歴研部員「橘の君」事件簿【第1話】|消えた妖刀 Ⅰ
この春は開花予想日より少し遅れてお花見シーズンが到来した。それでも福岡県は平年並の3月中旬から咲きはじめ、入学式前には満開となりそうだ。
まだ肌寒い風を感じる夜、桜流しとまではゆかぬ雨がちらつくなか一人の男がアパートの駐車場で車から降りた。
「キャーァァァー」
女性のものと思われる叫び声が闇に響き渡った。
通り魔事件
私は昨日から花粉症か風邪のせいか定かではないが頭がぼうっとしてスッキリしない。そんなときに母親から電話がかかってきた。
「君枝!君枝ね?なんばしよっとね、よなっときだけん!」
親とはいえ、こんなときまでジョークに付き合わされる娘の身になってほしい。
テレビで昔流れていた銘菓のCMをパロディーにしたつもりだろうが、元々はこちらから銘菓をねだる電話をかけなければ辻褄があわない内容だ。
「もう。お母さんからかけてきて『用のあるときだけ電話してから』はなかろうもん」
母は私の声から不機嫌な様子を察知して、早々に話題を変えた。
「朝から笑わせちゃろうと思っただけやないの。それよりあんた、ニュースで通り魔事件があったって言いよったけど、気をつけりぃよ」
「そうなんよ。事件があったところは私が借りたハイツとけっこう離れとるけど、同じ福岡市内やけんね。犯人はまだ捕まってないから不安ちゃ不安やね」
「もう今度の月曜日が入学式やろう。心配やけん、お母さんもやっぱり一緒に行こうかねぇ」
何かと理由をつけて私の大学の入学式に同行したがる母だが、キッパリお断りして電話を切った。
我が子の晴れ姿を見ようと一緒に参列する保護者は少なくないらしい。ただ、私の母親は娘よりも自分が目立ちたい魂胆が見え見えである。
高校の入学式にはついてきたが、娘そっちのけで周りとおしゃべりして盛り上がり、挙げ句の果てに先生から「お静かに」と指摘される始末だ。
私としてはもうあのような恥ずかしい思いをしたくないので、大学の入学式には「来ないで」と言い続けてきた。
母親が電話で話していた「通り魔事件」とは前々日の夜10時頃に男性が襲われた事件のことである。ニュースによると、サラリーマン風な男性が首から血を流して倒れていたところを通行人が見つけたそうだ。救急搬送されたが意識不明の重体だという。警察は男性が事件に巻き込まれた可能性が高いとみているが、被疑者の割り出しは進んでいない。
蓮華大歴史研究部
青空に恵まれた4月1日、蓮華大学の入学式が開催された。コロナ禍で一時期禁じられたサークルの勧誘も久々に再開してにぎにぎしく行なわれ、私もダンス部や軽音学部、キャンプサークルなど手に持ちきれないほど多くのチラシを受け取った。ただ高校時代はテニス部でそれなりに活躍したが、大学ではもっと視野を広げようと考えてあるサークルに興味を持っていた。
新入生やサークルの勧誘隊で賑わうメインストリートから外れ、文化系校舎の裏側に向かう。リニューアルされた近代的な校舎とは違い、昔ながらの風情を残したサークル棟が見えてきた。さすがに木造ではないものの、一部はペンキがはがれて錆びた鉄骨が剥き出しだ。
「これよ、このレトロな感じよ」
私がワクワクしながら歩を進めていると、どこからか「ジョボジョボ」と水が流れる音がする。
古い建物なので下水が流れているのかと思い、辺りを見回したところ誰かが壁に向かって立っていた。
「立ちション!?」
つい声に出た。子どもの頃に父親や近所のおじちゃんたちがしているのを見たうっすらとした記憶はある。まさか令和の世で目にしようとは思いもよらなかった。
同年代くらいの学生だろう。私の声に気づいても動じることなく、背中を向けたまま用を足すとしっかり尿を切ってからチャックを上げた。
「いやあ失敬、おしっこをがまんできなくてさ」
全く悪びれる風もないので、私はおせっかいと知りながら指摘した。
