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【海外生活】27歳で日本の広告営業職からカナダのソフトウェアエンジニアへキャリアチェンジ【カナダ】

第29回目は、カナダのバンクーバーでソフトウェアエンジニアとして活躍されている田内健さんにお話を伺いました。27歳で国内企業の営業職からカナダのソフトウェアエンジニアへと転職し、現在は自身のスキルを磨きながら同時に1歳の可愛い娘さんのパパでもあります。”安定した現状”よりも興味のある新しい分野と環境へ思い切って挑戦しようと思ったきっかけは何だったのか、また家族のためにどっしりと構えて生きる田内さんの生き方や想いを少しおすそ分けしてもらった記事がこちらです。

さまざまなバックグラウンドやキャリアを持つ人々が集まる町、カナダ・バンクーバー。そこで活躍する日本人の方々とこれまでのステップや将来への展望を語り合う「カナダ・バンクーバーの今を生きる日本人」。それではどうぞ!

プロフィール
大阪府出身。日本では元々営業職で、2019年にカナダへ移住しソフトウェアエンジニアへキャリアチェンジ。現在は1歳の娘を持つ一児の新米パパでもある。


入念に計画・準備した上でのカナダ移住とキャリアチャンジ

——カナダに移住するまで、日本でどのような準備をされましたか?

まず下調べとして住宅価格や子供の教育がどうなのかっていうところを調べました。その次に自分がキャリアチェンジをするにあたって学校に行くんですけど、学校の勉強で遅れを出さないために予習をずっとしていました。

——元々日本でエンジニアをされていたわけではないんですね。

違うんですよ。日本ではずっと営業職でした。

——そうなんですね。本当にキャリアチェンジですね。

こっちに来るまでは営業をしながらエンジニアについては独学で少しかじっておいて、カナダで初めて学校に行ったという流れですね。

——エンジニアさんにもいろんな種類がありますよね。

僕はソフトウェアエンジニアです。想像しやすいところだと、例えばAmazonとかのWebサイトを作ったりですね。

——作る方なんですねですね。ソフトウェアエンジニアはコーディングもされますよね。

メインはコーディングです。カナダでエンジニアとして就職するには、ある程度のコードを書けて実績がないと就職ってなかなか難しいです。

 ——ライセンスは必要ですか?

 ライセンスは必要ないですが、修士課程が必要だったりします。

 ——そうなんですね。

ある程度の実務経験や実績が必要なので、給料は低くても仕事させてもらえるところに就職して実務を経験させてもらって、それからフルタイムの仕事に就きました。

——海外移住を考えていらっしゃる方たちの中にも、エンジニア希望の方がすごく多いっていうのを聞きます。彼らはやっぱりスキルがあるし、日本で使われているプログラミング言語も世界基準ですよね。

そうです。アグレッシブさも全然違うので、例えば海外に来て最初から営業でネイティブの人と肩を並べて競争していくのは難しいところがあるかもしれませんが、エンジニアだとその共通言語がありコミュニケーションさえちゃんと取れれば商品は完成するので、日本の方でも意外と営業やマーケティング職よりは入りやすかったりするかなと思います。

海外の大学は想像の4倍の勉強量。Easyではない。

写真提供@田内さん

——健さんはアメリカでも生活をされていたということなんですけど、北米の文化や単刀直入にズバッといくみたいな部分はもう慣れていらっしゃったんですか?

ある程度は慣れていました。

——日本とアメリカ、どちらでも大学生活を経験されていますよね。

日本の大学には1年程、アメリカの大学は約3年ほど行っていました。Dual degree program(複数学位プログラム)という制度を使って、日本で少し単位を取ってそれをアメリカの大学に移してアメリカの大学でほぼ全ての必要単位を取ります。今度は日本に帰ってそのアメリカでの単位を日本の大学に移します。そうすると2つの大学で必要な単位を取得することができて卒業できます。

——高校卒業までは日本ですか?

はい。

——その大学からアメリカへ行こうと思ったきっかけは何だったんですか。

これは全然何ともない話ですけど、高校時代にすごく好きになったミュージシャンがいたんですけど、日本人を若干馬鹿にするような描写があって日本人なめられてるなと思って(笑)だから日本人もやればできるんやというのを証明するために英語を勉強し始めたんですね(笑)英語の勉強をしているうちに自分の見ている世界も少しずつ広げていって、海外の大学へ挑戦してみようかなっていうきっかけに繋がりました。

——何がきっかけになるかわからないものですね。

もう一つの理由が学生時代にサッカー部だったんですけど、大学に行った先輩の話を聞いてると飲み会やサークルに入って授業には全然出てないとかそんな話ばっかり聞くんですよ。それで大学生活の想像が容易にできてしまったんで、それって全然面白くないなと思ったのと人と違う環境に身を置きたかったっていうのもあります。

——海外に行きたいということを最初にご両親へお話された時の反応はどうでしたか?

