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【4回連載小説】通じる その後(1)


僕は、三沢さんと娘さんの直海ちゃんと、約束通りに映画を観に行った。
僕らの街には映画館がないので、僕が利用しているカーシェアの車で、近くのショッピングモールの映画館へ行き、ジブリ映画を観た。
 
朝イチの回で映画を観たので、映画館を出たら、お昼時だった。
 
僕らは、巨大なショッピングモールのフードコートで食事をする事にした。
たくさんの席は、どれも埋まっていたので、三沢さんとベビーカーの直海ちゃん、そして僕で、手分けして席を探した。
僕は、もうじき席を立ちそうな家族連れの席を見つけた。
そのそばでさりげなく立って待ってると、その家族が席を立った。立ったお父さんと思しき人に、「ここ、いいですか?」と声を掛けると、「ああ、大丈夫ですよ。」と言ってくれた。
僕は、確保した席に、僕の軽いジャケットを広げて置いて、席を取られないようにした後、三沢さんと、直海ちゃんを探した。
見つけた!
「三沢さーん!」と、大きな声で呼び、手を振ると、三沢さんより先に直海ちゃんが気付いてくれた。
そして、二人が僕らの席へとやって来た。
「ここで、待ってて。」と僕が言い、台拭きと、水を取りに行った。
台拭きでテーブルを拭き、水を渡すと、直海ちゃんはすぐに飲みほした。
「じゃあ、食べ物を買ってこよう。僕が席を取ってるから、二人で買ってきて。」
「じゃあ、直海はここで熊谷さんが見ててくださる?私が、直海と私の分を買ってくるわ。その後、熊谷さん、買いに行って。それでいい?」
いきなり、小さい子どもを僕に預ける?
俺は、上手く付き合えるのか? いや、そんな事よりも俺が誘拐するとかって、三沢さんは思わないのか?
いや、そんなリスクは発生するわけもないよな…
「分かった。じゃあ、待ってる。」
 
直海ちゃんは、暫くは大人しくしていた。
しかし、ママがいない事に気づいたようで、「ママ、ママ、ママ、ママ、ママーーーー!」と叫び、顔がゆがみ始めた。僕は、三沢さんの姿を探したのだが、どうにも見当たらない。
 
どうしよう?
ひらめいた!
僕は、スマホでアンパンマンの動画を見つけ、直海ちゃんに見せた。
すると、直海ちゃんの目がいきなり画面に釘付けになった。
「アンパンマン、アンパンマン!」と、キャッキャと喜び、笑い始めた。
もうじき3歳になるという直海ちゃんは、今、アンパンマンが好きだと聞いていたのが幸いした。
 
暫くすると、三沢さんが、自分と直海ちゃんのうどんを持って帰ってきた。
 
直海ちゃんは、ずっと僕のスマホを見て、キャッキャとはしゃいでいた。
 
「あら、ナオちゃん、ご機嫌ねえ。熊谷さんの事、好き?」
「だいしゅき」
「あら良かった。熊谷さん、すいませんでした。面倒見てもらってて。じゃあ、自分の分、買ってきて。」
「分かりました。」
「はい、ナオちゃん、熊谷さんの携帯、返してあげて。」と、三沢さんが直海ちゃんから、僕のスマホを取り上げようとしたが、「イヤ!アンパンマン、見るの!」と言い、ナオちゃんは、スマホを握りしめた。
「ああ、いいですよ。後で。僕、自分の分、買ってきます。」
 
結局、自分もうどんにした。二人のが美味そうに見えたからだ。
 
自分のうどんを持って席に戻ると、三沢さんがナオちゃんにうどんを食べさせていた。
 
僕のスマホは、僕の席の前に置いてある。
 
僕のスマホは、よだれでべとべとになっていた。
 
 

三沢さんは、理美さんという名前だった。
 
僕は、政信という、ありふれた、どっちかと言うと、堅苦しい、昭和な名前であると自己紹介をした。
 
直海ちゃんは、理美さんの前の旦那さんとの間に生まれた子供だ。
 
前の旦那さんは、浮気症らしく、浮気がばれ、離婚に至ったらしい。
そして、その旦那は、もうすでに福岡で、別の家庭を持っているという事だ。
 
三沢さんは、いや、理美さんは、それから頑張って一人で直海ちゃんを育ててきた。
離婚して、まだ3年足らずだが、想定外の離婚だったらしく、大変だったようだ。
 
三沢さんの実家では、元々、その旦那との結婚を認めなかったらしく、今は没交渉になっており、理美さんには頼る先もないという事だった。
 
そんな長い話を、ショッピングモールのセンターコートで、2ディップのアイスクリームを食べながら聞いた。
 
そして、僕は、理美さんに、全部聞いたうえで、改めて、正式に交際を申し込んだ。
 
理美さんは「お願いします。」と一言、言ってくれた。
 
嬉しくて、飛び上がりたい気持ちだったが、それは堪えた。
何しろ、自分では実感していないが、僕はもうそろそろ中年だ。おじさんがはしゃいではいけない。
 
 

梅雨が明け、夏になった。
僕と理美さんの関係は良好だ。
毎週末、僕らは色んなところへ出かけた。
 
今年の夏は、人生で一番楽しい夏なのではないだろうか?
長い、色んなタイプの滑り台があるプールに、みんなで行った。
海水浴にも行った。
車で、群馬の温泉へ行き、一泊旅行をした。
山梨で桃狩りをし、その後、日帰り温泉に浸かった。
浦安の夢の国にも行った。
 
