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健全な百合初等教育のため『子供のための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』を小学生に読んでほしいというお話

文責: うどん脳
本稿は2022年11月18日刊行の『Liliest vol.6』に収録された記事の再録版となります。あらかじめご承知おきください。

百合初等教育に関する提言

 皆さんは子どもの頃、好きな本はありましたか?
 おばあちゃんの家にあった絵本、病院の待合室に置いてあったマンガ、小学校の図書室に並べられていた小説……人それぞれ、思い出の一冊があるかと思います。
 人格形成において、幼少期の経験がもたらす影響は非常に大きいものであり、読書体験もその経験の一つです。幼い頃に深く感銘を受けた一冊は、大切な思い出となるだけではなく、その後の人生を左右することさえあるでしょう。
 かく言う私も、子どもの頃に読んだ本に大きな影響を受けました。小学生の頃、国語の文章題に出てきた『夜の朝顔』(注1)で女の子が女の子の髪を梳かすシーンに謎の感動を覚えたり、図書室でたまたま手に取った『ブレイブ・ストーリー』(注2)で見た目ガチ獣の猫族ヒロインに魅かれたりしたものです。そして、それらの体験が悪魔合体した結果、今では、イェイイェイ! ケモ耳百合最高! オマエもケモ耳百合最高と叫びなさい! そして伊藤ハチ先生を崇めろ!! ミト先生の『狼の皮をかぶった羊姫』(注3)を読め!!! と人に語るような人間になってしまいました。こうして振り返ると、偶然出会った物語につくづく人生を狂わされていますね。どうしてこんなことに。
 ともかく、幼少期の読書体験は、個人の趣味嗜好や人格を決定づける可能性があるほど強烈なものであると私は考えます。
 ならば。
 幼少期、例えば小学生の頃に、素晴らしい百合作品に触れる機会があれば、その後の人生においても百合を愛する心が育まれるのではないでしょうか。「百合文化の発展に寄与すること」を目的とする東京大学百合愛好会の一員として、私は全国の小学生に百合作品を扱った情操教育――百合初等教育を施すべきだと訴えます。
 ……と、こんな風に言うと随分仰々しく聞こえると思いますが、何も大層なことを言っているわけではありません。要するに、百合要素のある作品をもっと国語の教科書に載せてほしい、図書室に置いてほしい、ただそれだけの話です。
 個人の感想ですが、小学生が手に取れる百合作品はかなり少ない様に思われます。これがBLなら太宰治『走れメロス』、ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』、中島敦『山月記』、魯迅『故郷』と入門作品がよりどりみどりなのに……(注4)。もちろん、児童向けで百合要素を含む作品が全く無いわけではなく、『若おかみは小学生!』(注5)やルーシー・モード・モンゴメリ『赤毛のアン』など素晴らしい作品もあるのですが(注6)、やはり数は少ないという印象は拭えません。
 とはいえ、特定のジャンルの児童書を一朝一夕に増やすことは難しいでしょう。
 そこで私は考えました。ならば、作品数は少なくとも、読んだ子どもを百合の道へ誘う強烈な“百合力”を持った作品があれば良いのではないか。例え一冊でも、その様な本が子ども達の手に届く範囲にあれば、未来の百合を担う世代が育っていくのではないか、と。
 前述した2作品も、その“力”を持った作品であると思います。
 しかし、ここではまた別の選択肢として、とある作品を紹介したいと思います。
 児童書としては決して一般的ではありませんが、古今東西多くの人を惹きつける“百合力”を持つ海外百合文学作品――その作品こそ『吸血鬼カーミラ』、および子ども向けに再翻訳された『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』です。
 『吸血鬼カーミラ』は吸血鬼をエンタメとして取り扱った黎明期の作品であり、百合文学そのものの原点とも言われる伝説的な作品です。その『吸血鬼カーミラ』を子ども向けに編集した『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』は、明確に児童向けの図書として作られたものであるにも関わらず、百合作品として非常に強力な一冊となっています。挿絵を交えつつ、小学生にわかりやすい文章に改稿している一方で、原作の百合表現はしっかり残しており、むしろ原作よりも百合要素が濃くなってすらいるのです。
 この一冊は、子ども達に百合の良さを理解してもらうのに非常に有用であると考えます。それでは、『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』が、素晴らしい百合作品であると共に素晴らしい児童書であることを、これから解説していきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

