加藤 郁夫

大阪の府立高校・立命館小中高・大和大学など小学校から大学までの国語教育に関わってきまし…

加藤 郁夫

大阪の府立高校・立命館小中高・大和大学など小学校から大学までの国語教育に関わってきました。国語教育は、教材を読むことにおいても、何を教えるか、どう教えるかといった問題においてもまだまだ不十分なところが多くあります。学んできたものをみなさんに還元し、一緒に考えていきたいと考えます。

最近の記事

国語教育における「中心」という用語を考える4                 要旨をどうまとめるか (後)    ―「言葉の意味が分かること」を例に―

 光村図書5年「言葉の意味が分かること」(今井むつみ)の詳細な教材研究は下記の本(加藤も編著者の一人)で述べている。20204年版で若干文章に変更が加えられたが、基本的な部分は変わっていない。詳しくは下記の本を参考にしてほしい。 「読み」の授業研究会・関西サークル編著 小学校国語科『言葉による見方・考え方』を鍛える説明文・論説文の『読み』の授業と教材研究 明治図書 2020年 「言葉の意味が分かること」の構成 「言葉の意味が分かること」は全12段落の文章で、以下のよ

    • 国語教育における「中心」という用語を考える3               要旨をどうまとめるか (前)―「インターネットは冒険だ」を例に

       小学校第3学年及び第4学年では要約であったが、高学年になると要旨が登場する。小学校学習指導要領国語の第5学年及び第6学年の「読むこと」の指導事項では、次のように述べている。 ア 事実と感想、意見などとの関係を叙述を基に押さえ、文章全体の構成を捉えて要旨を把握すること。  解説では、次のように述べる。 要旨とは、書き手が文章で取り上げている内容の中心となる事柄や、書き手の考えの中心となる事柄などである。要旨を把握するためには、文章全体の構成を捉えることが必要になる

      • 国語教育における「中心」という用語を考えるー2               「中心となる語や文」を見つける

         書き手(話し手)の意図、何を述べようとしていたかを読みとることが中心を読むことであるのだが、その前提として確認して置くことがある。書き手の意図は常に正確に書かれているのか、ということである。だれが見ても意図が明確に分かるように書かれていれば問題ない。しかし、常にそうであるという保障はどこにもない。明確に述べたつもりでも、読み手からすれば何を言いたいのかよく分からない、ということはよくある。  つまり書き手側の問題として、伝えたいことが読み手に正しく伝わるような工夫が求められ

        • 国語教育における「中心」という用語を考える-1                        話の「中心」は何?

           学習指導要領には「中心」という言葉が多く登場する。  小学校国語の第3学年及び第4学年の「読むこと」の指導事項には次の項目がある。  ウ 目的を意識して,中心となる語や文を見付けて要約すること。  また小学校国語の解説編では要旨について次のように述べている。 要旨とは、書き手が文章で取り上げている内容の中心となる事柄や、書き手の考えの中心となる事柄などである。要旨を把握するためには、文章全体の構成を捉えることが必要になる。文章の各部分だけを取り上げるのではなく、

        国語教育における「中心」という用語を考える4                 要旨をどうまとめるか (後)    ―「言葉の意味が分かること」を例に―

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          授業づくりや教材研究を助けます

           国語の授業は大変です。  他の教科であれば、教える内容が大きく変わることはありません。分数は必ず教えます。関東平野や紀伊半島がなくなりません。be動詞を教えない英語の授業はないでしょう。  ところが国語は教科書会社が変わると、教材がガラッと変わります。そこまでいかなくても、教科書の改訂で新しい教材が登場します。これまで読んだことのない作品や文章を授業で扱うことになります。ここからも明らかなように、国語科は「教材を教える」のではなく、「教材で教える」教科なのです。  初めて扱

