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【4回連載小説】通じる その後(2)


11月になった。
結局、10月は理美さんとも直海ちゃんとも直接会えないまま過ぎた。
11月は、直海ちゃんの誕生月だという。
理美さんの強い要望で、直海ちゃんの誕生日は、浦安の夢の国で過ごす事にしているのだが、まだ、休めるのか、どうか、正直、ハッキリしていない。
 
仕事は、どんどん最悪の結果を招く事が現実的になってきている。
うちの営業局には、5部あるのだが、年末年始の特別企画の売上が、僕のいる三部がダントツでビリなのだ。
これには、佐伯部長も流石に機嫌が悪く、いつも朝早く出社する佐伯部長に合わせて、僕も毎日7時までには出社し、その日の行動予定のすり合わせと称して、「何とかしろ」というお叱りを受ける時間ができてしまった。
佐伯部長は、毎晩6時には退社し、大体飲みに行く。僕は、毎晩終電近くまでオフィスで仕事をし、家に帰る。
それで、毎朝7時に来て、愚痴に近い打ち合わせを1時間。もうそろそろ限界が近づいてきた事を実感せざるを得ない。
 
毎週水曜日に各リーダーを集めて、定例会を開催するようにルールを作った。
午前中1時間の予定だが、4つもチームがあり、クライアントが40近くもあるうちの部では、各チームの報告と、今週の展望を聞いているだけで、1時間は過ぎる。
本当は、12月までの足らない予算の獲得のための打ち合わせをしたいのだが、1時間を過ぎてしまうと、笠松さんと佐藤さんは「アポがあるから。」と、中座してしまう。
 
これでは、何の対策も立てられない。
 
どうしよう?
 
いよいよ、切羽詰まってきた。
 
 

その日、家に帰ると、日付けが変わっていた。
晩飯も食わずだったので、コンビニで、焼きそばとビールを買ってきた。
焼きそばをレンジで温めていると、電話が鳴った。
理美からだ。
「もしもし」
「起きてた?」
「起きてるも何も、今、帰ってきたところだよ。」
「そう、ずっとだね。」
「ずっとだねえ。どうしたんだい、こんな遅くに?」
てっきり僕は、理美がいつも遅い僕を労うために電話をくれたと思い込んでいた。
理美の声を聞くだけで、ものすごく癒される。
ビールでも飲んで、ゆっくり話そうか。。
「お疲れのところ、悪いんだけど」
「うん、何かあったのか?」
「実は、今日の夕方からナオちゃん、40度の熱を出しちゃってね。この子、熱が出やすい人なので、いつも通りに解熱剤飲ませて、冷やしてたんだけど、今日は様子が違うの。もう6時間以上経つのに、一向に熱下がらないし、ずっとうなされてて、苦しそうだし」
 
最初は、理美が何の話をしているのか、頭の中で消化出来なかった。
 
「んん?それって、大変じゃないか。すぐに救急車呼んで!僕もすぐにそっち行くから。」
「やっぱり、そうした方がいい?」
「当たり前だよ!すぐ、電話して!」
「分かった。」
 
僕は財布とスマホだけを持って、家を出た。そして、自転車で理美の家を目指した。
 
 

僕のマンションは、駅の北口から歩いて20分。理美の部屋は踏切を超えた反対側の南口から10分の距離だ。自転車ならそれを合計で7、8分で行ける。
行けるはずだった。
電車が走らなくなった踏切では、改修工事が始まっており、その踏切は渡れなくなっていた。
自転車だと大きく西に迂回しなければならない。
自転車を踏切前で捨て、僕は地下通路を走った。そして、深夜の市道を走って、理美の部屋を目指した。
11月の冷気は感じない。汗が滴るのも構わず、太腿が痙攣しそうになるのも押さえ込み、僕は理美のアパートを目指した。
角を曲がり、住宅街の狭い道に入ると赤色灯が回っている陰が僕を照らした。
 