百合文学の金字塔『吸血鬼カーミラ』

 児童書の話をする前に、まずは原典である『吸血鬼カーミラ』について簡単に解説していきます。ここでは、平井呈一訳の創元推理文庫版と、遠山直樹訳のBOOKS桜鈴堂版を参考にしたいと思います。
 『吸血鬼カーミラ』(原題:Carmilla)は、1872年にイギリスの作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュによって著された怪奇小説です。
 田舎の古城で父と暮らす少女ローラのもとに、突然現れた絶世の美女カーミラ。二人の少女は意気投合し情愛を育むが、カーミラが現れてから、町では村娘の怪死が相次ぐなど不気味な事件が起こる。そして、黒い影はやがてローラに魔の手を伸ばし……といった内容の作品になります。
この小説の特筆すべき点は、「吸血鬼」を扱った小説の先駆けとなった作品であること、ローラとカーミラの親密な交流を描きレズビアン文学の原点と言われていることの二点でしょう(注7)。
 現代の吸血鬼のイメージの大枠を作ったと言われる作品は、1892年発表のブラム・ストーカー『ドラキュラ』ですが、『吸血鬼カーミラ』はこの『ドラキュラ』に大きく影響を与えたと言われています。実際、この2作品に登場する吸血鬼は、十字架を嫌い、人間の首筋から2本の牙で血を吸い、胸に杭を打たれると死ぬ、といった共通点があります。これらの特徴が現代の吸血鬼像と共通するものであることから、『ドラキュラ』および『吸血鬼カーミラ』で示された吸血鬼の姿が、世界中のエンタメに影響を与えたことが窺えます。
 そして何より重要なのは、この作品でローラとカーミラがやたら激しいスキンシップと強火の台詞でもって非常に濃厚な百合の雰囲気を漂わせていることです。
 同年代の友達が少ない田舎で暮らしていた主人公・ローラは、ひょんなことから同じ館で暮らすことになった美少女カーミラに親愛の情を示します。ローラは特にカーミラの豊かな焦茶の髪がお気に入りらしく、「髪の毛の下へ自分の手をそっと入れて、その重いのに目をみはって笑った」(注8)だったり「解いた髪がしぜんの重さでしどけなく結ばれたのを、うしろへまわって手に持って梳いてあげながら、ハラリとほぐしては髪いじりをするのがわたくしは大好き」(注9)だったりと、ローラのカーミラに対する接し方からも親密な様子が窺えます。
 しかし、カーミラがローラに向ける愛情はこの比ではありません。ローラを抱き寄せる、髪を撫でる、首に頬擦りする、頬に接吻するといった行動だけでは飽き足らず、「わたくしの顔をドロンとした燃えるような目つきでじっと見つめて、ほんのり顔を上気させ、切ない息づかいに服の胸もとをハアハア膨らまして」(注10)「あなたはわたしのものよ。(中略)わたしとあなたは、いつまでも一つのものよ」(注11)と言ったり、「わたくし、だれとも恋なんかしたことなくてよ。これから先もしないつもり。あなたとでなければ」(注12)と語ったり、明らかに親愛の情を越えた熱烈な愛情をローラへ向けます。さらには、「恋人同士として死ぬのは、(中略)それはおたがいに生きることになりそうね」(注13)「わたくしはあなたのなかに生きているのよ。あなたはわたくしのために死ぬのよ。それほどわたくし、あなたを愛しているの」(注14)「わたしは死ぬまであなたの愛を離さない。愛してくれないなら憎んでもいい。でもわたしたちが一つであることは変わらないわ。(注15)」などとかなり不穏な、メンヘラ感全開の台詞を吐く様になります。
 これらの台詞を、出会って数週間で言われたローラは困惑し、カーミラに不気味さを感じます。まぁ当然でしょう。カーミラの台詞の一言一言、一文字一文字が、重いこと重いこと。この余りに濃いキャラは現代の百合界隈でも十分通用する……どころか彼女が登場してからの150年で一人でも勝てる人物がいたのか?と疑問に思うほどです。
 そんなカーミラですが、なんと彼女の正体は乙女の血を吸う吸血鬼で、村娘たちを殺した犯人だったのでした……邦題だと読む前からバレバレですが。なので、前述のカーミラの台詞も、ローラと一緒に心中しようと誘っているわけではなく、要するに私に吸血されて死んでくれと言っているのです。
ということは、カーミラがローラに向けていた欲望は、恋愛感情でも性欲でもなく食欲だったのではないか、と指摘される方がおられるかもしれません。しかし、食欲と愛情、愛欲は矛盾する感情なのでしょうか。むしろ、愛するものを自らの内に入れたい、愛する者と一つになり共に生きていきたい、という感情は愛情の発露と考えられるのではないでしょうか。これはあくまで私個人の意見です。しかし、相手の血を吸い自らの身体に取り込む吸血行為が愛情表現であるという発想は、現代の吸血鬼百合作品に多く見られる考えであり、現代の価値観からしても受け入れられるものではないかと思われます。
 さて、ローラの命を狙っていたカーミラでしたが、正体が露見し、棺で眠っているところに杭を打ち込まれ最期を迎えます。カーミラの死から長い時間が経った後も、ローラはカーミラの美しさと恐ろしさを忘れられない、と語り『吸血鬼カーミラ』の物語は幕を閉じます。
 ローラとカーミラ、分かり合うことは出来ず、しかし確かにお互いを求め合った二人の関係性、そして血と死に彩られたカーミラの妖艶な美しさ、それこそが『吸血鬼カーミラ』の魅力であり、今日まで読み継がれてきた理由なのでしょう。美しい自然や館の描写、そして恐ろしくも惹き込まれる雰囲気が楽しめる永遠の名作、それが『吸血鬼カーミラ』なのです。

