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それでも世界は変わるから


気候変動VS変われない日本

ある評価によると、日本は温暖化対策で57国中42番目(五段階評価で下から二番目)だそうです。


国の温暖化対策を評価するうえでの絶対的に正しい基準はないので、基準を変えれば、順位や評価は多少上下するでしょうが、どちらかと言えば気候変動対策で世界を引っ張る立場というよりは世界の足を引っ張る立場であることは認めざるを得ません。

なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

色々な理由があると思います。例えば日本に根強い温暖化対策への負のイメージ(負担意識)や、そもそも海外との情報格差が生まれやすい社会であること、気候変動対策を求める世論や運動の弱さなどが考えられます。

ただ自分が思うのは、この国が、変わることにあまりも後ろ向きすぎだということが大きいのではないか、ということです。

パリ協定に整合する気候変動対策とは、早く大幅にCO2を減らし(10年で半減)、そしてゼロにしていくということです。化石燃料と環境破壊で成り立っている世界経済・社会を数十年で作り変えていくということでもあります。

それは様々な組織や業界が大転換を迫られるということを意味しています。気候変動問題を解決するには資本主義から脱却しなければならないという人もそれなりにいるくらいですから当然です。

しかし、大転換を迫られる業界は抵抗して、国の温暖化対策を遅らせてきました。

そして、その抵抗を押しのけるほどの変革への意志をこの国は持てていなかったし、今もまだ持てていないと思います。だからこそ、日本の温暖化対策が遅れているのではないでしょうか。


変わるか、変わらされるか

今に変化はやってくる。望んでいてもいなくても
                    ーーグレタ・トゥーンベリ

多くの人にはまだこの認識は広まっていませんが、気候危機という文脈では「変わらない」という選択肢は存在しません


早めに自分たちで変わるかあとで外から強制的に変わらされるかという選択があるだけです。


ある企業が変わらなくても、取引先・投資家・銀行・政策などが変われば変わらざるを得なくなります。例えばAppleがサプライチェーンを巻き込んで脱炭素化を進めると決めたら、部品を作る企業は何としても再エネを調達しなくてはなりません。


ある国が変わらないことを選んでも他の国が変わることを選べば国際的な圧力がかかります。(トランプ政権のアメリカのように)戦略もなく世界的な潮流に逆らえばその国のプレゼンスは落ちますし、欧州のような巨大な経済圏で、排出量の高い輸入品に課税する国境炭素税が導入・拡大されれば、様々な国での貿易に影響が出ます。


人類が変わらなくても、気候変動の甚大な影響は国際社会や私たちの世界を大きく変えてしまいます。最悪の場合人類文明が滅びます。熱波、飢餓、水害、異常気象、水不足、海洋酸性化、大気汚染、感染症、それらに伴う経済への悪影響、国際社会の不安定化と戦争、そして大量の気候難民――。これらの影響に耐えられるほど今の社会は強靭だとは思えません。


あまりに多くの人が、新しい技術や考えを批判しておけば、今日と変わらない世界が永遠に続く、と思っているかのように行動しています。

しかし、少なくとも気候危機という文脈ではそれは単に変化を先延ばしにしているだけでしかありません。そして悪いことに、先延ばしにすればするほど気候変動は悪化するし、どう変わるかについて検討する余裕はなくなっていきます。

もちろん変化は痛みを伴う面があります。環境負荷が高い業界で働く人の生活が脅かされることが、その典型例でしょう。しかし、古い産業に働いている人がいるというだけでは変化を否定する理由にはなりません。そんなことを言ってしまえば、軍需産業で働く人がいるというだけで紛争解決に向けた取り組みができなくなってしまいます。

現実的には、「公正な移行」を目指し、変化の悪影響を補償や転業支援などで公正に緩和していくことが必要だと考えられます

一方で気候変動・脱炭素関連の変革は、負の影響だけでなく、CO2が減る以外の良い影響もあることが多いです。例えば再エネは化石燃料に比べて数倍の雇用を生むし、エネルギー自給率も高めることができます。建物の断熱強化は省エネになるだけではなく健康寿命にもいい影響があります。EVは災害時には「動く蓄電池」として活用することも可能です。

いい影響も悪い影響も鑑みて、戦略的に変化を進めていく必要があるでしょう。

それでも世界は変わるから

脱炭素化とは社会のあり方が変わることです。良くも悪くも変化は不可避です。ただいつどのように変わるかはある程度選び取ることができます。

例えば、脱炭素社会は資本主義を超えた世界かもしれないし、むしろ市場経済の力と適切な介入で古い産業を急速に駆逐していった世界かもしれません。(革命的な技術革新が起きたことで今とほとんど変わらないという社会も想定できますが確率は相当低いでしょう) 気候変動「だけ」を考えれば、どんな世界でもきちんと温室効果ガス排出がなくせればいいわけで、どちらを目指すかは私たちの判断次第です。

いつ、どのように変わるかはある程度選び取ることができます。

どうせ変わるなら、自分にとって、自分の所属する場所にとって、国にとって、人類にとって、より良い変化を選んでいくのが当たり前だと思いませんか。

それをするには変化を直視し、どのように変わるかを構想し、他のアクターに無理矢理変わらされる前に、自然に変わらせてしまう前に、動くしかありません。

その際に、あなたが、あなたのいる組織や国や自治体の政策に関して変革を訴えれば、きっと非現実的だと批判されるでしょう。もちろん、今の状態から大きく外れる提案をする際には、どうやれば実現に近づくのか、それがどのようなメリット・デメリットがあるのかを丁寧に考える必要は確かにあります。でも、批判されることを恐れすぎる必要はありません。

なぜなら、反対する人も、現状維持を続けて気候危機が悪化した際に、人々の生活を守っていけるようなプランを持っていないわけで、その意味で十分非現実的で無責任だからです。

数十年後の未来を本当の意味で現実的に語れる人はいません。技術や企業や各国の動きが目まぐるしく変わり、すぐに情報が古くなる、気候変動・脱炭素の世界ではなおさらです。

だからこそ、(新しい常識・知識にどんどんアップデートするのは前提ですが)どういった変化が望ましいのか、それはどうすれば実現できるのかを構想して、動いていけば、それがより現実的な未来になっていくのではないでしょうか。

逆に言えば、そのような気概がなければ、日本の脱炭素化は右往左往して、結果的に脱炭素化による社会経済への悪影響も緩和できず、温室効果ガス削減も遅れて気候変動の被害も余計に受けるのではないかと思います。

それでも世界は変わるから、より良い変化をより早く実現する。

それが気候変動・脱炭素化という大きな波への唯一合理的な対処法なのではないでしょうか。

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