「そこに共同トイレがありますけど」
「ああ、ここのトイレは苦手なんだ。出るんだよ」
彼は昔ながらのお化けが両手を前に垂らす仕草を真似て、薄ら笑いしながら去って行った。
サークル棟からして独特な空気感があるだけに、集まってくる連中も一筋縄ではいかないのかもしれない。
私はそんなことを考えながら、ぐるぐると歩き回ってようやくお目当ての部室を見つけることが出来た。
「こんにちは!新入生です。見学させていただきたいのですが」
サークル棟の二階にある「歴史研究部」を訪ねたところ、ドアが開放されていたので挨拶すると女性が顔を出した。
「あら、大歓迎よ。どうぞ入って。私は部長の里中光代。人文学部3年生よ。よろしくね」
サバサバしたしゃべり方で髪型はショート。凜とした佇まいは、私が憧れている『三つ目がとおる』のヒロイン・和登さんとダブってドキッとした。
「あ、はい。私は新入生の立花寺君枝です。専攻はスポーツ科学部です。歴史に興味があってうかがいました」
「どの時代が好きとかあるの? 平安時代とか戦国時代とか」
「まだ全然知らないんですけど、時代というより神社仏閣に…」
「ちわっす」
部長の里中さんとやりとりしているところに誰かが入ってきた。
その顔を見て驚いた。なんとあの立ちション野郎ではないか。
「あっ、さっきはどうも」
私の方から話しかけると、彼も気づいて意外そうな顔をした。
「へえ、もう知ってる感じ?」
里中さんにそう言われて、私から説明した。
「先ほど、サークル棟の外で偶然お見かけしたんです。歴史研究部の方なんですね」
リアクションしないので里中さんが紹介してくれた。
「万代幸佑。薬学部2年生よ。ちょっと風変わりだけどよろしくね」
「里中さん、風変わりはひどいなぁ。僕だって傷つくことはあるんですよ」
「え、そうなの。てっきり肝に毛が生えているかと思ってたけど。ハハハハ」
万代幸佑。ファーストインプレッションが“立ちション”は強烈だが、悪い奴ではなさそうだ。
「あの?心臓に毛が生えているというのは聞いたことありますが、肝に毛が生えているってどういう意味ですか」
私は気になったことを確かめずに居られない性分である。
「意味は同じよ。江戸時代までは『肝に毛が生える』と表現していたけど、昭和になって『心臓に毛が生える』と変化したという説が有力ね」
里中さんが教えてくれた。しかも私のことを紹介してくれた。
「彼女は新入生で入部希望者の立花寺君枝さん。スポーツ科学部よ」
「へえーそうなんだ」
万代幸佑がはじめて私に感心を示した。
「『りゅうげじ』は立花に寺と書くんだろう?歴史を遡ると長くなっちゃうからやめとくけど、さしずめ“橘の君”というところだな」
「そうなんです。高校生の頃は周りからそんなニックネームをつけられていました。もっとも、直接そう呼ばれたことはないんですけど」
“橘の君”というニックネームを即座に見抜くとは、なかなか侮れない。今後のこともあるから「万代さん」とさんづけで呼んどくか。
「ところで里中さん。提案があるんだけど。今度、大牟田で刀剣イベントがあるらしいよ。歴研として見ておくべきじゃないかな」
万代さんが切り出したところ、里中さんから好感触を得た。
「ちょうどいいわね。新入部員の歓迎を兼ねて計画してみましょう。大牟田だったら熊本の田原坂と組んで見学すれば勉強になりそうだわ」
まだ入部届も出していないが、私はすでに歴史研究部の新入部員に数えられているらしい。予想以上に活発なのでなんだか胸が弾んできた。
その夜、第二の「通り魔事件」が起きた。
続く⇒
画像は『無料の写真素材・AI画像素材「ぱくたそ」 一刀両断JKの無料写真素材 作者:マダムはしもと』
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