頭で考えれば正論は分かるけど、正論だけの無難な人生なんてつまんねえぇぇぇ!!!!
俺は本能に従うことに決めたんだああああ!!!
「教えることも勉強になる」そう思って塾講師を始めた節もあった。 しかし、 教えること=勉強 ではないことがわかった。 教えるのがうまいということは勉強ができることではないのだと思った。 教えるとは、いわばスポーツのインストラクターと同じ。 必要以上に教えないことが必要なのだ。 塾講師はどちらかといえばサービス業だろう。だからサービスしなきゃ! そういう気持ちもわかるがバイトの分際で勤務後も大量にサービス残業しても意味ないだろう。 教えすぎれば生徒は自分で考えない。 科目の知識
塾講師を通算1年ほどやって、どういう教え方がいいかとか、どういうメリットを子供たちに提供するためにどういう風に教えたらいいかとか考えながら指導してみたけど、結局普通に教えるのがいいという結論に至った。 なぜかといえば、 講師は生徒に授業をすることが仕事なのであり、基本的に職場以外では生徒と関わることはないし、関わったとすれば解雇やトラブルの原因になりかねないからだ。 確かに、学校の先生や青春ドラマの先生を見れば、確かに 人情派の人=先生 というようなイメージがつくことは想像で
学ぶとは「真似ぶ」が原義の言葉である。 すなわち、 学ぶとは真似をすることをもともと指していた。 学生のみんなは学校での勉強は暗記だと思っていることだろう。 その通りだ。 生きていくうえで必要な知識を暗記させられているのが義務教育だ。 しかし、 数字などは一つの概念であってそれは自然に存在するものではないし、その一つの考え方がすべてではない。 単なる頭の中のイメージだ。理論段階ではそれは単なる机上の空論に過ぎない。 大事なのはそれらの概念を覚えることや理解することでは
ああ、午後からのアルバイトが決まらない・・・。 結局はしばらく行ってなかった塾のバイトに戻るしかないか・・・ b( ̄▽ ̄)d ああ、考えすぎてたのかな~。 教育とかなんとかってバイトが考えることでもないし、勉強教えるのが教育でもないよね~[]~( ̄▽ ̄)~* ほんとの教育ってのは人との関わりなんだよね~。 はい、真面目に塾講師やります! 子供に勉強教えて仲良くする仕事を頑張ります! あんまり無駄なこと考えずに仕事は仕事で割り切って頑張ります! 仕事の意味とかまで考えずにと
お久しぶりです。誰か3です。 これから、webデザイナーになって会社に依存せず自分のスキルで生きていけるようになるため、プログラミングスクールに通い始めようと考えています。が、実際、フリーランスのwebエンジニアは全体の1%だという話が・・・。やはりなかなか自力だけでは生きていけないものですね・・・。 ああ、本当に自分だけにできることを見つけてそれだけで生きていきたいなあと思う今日この頃です。 (スキムもプロとかなれたら良いなあ・・・なーんて(・∀・)) そうですね、要する
今回はユークリッド幾何学の基礎概念として点、線、面、角度について扱っていこうと思います。 ・点とは? 点とはただペンを紙に押し付けてぐりぐりっとするだけで描ける図形(ものの形を書き表したもの)のことですね。図なんか書く必要ないですね。 ・←これですね。これが点です。この図形を点という図形として定義します。ただ、ここで重要なことは数学でいう図形というのは思考の対象なので実際にはこの世に存在しない3次元の図形以外のものも表しますので、点は0次元図形(図形上に移動できる方
角度や直線などの基礎的な図形にはきちんとした定義がない。 数に対しても恐らくそうであるように思う。すべての基礎的な概念は自然言語(言葉)で定義されているので直感的である。 「結局直感かよ!」って思うけど実際はそんなところなのであろう。 ユークリッド原論も直線とかの図形を勝手にユークリッドがイメージしてそれらに対してこうであるべきだとかこうであるはずだという直感をまとめたものが公理になっているわけだから。 だから、結局さかのぼれば直感だからその直感・事実を組み合わせて得られた幾