『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』の児童書としての卓越性

 『吸血鬼カーミラ』が名作百合文学作品であることはご理解いただけたかと思います。
 しかし、疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
 『吸血鬼カーミラ』が名作だとしても、児童書として適した作品であるかどうかは別問題ではないか、と。
 確かに、『吸血鬼カーミラ』は、構成や描写、何より吸血鬼という題材からして、小学生に読ませるのに適しているとは言い難い作品です。小説の構成を見ると、序盤中盤の丁寧な描写の割に、ラストで急な設定が明かされて伏線を残したままあっという間に話が畳まれ、私は正直打ち切り漫画の最終話を読んでいるような感覚を若干覚えました。話の展開の読みにくさに加えて、先ほど述べた様に淫靡な雰囲気を感じさせる箇所がある点、そもそも吸血鬼は血や暴力、死と結びついた存在であるという点を考えると、子どもにおすすめできない要素がいくつかあるのが事実です(誤解無き様に申し上げると、中高生以上であればこれらの点は問題にならないかと思います。未読の方は『吸血鬼カーミラ』を一読することを強くお勧めいたします)。
 しかし、この様な問題を抱えるのは、あくまで原作の構成に則って話を展開し、原作の表現に沿って訳している大人向けの翻訳本に限った話です。
 ここで紹介したいのが、百々佑利子氏が翻訳した『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』です。
 この『子どものための世界文学の森』版では、『吸血鬼カーミラ』に様々な変更を加えることで、数々の問題が概ね解決され、児童書として子どもに勧められる作品になっているのです。
 これ以降、『子どものための世界文学の森』版の『吸血鬼カーミラ』を「児童書版」、平井・遠山訳の『吸血鬼カーミラ』を「原作版」と呼ぶことにします。本来、原作版と言えばレ・ファニュが英語で書いた原典を指すと思いますが、ここでは変更点の多い児童書版に比べ、原典に忠実な一般向けの翻訳本を原作版と呼称します。
 児童書版と原作版の違いは大きく分けて3つあります。
 まず、表現がわかりやすくなっている点。
 原作版は、海外文学に特有の聞きなれない表現があったり、やたら長い一文があったりするのですが、児童書版では平易な日本語表現を使っており、読みやすい文章になっています。漢字は小学4年生までに習うものだけを用い、ほとんどの漢字に読み仮名がふってあります。また毎ページに挿絵が入れられており、小説というよりは絵本に近い形式で、小学校低学年〜中学年の児童が興味を持ちやすくなる工夫がされています。
 次に、話の展開を再構成している点。
 児童書版は、大枠の物語は原作版と共通ですが、話の展開が少し異なる箇所も散見されます。具体的には、作中の出来事や登場人物の台詞が一部削除されていたり、名前が述べられていた人物の名前が伏せられていたりといった変更がされています。これは、物語の本筋との関係が薄い情報を削ぎ落とすことで、話を理解しやすくする工夫であると考えられます。この変更により、唐突な印象のあった原作版の結末も、受け入れやすいものになっています。あくまで『吸血鬼カーミラ』はローラがカーミラと出会い、別れるまでを描いた物語であり、二人の物語を感じてほしい、という訳者の意思が込められていると私は感じました。
 そして、何より重要なのは、児童書版と原作版ではローラがカーミラへ向ける心情が異なる点。
 カーミラとの交流を喜ぶローラだったが、出会ったばかりのカーミラに熱烈な愛情を向けられたことで次第に困惑や不安を抱く様になる……という展開自体は、どちらでも同じです。しかし、ローラの心情描写には温度差が見られ、原作版に比べて児童書版では、カーミラに対してローラが抱いた嫌悪感が薄く、カーミラへの好意がより強調されています。
 例えば、原作版ではますます激しくなるカーミラの「愛撫の発作」(注16)に対して、ローラは「しじゅういやらしい目つきで見られますので、こちらはだんだん精も魂も尽き果て」(注17)て、「一時気でも狂ったような、衝撃をうける」(注18)「ほんとに迷惑で、いっそ恐ろしくさえなる」(注19)と、性的な嫌悪感や疲労感を抱いている様子が窺えます。
