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精神疾患の弟が社会復帰へ!~“受け取る”ことで起きたキセキ~【前半】

☆interview☆
ご家族の誰かが、ある日突然理解できない言動をするなど豹変してしまったとしたら、皆さんはどうされますか?

今回の「人生のガイドブック」では、ある一人の男性の実体験をお伝えします。
彼の弟は、ある日突然人が変わったようになって、精神疾患を患い、理解できない行動を起こすようになります。そのことで長年苦しんだ家族、でもなんともならない現状…。しかし、ミロステクノロジーによって心のバランスを整えたことで、弟への思い込みが外れたとき、膠着していた状況は緩みはじめ、気がつけば家族皆んなが求めていた本来の家族の姿へと再生されてしまったのです。いったいそのプロセスに何があったのか?
それでは、今回の主人公の家族再生ストーリーをご覧ください。

【プロフィール】
GTOさん(ニックネーム)
京都府在住 50代 【男性】
両親と弟、妹の5人家族で育つ。
子ども時代は、父が転勤族だったために、数年ごとに転校を繰り返していた。
小学校3年生のときに、急に母が教育ママになり、「生きづらさ」を感じる幼少期を過ごす。
銀行員だった父は、母と熟年離婚。
両親の離婚の少し前に、弟さんが精神障がいを発症。生活保護を受けながら一人暮らしする弟さんの常識外と思える行動に悩まされる日々を送る。
現在、弟さんは生活保護から脱出して介護施設に勤務。GTOさん自身も、特別養護老人ホームに勤務して入居者や職員と楽しい毎日を送っている。
《インタビュアー:宇崎明子 研究員 ライター:宇崎和雄 研究員》

【目次】
~前半~
■頼りになる存在だった弟
■両親の離婚
■苦渋の決断
■退院した弟、そして家族
■ある日突然、警察から…

 
~後半~
■弟の叫びは自分の叫びだった!
■苦痛から楽しみに変わる
■生活保護からの脱出!
■母と弟の関係性の変容
■同じ悩みを持つ方へメッセージ

◆編集後記◆

~前半~
■頼りになる存在だった弟
私の育った家庭は、父と母、2つ下の弟とさらに2つ下の妹という5人家族でした。
父は銀行員で転勤も多く、数年ごとに転校を繰り返すという子ども時代を過ごしました。
母は、私が小学校3年生のときに、突然厳しくなり
・門限を破ったら正座
・テレビを見るのは一日30分以内
など急に厳しいルールが課せられたのでした。
小学校5年生で鹿児島に転校した時、クラスではいつも何を話して良いか分からなくて、自信がなくて馴染めず、TVの話題にも入れない。集団の中での孤独感が恐怖で学校に行くことが毎日苦痛でした。
無邪気に遊ぶ、笑う、騒ぐ、喜ぶのは良くないこととし、小学校3年生以降、「生きづらさ」を感じている一方で、「母の言うことは絶対的」としていた私は、俗に言う“反抗期”というものを経験せずに思春期を過ごしました。

一方の弟はスポーツマンで、どちらかというと日向にいる存在でした。私の自転車がガキ大将に取られたときなど
「これはお兄ちゃんのだから!」
と取り返してくれたり、野球のスポーツクラブに入ってレギュラーで活躍したり、鹿児島にいたころは、近くの湾を横断する4kmの遠泳を見事に完泳したり、活発でとても頼りになる存在でした。

先日、母から子育ての頃の話を聞きました。
「『言うことを聞かないなら出て行きなさい!』と子どもたちに叱った時に、あなたや妹はそれで言うことを聞いたけど、まさし(弟の名前:仮名)は素直に家から出て行ってしまうから慌てて探しに行ったものよ」と懐かしむ母。私は、そんな母のルールを守らない弟に腹を立ててもいましたが、同時に自分の思い通りにする弟を見て、どこか羨ましいとも感じていました。

■両親の離婚
ここで両親のことについて少しお話します。
母は結婚してから家事はもちろん、子どもたち3人の子育てを一生懸命してくれていました。
ところが、父がある宗教に傾倒していったことで徐々に両親の関係性は悪化して行き、時を同じくして弟の精神状態も不安定になり、夫婦関係の悪化がピークに達したとき、60歳を前にして両親は離婚をしました。俗に言う“熟年離婚”です。
それが今から約15年前のことで、私が35歳の頃でした。

