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金魚に魅せられたある夏の日

本を読むのは好きなのだけど、新しい本を次々に読み進められるタイプの人間ではないと最近わかった。好きな作家やお気に入りの物語を何度も読み返す方が好きらしい。その世界に入り込んでいたいだけなのかもしれない。現実的すぎる話よりも、どこかSFっぽさやファンタジーさのある話の方が良い。学生時代、森見登美彦の作品に没頭したのは一種の現実逃避だったような気もする。

繰り返し読んだ森見作品の1つに、『宵山万華鏡』という連作短編小説がある。京都の夏を彩る祇園祭の先祭、宵山を舞台にした話が6話編纂されており、同一人物が登場したり1つの出来事が異なる文脈で複数回描かれたり、それぞれ独立しつつも細かな所で複雑に絡み合う物語が連なる。

初めて読んだ高校生の時、幻想と怪奇が入り乱れ、無邪気で愉快で少し滑稽な登場人物たちによって描き出される魅惑的な世界に想像力を掻き立てられてたまらなかった覚えがある。大好きな小説だ。


その短編集の中に「宵山金魚」という話がある。家電メーカーに勤める主人公・藤田が、京都に暮らす高校時代の同級生・及川と再会し宵山を見物する物語だ。この及川というのがヘンテコな人物で、大学時代に2度、藤田に宵山を案内するといっては悪戯を仕掛け全く関係のない神社や鞍馬に騙して連れて行くような男だった。そのため、藤田は宵山を見たことがなかった。社会人3年目の夏、再び及川に誘われた藤田は、「今度こそ本物の宵山を」と息巻いて京都に足を踏み入れる。だが、その裏では藤田を陥れる壮大な計画が進行しているーー。

そんな物語の中で、「超金魚」と呼ばれる金魚が登場する。話の筋とはあまり関係ないが、同級生・及川の不気味さを表す象徴的な存在として終始この「超金魚」が記述される。姿形は次のようだ。

水草で濁った暗い水槽を見ていると、その奥から金魚とも思えない怪物のようなやつが悠然と顔をのぞかせたので、俺はのけぞった。
赤い鞠のようにまん丸に膨れ上がり、まるで「ふくれっ面」に小さな鰭(ひれ)がついたようだ。               

森見登美彦『宵山万華鏡』65項

精力増強剤にもなるというヘビトンボの幼虫をエサに、高校時代から及川の手によって育てられたそれは「アマゾンの怪魚」のように不気味であるらしい。「超金魚」は宵山の主としてひっそりと君臨し、怪奇に戸惑う藤田を振りまわす。祇園祭宵山法度を統べるものであり、古いビルの屋上に置かれた金魚鉢の中で眼下を睥睨しているのである。

物語の詳細はさて置き、高校時代にこの本と出会った僕は京都に対する憧れや畏怖などさまざまな感情を抱き、魅惑的な森見ワールドに惹かれたのである。

そしてまた、物語に登場する「超金魚」なる未確認生物への興味も湧き上がった。丸々と膨れたでっぷりとした金魚。一体どんなやつなのだろう。

いつかこの目で眺めてやるのだと心に誓い、金魚と名のつくイベントにはなるたけ顔を出すと心に決めていた一方で、そういえば今までそんなものには行ったことがなかったことを思い出した。「それではイケナイ」と今年の夏、宵山には行けない代わりに金魚見物をすることにした。




東北地方での勤務に早めの夏休みが訪れたので、帰省ついでに今年5月にオープンしたという「アートアクアリウム美術館GINZA」に足を運んだ。久方ぶりの銀座は、あいかわらずハイカラな街だった。

万が一「超金魚」と出会った時に記録し忘れないよう、僕はカメラを片手に三越に入った。愛用しているSONYα6000のミラーレスカメラはモデルとしては少し古く、値段も比較的安い。大学生時代にどうしてもカメラが欲しくてバイト代を貯め購入した。社会人2年目の夏のボーナスでレンズを買い足し、使わないと勿体無いので写真撮影に出かける機会が増えた。

8階の展示エリアは暗闇に包まれていた。
日本の伝統美と金魚の相性は素晴らしく良いようで、春日大社の万灯籠を思わせる雰囲気が再現されていたり、般若のお面やらが壁に掛けられたり、誰もが思い浮かべる日本の「和」のイメージが詰め込まれていた。


そんな会場で、大小数多の金魚鉢が明かりに照らされ、色鮮やかに輝いていた。「水族館」ではなく「美術館」と称すのも頷ける。






暗闇の中、ライトアップされて幻想的に浮かび上がる金魚鉢を撮影するのはとても難しい。事前にカメラの設定や構図を勉強していったものの、ピントが合わなかったり金魚が動いてボケてしまったり、なかなか思い通りに写真が撮れない。





小一時間ほど見物をして、展覧会を後にした。

色鮮やかに照らされたガラス鉢の中を泳ぐ金魚はどれも宝石のようにきらめていた。でっぷりと太ってふてぶてしいやつなど1匹たりともいなかった。「超金魚」にはなかなか出会えないようだ。

そもそも、銀座などというハイソな街に存在するのか甚だ疑問である。京都で探すべきではないのかと後になって思った。

それにしても、なぜ金魚はこんなにも美しく映えるのだろう。金魚鉢の中を悠々と泳ぐ様はメダカやコイには似合わない。そのくせ、祭りの縁日では簡易的なプールの中に放たれ、紙製のポイで人間に掬い上げられることもあるのだから不思議だ。無事に育ててもらえる保証などないのに。ヘンテコな生き物である。

とはいえ、日本の美術や文化の中に深く浸透する金魚の魅力は底知れない。金魚は品種の多い魚だという。展示会では希少種として10数種類の金魚が紹介されていた。その泳ぎ方も特徴的で、扇型に広がる羽衣のようなひれを揺らしながら泳ぐ様は、僕らの生きている時間の流れとは別の、独特な時間軸の中でふわりと舞っているようだった。


社会人2年目の夏休み。
幻の魚を探して訪ねたビルの一角で、暗闇に輝く数多の金魚に魅せられた。

さて、「超金魚」は何処に。

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