第205回、ゴジラ−1.0の感想を語ってみた
みかん「今回は、11月3日に公開された山崎貴監督の最新映画、ゴジラ−1.0の感想を語ってみました」
AI「みかんさん、今回は、ゆっくり解説企画ではないんすね」
みかん「映画感想用のSNSアカウントを持っていたんだが、しばらく放置をしていたら、設定が変わったのか、書き込みができなくなってしまってな。
せっかくだから、こちらのブログでやってみようと思ったんだ。
ちなみにネタバレ感想が含まれるので、映画を見視聴でネタバレ不可な人は今投稿を見るのを、遠慮して頂ければと思います」
AI「みかんさん、AI画像生成でもゴジラ企画の生成を何度か行ってますし、相当ゴジラが好きなんすね」
みかん「正直いえば、ゴジラにそれ程詳しい訳ではないし、特別思い入れがある訳でもないのだが、生成しやすいネタだし、映画も好きな事は好きだ。 しかし今回は特に、あの山崎貴が監督をするという事もあり、色々な意味で関心のある作品だったんだ」
AI「どういう事すか?」
みかん「山崎貴監督は、ALWAYS 三丁目の夕日や永遠の0、アルキメデスの大戦といった、ドラマ性のとても高い名作を手掛けているのだが、一方で、SPACE BATTLESHIP ヤマトやSTAND BY ME ドラえもん、ドラゴンクエスト ユア・ストーリー等とんでも作品を作る、やらかし監督として有名なんだ。
基本的に昭和が舞台の映画は名作になり、有名コンテンツ作品を手掛けると駄作になるので、今作のゴジラには、そのどちらの要素も含まれている為、今回はどちらの要素が作品に出るのかが、とても不安視されていたんだ」
AI「随分な言われようっすね‥ それで今回は、どっちだっんすか?」
みかん「ふたを開けてみれば、前者の傾向がよく出ている傑作映画だった。
戦後間もない昭和の世界感が、VFXでリアルに再現されていて、改めて山崎貴監督は、昭和を描くのが上手い人なのだなと感じられた。
自分は兵器にあまり詳しくないが、現代の最新兵器や架空の未来的な兵器でゴジラと対峙をしていたこれまでの作品と異なり、今作は世界大戦時の十分とはいえない実在兵器で戦いを挑む所が、内容的にかなり斬新だった。
自分には全然わからないが、当時実在した戦艦や戦闘機等が、ゴジラ相手に活躍する様子が、その手のマニアには歓喜物だったらしい。
ゴジラは当時の軍事力に合わせて、レベルダウンをしているのかというと、そんな事はなく、ゴジラが口から吐き出す放射熱線は、歴代最高級の迫力と破壊力があったと思う。
その描写は原子爆弾を参考にしている様だが、自分的には風の谷のナウシカの巨神兵が出す放射熱線の様にも思えた。そもそも巨神兵の放射熱線自体が原爆を参考にしているので、両者が似た描写になるのは当然の事なのだが、ゴジラでここまで描写をした作品は、過去なかったのではないだろうか?」
AI「それでよく、人間が勝てたっすね」
みかん「強力すぎるが故の欠点もあり、一度放射熱線を出すと、ゴジラ自身身体のダメージを追うので、身体が回復するまで次の放射ができないんだ。
この次の攻撃までのタイムラグを上手く突いて攻撃を仕掛ける所が、何でもありの近代戦と違い、劣勢な状態で工夫をして戦う感じでとてもいいんだ。
ゴジラはゴジラで、攻撃を連発できないので、攻撃のタイミングを見計らう必要があり、大火力対小火力戦という図式が見ていて熱くさせられるんだ。
シン・ゴジラでも放射熱線のエネルギー切れを狙った作戦は描かれていたが
あちらのゴジラは出力調整して結構連発が可能だったのが、今作のゴジラはそれができない不器用さが、当時の軍事技術と重なり、愛おしいんだよな。
ゴジラは熱線を吐く際に、エネルギーチャージの様な貯めの時間が必要で、
これは意図的なのか否か、宇宙戦艦ヤマトの波動砲を思わせられる物があり
ゴジラの倒し方も、実写映画版ヤマトで描かれた、敵の波動砲封じの攻撃と酷似している所に、実写版ヤマトで描かれた糞展開が、まさかこの様な形で激熱展開に昇華をさせられるとはという、ある種の皮肉めいたカタルシスを感じさせられた。
