歴研部員「橘の君」事件簿【第5話】猫塚にて…虐待の事情 Ⅰ
蓮華大サークル棟には猫が住み着いている。いつもいるから飼い主がいないノラなのだろう。いや、住処があるからノラにはあたらないのか。
黒と茶色と白い毛がまじった三毛猫や、白っぽい茶色に黒の縞模様でおなじみキジ猫の二匹をよく見かける。歴史研究部の部室にもいつの間にか入ってくる。ドアが少しでも開いていたら、あのしなやかな動きですり抜けるのかもしれない。
「テレビでやってたけどさ、猫の名前で一番多いのは“ムギ”なんだって」
三毛猫をなでながら部長の里中光代さんが切り出すと、居合わせた2年生の万代幸佑くんも話を合わせた。その番組を見たらしい。
「あと“レオ”とか“ルナ”なんかも人気があるそうだよ」
「オスだと“コハク”や“ラテ”、メスは“キナコ”とか“モカ”という風に違うのよね」
2人で盛り上がっているところに、私が口を挟んだ。
「へぇ、時代なんですかね。猫の名前といったら“タマ”くらいしか思いつかないけど」
「サザエさんの見過ぎだよ!」と万代先輩からツッコまれた。
一方、部長はさすがである。こんな話題も歴史に繋げてきた。
「そういえば、鍋島の化け猫騒動に出てくるのは“こま”だったわね」
化け猫騒動とは、お隣の佐賀県に伝わる肥前佐賀藩で起きたお家騒動にまつわる怪談のことだ。
「ほらぁ、やっぱり“タマ”とか“こま”とかが定番だったんですよぉ」
私が部長の言葉に乗っかって強気に返したところ、万代くんが機転を利かせた。
「立花寺さんは猫塚って知ってる? その“こま”の呪いを鎮めるために作られたそうだよ」
「猫塚とか猫大明神とか呼ばれてるわ」
部長が補足したのを聞いて、なぜだろう、私は胸騒ぎを覚えた。
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「鍋島の化け猫騒動」には諸説あるが、次はその一つ。
江戸時代のはじめ、初代藩主の鍋島勝茂が肥前佐賀城を築城した。かつては鍋島氏の主家だった龍造寺家が没落したためその居城を拡充したという。
勝茂の長男である2代藩主・鍋島光茂が、佐賀城に青年となった龍造寺又七郎を招き囲碁を打っていた。又七郎は碁が得意で、光茂は勝つことが出来ない。
すると又七郎が「領地を取るのはお上手ながら、碁の方は今ひとつのようで」とバカにしたため、光茂は怒り心頭に発し又七郎を殺してしまった。
斬られた又七郎の生首を愛猫の“こま”がくわえて家にもどったところ、又七郎の母親は嘆き悲しんで自害してしまう。飼い主である又七郎の母親の血を啜ったこまは姿をくらました。
怨念が取り憑いたこまは、佐賀城に忍び込み光茂の愛妾お豊の方を食い殺してのりうつると、夜ごと光茂を苦しめた。光茂は病にかかり、その子は病死してしまう。さらに奥女中や家臣が巨大な怪猫に襲われて死んでいった。
事態を怪しんだ鍋島家の家臣・千布本右衛門は深夜庭に潜み、お豊の方の様子をうかがっていた。すると行燈の油を舐めるのを目撃。障子に映ったその影が猫の姿をしていたため“化け猫”であることを見抜き、飛び込んで斬りつけた。
化け猫騒動は解決したかに思えたが、化け猫を退治した千布家にはそれ以来、跡継ぎの男子が生まれなくなった。そこで本右衛門より7代目となる当主が、龍造寺家とこまの霊を鎮めるため、七つ尾の猫の掛け軸を菩提寺である秀林寺に納めて供養としたところ、男子に恵まれるようになったという。
明治になってから、改めて七つ尾の猫を彫った祠を作り猫大明神として祀った。現在は「猫塚の由来」をしたためた由緒書がある。
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奇行に走る少年
佐賀県の中南部に有明海の干拓地と干潟に面した町がある。夕方頃、とある公営団地で小学生高学年と思われる子どもたちがざわついていた。
建物のデザインやくすんだ塗装の色から見ても数十年は経っているだろう。階段はところどころコンクリートが欠けていた。
3階の踊り場から一人の少年が上半身を乗り出すように地上を見下ろしている。
「アキラくん、止めときって」
「そんなことしたら捕まるばい」
数人の男の子が、不安そうに下から見上げながら叫んでいる。
「まあ見とけって!ぜったいおもしろかけん!」
アキラと呼ばれる少年は、両手でちょうど抱えられるほどの大きさのダンボール箱を持ち上げた。
するとその箱をグルグルと何度も回転させて、3階から地上に落としたのだ。
ドン、グシャ、そんな音がした。
「ヤベえ。ヤベえよあいつ」
