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2023年記憶に残った読書6冊

 猫ほど人間の言葉を代弁させられている動物もいないなと思いながらパソコンの画面を閉じ、読み止しの本に戻った十二月の晴れた午前。引き続きバリー・ユアグローの『一人の男が飛行機から飛び降りる』を捲りながら今年の記憶に残った読書をまとめておこうと思い立ちました。

 数多くは読めていませんが、その中から心に残っている本を紹介します。気に入ったものは大抵Twitter(x)にも投稿しているので既出をまとめた感じではあります。では、一冊目。


『オーウェルの薔薇』レベッカ・ソルニット著 川端康雄/ハーン小路恭子訳 岩波書店



 今まではタイミングなのか、どうも探しているものと出会えないなと感じていた地元横須賀の大型書店、文教堂横須賀MORE'S店で出会いました。この本を見つけたときは気のせいかもしれないけれど、外国文学の棚の選書が変わったようにさえ感じました。小さな棚ですが、手に取りたいものが幾つも見つかったのです。ソルニットの著作に地元の書店で出会えた喜びを隠せぬままレジに向かいました。少し気味が悪かったかもしれません。

 タイトルに惹かれたのも事実です。ジョージ・オーウェルといえば真っ先に思い出されるのは『1984』ですが、『パリ・ロンドン放浪記』や『カタロニア讃歌』では著者自らが物見遊山的にではなく、現場へ当事者として飛び込んでいく姿勢に感銘を受けた作家でした。観光客で賑わうランブラス通りを「狙撃やバリケードが行われたのはここかもしれない」などと思いを馳せながら歩いた者にとって”オーウェルが植えた薔薇”に興味が湧かない理由はありません。とはいえこの本はオーウェルの生涯をなぞるだけの伝記とは一線を画します。


ソルニットがオーウェルの植えた薔薇を探しにいくところから本書は始まりますが、ソルニットの思考は四方八方に飛び移り、常人ならば戻ることが困難であるかの広がりを見せます。しかしそこは流石に現代随一の文筆家、アクティビストでもあるレベッカ・ソルニット。オーウェルの行動や著書、生い立ちを適所に支柱として配し、見事な一冊の書物を建立していきます。訳者解説に「思考のそぞろ歩きを経て小宇宙のような広がりを見せながらも、一冊の本としての統一感は保たれている」とあるように、視点の素晴らしさと思考の深さ、蓄えられた知識と推敲を通し、揺らぐことのないレベッカ・ソルニットという大河の片鱗を覗き込むことができます。読者はその川底にジョージ・オーウェルの別の一面が光ることを知り、流れに身を委ねながらその姿を追走します。
 余談ですが、この本を読み『一杯のおいしい紅茶』というオーウェルのエッセイを再び読み返したくなりました。ガラクタ屋さんのことを綴った章がとても良いのです。

二冊目『じゃむパンの日』赤染晶子著 palmbooks発行



 タイトルにもなっている最初の項『じゃむパンの日』からして半端なく面白いです。この本はなぜ今まで赤染さんに出会えなかったのだろうかと、悔やむほど気に入ってしまいました。東京の書店Titleさんで購入。次々と手に取りたい本が向こうから飛び込んでくる素晴らしい本屋さんです。全ての県と全ての市に一軒はあって欲しい。


 『じゃむパンの日』は著者が暮らした京都の貧しい地域での生活や、日々の些細で忘れ難い出来事が微笑ましい短文の中に綴られます。笑顔と人間の物悲しさがそっと並べ置かれているように感じる言葉。そこに文字としては書かれていない何かを受け取ってしまうような文体は、稀有な作家であるところの魅力を色濃く表しています。若くして逝去されたことが、読後一段と染み入るエッセイです。


三冊目 結崎剛 歌集『幸福な王子』 発行 港の人


 良い音楽を聴いた帰りに、あそこへ行けばあるかもと寄った鎌倉のたらば書房。平積みされた前述の『じゃむパンの日』の奥に、特異なサイズで美しく数冊立て掛けられていました。
 本当のことを言えば、実は二回目に見つけたのです。一回目は書架に見当たらず店員さんに確認すると売り切れでした。かといって横須賀では置いてなさそうだし、いつ取りに行けるか分からないので注文もせずに帰宅し、フラッと二回目の訪問をしたわけです。
 自分は歌集は疎いけれど、この『幸福な王子』は先ず装丁が良いです。美しい絵と紙の質感。差し込む書架を選びそうな独特なサイズも読む以前に好感を持った要因です。ページを捲れば、他人に足が不意にぶつかってしまって流れる微妙な時間のこととか、潰れた紙パックのお茶を持つ姿、犬や子供の目に見えている世界、しづかな貯金箱の佇まいなど、本を閉じてもその世界がすぐに蘇る独特な景色を持った書籍です。