          授業づくりや教材研究を助けます

          小学1年生の説明文教材をどう授業するか                 ーー「つぼみ」(光村図書・小学1年)を例に

           私がこれまで見せていただいた小学校低学年の授業では、教材文をいくつかに区切り、部分ごと進めるという展開が圧倒的に多かった。低学年では、子どもが文章全体をとらえることが難しいという判断だと思う。しかし、それでは低学年でしっかりと身につけるべき力を指導し切れていないと私は考える。  本稿では、小学校低学年での説明的文章の授業をどのように行うか、その一例を示していきたい。小学校低学年の説明的文章の授業の根幹となるところをどのように授業していくかを述べる。授業のねらいは大きく2つあ

          小学1年生の説明文教材をどう授業するか                 ーー「つぼみ」(光村図書・小学1年)を例に

          「風切るつばさ」は魅力的な教材か!?―「風切るつばさ」木村裕一(東京書籍・小学6年)を読む―

           「風切るつばさ」は、アネハヅルの群れの話である。アネハヅルは、シベリアやチベットの草原で繁殖し、秋にヒマラヤ山脈を越えて越冬地のインドへと渡る鳥である。モンゴル高原で群れから仲間はずれになり飛べなくなった一羽(クルル)が、カララという仲間をえて、南に向けて飛び立つ話である。この作品をネットで検索してみると多くがいじめや不登校の話題と関わらせて取り上げていた。  だいぶ以前になるが初めて読んだ時、私もいじめの話だと思った。そして、あまりいい作品とは思わなかった。いじめられて飛

          「風切るつばさ」は魅力的な教材か!?―「風切るつばさ」木村裕一(東京書籍・小学6年)を読む―

          『さなぎたちの教室』(安東みきえ)の場面を読む

           『さなぎたちの教室』は、東京書籍小学6年の教科書に2024年から掲載された、いわゆる新教材である。同じ作者に、光村図書中学1年に掲載されている『星の花が降るころに』という佳作がある。  クラス替えになり、新しいクラス・友達とどこかなじめないでいる「わたし(谷さん)」が、新しい友達を見つけていく話である。谷さんという女の子(明示はしていないが)の視点から語る一人称の作品である。  本作は、これまでの物語とは少し異なったところがある。以下場面を中心に、私(加藤)の考えを述べる。

          『さなぎたちの教室』(安東みきえ)の場面を読む

          『銀色の裏地』(石井睦美)を読む ――高橋さんは理緒の気持ちをわかっていたのか?

           『銀色の裏地』(光村図書・小学5年)は、クラス替えで仲よしと別のクラスになり落ち込んでいた理緒が、新しいクラスの高橋さんに「銀色の裏地」という言葉を教えてもらう話である。語り手が理緒に寄り添って語る三人称限定視点の作品である。それゆえ、他の登場人物の心情は語られていない。それは、人物の言動から伺うしかない。 高橋さんの説明  3場面で高橋さんは理緒をプレーパークに誘い、芝生に横になって題名にもなっている銀色の裏地の話をする。高橋さんは、次のように話す。 「うん。く

          『銀色の裏地』(石井睦美)を読む ――高橋さんは理緒の気持ちをわかっていたのか?

          国語ってどうやって教えたらいいんだろう?                     ーーーーーーーーーー「国語通信」から 

          自己紹介もかねて、私が以前大学の授業の中で出していた「国語通信」(教科教育法の授業で発行)の第1号から引用します。 国語ってどうやって教えたらいいんだろう?  私が初めて教壇に立ったのは、1980年4月でした。いざ教師としてスタートを切ろうとしたときになって、「国語ってどうやって教えたらいいのか」という基本的なことがわかっていない自分に気がつきました。大学時代には、国語教育について勉強するサークルを友人たちと作っていました。国語教育に関係する本もいろいろと読んでいました。