行ってらっしゃい、という感じでした。

——すごくご理解のある親御さんですね。

実は「日本にずっとおるような人にはなるな」と小さい頃から父親に言われていて、実際に提案したときもすぐに行ってこいと言ってくれましたね。

——若いうちに冒険させてもらえるのはすごくありがたいし、幸せなことですね。

本当にそうですよね。感謝です。

——18歳までは日本にいたわけなので、その頃には日本という環境で培った価値観などもあったかと思います。大学でアメリカに途中編入されて、そこに適応するときは苦労などありましたか?

いっぱいありましたね。まず日本で勉強した英語っていうのが全く通じなくて、もがきながらも現地の人と遊びたいから現地の学生と同じペースで遊んでいたら大学の成績が相当やばいことになって、次の学期でしっかり良い成績を取らないと退学させますという警告通知まで出て、それはピンチでした(笑)

——でも多言語でのコミュニケーションにはハードルがなかったのですか?

それはなかったですね。コミュニケーションを取る上でスポーツや音楽がすごく助けになったので友達はすぐにできたんですけど、勉強の部分で全然ついていけなかったことが最初の頃は結構つらかったですね。

——海外の大学だと遊ぶ時間がないくらいしっかり勉強するそうですよね。その後は日本に戻られて。

アメリカの大学を卒業して、一応日本の大学も卒業するために戻らないといけないプログラムになっていました。


違和感や自分の心に素直に従って行動に移す

——3年間アメリカで過ごしたことで、そこでの感情や考え方の伝え方に少し慣れてきたところで、今度は日本の社会の中に放り込まれるわけじゃないですか。そこで感じたことはありましたか?

最初は良かったんですが、時間が経つにつれてちょっとしんどくなってきましたね。卒業後は日系の大きな企業に就職したんですけど、結構しんどかったです。

——そのしんどさは、風通しが良くない社風であったり自分の考えをなかなかシェアしづらい環境とかでしょうか。

そうですね。威圧的な態度で意見を抑えようとする、あとはやっていることが論理的じゃないと感じていました。相手に説明を求めても説明できないから全く自分の仕事が腑に落ちなくて。

——そういう思いも少しずつ積み重なっていって、ある時点でやっぱりもう1回日本を離れてみようと感じたんですかね。

そういう風通しや論理的じゃない部分が非常に自分には合わなかったので、後に外資系企業に転職するんです。外資の広告営業だったんですけど、そこは自分の思い描いていた職場ではありましたね。

ただ、営業職だったんですけど自分がこの先ずっと営業をやってるっていうイメージがだんだん湧かなくなって来ました。そんな中、その職場にエンジニアの方たちがいて彼らのやってる仕事が面白そうで、だんだんそっちに興味が寄っていきました。その後はキャリアチェンジも兼ねて国外に出ることまでをセットで考えました。

——キャリアチェンジを考えたのはおいくつの時ですか。

27歳くらいですね。

——27歳ですか。チャレンジしたい気持ちはあって、でも同時に今まで積み上げてきたものがあって、そこは悩まれましたか。

あまり悩まなかったですね。というのも挑戦するいうのはタダですし、失敗してもまた営業に戻れると思ったんです。新しい機会を得られるチャンスがあるんだったらそっちでチャレンジしてみようという感じで、あんまり自分の中では悩まなかったですね。

近年、バンクーバーのエンジニアは買い手市場

——カナダのエンジニアさんの人材市場ってどういう感じですかね。(2023年11月インタビュー時点)

今は結構人が解雇されている状況で、かなり冷え切っていますね。ただ3、4ヶ月前はもっと冷えていたんですけど若干戻りつつはある感じです。はい。

——そういうお話は聞いていて、COVID-19の時にIT業界バブルがあり企業も雇用や事業拡大したが、COVIDが収まってバブルも弾けて今は規模縮小していたりそれに伴う解雇も発生していると。

カナダだけではなくて世界的に市場が冷えるとバンクーバーも同じようになるので。

——人がいないというよりも、人材の供給過多で競争率っていうのがすごく高い。

競争率はすごいです。ここ最近やっぱりエンジニアという職種はみんな目指すところになってきているんで、正直なところ倍率がめちゃくちゃ高いですね、僕が就職活動してるときも、かなり倍率高かった。

——ずっと買い手市場ですね。。ちなみに健さんが業界内から見ていて、競争の高いエンジニアの人材市場で勝ち残っていくために必要な要素って何だと思いますか?

ここは結構泥臭いですけど、会社の人と良い関係を築くのは大前提ですね。コミュニケーションをしっかりとることです。あとは向上心があるということを常に見せることも大事です。企業はスキルが停滞している社員を雇用しておくメリットがないですし、常にスキルアップしている人材というのが重宝される、かつパフォーマンスはもちろん残す、そして普段からよくコミュニケーションをとって良い関係を築くっていうのが生き残る術かなと思います。実際にそうじゃなかった人が、うちの会社でも結構解雇されていたんですよ。

 ——状況が間近にあったわけですね。

はい。僕はそれを反面教師にさせてもらって、自分でも日頃から気をつけながらやっています。

——健さんがエンジニアとして今後達成したい目標はありますか?