四冊目『ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活』藤本和子著 ちくま文庫



 アメリカの女性たちへの聞き書きの本。藤本さんはブローティガンの翻訳者として著名ですが、自著で述べられているように盗み聞きが好きな一面があるそうです。買い物や食事、バス移動の車中などで偶然に行き交う人々や、たまたま同じサウナに居合わせた見知らぬ者たちの話し声に聞き耳を立て、その会話から世界をもう一度眺め直している姿が目に浮かびます。そんな藤本さんが今回は人の話を引き出す聞き役として正面から話者と向き合い、彼女たちの境遇を丁寧に綴っていきます。
 ソーシャルワーカーの女性や犯罪で服役している女性、今も厳しい境遇にいるアフロ・アメリカンの女性たちの声。タイトルにあるとおり”黒人女性”の仕事と過去や現在の生活を真摯に聞き集めた一冊です。アメリカという日本から遠く離れた場所でありながら、決して他国だけのことではない大切な部分を思い起こさせてくれる書籍です。横須賀で読む意味もしっかりと感じる一冊でした。

*2020年の文庫化に携わった方々の対談がCINRAサイト上にありました。藤本さんの人柄を知る上でも素晴らしいものでしたのでリンクを載せておきます。文芸サイト水牛を営む八巻美恵さんと韓国文学の翻訳家・斎藤真理子さん、アフリカン・アメリカン文化に精通する音楽ライターの渡辺志保さんの鼎談です。



 

五冊目『これはわたしの物語 橙書店の本棚から』田尻久子著 西日本新聞社



 田尻さんは熊本で橙書店という素晴らしい書店を営みつつ、文筆もされている方です。田尻さんの書く言葉は優しく静かに寄り添ってくれる気配があります。この本は田尻さんが新聞上に掲載していた六十本の書評といくつかの読書日記的エッセイで構成されています。橙書店も全県庁所在地と全市に一軒ずつあって欲しい書店です。

 この本の序盤にあるエッセイはぐいぐいとすぐに読み終えてしまいますが、書評は六十冊もあるので少し時間をかけて読むのに向いています。というのも、取り上げられている本はどれも素晴らしいものばかりで興味をそそられますが、一つの本に対して原稿用紙二枚分程の文章を矢継ぎ早に何冊も読み進めていくとどうも居心地が悪いのです。というかちょっと立ち止まりたくなります。それというのも、忘れたくない大切な出会いになるであろう本が紹介されているからです。新聞に連載された書評であることが示すように、一日に二、三冊分、週に数冊という形で読むことに適しているように感じました。なので、一気読みとは違った楽しみがあります。購入は大船のポルベニールブックストアさん。帰りがけに和菓子屋さんを教えて頂いた思い出があります。選書にこだわりを感じる独立系書店です。

六冊目『一人の男が飛行機から飛び降りる』バリー・ユアグロー著 柴田元幸訳 新潮社



 この本は三浦半島の南端、三浦市にある汀線さんという古書店で出会いました。こんなところに古書店が?という知らなければ通り過ぎてしまう畑に囲まれた隠れ家的立地が嬉しく、楽しみな選書を行きつけにしたい本屋さんです。

 このユアグローの小説はなんとも不思議な夢を言語化したような短いお話が149編も収められています。実はまだ全部は読んでいません。この本は起き抜けから朝食前後くらいに数編ずつ読み進めています。というのも、とにかく独特で摩訶不思議な世界が短い文章の中に閉じ込められており、頭がまだ完全には覚醒していない午前中か夜更けに読むのに適しているのです。自分が先ほどまで見ていた夢の続きのような世界が、短ければ数行で終わってしまう文章の中からぼんやりと立ち上がってきます。
 あのデイヴィッド・バーンが「自分の夢をどうしても覚えていられない僕にとって、ユアグロー氏の小説は格好の代用品である」(訳者後書き)と語ったことも頷けます。


 一見、夢を見る人であれば誰でも書けるのではないかと勘違いしてしまいそうな短編ですが、輪郭の曖昧なイメージから広がる世界が、さっと水分を拭い去ったように後腐れなく突然消える文体は稀有だと思います。雨の日の電車待ちに、傘から滴る水滴を利用して描く、なんでもないような水模様。かといって全く知らないものでもない気のする水の輪郭。電車の到来に顔を上げている間に乾いて消えてしまった親近感のある何か。そんな雰囲気を持った短編が続きます。
 例えば今朝読んだ『再開発』という項では、ある男の家に見知らぬ人夫が入り込み壁を壊し始めます。埃と瓦礫が舞う中で男は家族が食事をしているおぼろげな情景を見ます。ところがそこから物語が発展する暇もなく人夫たちは「時間だ」といって引き上げてしまいお話は終わってしまいます。
 自分の中の、知っているはずだけれどはっきりとは思い出せない印象。なんだろう、分からないけれど知っている、かもしれない、そこへ訪れるバスッとした突然の終わり。
 朝食後に数編読み、かろうじてつま先だけがまだ繋がっているこの世界。ボケっとしている頭に曖昧なイメージを抱えたまま啜るコーヒーの美味しいこと。未読が半分あるので引き続きこの時間を楽しみたいと思っている一冊です。


ソルニットのカバーはツヤツヤが気分に合わず外してしまいました。


 以上が2023年『記憶に残った読書6選』です。他にも好きな本はあるのですが、今回はここまで。なんの恐れもなく、自分が選んだ本を迷わず手にすることのできる素晴らしさ。本を読める世界と良い本に出会わせてくれる場所が等しくそこにあり続けることを願います。来年もまたお会いしましょう。

fine
2023.12.10 休憩室N


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