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テツガクの小部屋17 プラトン①

・イデア論前半
既述のように、善・正義・勇気・美の定義は、その本性上、善それ自体、正義それ自体などを目指さずにはいない性格を有している。
プラトンもまたこういった自体的存在を想定し、それをイデアないしは形相と呼んだ。しかも彼は善・正義、美といった倫理的概念のみにそれを限定しないで、あらゆる存在・概念に関してその自体的存在、すなわちイデアを想定した。したがってプラトンによれば、善のイデア、美のイデア、人間のイデア、馬のイデア、ベッドのイデア、三角形のイデア、等しさのイデアなど、あらゆる事物や概念について、そのイデアが存在するのである。

これは彼が一方では、現象の世界には恒常的に存在するものは何もないとするヘラクレイトスの「万物流転思想」を受け入れ、他方では、存在そのものは永遠に同一であり、生成も消滅もしないというパルメニデスの存在思想を認めたからである。
個物のみが知識の対象であるなら、知識は、こうでもあればああでもあるといった、時と場所によって変化するものとなってしまうであろう。これは臆見(ドクサ)であって、知識(エピステーメ)と呼ばれるには値しない。それゆえ知識が可能であるなら、永遠に変わることのない知の対象が存在しなければならない。永遠不変の対象としては、自体的存在あるのみである。

このように特定の人間、特定の三角形、特定の美、特定の善、特定の等しさに限定されない人間一般、三角形一般、美一般、善一般、等しさ一般といった普遍が、具体的な個物、個々の人間、個々の三角形、個々の美、個々の善、個々の等しさから離れて、それらの上にその永遠不変の形相として存在するというのが、プラトンのイデア論である。

参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂


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