を韓国に関係するものにしたいという事だった。
芸能界に明るい訳ではないし、そんなに興味もない僕は、何とか韓国と取引している小ぶりな商社に入った。
今日も金浦空港のカフェでコーヒーを飲み、出発便を待っている。
空港のモニターでは、メグリが所属するガールズグループのPVが流れている。
もうだいぶ韓国に来ているのだが、未だにメグリと連絡を取る方法は分かっていない。
SNSを使えばいいのだろうが、それは何だか違うような気がしてる。
メグリはあの時とは違って、キリッとした大人の女性になっているのだが、俺にはメイクの下にあるメグリの素顔も見つけられる。
その素顔を確かめる時、俺はいつもコーヒーを飲む。
相変わらず、僕はコーヒーが好きな訳ではない。苦いんだ。
でも、その苦い味が、あの時のメグリの顔を思い出させてくれる。
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