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結局自分しかいない

休みの日なのでまあそれはもうYouTubeばっかり見てしまいます。
ダメだなぁと思いつつ。
読書したいなぁと思いつつ。
おとといは頑張っていたのにね。精神的に向上していません。馬鹿です。

それでも何かしないとな、と今日もこうして書いています。
インプットの後はアウトプット。学生時代からの一つ覚えです。


ショート動画を垂れ流していたら、粗品が東海オンエアの動画に対する講評を述べているものを見つけました。

羨ましいし、金持ちやし、興味は持つけどおもんない。
いや、これは俺の意見じゃなくて、世間の意見ですからね?

このコメントに共感する粗品ファンの声もあれば東海も好きという東海ファンの声もあり、さらには一方的にどちらかを非難するような声もありました。

僕はどっちも好きです。
どっちもおもろいと思います。
その上であえて意見を述べるなら、気ぃ悪いなぁって感じですかね。
人を非難するのはあくまで個人としての意見でないといけない (もちろん暴言とかはよくない)。それをあたかも民衆の意見であるかのように言い換えて、見方を増やして総攻撃するやり方がちょっと気に食わないですね。

粗品本人の意見だと言うとネット記事に書かれたりするのが立場上キツイと思って予防線張ったんでしょうが、それじゃ不祥事を起こした芸能人を集団心理を利用して責め立てるのと同じ構図になってしまいます。


いがみ合ってバカにしあって呪いあって、というのはどうも苦手です。心が疲れちゃうから。僕はもっとずんの飯尾さんみたいな (あくまで主観です) 枠でいたいし、そういう世界で生きる方がやりやすい。

仮に自分がインフルエンサーだったとして、業界の違う人に「こいつはここがダメ」とか言われたらどうですか?その人の信者が自分のSNSで追撃を入れてきたらどうですか?

しんどいっすよね。舐めんなよと、こっちだって真剣にやってんだぞと。
なるでしょ。プライドがあるんだから。
それで「ああ自分が悪かったな、成長しよう」と思えるのはよほどの聖人かプライドのない人間でしょう。


いがみ合いを見るのもそうですが、自分が当事者になるのもあまり好きではありません。だからほとんど趣味の話をしません。誰かに告げて「え、でもそれって〇〇でしょ?」とバカにされるのが怖いから。関係を築いてきて、お互いに言い出しても問題ないと感じるか、相手が自分と共通の話題を提供し始めたときに初めて、こちらもカードを切る。ずっと後出しジャンケンです。

非難を恐れて縮こまっていても何も得られないよと言われるかもしれません。
その通りです。変えたいという気持ちがないわけでもありません。
でもできれば気分よく過ごしたくて、自分の感情には蓋をして、仮初の自分で生きることを課しています。
よく「趣味がない」と言うのは、「(言えるほど高尚な) 趣味がない」という意味なんです。価値観が違う人にはわかってもらえないかもしれません。

と、ここでもまた疑問が生じます。
高尚な趣味ってなんだ?

何をやっていてもアンチは必ず湧く時代です。今や日本を誇るアーティストとなったAdoさんのアンチが知恵袋にコメントしていて焦ったこともありました。結局高尚かどうかは本人が決めるもので、誰が聞いても共感できるいい趣味なんてない。


ならばもう、自分しかないんです。
自分で何かする。自分で何かを生み出す。
創作活動。記事の投稿。音楽の作成。

そしたらどうでしょう。どれだけ否定されても、「自分は何かを生み出している」「その質や詳細は否定されても、行為自体に意味がないわけではない」と信じることができる。

自分の文章で救われるものがあるかもしれない。
自分の音楽で涙を流す人がいるかもしれない。
それだけで、創作活動には意味があります。

その意味では東海オンエア含むYouTuberも粗品含む芸人も、きっと誰かの心の支えになっているんだから、誇るべきものです。
本人たちがいがみ合うのを止めることはできませんが、見せてもらっている側の私たちが頭ごなしにどちらかを否定するなんてことがないようにしたいですね。


そして俺は創作活動をしろ。
ボケ。YouTubeばっか見てんなカス。

自分に一番暴言を吐いていいのは自分です。
では。

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