間に合った。
 
ホッとして、僕は救急車のドアをノックした。
理美が出てきた。
「今、病院を問い合わせてもらってるとこ。どこも、小児科医が当直してなくて。どうも、神奈川県の病院になりそうなの」
「それって、大学病院か?」
「多分」
「救急車で付き添えるのは君だけだろう?だったら僕は、タクシーで病院に向かうから、駅前に戻るよ。だから、病院が決まったら、メールくれないか?」
「分かった。」
「じゃあ、また後で。」
「うん。」
「顔見れて良かった。」
「私も」
「大丈夫だから。」
理美の目に溜まっていた涙が、ようやく流れた。
理美は、僕にしがみつくように抱きしめた。
「大丈夫だから。」
「うん。」
「病院、決まりました。神奈川の大学病院です。」と救急士が車の中から言った。
「じゃあ」
「うん、後で」
救急車はけたたましいサイレンを鳴らして動き出した。僕は、駅へと走り始めた。
 
 

僕が病院に着いたのは、別れてから1時間後の事だった。駅前のタクシー乗場には、終電の客がまだ、列を成していたからだ。
 
夜間入口を入り、警備員に直海ちゃんの事を聞くと、NICUの行き方を教えてくれた。
 
NICU?  そんな事なのか?
 
NICUの入口に理美が一人、座っていた。
「理美」
「ああ、まささん。」
理美は、僕の事を「まささん」と、呼ぶようになっている。
「ナオちゃん、大丈夫かい?」
「まだ、全然分からない。取り敢えず、熱を下げる注射だけ打って、後はずっと検査してるんだけど、今のところ原因が分からないらしいの。でも、何かの感染症だという予測はあるみたい。」
「そう。」
 
「三沢さん。」中から看護士が、理美を呼んだ。
「はい。」
「先生がお呼びです。直海ちゃんのところまで来ていただけますか?」
「分かりました。」
「僕も行こう。」
「うん。」
「お父さんですか?」
「いえ、まだ」
「すいませんが、ここから先は血縁者以外は、立ち入り禁止なんです。」
「ええ、そんな!」
「すいませんが、規則ですので」
「分かりました。じゃあ、僕はここで待ってる。」
「分かった。」
理美は看護士に連れられて、ビニールの幕の中に消えていった。
僕は、今日ほど置いてけぼりを食らうのが情けなく思った事はなかった。
 
 

最初は、5分ぐらいで出てくると思っていた。
次の10分が、異様に長く感じられた。
30分を過ぎると、いてもたってもいられなくなった。
 
スマホを開けては閉じた。
スマホの写真を見てしまった。
 
プールの滑り台が怖かったナオちゃんが、泣きながら理美の胸にしがみついてる写真。
草津の湯畑をバックに三人で取ってもらった写真。
ミッキーと頬ずりをするナオちゃんと理美。
桃で口を一杯にしているナオちゃん。
 
涙が出てきた。
どうにも止まらない。
 
無事であってくれ。何ともなかったことにしてくれ。神様…
お願いだ!
 
写真を見ながら、涙を流し続けていると、急に疲れを感じた。
それはそうだ。ここのところ、ずっと夜まともに寝ていない。
しかも今日は、随分と急いで自転車を漕いだし、走った。
 
これではいかん。
 
NICUの前は、両サイドに長く続く廊下になっている。
 
僕はその廊下を歩き始めた。
 
煙草が吸いたい。
十年ぐらい前に煙草は止めた。しかし、今日は無性に吸いたい。
しかし、ここは病院だし、今は、煙草を買いに行ってる場合ではない。
 
廊下の途中に飲み物の自販機があった。
そこで僕は、缶のブラックコーヒーを買った。
そして、歩きながら飲んだ。
 
ずっと、廊下を歩き続けた。
歩きながら、祈りを唱え続けた。
 
煙草を思い出すと、ブラックコーヒーを買って、飲んだ。
 
飲み干した缶が、7本目になった時、理美が出てきた。
 

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