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女の子のあこがれはいつだってお姫様

楊貴妃のように愛した人に殺されてみたいわ。とほざく彼女に、実際に手を下したのは部下じゃないか。とぶっきらぼうに返した。そんな僕を嘲笑うかのような口角のあげかたをしながら、タバコに火をつける。薄桃色の唇から吐き出された紫煙が天上へとのんびり伸びた。

「知らないの?」
「何を」

忘れてた、と言わんばかりに細い指が今更換気扇のボタンを押す。そんなものまわしたって部屋にタバコの匂いは染み付くというのに。
禁煙を推奨する僕をからかうかのように、いつの間にか台所には彼女専用のうすっぺらい銀色の灰皿。

「楊貴妃を殺すのに用いたのは王様のマフラーなのよ。愛する人の匂いに包まれながら死ぬなら、殺されたも同然じゃない」

彼女の脳みそは少しばかりおかしい。

本人がおかしな人間になることを望んでいるのだから仕方が無いけれど、もう大人だというのに。少しばかり聞いてて恥ずかしい。
揺蕩う煙を眠たげな目で見つめ、またタバコを加える。吸う。吐く。ゆらりゆらゆらと不規則なカーブをいくつも描きながら上へあがる灰色の幾重の線。

返す言葉も見つからず、否定する気も起きず、ただただ無言を貫けば彼女も僕に習った。

下品な金髪とは不釣り合いな硝子細工のような横顔。
綺麗な指についた重たげな爪が、彼女のアンバランスさをよく魅せてくれる。ゴテゴテと派手な装飾を施した黒とどぎついピンクが彼女の職をわかりやすく教えてくれる。

「私はね、楊貴妃のようになりたいわけじゃないのよ」

先ほどの話題を考えると矛盾してるように思える言葉に首を傾げる。
そんな僕を見ることもせず、飄々と淡々と、彼女は続ける。
「ただね、私のためを思って殺してくれるような人が欲しいだけなの」

タバコを持つ指から少し視線をずらせば目に映るのは生々しいほど刻まれた赤と黒ずんだ青の幾多の線。それにどんな意味が込められているかなんて、想像は容易い。
「死にたいの?」

相変わらず視線を合わせることのないまま、小さな頭が微かに動く。肯定の意だ。

どうして、なんて言葉は出ない。嫌になるほど聞いている。

「わたし、自分の人生ってなんだったんだろうってよく思うの」

彼女の感情は動かない。彼女の言葉に抑揚はつかない。機会のようにすら思える色も温度もない音。

「まだ終わってないじゃないか」
「終わったようなものよ」

間髪入れずにはいった否定に思わず口を閉ざした。
「人生ってさ、人の生の足取りってことよね」

当たり前のことを哲学ぶって並べられる。幼い頃から一緒にいるが、彼女は小難しいことが好きで、人の上に立つことがすきで、勉強がだれよりもできた。それは僕ですら認めるし、それを本人もよく自慢したがる。
「だったらさ、わたしのは人生って呼ばないんじゃないかしら? わたしは、人らしく生きているの?」

ここ数年よく見るようになった、瞳を、瞼を動かさない口だけの笑みは一体何に向けているのだろう。

換気線の空気を吸い込む音だけが室内に響く。軽いものしか吸い込んでいかないくせに。
嫌ならやめたらいい。何時もそう思った。けれど言えるはずがない。彼女自身もやめたがっているというのに、とてもそんなことは言えない。

いっそのこと、僕が代わりに背負いこんであげられたら、と思うが、その現実性のなさに意図せぬため息がでる。
軽い空気は上にいき、重い空気は下に留まる。中学生で習うような当たり前のことを恨めしく思った。

あんたはいいわね。

いつかの彼女の言葉が頭に反芻される。珍しく泣きじゃくった彼女の、まだ人間として生きていられた頃の彼女の、妬みの多く入った恨み言。
いつのまにか炎は葉を燃やし尽くしていた。すっかり短くなったタバコを灰皿に押し付け、なすりつけ、彼女は灰を端の方へと集め始める。

「あんたにこんなこと言っても仕方なかったわね」

こぼした言葉に含まれていた成分は一体なんなのだろうか。

ある程度灰皿に空白を開けたことにより満足したのだろう、箱の中からまた一本とりだし、吸い口を下にしてとんとん、と台に軽く打ち付け始めた。

昔は切れ長ながらも爛々と輝いていた瞳はすっかり濁り切っている。黒い中にも光があったというのに。今ではどこまでも黒く、光沢はどこにもない。
人差し指と中指の間で細長のそれを挟み、口元へと運ぶ、咥える。華奢な手に不釣り合いなほど厳ついジッポに持ちかえ、親指で蓋を弾きあけ、戻ってくるついでのように火をつけた。

