くりおね

詩人。

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最近の記事

笹百合や女人ここまで許されし    竹内留村

葉が笹に似ている笹百合は、伊豆より西の森林や山地に自生し、淡いピンクの清楚な花を咲かせる。“日本のユリ”を意味する「Lilium japonicum」という学名を持ち、日本を代表するユリとして世界的に認知されている。害虫に弱いため栽培は難しい。山百合に比べると小柄ではあるが、楚々として気品があり、並外れた存在感がある。風によって笹百合が揺れると、山の女神の化身ではないかと思われるほどの息を呑む美しさである。

    • 玫瑰やきのふより濃き空の色        深見けん二

      古くから日本に自生するバラの原種で、落葉性低木。北海道から東日本など日本海側の海岸の砂地に多く自生する。太い枝には多くの針状の棘が密生し、葉はやや長い楕円形で、上面には光沢があり無毛で、葉の下面には密毛がある。強い芳香を放つ五弁花で、海と空にひときわ映える。気品があり、華やかで美しい。一日で散るが次々に咲き、花と実が一緒に見られる。皇后雅子様のお印は、旅行で訪れた北海道での印象から決まったという。

      • あいまいな空に不満の五月かな 中澤敬子

        五月晴れと言われるように、5月はスカッと爽やかに晴れて清々しい。12か月のなかで、一番心地良い季節でそれを狙ったイベントも多い。その貴重な5月を最後の日まで惜しみなく味わい尽くしたい。それなのに、もうすでに台風1号が発生して天気は崩れた。31日夜中の3時には温帯低気圧に変わり、前線を伴って伊豆諸島付近から日本の東へ北東に進む。どうやら今日は曇りのようだ。すっきりしない天気におおいに不満である。

        • ゆくところ坂ゆくところ夏薊 足利紫城

          青葉が茂る森や林を歩いたりすると、鶯の声と薊の花が迎えてくれる。どこまで行っても、縄張りを過ぎたところでまた違った張りのあるメゾソプラノのメロディーが流れ、悩みを吹き飛ばし爽快な気分にさせてくれる。緑陰の中に温かく柔らかいピンクの薊が、それぞれを気づかうように距離を置きながらほつほつと逞しく揺れる。行く先々で優しい自然に迎え入れられ、自然に溶けながら社会にまみれた毒気が洗い流され純粋になっていく。

        笹百合や女人ここまで許されし    竹内留村

          田水張つて空のおもさの加はりぬ   鷲谷七菜子

          静かに眠っていた田が起こされる。鉄砲や蓮華がひっくり返り、黒々とした肥沃な土が顔をのぞかせる。いよいよ本格的な農作業が始まり、広々とした平野が息を吹き返す。一台のトラクターが終日行ったり来たりして、堅実に仕事をこなていく。辺り一面の剥きだしの土に太陽の光が降りそそがれ、やがて水が行き渡るや、青空を映す鏡となる。これから始まる農作業の幕開けである。高い空が深々と垂れ、田の存在がずっしりと重く感じられる。

          田水張つて空のおもさの加はりぬ   鷲谷七菜子

          黒く又赤し桑の実なつかしき 高野素十

          桑の木は、昔蚕の餌として河川敷に植えられていた。よく繁殖するために、思いがけないところに運ばれた種が芽を吹き、いつのまにか成長した枝元に桑の実を見つけて驚嘆する。甘いものが手に入らなかった時代、貪り食った幼い頃の思い出が蘇る。茂る枝の節々に小指ほどの実をつけており、食べきれない。苺の味がして甘い。赤い実が熟すと黒くなる。貼り付く実の根元を押せばほろりとこぼれ、手に掬い受け、次々と口に入れ貪り食う。

          黒く又赤し桑の実なつかしき 高野素十

          筍の皮むく母の枕もと 寺田要子

          筍は食物繊維だけでなく、ポリフェノールやオリゴ糖やカリウムなどがたっぷり含まれている健康野菜である。コレステロールの吸収や血糖値の上昇を抑え、大腸がんの予防にもなる。生まれたての命の塊を守るように産毛の生えた皮がぴたりと貼りついている。その焦げ茶色の薄皮は、鎧のように硬いが、生え際は柔らかくぺらりと剥がれる。これを母に食べさせてあげたい。生命力が漲るようにと願いを込めながら、一枚一枚丁寧に皮をむく。

          筍の皮むく母の枕もと 寺田要子

          翅わつててんたう虫の飛びいづる   高野素十

          素朴な句である。誰もが最初に抱く驚きを表す。ふと1㎝にも満たない小さな赤い半球に気づき、愛らしい斑点模様に釘付けになる。見ていると動き、ずっと目で追って行く。その先で止まると、つまんでみたくなるものである。自分の掌を這わせてみたい。親しみを感じはじめた証拠である。恋の芽生えとはこのようなものであろうか。興味関心が発端となり、もっと詳しく見たい。肌に触れたい。ところが意表を突き鮮やかな印象だけが残る。

