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2歳6ヵ月で急逝した小さな豆柴の一生

書くきっかけ


皆さん、はじめまして。正直noteにちゃんとアクセスするのは初めてと言っていい位でお恥ずかしいのですが、僕は都内在住、30代男性で『うずらパパ』と申します。
僕はこれでもか、というくらい溺愛した豆柴の女の子『うずら』を2024年4月24日に突然失ってしまいました。うずらがこの世に生きていた証としてここに書き止め、うずらが一生懸命歩んできた2年6か月を一人でも多くの方に読んで知っていただきたいとの想いから記します。

運命の出会い


まずはそのうずらとの出会いを簡単に書きます。
元々黒柴の『小豆』と白柴の『安豆(あんず)』を飼っていた僕は、2022年1月29日に僕の生まれ育った町でもある渋谷のペットショップにふらっと入ったのがきっかけでした。
あ!かわいい赤柴の女の子がいる・・・飼いたいな・・・でも既に2匹も飼ってるし3匹で仲良くできるかな・・・と店内で2時間近く悩んでいました。きっとお店の人も僕が大切に育ててくれると思ったのか色々話が進み、その日にはその豆柴ちゃんは家にやってきました。

小豆と安豆、の先住犬がいたのでこの子も何か豆っぽい名前がいいな。と悩み色々豆の種類を調べ『うずら豆』を発見。うずらにしよう!と即決でした。うずらは仔犬の時はすごく大人しくて小豆と安豆ともすぐに仲良くなることができたので世話がかからない子という印象だったのを覚えています。

うずらが家に来た翌日


僕の仕事はコロナ禍関係なく完全在宅なので仕事をしながらうずらの成長を見守ることができました。写真を共有するSNSではうずらの日々の投稿を続けていくとフォロワーも一気に増えて、小豆と安豆のお姉さん二人のショットが減ったのは申し訳なかったです・・・
生後4ヵ月位の時に撮ったチラ見するうずらをSNSに載せたところ反響が大きく、僕もよく知るネットニュースに取り上げてもらうこともできました。

ネットニュースにも載ったうずらのチラ見


うずらはすくすくと成長していきましたが成犬になっても童顔で体重が4kgにも満たないくらいだったのでお散歩やドッグランに連れて行くと『何か月ですか?』とよく聞かれるほど小さかったのですが、その時点では特に健康面の心配はしていなかったのが本音です。

でも生後半年頃避妊手術をする前にたまたまかかりつけの先生がうずらの胃の中に異物がある!と発見してくれて開腹手術も行うことになってしまいます。胃の中からでてきたのは・・・僕がガチャポンで当てた『柴犬のフィギュア』の頭部分でした・・・柴犬の中から柴犬の形をしたおもちゃが出てきて、先生も僕も『本当にうーちゃんらしいね』と苦笑い。(以降、名称がうーちゃんになります。)
避妊手術も何度かの延期を経てやっと手術そして成功!身体が小さい分やっぱり色々気にかけないといけない部分も多かったんだと思います。

あっと言う間の1年


そんなこんなであっと言う間に2022年10月23日、祝1歳!の日がやってきました。SNSのフォロワーさんや柴犬友達にも色々なプレゼントをもらって、 とっても素敵な1歳を迎えることができたね、うーちゃん。
また、1歳になる直前にはカメラマンの方による撮影会なるものに初参加し、素敵な写真をたくさん撮ってもらいました。

その場で選んで後日額縁にもいれてもらったお気に入り


うーちゃんという原動力


僕の仕事は完全在宅と書きましたが、所謂外資系でとにかく成果主義。2021年1月、コロナ禍真っ只中に転職して入社したので全てがリモート。おまけに日本には支社がなく同僚もいない。最初は本当に大変で上司も厳しいし何度辞めてしまおうかと思ったか・・・でも入社から1年してうーちゃんが家族になったことと海外との往来が緩和されはじめ仕事も割と順調に進んでいきました。やっぱりうーちゃんの原動力は大きかった。成果主義は大変だけど自由に時間を使えるので3匹に寂しい思いはさせなかったと思います。

これを書いていて、『うーちゃんとの印象深い思い出って何だろう?』と回顧してみると、何も特別ではないドライブや大好きな代々木公園やららぽーと豊洲のドッグランに一緒に行くことでした。代々木公園は真冬は寒すぎてあまり行かなかったのですが、それ以外の季節はたくさんの緑に囲まれる中をうーちゃんと歩くだけで本当に楽しくて幸せだったので、今でも何がしたいかと聞かれたら『たまに僕を見上げてくるうーちゃんと代々木公園を散歩したい。』と迷わず答えます。