彼女が解放されたがっているのは環境なのか、それとも。

「ねえ」

冷たい部屋の中に彼女の声が響く。相変わらずの無色無熱無音の単語。

なに、と答えようと口を開きかければ、髪に軌道を描かせながらこちらを向いた。かくんと傾いだ首から先の顔には表情がない。

「あんたのマフラーちょうだい」

突発的なおねだりに思わず面食らい、喉に言葉がひっかかった。驚いているという意思表示の仕方を忘れてしまったようだ。

眉根を動かすこともないまま、彼女は首を元の角度にやけにのったりと戻す。

「だめ」

語尾の上がることがない疑問文に、それじゃあ命令のようじゃないかと言いかけ、やめる。抑揚をつけることを忘れてしまっているのにそんな反論無意味だろう。

何も返さないことが不満だったのだろう。一度だけゆっくりと目を閉じ開けて続けた。
「真綿で首を絞めるようなって比喩は知ってる?」

「真綿で首を絞めるとね、ずっとずっと苦しいの。息苦しいの。その先の未来が亡くなってしまったことを知りつつも、ゆっくりとゆっくりと窒息しなきゃいけないの」

それってどんな拷問よりも残酷だと思わない?

口もとだけで笑いかけられ、肯定の意を示すことしかできなき自分がもどかしい。

真顔のままだというのに、その細長い瞳からは静かに頬を伝って水が落ちていく。
いつのまに泣いていたのだろうか。

「ねえ、わたしどこで間違えたのかな」

弱々しい声に彼女が完全に感情をなくしてしまったわけではないことを再認識させられる。

きしきしと鳴き声を小さくあげる床をゆっくりと踏みつけ、少しずつ彼女との距離をつめてみる。

どこでだって間違っていない。そう言ってやれたらどれだけ楽なのだろうか。
けれど、彼女の人生は間違いだらけで、数字を用いていない計算ができないほどの不器用で。

いつのまにか椅子の上で体育座りをしていた彼女は、いっそ殺してくれたらいいんだけど。と物騒なことをつぶやく。
痛々しいほど骨ばった彼女は、器用にも唇でタバコを操作していた。口をすぼめ息を吸い、口を横に軽く開き咥えたまま煙を吐き出す。そんなことばかり器用にならなくてもいいというのに。

膝を抱え込んだ右手では線、左手では点が唯一肌に張りを持たせている。張りというか腫れだけども。
ゆっくりと近づいていたはずだというのにいつのまにか距離はない。それすら気にも留めず、彼女は煙を吐き出し続ける。

手を伸ばし、軋んだ髪へと手を伸ばす、毛と毛の間に指を通し櫛削る。途中何度も引っかかった。

頬を伝っていたものはいつのまにやら、胸元に丸いシミをつくっていた。
何本目になるかわからないタバコを、灰皿に置き、右手を定位置に戻し、彼女は膝に顔を埋める。幾分か触りやすくなった頭部は手に収まるのではないかと錯覚するほど小さい。

「ねえ」
「なに」

どこまでも無機質な音の押収。合わせるように取り繕っているじぶんが苦々しい。

「息苦しくて生き苦しいの」

ぽつりとその言葉を吐き出した口は今どんな形なのだろう、こぼれたものを見つめる瞳はどんな形なのだろう。

息苦しいのは喘息持ちの癖にわざわざ害のあるものを肺に取り込むからで、自信を傷つけるだけの娯楽にはまりこめば生き苦しいのは当然だというのに。

それでもこうまでなってしまったのは星の巡り合わせなのだろうか。

そうか、と小さく呟いて。犯罪者になるのも悪くないかもな、と思わされる。

彼女の人生にも、僕の初恋にも、どうせ報いがないのなら、思い切って断ち切ってしまうのが得策なのではないか、とのうりをよぎるのだ。

彼女の足元の扉に恐る恐る手をかける。こわばる手を、震える指をなんとか駆使して開ける。そうして、薄汚い柄に手をかけたところで冷たい声が降ってきた。

「ねえ、そうじゃないでしょ」

重たい瞼を上へ動かす。前髪が暖簾のようになってよく見えない。のかせばいい。わかってはいるが指が動かない。
のぞき見える彼女の唇はゆったりとした弧を描いていた。

「そんなものじゃだめ。女の子はいくつになってもお姫様に憧れるって知ってた?」

ぼたりと生暖かいものが頬から零れる気配がした。

数日後彼女と再開したのは片手に収まる小さな箱の中だった。
ネットで紹介された小さな記事。元の容姿の良さを覆い隠してしまうような黒々としたはしたない化粧の彼女が、こちらに向かって微笑んでいたのだ。
歪んだ視界の中なんとか読み取れたのは漢字四文字とカタカナ四つ。「無理心中」と「マフラー」の二つだけ。

頭がひどく重い気がして、せかいがなんだか霞んでいってしまう気がして。その先は見るのをやめた。足元でなんだか嫌な音がしたが拾い上げる気力もない。

重い足を引きずり、気づけば換気扇の下の灰皿を手にとっていた。

あの日顎に伝った生暖かいものは果たして本当に彼女のものだったのだろうか。いやもしかすると僕のものだったのかもしれないが、今となっては真実は全て煙に包まれて。ただただ頭上を揺蕩ってしまうだけだった。

#小説 #短編小説 #楊貴妃 #メリバ

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