やっぱりエンジニアにもレベルがあってジュニア、インターミディエイト、シニアってあるんですけど、僕はインターミディエイトで今後の目標は自分がテックリードとしてプロジェクトを経験することです。

——それはご自身のチームを持ってということですね。今はご自身のスキルをぐんぐんと伸ばし、実績を重ねていくことにフォーカスしていらっしゃる。
そうですね、はい。

自身が経験したように、自分の子供が挑戦できる環境を整える

写真提供@田内さん

——ありがとうございます。エンジニアという一面の次は新米お父さんっていうところでちょっとお話をお聞きしたいんですけど。

新米お父さん(笑)

——海外での子育てに対して、ご不安だったり逆に楽しくて仕方ないだったり、最初はお子さんが産まれてくるにあたってどんなお気持ちだったんですか?

正直に言うとすごく楽観的で、何もネガティブには考えていなかったですね。唯一ちょっとだけ不安だったのが、出産にあたって自分が父親としてどれだけのサポートができるんだろうということでした。医学的な知識もいっぱい出てくるので自分がそれに追いついていけるか、そういうところで不安もあったんですけど、それ以外はまあ何とかなるやろと。

——その「何とかなるやろ」はどこから来るんですか?!(笑)その自信の根拠というか。

本当に根拠はないんですよね。いざとなったら周りも助けてくれるって思っていましたし。

——でもご自身で若い頃に親御さんの元を離れて、大学生活を生き抜いて卒業まで行ったというところも自身に繋がっていったんじゃないでしょうか?

そうかもしれないです。ピンチでも何とか自分で切り抜けてきたという自負はあるので、おっしゃる通りかもしれないですね。出産や育児については周りの皆さんにもお話を聞きながらっていうのもありますし。

——それも強みですよね。コミュニケーションに不安がないということ。私はとても人見知りで自分から話しかけに行けないタイプなので(笑)

特に意識はしたことないですけど人と話すのは億劫ではないですし、あまり困ったことはないからそうかもしれない。

——それは才能ですよ。

妻もそういうのが得意で、彼女から得た情報を自分が細かく処理していって、最後に自分たちの中で良い形に落とし込んでいくみたいなところがあります。

——今のお話を聞くと健さんは道筋を立てて行動する、感情主導で動かないという印象を受けました。

僕はあまり感情では動かないです。妻は感情で動くことが多いんですが、彼女がありとあらゆる情報をまずキャッチしてくれるんですね。それは彼女だから出来るんだと思います。その中で自分たちにとって一番最適なものを落とし込んでいくのが僕の作業なんです。

——すごい。お互いの違う得意分野が上手く噛み合っていますね。
ご家族との人生という部分で、今後こんな風に生きていけたらいいなという展望はありますか?

これはずっと目標にしているんですが、やっぱり自分の子供がやりたいと思うことをやらせてあげられる環境を作れる父親になっていきたいと思いますね。

——チャレンジをさせてあげられる環境づくりですね。

自分たちのせいでせっかくチャレンジしたいことにチャレンジできないという環境だけは避けたいっていう思いがあります。この子が将来何を言うかわからないですから(笑)

——その時のために今から準備をしていくわけですね。わかりました。本日はお話をお聞かせくださりありがとうございました。

ありがとうございました。

編集後記

セカンドキャリアとしてカナダへ留学、移住する人の中でもソフトウェアエンジニアが人気というの話は聞いていました。バンクーバーは起業家も多く、アマゾンやマイクロソフトの支社があったりアメリカの大規模ITハブの一角であるシアトルまで車でわずか2時間弱という立地、留学しやすい環境、IT産業の雇用が盛んであることも留学と職業選択の要因の一つかもしれません。IT経験者の方が移住なさるパターンはもちろん、田内さんのようにセカンドキャリアで一からスキルを獲得して新天地で新たな生活を始める方もいらっしゃるわけです。ここで個人的な考えを述べるとするならば、海外での理想のセカンドキャリア構築は誰でも挑戦できるけど、誰もが成し遂げられるかといえばそうではないのかなと思います。言語はもちろん、環境も何もかもが違う中で自分がやりたいことのために勉強に打ち込み、学校卒業後には就職競争があり、その上で就労ビザや永住権の問題は付きまといます。コツコツと続けていれば夢や願いが成就するという確約もないですし、バンクーバーの生活コストは非常に高くなっているのも現実です。それでも今までの自分を変えたい、現状から逃げ出したい、やりたいことに出会いたい、人生は一度きりだと思うから挑戦しているのではないでしょうか。

25-35歳で家族持ち、海外移住、セカンドキャリアを考えている読者の方もいるかもしれません。それを実現するためには計画とたくさんの準備が必要だと思いますが、決して不可能ではないです。幸い、バンクーバーにはあなたをサポートしてくれる様々な分野のプロがいますので、ぜひその人たちを頼ってください。そしてあの時に挑戦してみれば良かった、と後悔しない人生を歩んでいただけたらと思いながらこの記事を書きました。

末筆ではありますが、この度インタビューを快諾してくださった田内さん、本当にありがとうございました。

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