教育とは単なる科目の勉強ではない。 考える癖をつけられるようにすることだ。 考えられれば会社にいつでも依存せずに生きていける。 大人が勉強しないといわれる日本。 もちろん科目の勉強なんか必要じゃないことは分かってる。 でも仕事以外を全否定することは良いことじゃないと思うし、そんな人生はつまらない。仕事=人生じゃないからね。 そりゃ仕事ができれば頭もいいかもしれないよ。でも、それは要領がいいだけであって何かできるわけじゃないよ。自分がもとから持ってるものをちゃんと活かして自分だ
場合の数というのが高校とか中学の数学で出てくる。 この言葉は場合と書いてあるだけあって 「その場のとある状況ごとに想定される結果がいくつあるか」 を考えるものだ。 上のように言えば非常に簡単だ。 だから場合の数に関して理解したい場合は中学の数学の参考書で勉強すると非常にわかりやすい。 このようにシンプルに考えると高校の分かりにくい場合の数の問題も答えられる。 (高校の場合は扱う数が大きくなるために順列の総数の式などを使う) 確率はある状況において起こりうる結果の全体数で自分
ユークリッド幾何学は何もないところから図形の概念作成から始めるので実は図形に関してはその存在理由がないように思われる。 ゆえに、図形に関する証明はその存在自体が幻のようなものなので証明自体もとってつけたもののように感じる。 しかし、基礎とはそのようなものであろう。何事も突き詰めればそこに理由などない。概念とは人間が分からない現実を解釈するために作り上げたものだ。 実際、点や線などの図形に対する名称も必要ない。 点はペン先を紙につけてぐりぐりとやればかけるのだからそうすればかけ
1.ユークリッド幾何学 2.式の計算等 3.数・不等式など 4.三角関数 5.統計学 などなど投稿していきたいと思っております。 数学の論理記号などは分かりませんが勉強して投稿していきたいと思いますので詳しい方、投稿予定の分野でいい本などあればコメントなどにて紹介していただけると幸いです。 よろしくお願いします。
ユークリッド幾何学とは何か聞いたことがありますでしょうか? 実は、義務教育の際に習ったであろう、図形に関する学問です。 幾何学にはいくつか種類があります。例えば、 1.ユークリッド幾何学 2.楕円幾何学 3.双曲幾何学 4.フラクタル 5.位相幾何学(Topology) 6.微分幾何学 などがあります。 幾何学は2つに大別されます。 それはユークリッド幾何学に従うかそうでないかです。 従わないものは非ユークリッド幾何学と呼ばれます。 ここでいう非ユークリッド幾何学は2.と3
学ぶということは、「真似る」ということ。 だから、ただ記憶力がいいことは頭がいいのとは違う。 学校の勉強は覚えることがメインで考えさせようとはしない。 でもそれはある意味社会には貢献している。 なぜか? 考えないということは疑問を持たないということだから会社のやり方に疑問を持たない。 いわゆる社畜の生産要因だ。 特にZ世代の教育はそんな感じだったと思う。先生は教科を教えるためにいるんだから。 だけど、学校で習ったことは社会では全く役に立たない。力とは何かとかなんて考
仕事に関する啓蒙書的な本を読んで、結局頭がこんがらがったけれど、自分なりに一つの結論が出せた。。 それは、 「自分の好きなこと・自分にもできること」 をやるってことだ。 「自分にもできること」ってのは、自分にしかできないことではない。 もとから自分に備わってるもの・特徴のことだ。 だから、俺は数字に関することがやりたい。 しかし、それは計算能力を用いて分析するとか、そういったことではない。 その場合は人にやらされる「受動的な仕事」になってしまうからだ。 受動的な仕事は