 それが、児童書版になると、「自分じぶんのエネルギーが一てきのこらずすいとられたように、気力きりょくがなくなる」(注20)と疲労感を訴えてはいますが、「カーミラは、わたしのたいせつなおともだち。それはわりません」(注21)と、嫌悪感を示す描写は見られません。この箇所に関しては、ローラの性的な嫌悪感を描かないことで直接的な描写を避け、児童書として再編するにあたって『吸血鬼カーミラ』に付き纏う淫靡な雰囲気を払拭しようとしたのかもしれません。
 しかし、他の箇所でも、ローラからカーミラへより強い感情を向けている様子が窺えます。
 児童書版には、ローラが病に伏せっている時にカーミラの「かなしみのなかにもあるよろこび」(注22)という言葉を思い出すシーンがありますが、これは原作版には存在しない描写です。
 また、ローラが「カーミラ、あなたほんとうは、こいびとがいたんでしょう。そのおとこのかたをおもいだして、そのかたのかわりに、わたしを、だきしめているのではないかしら?そういうのは、わたし、いやだわ」と言ってカーミラの腕を振り解き、カーミラは「さびしそうにつきひかりをあびて」(注23)立ち尽くすというシーンがあるのですが、これも原作版には無い描写です。厳密に言うと、原作版でも似た台詞をローラが言うのですが、そちらはカーミラに軽く流されてしまい、児童書版の様に、カーミラが自分を見ていないのではないかというローラの不安感やカーミラの過去に存在する誰かへの淡い嫉妬が表現されるシーンにはなっていません。
 何より、原作版のラストでは「ものうげな美しい少女で思い出される時もあり、(中略)断末魔の苦しみに悶えた姿で思い出されることもあり」(注24)と、カーミラの少女性と怪物性を懐古しているのに対し、児童書版では思い出すのは「うつくしかったひとおもいで」であり、「ともだちという、かけがえのないものをうしなったかなしみだけは、ときも、いやすことはできないのかもしれません」(注25)と、吸血鬼の恐怖ではなく少女との親愛をより強調しています。
 児童書版では、全体的にローラのカーミラへの恐怖感などの負の感情の描写が弱く、ローラからカーミラへの好意が強く描かれていると言えるでしょう。
 この様に児童書版は、原作版から多くの修正がされ、子どもが読みやすい本になっていますが、一方で、原作版からほとんど変更されていない部分もあります。それは、カーミラからローラへの苛烈なスキンシップと情熱的な台詞の数々です。
 先ほど、ローラの性的な嫌悪感を描かないことで淫靡な雰囲気が抑えられていると述べましたが、これはあくまでローラの受け取り方の問題です。実際カーミラの行動自体はほとんど変わっておらず、児童書版でも、ローラの肩や腰を抱き寄せたり、頬擦りしたり、頬やうなじに接吻したり、「ローラ、あなたは、ぬのよ。わたくしのなかで、うっとりしているまに」「わたくしをあいして」「あなたがぬのは、わたくしのためなの。それほど、あなたをあいしているのよ」「にくらしいとおもっても、それでも、あなたは、わたくしから、はなれられない。そうして、ぬ。んでからも、にくみつづける」(注26)といった重い台詞の数々を囁いています。完全にやりたい放題です。どれだけひらがなと読み仮名を使っても、カーミラの粘着質で重い感情が全く隠せていません。むしろ、他の部分が読みやすくなっているだけに、余計にカーミラの印象が強烈になってしまっています。
 にも関わらず、ローラからカーミラへの感情はより好意的になっているのですから、児童書に有るまじき強大な“百合力”がここに発生しています。原作版以上に二人の距離感が近く、カーミラがローラに残した感情も大きいものとなっており、原作版より読みやすくなっているのに、原作版より百合が重め濃いめ多めになっているのが、この児童書版『吸血鬼カーミラ』なのです。
 これこそ、まさに『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』の卓越性であると私は考えます。
 児童書としての工夫を凝らし、海外の文学作品を日本の子どもが読む本として落とし込んでいる一方で、血や死の上に成り立つ少女たちの美しい交わりという、子どもにとって過激であり危険であり、しかしこの作品の根幹を成す要素は、隠すことなく余すことなく表現されています。文学作品としても、百合小説としても、子どもたちに新たな体験を与える児童書としても、非常に高い水準にある一冊です。この本を読んで、ローラとカーミラの親密な交わりに惹かれるものを感じる子どもは一定数いると思われますし、二人の少女の強い関係性に魅力を感じるという体験は、必ずやその後の人生で百合を愛する心の萌芽となるでしょう。


