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夢の仕組:人間はやはりコンピューターである。

 後に内閣総理大臣になった細川護熙熊本県知事はバス停を十m移設することに政治生命を懸けたと云われます。それが彼自らの著書においても政治改革の魂をなす物語として語られています。
 非常に分かり易い話で私も共感しましたし、昔の大人もそういうことを理解したのだなと隔世の感がします。
 昔は(今はもっと?)バス停をそれだけ動かすことをさえなかなかできない程に行政の仕組が非現実的だった、それを細川県政が改めて十mの移設を実現した。
 どちらかというと今の大人はバス停を十m動かすなんてどうでもいい、もっと何か2020mを9.86秒で走るようなことをやれよという向きが多いのではないでしょうか。
 そういうことは(極めて単純化して言えば、)行政もイノベーションも何も、偶々そういう凄い人がいるというだけのことです。

 暫く工事中だった東急青葉台駅のバス乗場の標示の新調が完成しました。
 こちらは移動はしていないがより目立つ物への取替えのための設備投資です。
 東急はかなり吝(けち)な企業なのでバス停の標示などの設備の老朽化率が大都市圏では最も高い。かなり久々の新品のお目見えです。
 今時の設備投資は何かよく分からない、感心しないものも多いのですが安心するのは書体の変更がないことです。
 冒頭の写真の書体は東急バスが独立からの三十年来採用しているもので、その前の東京急行電鉄のバス事業部の頃は写研の石井角ゴシック(それが私的には標準。)でした。東急バスの他にも阪急電鉄などに採用されていましたが近年は減少の傾向にあります。
 それがモリサワ新ゴやOsaka角ゴシックなどになっていたら極めて失望します。

 一つ微妙なのは天辺に記される通し番号が一際大きく見易くなっていることの意味です。
 それが一際大きく見易く表示されるということはそれを最重要の情報とするということですがそのためには通し番号の存在がそこの6番停留所に来る前の何処かで認知されていることが条件になります。
 分かる人には分かる、それは駅の構内にあるバス総合案内の表示装置ですが、そこを見ていないと6番という情報には意味がないということで、総合案内の臨在、存在感に依存するarchitecture。
 では総合案内の表示装置が誰にも分かるように目立つかというと、青葉台駅、あざみ野駅もたまプラーザ駅も今一つ、誰もがその臨在に気づく存在感にはなっていません。多分、渋谷駅に至っては誰も気づかないほどではないでしょうか。

 また近年のバスの傾向にあっては、終点における乗降分離が下手に徹底されていることにより、降車扱いのために乗車客にとっては関係のない路線の車がそこに停まる(どこでも降ろせる所で降ろしてからバスプールを一周回る(時間の無駄。)か引込線に待避し(時間と空間の無駄。)てから乗場に着く。)ことが常になっており、するとそこに停まる車の行先の表示で乗場の位置を見分けることが事実上不可能なことが多く発生しています。
 昔のバスはその路線の停留所で先ずは降車客を降ろしてから乗車客を乗せるか全ての路線の共通の降車所で降ろして乗車所に移るかという扱い方でした。
 何が何でも未だ誰も乗っていない空ぽの状態で乗せる、それがおもてなしというものだ:そんな意味のない政策の徹底によりarchitectureやuser interfaceの崩壊が津々浦々に、さては東急にさえ生じています。
 何が何でも空ぽの状態で乗せることがおもてなしなら、売れないのが最適解ということになりますね。そんな頭の弱い業界にまともな人が来る訳はないのです。

 青葉台はかつて多くの人が夢を感じた町です。
 今もその片鱗はありますが往年の迫力には欠けます。
 私はあざみ野(新百合ヶ丘との連絡が良い。地下鉄は開通前夜。)や溝の口(登戸との連絡が良い。)には若い頃に馴染みがありましたが青葉台やたまプラーザには降りたことがなく、人生の42.195年を過ぎてから初めて見る風景です。
 人生に色々と失敗を重ね、ひょんなことから青葉台やたまプラーザが本拠地になることになりました。なので往年の迫力とは自らの目で見たものではなく色々と伝え聞く限りのものです。
 きのうは青葉台と美しが丘(たまプラーザ)の年来の客との契約書がないということで四苦八苦して取引情報を掘り出して一週間を締め括りました。青葉台だけ見積書を見つけましたが美しが丘は何も見つからぬです。取引がいつから始まったのかが全然分からないという。

 さて、夢とは何か?

