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五月病 課題はシンプル

火曜日。
重い体にウソをついて必死で学校に向かった。
行かないと怒られるような気がしたから。そして形だけのコアタイムを、守らないといけないと思ったからだと思う。

風邪を拗らせて早くも1週間。熱は下がったが咳が残っていた。
通学中「星野源のオールナイトニッポン」をSpotifyで聞いていたら、4月頭の源さんが全く同じ症状になっていて、妙なシンパシーを感じる。

咳もそうだが痰もくしゃみも鼻も出た。
特にくしゃみが酷くて、2連発こそしなかったものの1日計20発くらい出していたような気がする。この日だけで5月の平均くしゃみ量が平年の5倍くらいになっているんじゃないだろうか。

体調の悪いまま帰り、いつものように夜更かしをした。


次の日起きると酷く喉が痛かった。火曜日それなりに仕事を片付けていたので、大事をとって休むことにしたら、やる気が出ない。

家。誰もいない空間。
監視の目も、もちろんない。午前中は母親がいるにしても、わざわざ僕の部屋まで顔を出しにくるほどではない。結果やるべきことが何一つ終わらなかった。

これが五月病というやつかもしれないと思う。
体調を崩して、「体調が悪いのだから仕方がない」と、テレワークのフリしてぐうたらする。社会人になるために活動している人間がとっていい行動では到底ない。


今朝も起きたら少しまだ喉が痛かった。本当は行けるはずだったのに、なんとなくまた休んだ。これもきっと五月病だ。
反省してYouTubeの視聴制限を10分にした。あまりにも短くなったのでとうとう見なくなった。

娯楽に時間を割けなくなると、ついに頑張る気が起きてくる。パソコンに向かって少しは仕事を片付けた。それでも耳にイヤホンをはめ、ジブリのメドレーを流しておかないと集中力が切れてしまう。
必死で誘惑と戦い続けて、1日を終えた。珍しく努力したと思えた日だった。


明日はゼミでの発表が控えている。
「木曜日は、万全の状態で発表ができるように休んだのだ」と、胸を張って言える自分でいるだろうか。少なくともそうは思えない。

五月病にかかってしまっただけなのだと思う。
自分のやるべきこと、やれることから目を背けて、疲れに任せて楽な方に、逃げたくなってしまったのが自分だ。何度目かもわからない休みをもらって、朝イチは何かしようと意気込んで、でもダメで、夜になって後悔して。

こんなことをずっと繰り返している。


まわりの人は「ちゃんとしてる」と僕を褒める。
「頑張ってるから、大丈夫だよ」と慰めてくれる。

だが当の本人はそれに納得するどころか「そんなはずはない」と自らを否定し続けている。褒めてなんてほしくない。ダメならダメと叱ってほしい。貶してほしい。

成果も成功も収めていない。
ただ、一番大事なところで毎回ギリギリ大失敗を回避して、「なんとかなった感」を演出しているだけだ。
僕は全くもってすごい人間ではないのだ。それに「ちゃんと」もしていない。

五月病にかかってしまうような意思薄弱・集中力皆無の、どこがちゃんとしているのか。説明を求めても誰も明確な答えを出してくれないだろう。
たぶんウソをついているんだろうと、心にもないことを考えてしまう。


この文章を書いていることすらも五月病によるものなのではないかと言いかけて、やめた。全部を5月という時のせいにするのは、あまりにも自分勝手すぎる。

とりあえずわかったのは、なんだか知らないが僕は過大評価されているらしいということと、ちゃんと朝は早起きして研究室には毎日顔を出す生活を続けないとダメだよということと、趣味もいいけどやることもちゃんとやらないとそのうち痛い目見るよということなんだろう。

課題はすごくシンプル。
あとは自分が変わるしかないのだ。



今日は早く寝る。
明日は早く起きる。
土日も忙しい。
ああ。。。

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