          国語ってどうやって教えたらいいんだろう?                     ーーーーーーーーーー「国語通信」から 

          「続き物語」は有効な指導方法か? ――『春風をたどって』の学習の手引きを検討する

           光村図書小学3年上『春風をたどって』(如月かずさ)の学習の手引きに次のようなものがある。 ○「ルウ」は、つぎの日から、どのようにくらしていくと思いますか。そして、どのようなけしきに出会うでしょうか。物語のつづきをそうぞうして、ノートに書きましょう。  そして、「ノートのれい」として以下の文章を載せている。  きせつは、夏になりました。ルウとノノンは、ほかにもすてきな場所がないかとさがしています。ある日、黄金にかがやくさばくのようなひまわりばたけを見つけて、二人で

          「続き物語」は有効な指導方法か? ――『春風をたどって』の学習の手引きを検討する

          短歌を読む 2 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)

           『竹乃里歌』の明治33年「庭前即景(四月廿一日作)」10首中の一首である。  三省堂の中学2年の教科書「短歌十首」、東京書籍の中学2年の教科書「短歌五首」に収められている。  子規の歌としては、よく知られたものの一つである。  1 句切れなし ―― 歌の構成を読む  まず、どのようなことをうたっているのか、歌意を考える。  某社の教師用指導書には、次のようにある。(以下、便宜上A~Dとする) A くれないの二尺ほど伸びている薔薇の新芽のまだ柔らかなとげにしっとりと春

          短歌を読む 2 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)

          『春風をたどって』の場面を読む

          『春風をたどって』(如月かずさ)は、光村図書小学3年上の教科書にある、3年生最初の物語である。 1 行空きを意識する!  この作品は、行空きによって4つの場面に分けられている。以下の4場面である。あらすじとともに示す。 1場面 りすのルウは、森の見なれた景色に飽き、旅に出たいと思っている。 2場面 顔見知りのりすのノノンと出会い、ノノンが気づいたにおいの元をたどっていく。 3場面 そして、二人はにおいの元・青い花ばたけを見つける。 4場面 その夜ルウは、明日近くの知ら

          『春風をたどって』の場面を読む

          文学作品と説明的文章との違いを考える   ――その2 場面と段落

           大学の授業で物語教材を扱っているときに、指示したわけではないのに段落番号を打つ学生が何人もいた。彼らが受けてきた文学作品(物語・小説)の授業では、段落番号を打つように指導されてきたのだ。一方、説明的文章に段落番号を打つように指示したにもかかわらず、打つことなく教材を読んでいる学生もいた。  もちろん、物語・小説(以下では「物語」と記すこともあるが、「物語・小説」のと理解いただきたい)で段落番号を打っている学生と説明的文章で何もしない学生とは同じではない。指示の有無にかかわら

          文学作品と説明的文章との違いを考える   ――その2 場面と段落

          短歌を読む 1           列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし (寺山修司)

           寺山修司の初期歌稿『十五才』の小題「燃ゆる頬(森番)」の中の一首である。三省堂の中学2年の教科書「短歌十首」に収められている。   1 句切れはあるのか ―― 歌の構成を読む  一読してスッと分かるような歌であるが、よく考えていくと意外にむつかしい。その理由は、二句「遠く見ている」にある。  「遠く見ている」はその後の「向日葵」に掛かるのだろうか? それとも、列車に乗っている「私」が遠くを見ているのであろうか?  「遠く見ている向日葵」ならば、向日葵が遠くを見ていることにな

          短歌を読む 1           列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし (寺山修司)

          文学作品と説明的文章との違いを考える    ―― その1 作者と筆者 

                                      加藤 郁夫  国語科の教材は大きく説明的文章と文学作品の二つのジャンルに分かれている。この二つは、まったく質が異なっている。にもかかわらず、現場においてその違いにあまり意識的でないといった場面に時々出会う。例えば、説明文の授業であるのに筆者名のあとに「作」と板書されていたりする。「○○〇○作」ということは、それは作られたものということになる。教えていた学生たちに以前に聞いたことがあるが、作者と筆者の違いをはっきりと理解

          文学作品と説明的文章との違いを考える    ―― その1 作者と筆者