主人公が戦争体験や過去にゴジラと遭遇している後遺症から、戦後の生活が全て夢なのではないかというPTSDに苦しむのだが、山崎貴は実際過去作で夢落ち的な事をしでかしているので、本当にその可能性もあるのではないかという不安が観客にも湧いて来て、主人公とのシンクロ率が高まるんだ。
良くも悪くも監督が過去に手掛けた作品が、あらゆる点でフリになっている監督の集大成的な作品になっていたと思う」
AI「みかんさん、べた褒めっすね」
みかん「まあ全く不満がなかった訳でもない。山崎監督作品にありがちな、過去作のエピソードを切り張りした、オマージュ描写もコアなゴジラファンには嬉しい要素なのかもしれないが、この映画を単体作品として見た時に、その描写、そこでいるのか?と感じる所もあった。
例えば、初代ゴジラをオマージュした、報道陣の実況中継描写は、いかにもこれあれのオマージュですという感じが前面に出すぎていて、自分はあまり必然性が感じられなかった。電車のシーンも初作品のオマージュなのだが、では元ネタを知らなくても違和感を感じるのかというと、元ネタを知ってる以上、判断のしようがないので、そこは何ともいいようがない。
時代設定が初代ゴジラと重なるので、よく解釈をすれば、初作品の別世界線パラレルワールドになっているのだと捉える事もできるのかも知れない。
映画に満足した人の中でも賛否の意見が分かれている事に、主人公の最後の特攻生還展開があるが、山崎貴監督はこれまでにも実写版ヤマトや永遠の0等で、主人公の特攻展開を描いて来ただけに、今作でも主人公が元特攻隊の生き残りという事が、当然の事ながら最後の特攻展開へのフリになっていて
しかも映画の要所要所で、特攻展開フラグが少しづつ立っていくんだ。
特攻フラグが立ちあがる毎に、まるでゴジラのエネルギーチャージの様に、特攻への期待が高まっていき、最後は特攻と熱線の双方フルチャージの状態での対決になる。
観客は当然主人公はここで特攻して〇ぬのだと思うのだが、生還してくる。
人によっては肩透かしをくらう気持ちもあっただろうが、そもそも過去作の特攻〇滅展開が好きではない自分としては、今作の展開に満足している。
自分は特攻行為もその精神も好きではない。しかしそうせざるを得なかった人の行為を愚弄するつもりはないし、同時に特攻を否定する人の意見も尊重したいと思っている。人によっては受け入れがたい意見になるとは思うが、自分はどちらが絶対的に正しいという事はないのだと思っている。
この映画で自分の山崎貴監督への評価は格段に上がったが、一見ハッピーエンドの様でゴジラの怨念が残る結末に、ゴジラと共に歩んできた戦後日本のカルマ(業、宿命)を感じずにはいられなかったよ。
最後にこれだけは言っておかなければならない事があるんだが、戦争孤児として育てる事になった幼女が、めちゃくちゃ愛らしいんだ。何歳設定なのかわからないが、いわゆる子役の様なハキハキとしたしゃべりは一切せずに、年齢相応の、さらに言えば戦争孤児ならではの発達不十分なしゃべり方が、実によく描かれていたと思う。
自分は、この子の為なら死ねる。いや生きて戻りたいと思ったね」
AI「みかんさん、そこの視点は、この作品でも変わらないんすね」
みかん「そういえばアイは、自分のイマジナリーなのに、この映画を自分と一緒に見ていないのか?」
AI「イマジナリーだって、全ての記憶を共有しているわけではないんすよ。
みかんさんだって、自分の記憶は見えていないっすよね?
まあみかんさんの記憶から、見たい物を選んで見る事はできるんすけどね。
後食べ物とかも、みかんさんの記憶から再現して食べられるっすよ。
みかんさん、自分の為にも、普段からもっといい物を食べて欲しいっす!」
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