7月、8月の週末は、必ず、どこかに出かけた。
 
出かけて、帰ってくると、僕はいつも、理美さんと直海ちゃんの家に泊まった。
そして、三人で、川の字になり、寝た。
夜中に腹のあたりが熱いと思い目が覚めると、僕のお腹に直海ちゃんがしがみついて、汗だくで寝ていた。
僕は起きて、直海ちゃんを僕の身体から離し、洗面所へ向う。水で濡らしたタオルを取ってきて、直海ちゃんの顔や、身体を拭いてあげる。
そして、直海ちゃんを理美さんの方に向ける。
朝起きる前、やっぱり腹が熱い。
やっぱり、直海ちゃんがしがみついていた。
完全に目が覚めてしまった。
直海ちゃんの起こしたくないので、僕はそのままの体勢でスマホを取り出し、新聞を読んだ。
暫くすると、理美さんが起きた。
「おはよう。」
「おはよう。」
「あら、もう起きてたの?ああ、ナオちゃんね?スゴイね、ナオちゃん、私以外の人に抱きついたりしない子なんだけどね。」と、褒め言葉のように言った。
理美さんは、早速カーテンを開け、トイレに向かった。
僕もトイレに行きたいのだが、動いていいのか、分からない。
理美さんがトイレから出てきた。
僕も直海ちゃんの身体を離し、ゆっくり動いてトイレへ行った。
 
寝間着代わりの僕のTシャツの腹の辺りは、よだれでベタベタになっていた。
 
 

9月。
2つ目の台風が日本を去っていった快晴の朝。
僕は、営業の準備があるために、早朝出勤をした。
7時のオフィス、さすがに誰もいない。と、思ったら、佐伯部長が来ていた。
「おはようございます。」
「おはよう、早いね。どうしたんだい?」
「あの、今日のプレゼンの準備をしようと思いまして。」
「そうか、大変だね。あの案件は大型だよな。金額はいくらだっけ?」
「そんなに大きくはないです。5千万ほど見積もってはおりますが…」
「いや、期中に5千万は中々だよ。忙しいところ悪いが、5分だけ話ができるか?」
「ええ、大丈夫です。」
「じゃあ、こっち来て。」
僕は、佐伯部長の席の横に置いてある相談者用の椅子に腰かけた。
「君も知っての通り、うちの三浦課長が退社するだろう?急な事だが、他社に行くと言ってなあ。」
「ええ。」
「で、私としては、君を次の課長に推そうと思っているんだ。」
「えっ?」
「まあ、まだ、決定ではないが、一応ね、君には知らせておくよ。」
 
大変な事になった…
 
 

10月1日付で、僕は本当に営業局第三営業部の課長になった。
うちには、次長がないので、課長とは、部長の補佐役になる。
第三営業部は、佐伯部長の元で課長の僕、そして、笠松、大島、佐藤、君塚という4人のリーダーがいる。各リーダーの下に営業部員が2〜3人おり、一人が大体20社程を担当している。
僕が課長になる前、前任の三浦課長の後釜は、最年長者の笠松さんだと目されていた。
僕は、リーダー格では、下から二番目の若さだった。
僕が課長になると、笠松さんは、明らかに反抗的な態度を見せた。次に年上の佐藤さんも同様だった。
なかなか、難しい船出となった。
 
 

10月は下期のスタート月だ。
そして、来春4月からの新年度予算の獲得に向けて動き始める月でもあり、年末、年始の特別企画のセールスの追い込みをかける月でもある。
そんな時に、うちの部は僕の元いたチームと、大島君のチームだけが、活発にセールスに動き、笠松さんと、佐藤さんのチームが停滞するという事態になった。
まだ、売り上げ減少という状況にまではなっていないが、12月までにはそういう事が数字として表れてくるのは、ほぼ間違いない。
僕は、課長召集のリーダーMTGを2週連続で開いて、対応策を各リーダーと話し合ったが、笠松さん、佐藤さんとも、「持っている最大手クライアントの決済待ちで、これが落ちると、補填できる宛ては現状見当たらない。」と、説明する。
笠松さんのところは、消費材を扱うクライアントを担当しており、そもそも売上高が大きい。佐藤さんのところでは、主に教育関連のクライアントを担当しており、冬の特別講座や、受験に向けた企画を担当している。
二人のチームがうちの部の売上高の過半数を占めるため、彼らの動きが悪いと、部全体の予算達成は必然的に芳しくなくなる。
しかし、今は打つ手がない。
僕は、敢えて笠松さん、佐藤さんを個別で呼んだりはしなかった。彼らが僕に反感を買っているのは間違いないし、そこへ油を注ぐような真似はしない方が良いに決まっているからだ。
その代わりに、僕の元いたチームで僕の後釜になってくれた君塚君と、大島君との話し合いを重ね、どうにか新規獲得に向けて、協力をしてもらえるよう体制作りに励んだ。
 
こんな状況の中では、僕は毎晩深夜帰宅となり、土日も仕事や接待ゴルフが入る事が多くなってきた。
身体は、相当にしんどく、疲れを実感するのだが、それよりも理美さんと直海ちゃんに会えない事が、ダメージとしては大きく、とても辛くなってきている。
 
平日は、夜、誰もいなくなったオフィスからTV電話をして、二人と会う。
土日も、TV電話ができるタイミングがあれば、話をする。
後は、仕事をして、悩み、苦しみ、そして、疲れ果てて、家に帰って寝る。
そういう風に暮らして、10月は終わった。

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