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実父介護のきっかけ 4

絶望の中で、目標を整理する


感情におぼれた数日を経て、現実が少しずつ見えてきた。

父は、今の自分をどう思っているだろうか。

父が脳梗塞をおこすのは初めてではない。
複数回経験し、その都度リハビリをして日常生活を普通に送れる生活に戻った。
杖があれば歩けるし、できないことはなかった。父は毎回、医師の手術に対する労力に対して、恥じない努力をする。毎朝4時に起きて散歩をしていた。

でも今回は違う。
食事もトイレも歩行も読書もできない。

父は幼稚園から小学生低学年の時に、第二次世界大戦を経験している。武士道が人生観の大きな軸に入っているし、男として家族を守り、国の発展に貢献することを覚悟して生きてきた世代であり、おそらく出身の九州という土地は、そういう文化が根強く残っている。人からの助けを受けてまで生きていたくないと、繰り返し私たちに言っていた。

父は、絶望しているだろう。

何もできなくなってしまうことに、というよりは、今まで自分でできていたことを人に頼らなくてはできなくなったことに。

そこまでして生きていくことが、社会にも国にも、未来を背負う若者にも申し訳ないと思っているかもしれない。父にとって不可抗力であっても、父は責任を感じるタイプだ。

そして何より恐ろしいのは、父にそんな目にあわせているのが、私達家族だということだ。私達が、父の本意ではない手術を医師にお願いした。すこしばっかり父に会えなくなる苦しみに耐えられないからといって。

父はこのままだと、終末期の病院に入院することになる。コロナ禍で面会も叶わない中、大好きな孫にも私達家族にも友達にも会えず、ただただ寿命を終えるのを待つだけの人生を負うことになる。

私は、何をすれば良いのか現実を整理した。
父の生命力と病院にゆだねること以外に、わたしたちができることはないのだろうか。

急性期の病院というのは、基本的には二週間しかいれないという。その後の病状に合わせて、療養型の病院かリハビリ病院に移る。医師の説明では、療養型の病院に入院したら、退院することはないという。

私達の目標は、父をリハビリ病院に入院させる方法を探すこと。

あとは、社会や国ではなく、われわれ家族が父と一緒に暮らしたいと思っている気持ちを伝えること。

そして、病院に感謝をつたえることだった。

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