          翅わつててんたう虫の飛びいづる   高野素十

          咲きすぎて贋アカシヤと判りけり    後藤比奈夫

          繁殖力が強く、外来種の中でセイタカアワダチソウに次いで多い。河原・崩壊地の貧栄養砂礫地において脅威を与える外来生物とされている。警戒されるべき物々しさを漂わせながらも、どこ吹く風とふくよかな房を数えきれないほど垂らし、ゆさゆさと揺れるさまは圧巻である。落葉高木で、4月から芽を噴きだしたとたんに日の出の勢いで葉を茂らせ、ほぼ1か月で白い花を咲かせる。驚異的である。青空をくすぐるように葉や花を揺らす。

          咲きすぎて贋アカシヤと判りけり    後藤比奈夫

          咲ききつて泰山木は雲となる 山田晴彦

          春先に咲く辛夷と白木蓮のように、初夏に咲く大山蓮華と泰山木はよく似ている。この区別がつくようになると樹木を見る目が養われてくる。肉厚の大きな白い花が、青葉が茂る中にひっそりと隠れるように咲く。これを見つけるのは至難の業である。見つけられたら運がいい。甘い芳香を放ちながら生々しく、白い肌の花弁を大きく広げ、花芯を天に捧げる。高貴で気高い。咲ききると、天使の翼のようにふわりと羽ばたき、空を漂う雲になる。

          咲ききつて泰山木は雲となる 山田晴彦

          丁字草花甘さうに咲きにけり 子規

          瑠璃色の花が、夜空を飾る星のようにひっそりと可憐に咲く。花の色と形が素朴で純粋であるがゆえに、原種系を好むマニアックな人をそこはかとなく惹きつける。幾重にも重なるバラや牡丹系とは対極を成す。わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です、という詩句が自然に流れ出てくる。うっとりとして身も心も解けてしまいそう。食べたくなる。もしも食べたら甘そうだ。貪欲な子規らしい発想だが、全草毒である。

          丁字草花甘さうに咲きにけり 子規

          ひとり来て聖母に祈るシャツ白し   大島民郎

          薄暗い教会に、鮮やかな白いシャツが目立ち、その印象が爽やかであった。 何か悩みごとでもあるのだろうか。それとも、だれかのために祈っているのだろうか。世の中は、科学の力で解決できないことが多い。人が関わると四則計算のようにすっきり解決するということがない。人間の心理は複雑怪奇であり、ときとして無謀である。だから面白い。予測不能の現在進行形の生々しい現実を生きるときに、祈りは救いであり癒しでもある。

          ひとり来て聖母に祈るシャツ白し   大島民郎

          訥々と語り葡萄の花を指す 廣瀬直人

          初夏、少し変わった花をつける。目立たないので見過ごしがちであるが、秋になると葡萄になるので、よく見ている人はああこれが葡萄の花なのかと気づく。葡萄の花は、雌しべ雄しべを守るように包み、花びらが開くとすぐに落ちてしまう。中央に雌しべ、まわりに5本の雄しべが線香花火のようにぱちぱち飛び散る。受粉した雌しべの子房が一粒の葡萄になり、集まって一房となって垂れ下がる。剛毅木訥、仁に近し。立派な人柄が滲み出る。

          訥々と語り葡萄の花を指す 廣瀬直人

          今年よき嫁のゐにける山桜桃 森澄雄

          山桜桃は、さくらんぼに似ているが、柄がなく葉に隠れるように実をつける。味はさくらんぼより瑞々しく甘い。皮が薄く傷みやすいので、市場には出回らない。栽培は簡単で、病気に罹らず、葉の裏の毛のせいか虫もよりつかない。日陰でも良く育つ落葉低木で、表裏なく毎年びっしり実をつける。葉の陰に赤々とした実をみつけたときに、ふと見えないところでも誠実に仕事をこなす息子の嫁の姿と重なった。ありがたい嫁としみじみ思う。

          今年よき嫁のゐにける山桜桃 森澄雄

          滝の前しづかにをりて力充つ 宮下翠舟

          湧き出る水が溢れ川を成し、いくつかの川が合流して大河となり、ひたすら海へと向かう。その道中に、大きな落差のある断崖絶壁に遭遇すれば、水しぶきを上げて急転直下、真っ逆さまに落下する。滝を前にして何を思うか。それぞれの人生観、俳句観が浮き彫りにされる。滝に魅力を見いだすのは日本人ならではであろう。日本には川が多い。細やかな感性を育み、瑞々しい生命力を触発する。湧きあがるエネルギーの源泉を再確認する。

          滝の前しづかにをりて力充つ 宮下翠舟

          友讃へあふ新緑の若者ら 福田甲子雄

          枯れたように見える枝から芽が顔を覗かせたかと思うと一気爆発的に葉を噴く。その葉は、樹によって微妙に違う色合いを成し、やわらかく瑞々しさにあふれる。微塵も不安を抱えることなく、この世を謳歌してしているように見える。この世に再び春を迎え、真夏に向かう喜びにうち震えているようだ。新緑のもとに集う若者たちが、肩を抱き合いともに健闘を讃え合う爽やかな光景が眩しい。日本の未来を担う若者たちにおおいに期待する。

          友讃へあふ新緑の若者ら 福田甲子雄