大好きな代々木公園


2023年 人生で一番幸せな1年


2023年に入って早々、家族の事情で今まで住んでいた部屋を出ないといけなくなり、小豆安豆うずらファミリーは同じ町内で引っ越しをしました。
それだけでなく世間ではコロナも落ち着き海外との往来は復活し、僕も久しぶりに海外出張や海外旅行にいきました。でもどこにいても頭の中は3匹の事をずーっと考えているのでやはり家が一番落ち着きます。

うずらを家族に迎え入れる前までは赤柴のグッズを買い控えていたので、色々な雑貨屋さんやお土産屋さんで赤柴グッズを見つけると嬉しくてつい購入してしまっていました。中でも全国各地の、その場所特有の食べ物や建物などとコラボした豆柴グッズにハマって、車で行ける範囲はみんなでドライブがてらゲットしに行ったのもいい思い出です。今でもそのシリーズはどんどん新種を出しているのでうずらに報告できるようゲットする旅路は続きます。

2023年はそのグッズのおかげで北海道、新潟、茨城、大阪・京都、広島、沖縄とたくさんの国内旅行に行くことができ、本当にあっと言う間に終わってしまいました。僕自身もプライベートもビジネスも実りがあり、人生で一番最高で幸せと思える1年でした。

2023年11月の日常


このNoteで伝えたい事


うずらは2021年10月23日に熊本県球磨郡にある犬舎で生まれました。それから僕の家族になって2023年が終わるまでを端的かつ一気に書き上げました。
それは2024年、うずらが亡くなるまでの日々を濃く表現し、なぜ僕がNoteに残そうと思ったかに重きを置きたかったからです。


2024年元旦

2024年2月、東海地方のドッグランに行った時の写真が僕の中でとても気に入っているので載せます。特に小豆とうずらは他のわんちゃんがいるドッグランではあまり走らないんです。でもここでは家族だけの貸し切りだったので3匹ともずーっと楽しそうに走っていてスマホの連写機能を使ってベストショットを収めることができてよかった!!と今でも思っています。

本当の幸せとは何かを伝えてくれる1枚


儚くも散った桜


すぐに春はやってきました。家の近くは川沿いがテラスになっていて、たくさんの満開の桜を楽しめるんです。ここをみんなで散歩するとき、心の中では最年長の小豆とあと何回桜を見ることができるだろう?って思っていました。

2024年4月6日 満開の桜と共に

4月24日で小豆は10歳になるから勝手に頭の中で虹の橋を渡る順番を決めてしまっていた。そして3匹で楽しむ桜はこれが最後となってしまいました。

小さな身体で頑張るうずら


ここからがうずらが小さな身体で闘った最期の記録となります。
うずらが生きた証として写真とその時の状況をできる限り載せるので読んでいて辛くなってしまう場合もあるかもしれません。ですが読んでいただけると嬉しいです。そのためにNoteを書いていますので・・・

4月22日の朝のお散歩にいくとき、マンションを出たら突然うずらがこけた。今までならそんなことなかったのに。でも普通に歩いてくれてお散歩から帰ってきて、いつもの通り朝ごはんを一瞬で食べ終わってしばらくしたらうずらが全て吐き戻してしまいました。おかしい。直感でそう思ってすぐに近くのかかりつけの先生の元へいきました。血液検査、エコー、レントゲンをとってもらいましたが体調が悪くなった直後だったので血液検査の値も上がりきっていなく原因特定ならず。取り急ぎ吐き気止めなどをもらって夜まで過ごしていたけど、やはり体調が悪そう。

隣の区の夜間もやっている動物病院に22時頃タクシーで連れて行く。僕は昼間はずっとなんの病気か調べていて症状と痛そうにするポーズから『急性膵炎』ではないかと疑っていた。夜間病院の先生にも血液検査をしてもらうが値がそこまでおかしい数値になっていない。なんだろう?と夜になっても特定できないので、急性膵炎だと思うんですが。と伝えると、可能性は否定できないから特効薬を打とう、との事でそれを打ってその日は帰りました。