 こう云っても何も分からないと思いますが、先程のどようびの昼寝では、私の夢史上初めて既知の二人の人物を「足して二で割る」人物像の一人の人物が登場し、その人物と共に夜の小田急経堂駅でタクシーを降りるという謎の夢でした。経堂もまた若い頃に馴染みのある町です。

 そこではたと気づくのであります。

 夢についての考察は科学的なものを含み色々とありますがどれも夢とはこういうものだと一義的に見ようとするものが多い。
 よく夢とは無意識の発現といわれますが少なくとも私の見たことのある夢をスキャンする限りでは意識していないことが夢に出たことはほとんどありません。無意識の発現という機能も場合によってはあるのでしょうがほんの一部かと思われます。
 しかし夢とは一概にこういうものというものではなく、色々な機能がある。
 一概にいえるのは寝ている間に頭(想像力)が動くということです。
 その頭の作用、想像がどんな機能なのかというとほぼパソコンの全ての機能を網羅する多機能なのです。

 人間の頭脳はほぼコンピューターと同じです。
 コンピューターのメモリーは人工頭脳です。
 それは何かの比喩ではなく現象として全くその通り。

 夢とはコンピューターが使用者の用途に直接には関わらない諸機能であるといえます。

 例えば或るファイルの削除もその一つです。
 夢が頭のファイルを削除することもあります。
 これはファイルの削除というものが電磁記録の完全な消去ではないということを知るとよく分かると思われます。
 人間は記憶という頭脳の電磁記録を完全に消すことはできません。ファイルの削除とはそこに旧記録を拾わない(ベタに言えば、画面に表示されないだけ。)ようにする記録を上書きすることによりその箇所のメモリーの再利用を可能にする装置です。Windowsはファイルの削除を実行するとよくファイルのリサイクルをしていますという案内表示が出ますがそれはメモリーのそのファイルの箇所の再利用を可能にする処理を実行中ということです。
 その案内表示は私が大好きなのに何故か史上最悪との酷評の多いWindows Vistaから採用されたものですが、それを見た当時のWindowsXPの信者にはそれがファイルの内容そのものを再利用するのか、何なのだそれはと邪推されていたそうです。個人情報の再利用とかコンプラ的に許されないぞとか当時はまだ若かった今時のおっさんは思ったのか?
 ディスクは再利用の繰り返しで、寧ろ再利用は更の状態よりもパフォーマンスが上がるのです。故にあまり軽率にではなければ要らないファイルは削除する習慣がコンピューターを長持ちさせることになります。

 夢の一つの機能は、そのように既成の記憶に上書き処理をすることで、或る記録を削除するためにはそこを真白または真黒に塗り潰せばよいというものではなく、その既成の記録を電磁的に無力化する対抗記録をコーティングする(被う)ことです。その対抗記録がどんなものかはそれに被われる既成の記録がどんなものかにより相対的に決まるもので、故に夢はしばしば意味が分からない訳です。

 夢にはまた、ディスクの断片化の整理をするdefragmentationの機能としての場合もあります。
 恐らく先述の足して二で割るような人物の夢はその非断片化の例に当たるかと思います。
 因みにdefragmentationを最適化と訳す向きがありますがそれは誤訳であり、最適化というような意味合いはありません。断片化ではなくするということで非断片化が正しい訳です。
 ディスクの断片化により削除により生じる空白の部分が埋まりますがその際に各々別々の無関係な記録が隣合う場合があります。場合がありますというか、必ず生じます。
 逆に断片化が進む際にも無関係な記録の隣合わせはいつも生じますがそのような隣合わせは夢のような意味の分からないものではなくそもそも意味のない単なる偶然のものです。
 コンピューターの記録はインターネットを介さない限りは全てが使う人の意図するもののみにより成り立つので、非断片化により隣合う記録にもまた分かりにくくても何らかの従来の自分の意図に基づく意味があることになります。
 因みにディスクの非断片化、デフラグをするとディスクが傷むという説がありますが何らかの条件に因るものではなければデフラグそのものがディスクが傷む、即ちディスクの寿命が縮まる原因にはならず、ほぼ迷信です。そのような説を信じる人は大体は迷信の大好きなWindowsXPの信者に多いでしょう。

 取り敢えず思いつくのはファイルの削除とディスクの断片化という二つの機能ですが他にも夢にはコンピューターの色々な機能の発現があり、森羅万象は全てがデジタルであるといえるでしょう。アナログ人間などというものは存在しないのです。
 起きて何かをしている時は鍵盤を打つなりクリックをするなりして情報を意図的に構成しようとする時です。
 寝て夢を見る時はそれを支えるための色々な処理をする時です。例えばウィルスの駆除もあるでしょう。

 人間の寿命やsustainabilityにも夢が重要な要素です。
 重要とは内容よりも(というか内容は大体重要ではない。)どんな機能かということです。
 ディスクの容量には限りがありますがそれを何度でも再利用することができることが寿命やsustainablityを実現するのです。

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