総括―全国の小学生に『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』を勧めよ―

 高い完成度を誇る児童書『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』は、百合の入門書として最適だと考えられます。
多くの子どもがとっつきやすい本であり、しかし描かれているのは、少女たちの命を媒介に育まれる絆という大変に重厚な百合です。『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』を読むだけで百合初等教育としては、大変な英才教育となるでしょう。
 しかし、どれだけ素晴らしい作品でも、手に取る機会がなければ、子どもたちの心に何も届くことはありません。そして現状、『吸血鬼カーミラ』を掲載した教科書は日本にありませんし、『吸血鬼カーミラ』が図書室に置いてある小学校や自治体も少ないと思われます。
 そこで、百合を愛する者として、百合文化の発展を望む者として、私たちは『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』を子どもたちが手に取れる環境を作り出すべきであると主張します。
 それは何もそこまで難しいことではありません。
 もちろん、図書館に本を寄贈したり、出版社や文部科学省に働きかけたりすれば、一番効果があるのかもしれません。
 でも、もっと多くの人が手軽に協力できる方法があります。
 それは、自らが『吸血鬼カーミラ』および『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』を読んで好きになることです。
 教科書に載る名作や図書館で目にしたことのある名著とは、多くの人が好み支持した結果、時代を越えて読み継がれてきた作品です。新しい世代に作品を届けるには、まずは今いる世代がその作品を愛することが必要でしょう。もちろん、『吸血鬼カーミラ』が時代を越えた名作であることは揺るぎない事実ですが、さらに一人でも多くの人が愛読することで、『吸血鬼カーミラ』が国民的名作として子どもの目に触れる機会も増えるのではないでしょうか。
 というわけで、ここまでお付き合いいただいた皆様、ぜひ『吸血鬼カーミラ』と『子どものための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』をお読みになってはいかがでしょうか。少女が織りなす蠱惑的で幻想的な世界が、あなたを待っていることでしょう。
 百合を愛する未来の世代が健やかに成長することを祈って、締めとさせていただきたいと思います。ここまで目を通してくださり、どうもありがとうございました。