翌日23日の朝になって、もっと体調が悪そう。ご飯が入ったお皿を顔の前においてもうずらが生まれてはじめてお皿からぷいっと顔をそらした。
ご飯は食べないのに水はたくさん飲んでいたので3件目の病院に連れて行く前に近くの公園でおしっこだけさせていこうとうずらを数歩歩かせたら竹藪にそのまま身を委ねるように倒れ込んでしまった。

下に写真を載せていますが今でもこれを見ると自分が代わってあげられたら・・・と胸が苦しく圧し潰されそうになります。

写真を撮ったのも何が起きたか、どれくらい大変かを記録するため。この時点でおしっこなんて車内で漏らしていいからとにかく病院に連れて行かないと、と思い公園の脇に停めてた車にすぐ乗せた。
寒いときに自分が着られるように後部座席に置いていたジージャンがあるので、その上にうずらを乗せて車を走らせた。

倒れ込むほど辛かったうずら

同じ区内の病院で到着まで15分ほどだったと思う。うずらは息苦しそうに頑張っていたけれど、病院につく寸前に大量の水と胆汁をジージャンの上に戻した。
ご飯は食べていなかったので固形物はなかった。

うずらの最期の優しさ

午前9時半頃、先生も診るやいなや、これはしんどそうとすぐに点滴をし即入院。
5日間ほどの入院になる、そしてとにかく弱っているし手術をしたいけど脱水が激しいから今麻酔をかけたら死んでしまうと言われた。まさか『死』という言葉が出てくるなんて想像もしていなかったのでその場で泣いてしまった。とにかく最善を尽くすと言われ一旦自宅に戻り、18時頃様子を見に戻った。

パパを見たら立ち上がって目をキラキラさせるうずら

ケージの中で点滴をしているうずらは僕の姿を見ると二本立ちをしたり、目をキラキラさせたりして僕をじっと見ていました。
そんなうずらを見た先生も『やっぱり飼い主さんが来ると全然違うね。』と言うほど元気に見えたので、僕は一安心してほんの数分で背を向けて帰ってしまった。

これが生きている最期のうずらでした。

翌朝24日の7時12分に携帯が鳴った。こんな朝早くに電話が鳴るなんて良い話な訳がない。『もしもし・・・』

『○○動物病院です、最善を尽くしましたが・・・・うずらちゃんは亡くなってしまいました・・・・お力になれず申し訳ありません・・・』

一瞬、頭が真っ白になったけれど考えるよりも先に泣き叫んでた。
『うーちゃんが死んだ?』
『うーちゃんがいない世界でどうすればいい?』
『うーちゃん・・・うーちゃん・・・』

とにかく動物病院に行かないと・・・・車なんて運転できる精神状態ではなかったのでタクシーを呼んで動物病院に着いた。
院長先生が奥からうーちゃんを抱っこして診察台に乗せた。

もう何を話したかは覚えていないくらい泣いてた。でもはっきりと覚えている先生が伝えてくれたことは『もう最期だというときは自宅に返してあげるんですが、うずらちゃんは最期とても見せられるような状態ではありませんでした。。午前3時過ぎに血を吐いて亡くなってしまった・・・』と。

ドッグランではいつも僕の後をトコトコついてきて、恐いとしっぽを下げて足元に逃げてくる実は怖がりなうずら。そんなうずらが前日の夜にありったけの力を振り絞ってチャームポイントのキラキラお目々で僕を見てくれた。あの時はまだ元気があったの?それとも死期が近いのをわかっててパパを不安にさせないためにうずらの最期の優しさで演技だったの?

勝てなかったうずら


小さい身体で家族とも過ごせず怖がりなうずらが最期まで一人で闘って、勝てなくて血を吐いて動物病院で死んでしまった。

大泣きしながらタクシーに乗って帰った。僕の実家が近くなのでうずらが死んでしまったことを伝えると母は驚きとともに泣いていた。
うーちゃんに最期の挨拶をしてあげてほしいと言って電話を切った。自宅マンションの下に着いてタクシーから降りる寸前に運転手さんが『ご愁傷様です。』と言ってくれた。この辺からどうやって部屋に戻ったかすら覚えていない。

少しして実家にうーちゃんを連れて行き最期の挨拶を済ませ、何も考えられない精神状態だけど動物病院が紹介してくれたペット葬儀場に電話をして翌日の火葬の予約を取った。

その後はうずらの肉体と過ごす最後の1日になるので後悔しないよう以下の事を実施した。
・うずらに手紙を書く
・うずらにいっぱい話しかける
・ジッパーに毛と爪をとっておく
・うずらの最後のお仕事として肉球スタンプを持ち物などに押しまくる
・4月とはいえ少しでも綺麗な状態を保てるようにありったけの保冷剤で冷やす

