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5/6〜5/12 先週の振り返り (題: 自分以外の話)

noteが毎日のアウトプットではなくなってからしばらく経ちます。ここのところは「次は何を書こうか」よりも「どうやって毎日を乗り切ろうか」が先行し、時間のかかる毎日のログインボーナスを必死に進めている気分です。

あれを書いてもこれを書いても、ことごとく伸び悩み、半年前くらいのビュー数は何処へやら、今や下振れを重ねる僕のnoteはいまだに誰にも相手にされないまま進み続けています。


毎日惰性でやっていて成功するわけがないでしょう。
元々わかっていたはずでした。こういう世界は茨の道だって。
それでも諦めきれなくて、気がついたらnoteにサインインして、思ったことをひたすらに書き殴っていました。

もしかしたら夢みがちな自分に、諦めをつけさせたかったのかもしれない。
そうだとしたら、もうそろそろ結果が出るときです。
やめてしまうのは惜しいけれど、365日という記録が打ち立てられてしまったら、もう頑張る理由は無くなってしまいます。

「限界まで頑張ったでしょう」って。
「これが現実なんだよ」って。
その言葉を他ならない自分からフィードバックとしてもらって、それでようやく創作を諦めて、社会に出る決心がつく。
今やっているのは単なる趣味ではなくて、社会人までのモラトリアムをわだかまりなく終えるためのある種のプロジェクトなのかもしれません。


派手にがんばったときもありました。
そういう時はたいてい、他のことが疎かになっています。
事実、昨年の末ごろは研究室での暇を持て余すように記事作りに明け暮れていました。

やることがなかったから。やっていても誰にも文句を言われなかったから。
そう言い訳をしてみても、やはりやるべきことは他にあったわけで、今になって後悔しています。その後悔を埋めるように、ひたすら実験を組んで成果を産もうとして、あわよくば他のテーマももらったりなんかしようとしたりして、自宅を出て下宿したりなんかしようとして。
全部を万遍なくがんばることができる才能が、僕にもあればよかったのに。

憧れてしまうのは「大学生にして起業」とか、「社会人と配信者の二足のわらじ」みたいなすごい人たち。キラキラして見えるのは自分から遠いからで、実際に試してみようとするとその不可能さに気付かされます。
少なくともそれぞれの頑張り量の限界を、どちらも毎日出すことはできません。
それが人間のさがです。


先週あったことを話していくだけでは、楽しみがない。
元々僕は楽しいものを書こうとしてきたつもりでした。
人の知らない生活見て、たのしいか?
他人のnoteを滅多に読まない僕にはそれがよくわかりません。

だから今日は一般論の話をしています。
努力なんてそう簡単にできるものではないよっていう話をしています。

「成功しないのは努力しないからだ」と誰かが言ったとしましょう。
僕なら「そうだよ悪いか」と言ってやりたいね。
努力しないのはこっちの問題だろと。それを他人にとやかく言われて説教垂れ流される筋合いはないだろうよと。

努力したら成功するわけでもないんです。
努力するかしないかは、たぶんその人の気まぐれだったり、一時的な気の迷いだったり、抑えきれない憧れだったり、まあ色々でしょうが、でもとにかく理由は必要です。

理由がないの。
飢えてないの。
毎日毎日、夏には暑くて冬には冷たいアスファルトの上で、寝たり起きたりしてるだけなの。
だから燃えないんすよ。みなぎってこない。

何か大切なものを失わないといけないのか?
物語の登場人物にやたら片親が多いのは、気のせいでしょうか。
共感できないんじゃ意味がない。

変化のない生活はハリがありません。
変化がない。
またこうして理由をつけて、頑張ることと歩くことを諦めている。


毎日書いていても楽しくないなぁ、と思ってきました。
これくらいがスタートラインなのかもしれませんね。
つまんないと思いながら書き続けます。

大学辞めてみる?
そんな勇気ねえよ。

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