死、血、そして百合、それらの親和性に一人でも多くの子どもが気付いて闇の百合オタクに育ちますよーに……。

 以上が『Liliest vol.6』に収録された内容となります。いかがでしたでしょうか。『吸血鬼カーミラ』及び『子供のための世界文学の森 吸血鬼カーミラ』あるいは「吸血鬼百合」に少しでも興味を持って頂けたなら幸いです。

 最後に少し宣伝をさせて頂きます。
 11月25・26日に第74回駒場祭内で開催される「コミックアカデミー23」にて、新刊『Liliest EXTRA5 Bloody Buddy Rhapsody』を頒布いたします。「吸血鬼」が存在するとある世界を舞台にした、東京大学百合愛好会会員による一次創作小説7篇及び漫画1篇を収録しており、古代・中世・近現代の2千年に渡る人と吸血鬼の関係性に思いを馳せた、入魂の一冊となっています。
 両日10時-16時、東京大学(駒場Ⅰキャンパス)12号館1階 1214教室、スペースはC03にてお待ちしております。コミアカについて詳細は公式サイトをご確認ください。
 また、BOOTHにて試し読みの公開と予約受付をしております。よろしければこちらもご確認下さい。

 どうぞよろしくお願いします。

『Liliest EXTRA5 Bloody Buddy Rhapsody』表紙

注釈
(注1)豊島ミホ,『夜の朝顔』,第ニ版,集英社,2010年
(注2)宮部みゆき,『ブレイブ・ストーリー』,角川つばさ文庫,2009年
(注3)ミト,『狼の皮をかぶった羊姫』,竹書房,2021年
(注4)筆者の至極勝手な解釈です。
(注5)令丈ヒロ子,『若おかみは小学生!』,講談社青い鳥文庫,2003年
(注6)筆者の解釈です。
(注7)「レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』(一八七二)は「最初のレズビアン・ヴァンパイア物語」として知られている」平林美都子,『女同士の絆 レズビアン文学の行方』,株式会社彩流社,2020年,p27-28。なお、本書では『吸血鬼カーミラ』に影響を与えた作品として、レズビアンを父権社会の敵=吸血鬼として捉えつつ、女性同士の性的な関係をポルノグラフィではなく文学作品として描いたS.T.コールリッジ『クリスタベル』(一八一六)の存在を指摘している。
(注8)レ・ファニュ著,平井呈一訳,『吸血鬼カーミラ』,創元推理文庫,1970年,p.285
(注9)同,p.285
(注10)同,p.289
(注11)同,p.289
(注12)同,p.304
(注13)同,p.299
(注14)同,p.304,305
(注15)J・S・レ・ファニュ著, 遠山直樹訳,『カーミラ』,BOOKS桜鈴堂,2015年,p.68
(注16)平井呈一訳,『吸血鬼カーミラ』,創元推理文庫,p.317
(注17)同,p.317
(注18)同,p.317
(注19)同,p.306
(注20) レ・ファニュ作, 百々佑利子訳,『子どものための世界文学の森35 吸血鬼カーミラ』,集英社 ,1996年,p.88
(注21)同, p.88
(注22)同, p.83
(注23)同, p.70-71
(注24)平井呈一訳,『吸血鬼カーミラ』,創元推理文庫,p.372
(注25)百々佑利子訳,『子どものための世界文学の森35 吸血鬼カーミラ』,集英社 ,p.135
(注26)同,p.74-75

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