虹の橋を渡るのでレインボー肉球スタンプ

最後の夜と最後の朝


最後の夜はペットカートの中に寝かせ、寝室のベッドの真横に置き眠りについた。4月25日の朝は2回散歩に行った。小豆と安豆も連れて3匹最後のお散歩。それから帰ってきて今度はうずらだけでもう一度同じいつものコースをもう1周。葬儀場へ向かうまでは部屋でずっと話しかけて過ごした。

うずらと最後のドライブは品川の方にあるペット葬儀場。白いダンボールの前に立派な花束があった。看取った動物病院からだった。

白いダンボールにはうずらが好きだったおもちゃや、お菓子、家から持ってきた花、そして苺をアクセントに入れた。自宅のベランダで苗から育てたカモミールがタイミングを見計らったかのように一輪だけ咲いたので耳元に飾ってあげた。

うずらの大好きなものだけで囲った最期

ふわふわのしっぽ


文章では伝わりにくいかもしれないですが、この時点で僕の心の中は粉々に壊れていました。つい数日前まで走り回ってイタズラしてたうーちゃんの肉体が火葬されてしまう、自慢のふわふわのしっぽに触ることもできない。
泣き叫びながらも火葬場のドアが閉まる最後の1mmまで見てた。最後に見えたのは、そのふわふわのしっぽ。

1時間程待って再会したうーちゃんは本当に小さなうーちゃんだった。

ふわふわのしっぽを支えてた御骨

火葬されたうーちゃんと対面した時も狂ったように泣いてた。
骨壺に全て入れることができ、小さな御骨と爪はペンダントに入れた。

自宅に戻ったあとも現実を受け入れられずその日3回目のお散歩コースを歩いた。うずらのいない部屋にいるのが怖かった。

数日後たくさんのお花が届いた。真ん中のポストカードはレインボー肉球スタンプ

うずらのお母さんに会いに


これを書きながらどうやって過ごしてたんだっけ・・・と思ったら亡くなった日と火葬の日は仕事休んだ。で、26日の金曜日は必要最低限のメールだけ返信してそれからゴールデンウイークに突入したんだ。

ゴールデンウイークなんて何もできるわけない・・・そう自分でも思っていたけれどうずらのルーツをもっと知りたい、そしてうずらを産んだお母さんに会いたい・・・!という唯一の原動力で人生初の熊本県までうずらの犬舎さんを訪れる日帰り旅を4月28日にしてきました。
これもかなりの続きがあり、自分でも驚きの展開があるのですがもし読みたい、という方がいらしたら書きますのでどうぞその際はご教示ください。
今回のNoteは『うずらの一生』にフォーカスしているのであえて書いておりません。

生きていた証


皆さんにとって、『人生で一番起きてほしくないことはなんですか?』と聞かれたらなにを思い浮かべますか?
僕はその答えが『うずらが居なくなること』だったんです。それがなんの心の準備もないまま突然起きてしまい、こんな空虚感と喪失感、心臓をえぐられるような動悸など人生後にも先にも体験しないだろうと僕自身感じています。
もうこの悲しさと寂しさは隠せないですし紛らわすこともできないので、ペットロスから立ち直る、というのも不可能にさえ思えてきます。でもそれほどまで大切に想えて心から愛することのできるうずらに会えたこと自体が奇跡だったのかもしれません。

うずらが生きていた証としていつも首につけてた緑と赤の唐草模様のリボン、同じ唐草模様のリードをジップロックに入れています。今でもうずらのにおいが染みついたまま。汚れたジージャンもそのまま。
全部うずらがこの世に生きていたしるし。

ふたつだけ

何もいらないから願いが叶うなら・・・
ではなく絶対叶わないと困ることが2つ。
1、うずらの骨壺と同じお墓に入れてほしい
2、自分が死んだらあのうずらの姿形そのまま、また会いたい

もしここまで読んでくださった方がいたら・・・本当にありがとうございます。人間は忘れ行くものなので、自分自身の記録としてもまとめることができただけでなく、改めてうずらという愛犬と過ごせた夢のような日々に感謝しています。だいすきだよ、うーちゃん。また絶対会おう、絶対だよ。

#銀座を代表する柴犬



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