地上で落下を目の当たりにした男子たちから声が漏れた。
トントントン
意気揚々といった表情で階段を下りてきたアキラは、つぶれかけたダンボール箱に駆け寄った。
箱の中を覗いたところ、1匹の子猫がふらふらと這い出てきた。
「ちぇっ、まだ生きとうけん。ぢごぐらい出とるかと思うたとに」
アキラが瀕死の子猫を箱に戻して、また階段を上ろうとしたので、男子たちが血相を変えた。
「もうやめりって!」
「祟られるばい!」
彼らは必死にアキラを制して、子猫を箱から出して草むらに離した。
日が暮れ始めて、あたりは薄暗くなってきた。
「俺、もう帰る」「俺も」「じゃあな」
皆、その場から逃げるように去っていく。
「どいつもこいつも、付き合いが悪いっちゃけん」
アキラもぼやきながら、公営住宅の別棟に向かってとぼとぼと歩いて帰った。
夢の中で呼ぶ声
「こちらへおいで…こちらへおいで…」
「誰…誰なの?」
「こちらへおいで…こちらへおいで…」
「うわぁー」
自分の叫び声で目が覚めた。まだ春先というのに、寝汗でパジャマがベタベタしていた。
変な夢だった。暗闇の奥から女性と思われる声が聞こえてくるのだ。
声の正体がわからないだけに怖さもあるが、その響きはおどろおどろしいものではない。どちらかといえば懐かしい感じがした。
そんな夢を見たのは、昼間に部室で化け猫騒動の話を聞いたからかもしれない。
それに「猫塚」や「猫大明神」の名前が出てきた途端に心がざわめいたのも気になる。
「よし!呼ぶんだったら、行ってあげようじゃないの」
覚悟さえ決めれば、不安も薄れるものだ。もう一眠りすることにした。
土曜日の朝、迷惑とは思いながら里中部長に連絡したところ、どうしても外せない予定が入っているという。
その代わりに、万代先輩へ話を付けてくれた。
「万代くんだったら、化け猫騒動や猫塚のことにも詳しいから頼りになると思うわ」
「ありがとうございます。すみません、朝から急にお願いして」
「いいのよ。でもこれは歴研部員としての活動だということを忘れないでね。あとできちんと報告してもらうからそのつもりで」
「はい、もちろんです」
歴研部部長・里中光代。優しくて器の大きさを感じさせながら、一本筋が通っているからなおさら魅力的だ。
万代先輩によると鹿児島本線で鳥栖駅まで行き、長崎本線に乗り換えて佐賀駅経由で肥前白石駅まで向かうらしい。
新入生の私にとって2年生の万代幸佑は先輩にあたる。しかし出会ったときに立ち小便をしていたため、心に引っ掛かってリスペクトできず「万代さん」と素直に呼べない。
かといって彼の一風変わった性格は嫌いではない。その結果、口に出して呼ぶときは「万代先輩」や「先輩」だが、心の中では「万代くん」となってしまう。私の一方的な感情だが、そんな複雑な間柄なのだ。
肥前白石駅までは乗り換えもあって苦労したが、白石駅から目的地の猫塚がある秀林寺までは歩いて10分程度で着いた。
「猫塚の由来」と書かれた立派な案内板が建っており、その横に思ったよりも小さな祠があった。その中に「七つ尾の猫」が彫られた石が祀ってある。
「これね」
「ああ、化け猫の祟りを鎮めたにしては小ぶりだけどね。七つ尾の猫はどこか迫力がある」
私が拍子抜けしたように見えたのか、万代くんはいつになく饒舌に解説した。
その時だ。ふと気づくと、私たちの横で男の子がぶつぶつ言いながら猫塚を眺めているではないか。
その姿を見てぎょっとしたのは私だけではなかったようだ。
「まずいな。この子、取り憑かれてるね」
万代くんがおもむろにつぶやいた。
「え、取り憑かれてるって? 化け猫に?」
「化け猫かどうかはわからないけど、動物と女の人が見える」
「霊視ってこと?」
「ああ、変な風に思われるからあまり言わないんだけど、見えるんだよ」
私は初めて万代くんに会った時、「ここのトイレは出るから苦手なんだ」とお化けの手を真似たことを思い出した。あれは冗談ではなかったというのか。
2人でそんなやりとりをしていたら、ぶつぶつ言っていた男の子がまるで夢遊病のようにふらふらし出した。
心配になって見守っていると、今度は私たちの方に倒れ込んできたのだ。
「大丈夫?」
私は咄嗟に抱きとめた。すると男の子が近くでつぶやいたので言葉を聞きとれた。
「助けて…殺される…ボク殺されちゃうよ」
また何かが起きようとしているらしい。
「【第6話】猫塚にて…虐待の事情 Ⅱ」へ続く
画像は『photoAC「写真素材:萩、厳島神社の猫 作者: tokumeso」』
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