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人工股関節置換術に至る道(人工股関節①)

赤ちゃんの時から股関節を脱臼していたらしい。
本人には全く記憶がない。
小学生の頃から、「やっぱり走り方は変だよね」なんて親兄弟から言われた。
本人に自覚は全くなかった。ただ体育の授業が苦手ではあった。

痛みを自覚したのは30代半ば頃だったと思う。
最初は左の坐骨神経痛。おしりが痛むやつ。
当時は立ちっぱなしで接客の仕事をしてたから、無理しちゃったかな程度に思っていた。

それから痛みはじわりじわりと強まっていき、整形外科に行くとなぜか大丈夫だよと言われ、それならとマッサージや鍼や整体に行っても一向に改善しなかった。
何十年も痛みと共に生きてるから、痛いのがもう当たり前になっていた。
やがて左脚で体重を支えようとすると激痛が走るから、自然と足を引きずって歩くようになっていた。
左脚と尻の筋肉は衰え、右との太さや形にだいぶ差がついてしまった。

限界を感じたのは50代半ば。
どうにも痛くて歩けないので杖を買った。
杖か手すりがないともうほとんど歩けないし、杖があっても5分で行けるところを20分かけて歩くような感じだった。

仕事には車で通っている。
2022年6月、その車が出勤時に故障した。
しばらく乗れなくなったので、やむなく電車通勤をすることにした。
蒸し暑い6月、駅からの遊歩道を滝のような汗をかきながら杖をついて必死で歩いた。歩くこと自体が遅い上に、痛くて暑くてしょっちゅう休むからひどく時間がかかった。

その私の歩く姿を見かねて、職場の近所に住む顔なじみのおばさまが気にしていてくださって、あるとき教えてくれた。
「あなたそれ、股関節よ。◯◯病院の△△先生が専門だから、診てもらったほうがいいよ」。
彼女は元ナースで、かつて一緒に働いた先生を紹介してくれたのでした。

痛みが限界にきていた私は、教えてもらった翌日に◯◯病院の△△先生を訪ねた。先生は「ああ、これはもう……」と言って、僕はもう手術をしないからと近くの別の病院の先生への紹介状を書いて下さった。
そしてその翌日、整体院の予約を入れてたのをキャンセルさせてもらって、紹介された病院に行った。

レントゲン検査の後人工股関節置換術についての説明を軽く受けた。すり減った軟骨はもう治らないってことはわかっていたから、すんなりと受け入れた。
それが2022年の10月14日。

「次回は10月18日の午後3時に、時間を取ってもっと詳しく説明できますから、できればご家族の方も一緒に来てください」と言われたので夫にも一緒に行ってもらうことにする。

その前日、病院から電話。
3時の予約でしたが2時に変えられますか?とのことで2時からになった。

10月18日午後2時、夫と二人で病院に行く。
先生の開口一番「実は、あさって20日の朝9時から手術の予定だった方がコロナに感染してしまって枠が空いちゃったんです。。。やりませんか?」
「えぇぇぇ!?…ってことは、明日入院てことですか?」「そうです(←先生ちょっと笑ってる)」
夫が脇で「やったほうがいいよ」と小声でつぶやく。
「はい。やります!」決断、早かった。

どうして病院側が予約時間を1時間早めたかというと、当日に結果を出せるPCR検査の締切時間が3時だったからだそうで、まず鼻に綿棒を突っ込まれた。それからあれやこれや術前の検査をしまくって、入院手続きもして、PCRは陰性という結果が出て、全て終わったのは夕方6時頃だった。

それから慌てて髪を切りに行き、薬局で携帯歯ブラシとかお泊りセットなんかを買い、荷物をパッキングして、翌日の朝には入院した。。。
一筋の光に導かれるようなスムーズな流れだった。

手術は10月20日。楽しみにしていた映画『RRR』の公開の日を、私は病院のベッドで迎えていたのです(T_T)


人工股関節にしてどうでしたか?
と聞かれたら、
大正解でした!
と私は答えます。

また近いうち続きを書きます。。。。

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