同じく弟の精神的悪化も進み、両親の離婚を機に、より一層不安定さに拍車がかかりました。
母によるとこの頃の弟は、車に同乗していても急に暴れてシートを蹴ったり、自分が運転している最中に「変な声が聞こえる」と言ったり、「母が僕に危害を加えようとしているから逮捕してくれ」と警察に電話したり、恥ずかしい格好で外に出ていこうとしたり、いつ、どこで、何が起こるか分からないような状態で、一瞬たりとも目が離せない、そんな緊迫した状態でした。

母は
「いつか誰かに危害を加えるのではないか?」
という不安と恐怖から、弟の仕事を強制的に辞めさせたのでしたが、そのことで家で弟と一日中二人きりになることになった母は、皮肉にも以前より一層の恐怖を感じてしまうことになったのでした。


■苦渋の決断
弟の常識外と思える言動に不安や恐怖を感じ、落ち着いたと思っても、またいつ変わってしまうか分からないという出口の見えない恐怖、休まることのない緊張状態のなか、母はやがて心身共に限界を迎えました。
そして、役所の福祉担当者と相談し、母は弟を精神病院に入院させるという苦渋の決断をすることになったのです。
母はその日、何年かぶりかにようやくグッスリと眠ることが出来たそうですが、同時に、弟がいつ退院してくるのかという不安と恐怖、そして我が子を精神病院に入院させたという罪悪感で苦しんでいたのでした。

両親が離婚したとき、私も妹も結婚して家を出ていたため、実家にいたのは母と弟のみでした。
自分の離婚の傷心を感じる暇もないぐらいに落ち着かなかった母には、自分の心の状態を保つことが精一杯で、弟の精神状態を理解する余裕などなかったのでした。

■退院した弟、そして家族
その約2年後、弟は精神病院を退院した後、母との同居を強く望みましたが、母は受け入れることが怖くて出来ませんでした。福祉担当者のアドバイスに従い、弟は「生活保護を受給しての一人暮らし」を余儀なくされました。

一人暮らしの弟は、“正社員になり生活保護を脱出すること”を目標に働き続けていましたが、仕事が決まっても、長続きしたことは一度もありませんでした。勤め始めて3日もすると、職場に不満が出てきて、ほとんど2週間もしないうちに辞めるというパターンが何度も繰り返されました。

何かあると、私のところに電話がかかってきて、家に帰りたいから母を説得してほしいと、何度言われたか分かりません。
そして病院に入る直前に、無理やり仕事を辞めさせた母に対して
「あの仕事は僕にとって良かったのになんで辞めさせたんや!ひどい!」
そんな主張を何度も訴えていました。

弟が言うこともわかるのですが、その弟に対してギリギリだった母の気持ちもわかる…。その平行線で10年以上、状況が変わることはありませんでした。

弟から電話がかかってくるたびに「またか」と思い、電話が切れたら「やれやれ」と思う。
友人から家族のことを聞かれると、母や妹のことは積極的に話しても、弟のことは「いるよ」と答えるだけでそれ以上触れなくなっていました。
妹も、不安定な弟を嫌って、徐々に近寄らなくなっていきました。

■ある日突然、警察から…
そんなある日のこと、私の携帯に見知らぬ番号から着信がありました。
それはなんと110番、警察からでした。
「○○さん(私の名前)ですか?あなたの弟さんが今、警察に来ています。死にたいからピストルを貸してくれと言われ保護しています。すぐに迎えに来てくれませんか?」と言われたのです。私は頭の中が真っ白になりました。
迎えに行こうとした私を制した妻が
「迎えに行ってもまた繰り返すだけよ」
と引き止めたのです。
以前、弟を強制入院させたとき、「親に勝手に入院させられた」と言っていたことを思い出し、妻とじっくり話し合い、今回は弟自身に決断させることにしたのでした。

結果、弟は強制入院になってしまいましたが、2週間ほどで退院しました。
それ以降、このような事件はもう起こらなくなりました。

このような弟の行動に、母も家族も疲労困憊していた頃、私はミロステクノロジーに出会いました。
夫婦でカリキュラムを受講する中、見ている世界は何なのか?や、自分の心のバランスがいかに目の前の世界を創り出しているのか、ということを知り、夫婦でミロスの実践をしていく中で、少しずつ状況は変化していきました。

<前半のまとめ~後半へ>
頼りになる存在だったのに、突然人が変わったようになってしまったことで、弟の存在に蓋をしてしまうようになったGTOさん。仕事も長続きせず、常識外と思える行動をする弟さんに、ご家族は不安な日々を送られていました。
後半では、GTOさんがミロステクノロジーで弟さんの叫びと、自分の内なる叫びとの関係性が理解できたことで、事態は急展開していきます。それでは後半をどうぞお楽しみに!

後半へ続く
https://note.com/vast_eagle460/n/n8091c489b112

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